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ＳＥＸＹ −ａｃｔ．８〜９−
（ＡＣＴ．８）
何処までも何処までも走っていく。
スピードと・・・共存する。
空気の抵抗を越えて加速をつければ、何もかもが視界から消えていく。
今までは、そうだった。
なのに・・・どんなに速く走っても・・・風に吹かれても・・・消えないのだ。
―――あの泣き声と悲鳴が。
ギリギリと唇を噛み締めた痛みにも負けない程、心が痛んでいる。
あんな事がしたかった訳じゃない。
対抗意識がなかったと言わない。
興味を持って奪ったら、どんな顔をするのかも考えていた。
それなのに・・・いつからか変わった『心』。
会いに行く事がかったるくなくなったのはいつからだったろう。
クルクルと変化する表情は、見ていて飽きる事がなかった。
その心の中が真っ直ぐに表情に現れて、何を考えているのかなど手に取るように理解った。
自分を恐れていながらも・・・それでも逃げる事もなく、下手に出る事もせずにあった『存在』。
不思議と一緒にいても、違和感を感じさせないその雰囲気が、妙に心地良くて・・・。
忘れていたのだ、実際に。
相賀や土屋達が、まさか自分の言葉を守らずに動くとは思わず・・・その口から零れた『秀人』の名に・・・全ての箍が外れてしまった。
怒りのままに、総てを壊してしまった。
二度と元には戻らない・・・取り返しのつかない事を。
大きな瞳に浮かんだ涙が・・・責めるようだった。
それは決して消えない―――『過ち』。
思い出すだけで、心がちぎれてしまいそうだ。
だが、忘れてしまうには、心を奪われ過ぎていた。
明け方まで走った緋咲は、いつもの『麓沙亜鵺』の溜まり場へと足を向けた。
カランとドアを開けて店の中に入る。
中にいた全員の視線が緋咲に絡まる。
そのまま、無言のまま真ん中を通って・・歩いていく。
「・・・緋咲・・・さん？」
てっきり怒られるとばかり思っていた相賀が、決死の覚悟で問う。
昨夜、緋咲が殴った頬が赤く腫れていた。
「―――ケリ・・・付けたから、もう手出しすんなよ。」
酷く穏やかな口調は、逆に相賀達の胸を捕らえた。
不安になってしまう程、緋咲をいつも覆っている威圧感が消えていた。
何があったのか・・・何をしてきたのか緋咲が語る事はない。
「『外道』とも決着つける。今度の"鳥浜"用意しとけ。」
そう告げると、そのまま緋咲は奥の部屋に入っていってしまった。
「土屋ぁ(T△T;)」
相賀が困ったように土屋を見る。
だが、土屋もまた首を傾げるだけだった。
そうして、相賀と土屋は『外道』との抗争の中で、その事に気付くのだ。
自分達が、どれ程緋咲を追い詰めてしまったのか―――という事を。
金沢シーサイドライン。
「てめーらは手出しすんなよ。」
一言、そう告げて・・・緋咲は走ってきた『外道』のルートの前に立ちはだかった。
そうして、激しい喧嘩が始まる。
それは、緋咲の怒りだった。
吐き出す場所のなかった『想い』を怒りに変えて、緋咲は、拳で総てを粉々に壊してしまおうとしているようだった。
たった一人で・・・。
何十人といた『外道』のメンバーは全て緋咲の手によって、倒された。
その中に目的の秀人の姿はない。
ゆらりと鬼神のように闇の中に立つ緋咲の姿は、何故か悲しみに包まれているようだ。
やがて、待ち続けた排気音が聞こえてくる。
緋咲と同じ単車でありながら、音が違うのは走り方の違いなのか？
パールホワイトのＦＸが止まり、秀人が単車を降りる。
仲間を助け起こす秀人の前に、緋咲はゆっくりとその姿を近づけた。
「ヒィーザぁーキィいいい！」
「行けっ！」
叫ぶ秀人を真っ向から見据えて、緋咲は親衛隊に合図を送る。
行く手を阻まれた秀人が、睨み叫んでいるが、それを緋咲は一笑した。
「オレは"秀人"がくたばっちまえば、それで"ゴキゲン"よぉ・・・」
それは緋咲の本心だった。
目の前からこの『存在』が消えれば・・・あんな想いはしなくても良かったのだ。
目の前で、秀人が仲間の手によって傷つけられてゆく。
それでもその『存在』が弱まる事はなかった。
「教えてやるよ？"緋咲"ィ・・・ナゼ俺のパールホワイトの"ＦＸ"が"最強外道"のカンバンなのかよ・・・?
