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ＳＥＸＹ −ａｃｔ．６〜７−
（ＡＣＴ．６）
ゆっくりと意識が浮上して、拓は、ぽっかりと瞳を開けた。
何もない空間に視線を漂わせながら、ぼんやりとしていた記憶を覚醒していく。
不意に、ポロリと涙が零れ落ちた。
それは後から後から盛り上がり拓のこめかみを伝ってコンクリートに染み込んでいく。
あれから、どれ程の時間が過ぎたのか・・・。
緋咲の姿は何処にもなく・・・それでも、やはりあれは悪夢ではなくて現実に起こった事なのだと思い知らせるように−ＪＯＫＥＲ−の吸殻が落ちていた。
これは、罰だと拓は思った。
警戒しなくてはならない相手だと言うのに、気を許してしまった拓への・・・『しっぺ返し』。
それが、理解って・・・もう二度と会わないようにしようと・・・思う側から胸が痛むのだ。
どうして緋咲があんな事をしたのかを・・・まだ考えようとする『想い』が何処かに合って、拓の心を惑わせる。
答えなど、理解り過ぎるのに・・・。
緋咲の最後に言ったセリフが拓の心を引き裂く。
秀人と二度と会えないようにしてやると言ったとおり・・・この状態では拓は秀人に会う事はできないと思った。
会えば、緋咲との事を思い出して、自分がどんな風になってしまうのか全く自信がなかった。
「・・・ふっ・・・・う・・・」
殴られた方が、ずっとマシだった。
身体の傷は癒せても・・・心のキズは深く刻み込まれてしまった。
もうずっとこの傷を抱えていかなくてはならないのだ。
薄暗い倉庫の中で・・・拓は暫く蹲るように泣き続けていた。
うっすらと鈍い明け方は、シトシトと降りしきる雨模様だった。
痛む身体をゆっくりと慎重に動かして、拓はふらつきながらその中を歩いていく。
冷気が、刺すように冷たかったが、心はそれ以上に冷え切っていた。
騙し騙し歩いていた拓だったが、身体は限界を越えていた。
並び立つ倉庫を抜けて・・・そのまま真っ直ぐに歩いていた拓は、いつの間にか車道を横断していく。
遠くから、バイクの響きが聞こえ、ビクリとその場に立ち尽くす。
走ってきたバイクは慌ててスピードをそのままに、９０度ターンをして拓を辛うじて避けた。
「バッカヤロー、テメぇっ！死にてぇのかっ！」
その言葉を聞いた瞬間に、拓は全身の力を抜いていた。
聞き慣れた・・・幼馴染みのその声に。
「――っ！・・たっ・・・『拓』ちゃんっ？！」
「―――どしたよっ？！」
薄れゆく意識の中で、拓は今度こそ混沌の眠りの中に沈んでいった。
（ａｃｔ．７）
ガシャーンッ！！
派手な音が鳴り響く。
「・・んっだよっ！！―――"フザ"けろよッ！！」
「―――落ち着けよ、ヒロシィ・・・」
トレードマークのグラサンを床に叩きつけて、叫んだヒロシを宥めるようにキヨシが濡れたタオルを絞る。
「・・これっが、落ち着いてられっかよっ！テメー、フザけた事抜かしてやがると"殺"すゾっ！！」
「あぁ？！――『上等』っ！"殺"れるモンなら"殺"ってみっかぁ？！」
売り言葉に買い言葉で、険悪なムードが広がる。
「・・・ぅ・・・ん・・・」
だがそれも、隣の部屋で上げられた小さな呻き声に、ピタリと止まった。
「『拓』ちゃんっ！」
二人で我先に部屋の中に飛び込む。
『韋駄天のヒロシ』と呼ばれるヒロシの方が、一歩速く足を踏み入れるが、そこに彼等が良く知っている拓の笑顔は見られなかった。
布団に横になったまま、発熱に苦しそうな表情で眠りに就いている拓の姿が更にヒロシの怒りを奮え立たせる。
「・・・クッ・・・！」
ギュッと拳を握り締めて、ヒロシはそれを左手に叩きつけた。
「"誰"よ・・・『拓』ちゃん・・・ここまでした奴・・・ブッ殺してやっからよ・・・」
低く、呻くように呟くヒロシの顔は、『獏羅天一番機』と呼ばれていた頃のものと化していた。
拓と再会して、随分と丸くなった筈なのに・・・その性格は少しも変わっていなかった。
それでも、昔よりも収まった方だ。
無茶苦茶だった頃は、むかつく事があれば、その場で周りに当たり散らす事なんか屁とも思わない暴れん坊だったのだが、この場ではその怒りを抑えようとする頭があるらしい。
尤も、ここで大きな音を立てれば、拓に余計な負担をかけると知っている為だが。
「・・・ふ・・・っ・・・」
熱の所為で赤い顔のまま、拓は時々苦しそうに吐息を零す。
だが、何よりもヒロシとキヨシの胸を傷めるのは、無意識の内に零れ落ちるその涙だった。
眠りに就いている筈なのに、綴じられた瞳から零れる涙が、拓が酷く傷ついている証のような気がして。
「・・・だから、『拓』ちゃん・・・"泣"くんじゃねーよぉ・・・男・・だろ・・・？！」
側にヘタリと座り込んで、ヒロシは毛布からはみ出していた拓の手をそっと持ち上げて、祈るようにその手を自分の額に押し付けた。
どちらかと言うと、泣きだしそうなのはヒロシも一緒だった。
今まで一緒につるんできて、こんなに気弱そうなヒロシの姿を見るのはキヨシにとって初めての事だった。
「ヒロシぃ・・・」
拓の額に置いてあったタオルを替えながら、キヨシもどうすれば良いのか悩んでいた。
ヒロシが起こっている本当の理由に思い当たって。
目の前で倒れた拓を、連れて帰ってきて・・・怪我の手当てをしようとしたのだが・・・。
怪我以外の傷を見つけた瞬間からの・・・やり切れないような感情を、ヒロシは必死に怒りへと変換させているのだ。
それは、実際キヨシに取っても十分ショックなものだった。
リンチ的な事で、行われる事もあると聞いた事はあったが、『マブダチ』でもある拓が、現実にそれを受けるとは微塵も思いもしなかったのだ。
それはもう、暴力などと呼べる生易しい事ではない。
男として、許し難い行為とも言えるだろう。
小さ過ぎて、雑に扱ったら壊れてしまいそうな身体を、そっと寝かしながら・・・ヒロシもキヨシも拓をこんな目に合わせた奴を決して許しはしないと誓っていた。
喩え、そいつがどんな奴であろうとも。
拓を傷つける者は二人の敵なのだ。
不意に、ある予感が脳裏を横切り、キヨシはその考えにゾクリと身を奮わせた。
つい先日に、拓に向かって、今度会ったら何をするか理解らないと告げた人物を思い出して。
あの狂おしいまでの執着の仕方から、一変しての怒りへの変化は、傍らで見ていたキヨシ達にも強く感じられた。
自分達を『兄弟』と呼びながらも、敵対すれば、容赦なくナイフで切り付けてくるような・・・野性の獣。
―――『龍神』。
だが、まさか・・・と思い直す。
彼の者ならば、こんな隠れるような行為は行わない。
本気で自分達に喧嘩を売る気ならば、自分達を呼び付けて、目の前で拓を凌辱するだろう。
それぐらいやりかねない男だ。
ならば・・・？
ヒロシは何も考えずに、出会った奴等全てを殴りつけて進むかもしれない。
真っ向から、ぶち当たれば・・・いつかは見つけられるかも知れないが・・・それではリスクが多過ぎる。
後は、最後の選択をするしかない。
―――どちらにせよ、今は拓の目覚めを願う事しかできなかった。
「キヨシィ・・・ヒロも居る？」
突然の来訪客は、嵐を呼び込んだようなものだった。
「・・・"ナニ"しに、"き"やがった 」
ヒロシが拓の側から離れようとしないので、仕方なく出たキヨシは、目の前に立っていた人物に急に不機嫌になった。
「そんなに怖い顔しなくったって良いだろ。・・・『拓』ちゃんの事で聞きたい事があるんだよ・・・」
「てめぇっ！やっぱ拓ちゃん "や"ったのはテメエかよっ？！『時貞』っ！」
フワリと独特な微笑を浮かべる時貞に、キヨシが額に血管を浮き立たせる。
「・・・どういう事？！」
ピキーンと時貞の笑みが凍りつく。
低く呟くと、情け容赦ない時貞の『紅』い瞳がギラリと輝き始めた。
「――『拓』ちゃんが、どうしたって？キヨシ。」
脅しのような口調で逆に問いかけられて、キヨシは初めて自分の失言に気付いた。
「・・あ・・う・・・」
「キヨシ・・・オレと『拓』ちゃんは、仲直りしたんだよ。オレに『拓』ちゃんの事を内緒にすると、いくら『兄弟』でも許さないよ。」
「あぁ？！んだとぉ、許さねぇだとぉ？"上等"じゃあ、こっちもムシャクシャしてんだよっ？！相手すっかぁ？！」
互いに対峙しながら一歩も引かない二人であった。
「・・・『拓』ちゃん？！」
今にも史上最悪の喧嘩が始まろうとした時、部屋の中から驚いたようなヒロシの声が響き・・・途端に二人の動きがピタリと凍結した。
「『拓』ちゃんが、来てるのか？！」
「うっせぇなぁ・・・それ処じゃねーんだヨッ！・・・どしたっ？！ヒロシッ！」
表情を変えた時貞に、チッと舌打ちをしながらも、キヨシはクルリと踵を返した。
その後を、当然のように時貞が入ってくる。
そうして部屋の中に飛び込んだ二人は、またしても凍りついてしまう。
「・・・何やってやがんだよ、ヒロシィ・・・」
「ヒロォ・・・」
目の前の光景に、ビキビキッと血管がブチ切れそうになってしまった。