」
横腹を刺されながら、それを少しも苦にしない秀人が、緋咲に向かって言い切る。
その気迫に『麓沙亜鵺』のメンバーはすっかり萎縮してしまい、結局秀人一人にやられてしまった。
「緋咲ィ・・・てめーだよ?
テメー・・・」
ガンをつけながら秀人がタイマンを要求する。
それに、緋咲は漸く動いた。
そのままケンカが始まる。
殴りに行った緋咲が、最初に拳を貰ってしまう。
だが、やはり傷ついた秀人はいつものキレがなかった。
緋咲の反撃が、思いどおりに決まるのだ。
昔砕かれてしまった左手で、何度も秀人の刺された横腹を殴りつける。
繰り出された拳を避けて、ケリを決めるとそのまま秀人は倒れてしまった。
緋咲の顔に、自嘲めいた笑みが刻まれる。
だが、こんなものでは緋咲は納得しなかった。
あの"チビ"があれ程まで執着したその絆を、緋咲は確かめてみたかった。
その『想い』を。
「くっく、勝ったぜ？"外道"を "外道"の秀人をこのオレが潰したぜ？」
わざと大声で、言い切ると、緋咲は更に追い詰めるようにその頭を足下にする。
「ちっと前・・・てめぇのマブ達とかゆー"チビ"がそーやって這いつくばってたぜ・・・外道のハチマキかなんかシメてよ・・・"秀人"くんはオレの"マブダチ"だってよ？ザマぁねーな・・・秀人くん？」
見下ろして蔑む口調で告げると、途端に足下にしていた足首を秀人にきつく掴まれる。
緋咲の胸に言い知れぬ感情が沸き上がる。
倒れている秀人の何処にそんな力が残っていたのか・・・思いっ切り踏ん付けている緋咲の足を、信じられない力で持ち上げると、秀人はそのまま起き上がって、緋咲の持ち上げている反対の足を足払いした。
その勢いを利用して、緋咲はケリを入れようとするが、秀人の拳をモロに受けてしまう。
勢いで吹き飛ばされて、車の側面にぶち当たる。
「立てよ？"緋咲"・・・終わりじゃねーだろ？」
立ち上がった秀人が、酷く険しい表情で緋咲を睨みつける。
「こ・・・殺してやる・・・殺してやるゾォ・・・"秀人"ぉ・・・」
ギリッと歯を食いしばって、緋咲は『想い』を吐き出した。
それは、怒りと屈辱。
再び立ち上がった秀人に、納得しながらも、それを認めるには心が収まらなくて・・悪足掻きをしてみたくなる。
喩え無駄な事だとしても、どうしても吹っ切る何かが欲しかったのだ。
この行き場のない『想い』に決着を付ける為に。
「殺してやるぜェ"秀人"クンよぉ・・・楽しくていーよな？こーゆうのはよ・・・」
車のボンネットの上に張りつけてあったスキー板を力任せに剥がして右手に持つ。
「そーだろ？秀人クン・・・」
「・・・カンケーねー・・・」
わざと強調するように言うと秀人がボソリと答える。
「あ？」
「"外道"も・・・横須賀も・・・もー 全部カンケーねー・・・」
全身に怒りを漲らせて、低く秀人が言い切る。
「てめェ・・・グシャグシャにしてやる・・・」
それは秀人の『想い』であり、『怒り』だった。
緋咲の中に、絶望的な『想い』が広がっていく。
タイマンでは・・・ケンカの気迫では負けないが、この『想い』の深さは何と言えば良いのか？
チームも敵対する者も名にも関係なく、ただ拓に手を出した事を許さないと秀人は緋咲に告げたのだ。
そこまで言い切れる程・・・チームの仲間よりも大事な者なのだ−と。
それが、緋咲の心を打ち砕いた。
その言葉を、打ち消したくて・・・本気で殺すつもりで出したスキー板が、秀人の繰り出したケリで折られて飛び、その鋭い切っ先が、緋咲の右太股に突き刺さった。
一瞬の衝撃の後に訪れた、信じられない程の激痛。
困惑と動揺のままに、まだ戦おうとするが、既に勝負は決していた。
何度も何度も、秀人に殴られていく。
情け容赦のない拳が何発も顔面に入れられ、何の抵抗もせずにただ殴られ続けた。
まるで、殴られるのが自分の犯した『罪』に対する『罰』のように。
それでも、『感情』を埋める事などできはしない。
不意に止んだ秀人の攻撃の隙をついて、緋咲は左手を繰り出した。
命中した威力で、秀人が吹き飛ばされる。
「こ・・・"殺"すって・・・いってんだよ・・・」
左手の拳の皮が殴り続けた為に破れて、その中のプレートとボルトが見えてしまっている。
それでも、緋咲は秀人から目を逸らさなかった。
「・・・上等だよ？・・このヤロー・・・」
ユラリと立ち上がった秀人もまた緋咲を見つめる。
互いにガン付け合ったまま、二人は対峙する。
そんな二人の様子をただ黙って見ている事しかできなかったそれぞれのチームのメンバー達は、だが、遠くから聞こえるサイレンの音に気付いて・・・このケンカに終止符を付ける為に、動いた。
親衛隊の言葉に、緋咲も引きずられるようにその場から離れた。
そうして、『外道』と『麓沙亜鵺』の因縁は、またしても決着のつかないままに終わってしまったのだが、傍らで見ていた土屋と相賀は、緋咲のケンカのやり方が変化した事に気付いていた。
昔の緋咲はただ無鉄砲に突き進むだけで、何も言わずに目の前の相手をブチのめすだけだった。
なのに、秀人に対するあの言葉の数々は、確かに緋咲の『想い』だったのだ。
「土屋ぁ・・・オレ・・・」
「あぁ・・・どーにかするっかないな。」
喩え、他の誰が言おうが、知った事ではない。
だが、それが緋咲の為ならば、仕方もないだろう。
殴られ続ける緋咲など、もう二度と見たくはないのだから。
―――泣きそうな顔で言う相賀に、土屋はゆっくりと頷いて見せた。
（ａｃｔ．９）
拓は夢を見ていた。
それが、夢だと理解ったのは・・・ある筈のない光景だったからだ。
穏やかに笑う緋咲が、目の前に立っていた。
そうして、手招きをするのだ。
『―――こいよ。―――』
唇が動いて、声が聞こえる。
その響きに、抵抗できなくて・・・拓の足は自然と緋咲に近づこうと動き出す。
そうして、近づいた拓を、緋咲はきつく抱き締めた。
両腕で包み込むような抱擁に・・・拓は酷く動揺した。
だが、その腕の中は少しも怖くなく、妙に心地良くて・・・ドキドキとしてしまう。
やがて・・・ゆっくりと近づいてくる緋咲の顔が見え、その唇がクツリと笑ったような気がした。
途端に、耳に届いた・・・『言葉』。
それは、一度も聞いた事のない『音』だった。
――――『拓・・・』――と。
ドキリとした瞬間、拓はガバッと跳ね起きた。
そのまま激しい鼓動に酸欠を起こした魚のように必死で空気を肺に送り込む。
「・・・な・・・」
ゼエゼエと肩で息をしながらも、拓はどっぷりと疲れていた。
そうして、夢の内容を思い出して、ババッと真っ赤になりながら・・・がっくりと肩を落とした。
何で、あんな夢を見なければならないのだろうか？！
女の子とならいざ知らず・・・何故、緋咲と？！
それでも、夢だと理解っているのに、拓の心臓はドキドキと心と裏腹に鳴っていた。
夢の中の緋咲の表情を思い出す度に。
―――胸が苦しくなる。
自分の身体がどうにかなってしまったのではないかと、拓は思った。
もう二度と会いたくないと思う側から、その願いは薄らいでいくのだ。
まだ、強く惹かれている自分が何処かに存在しているようだ。
ハァッと溜め息を付くと、拓はゆっくりとベットから起き上がった。
悪夢のような"鳥浜ロード"から３日・・・緋咲と最後に会ってから、二週間が過ぎようとしていた。
来るのではないかという噂の『外道』も、邪魔しにくると囁かれていた『麓沙亜鵺』も現れず・・・拓はホッともしていたのだ。
尤も、拓にとってはそれどころではなかったという方が正しいかもしれない。
"鳥浜"に向かう途中で、真里のアイス禁断症状が現れて、拓とミツオが付添いで『爆音小僧』のメンバーと別行動を取ったのだが・・・その途中で、『麓沙亜鵺』のメンバーと鉢合ってしまい、ケンカが始まってしまったのだ。 結局、真里の一方的な勝利で幕は綴じられたのだが、その時に傷めていた手首を更に悪化させてしまった。
その為、真里が乗る筈だった−爆音スペシャル−に、背格好が近いというだけで拓が選ばれてしまい・・・本当に死にそうな体験をさせられ・・・最終的には勝ったものの、身体はボロボロになっていた。