布団の上、拓を押さえ込んでいるヒロシの姿に凜
だが、そんな二人の怒りも知らずに、ヒロシは真剣な顔で拓をただ抱き締めた。
「・・大丈夫だよ・・・『拓』ちゃん・・・オレが守ってやっから・・・誰からも守ってやっから・・・ダイジョーブだから・・・」
何度も何度も言い聞かせるように呟きながら、ヒロシはそっと拓の髪をあやすかのように梳いている。
「ヒロシ？！」
「・・・どういう事？」
状態を理解して辛そうな表情となるキヨシの横で、時貞が目を細める。
「見て、理解んねーのかよ！オレ等だって、なんでこんなになっちまったのかなんか、知っかよっ！」
「ふうぅーん・・・」
それでも、何も知らない時貞は冷めた瞳をヒロシに向け続ける。
今一番のお気に入りの拓が、他の奴の腕の中にいるというのが、気にいらないのだ。
喩え、それが『兄弟』のヒロシだとしても。
「・・・シちゃん・・・」
やがて、蚊の鳴くような声で、拓がヒロシを認識する。
「『拓』ちゃん！」
明らかにホッとしたような声が、ヒロシの口元から零れる。
「・・・オレが理解っか？」
そっと、確認するように問いかけるヒロシに、拓は小さく頷いた。
「ヒロシちゃん・・・ボク・・・」
「何も言わなくて良ーぜ。辛かったろ？ちゃんと、オレが仇は獲ってやっからよっ！」
言い切るヒロシに、拓はゆっくりと首を横に振る。
「拓ちゃん？！ナ・・んでよっ？！」
「・・・チガ・・・ボク・・・が・・ボクが・・いけなかった・・・んだ・・・だから・・・」
ポロポロと涙を零しながら、声を絞り出すように精一杯声を出す。
首を振り続けながら・・・拓は想いを吐き出す。
「・・・近づいたら・・・いけなかったんだ・・・なのに・・・なのに・・・」
―――捕まっていた・・・と。
時折、フッと魅せるあの柔らかな『眼差し』に。
しゃくりながら、拓は自分の気持ちを持て余していた。
こうして、ヒロシに慰められていながら・・・あんなに激しく傷つけられたのに・・・記憶からその姿が消えないのだ。
「『拓』ちゃん・・・。」
スッと一歩、時貞が近づいた。
「・・・時貞くん・・・？！」
その姿を初めて意識して、拓はビクリと身を竦ませた。
「"誰"にやられたって？」
「あっ・・・」
静かに問う時貞の怒りを瞬時に察して、拓は無意識に逃れようとする。
聞かれたからと言って、言える相手ではない。
その名は、ここにいる三人全員が知っていて・・・それぞれに違った思惑を持っているのだ。
この場で緋咲の名前を出したら、どんな状態になってしまうのか・・・考えるだけで恐ろしい気がした。
「オレにも言えないのかい？拓ちゃん・・・？！」
「ヤメろよ、時貞っ！拓ちゃんはテメーと違って、デリケートなんだよっ！それ以上拓ちゃんイジめてっと、オレが"許"さねーゾッ！」
困り切った拓を追い詰める時貞に、ヒロシが食って掛かる。
「ヒロ・・・別にオレは拓ちゃんをイジメてなんかいないだろ。」
「ウッセーッ！んじゃ、テメーがおんなじ"メ"に合ったら 言えんのかよ？オメーに？」
事が拓の事になると、ヒロシは人が変わるらしい。
あの『セロニアス』に言い返すという無謀に事をしているのだ。
だが、それがずばり的中したらしい。
時貞が、グッと詰まったのだ。
途端に、キヨシの目が、点になる。
拓は唖然としたままだ。
まるでナイトのような格好で、拓を庇ったままヒロシはフンッと鼻息を荒くする。
「・・・ヒロシ・・・ちゃん？」
「―――まだ、熱が下がってねーよ。もう少し眠った方が良いぜ。悪い夢を見たと思って忘れちまえよ、な。」
「―――うん・・・。」
安心させるようにヒロシが笑うと、ギュッとヒロシの服を掴んで、拓はホッとした表情を見せた。
そんな拓の手を大きな手で包み込むと、ヒロシは囁くように呟いた。
「ここに、いっからよ・・・」
その言葉に涙ぐんだままフワリと微笑を浮かべて、拓は瞳を綴じた。
今度は穏やかな眠りに身を包まれる。
拓が眠りに入ったのを見やって、キヨシが時貞を肘でつつく。
「キヨシ？！」
「あっちで、オレが知ってっ事、話すからよ。」
「聞こうか・・・」
言い切るふたりの表情は、『特攻』する前のように厳しく、緊迫していた。
『三鬼龍』と呼び名されるとおりの―――"容貌"。
鬼も龍も"異形"の『者』なればこそ、存在を認めてくれる『者』を誰よりも何よりも大切に思うのだ。
・・・三人にとっては、拓が初めての相手だった。
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