とにかく、転校してから、どんどん寿命が縮まっていくような気がする。
毎日が、衝撃の日々で・・・気の休まる時がないのだ。
それに、拓に取って気になる事は他にもあった。
それは、"浜鳥"のあの日に、帰りかけに見た酷い乱闘後の場所で・・・実際に乱闘を起こしていたのが、秀人の率いる『外道』と・・・緋咲を頭とする『麓沙亜鵺』だったという噂が、耳に入ってきたからだ。
どちらが勝ったと言うのか？
決着はついたのだろうか・・・。
気になりながらも、それを確かめる手段が、今の拓には何もなかった。
ホウッ・・・。
もう一度吐息のような溜め息を零してから、学校に行く為に拓は着替え始めた。
ヒロシとキヨシに助けられたあの時は、二日間起き上がる事ができなくて・・・漸くヒロシの許可を貰って家に帰ったのは、結局あの夜から三日後だった。
丁度、両親も法事から帰ってくる日と重なっていたので、学校を休んだ事を知られる事もなくて・・・変わらない学校生活を送っている。
拓の乗っていた"ＣＢ４００Ｆ改"は、何故かちゃんと拓の家に戻ってきていた。
拓は、それを見た時に、一瞬泣きたくなった。
それをしたのは、きっと『彼』に違いないから。
どんな想いで、彼がそれを持ってきたのか・・・考えれば考える程、『意識』が嵌まり込んでしまう。
そっとシートを摩ってから、拓はヘルメットを被ってバイクに跨がった。
エンジンを吹かして、走り始める。
そうして、走り始めてからすぐに、拓は周りの様子に気付いてギクリと身を強張らせた。
信号待ちで止まっていた時に、いつの間にか難題かのバイクに囲まれていたのだ。
「・・・な・・に・・・？」
これ以上、まだ何かあると言うのだろうか・・・いい加減勘弁してほしい・・・。
「・・・着いてこい。」
前に回り込んだ単車が、合図をするように短く言って右手を上げた。
その声に、拓はドキリとする。
ヘルメット越しではあったが、その声を拓は知ってた。
あの夜に、電話で拓を呼び出した声だ。
ならば、周りを囲んでいるのは『麓沙亜鵺』のメンバーなのであろうか？
だが、誰一人として特攻服を着ている者はいなかった。
黒のジャンパーや皮ジャンにジーンズや皮パンツを穿いた者ばかりで・・・。
先頭の者など、ライダースーツに身を包んでいたりするのだ。
逃げる事もできずに、拓は周りを囲まれたままバイクを走らせ続けた。
こういう時に限って、知り合いの者に誰にも会わないという自分の運のなさも悲しいものである。
いつもなら、『もう嫌ッ（Ｔ
Ｔ;）』と言う程誰かに会ってしまうというのに？！
バイクの集団は拓を連れたまま、横浜を抜け出した。
暫く"産業道路"を走り続けて・・・やがて市街地に入り込む。
そうして、拓は見覚えのある景色に、自分の連れていかれる場所が何処なのかを理解した。
川崎の・・・あの店だ。
最初の発端の・・・拓が緋咲に呼び出された『場所』。
川崎駅前にある喫茶店−"アゼリア"。
全ては、ここから始まったのだ。
先頭のバイクが止まる。
目的の場所の目の前で・・・。
周りのバイクも止まり、仕方なく、拓もエンジンを切った。
「・・・土屋？！」
中から出てきた相賀が、ライダースーツの男に近づく。
フルヘルメットを外した土屋は、いつもの髪形をオールバック風にさせていた。
「―――緋咲さんは？」
「・・・中に"居"っけど・・・。」
そうして、二人して拓に視線を流す。
「オレは、"認め"ねーけど・・・"許し"てやんよ。あんな緋咲さん、見てらんねー・・・。・・・オレじゃダメって知ってっから。・・・だから・・・」
ムッとしたように言いながら、涙ぐむ相賀の金髪を、土屋はクシャッと掴む。
「・・んだよっ！ガキ扱いすんじゃねーよっ？！」
赤くなりながら、相賀はプイッと横を向いてしまう。
「―――オマエ、秀人の"オンナ"か？」
「・・・は(T△T;)」
不意に尋ねられて、すっかり混乱していた拓は、更に頭がウニ状態になってしまった。
ひょっとして、横須賀と横浜の人間の間には、理解できない言葉というものが存在しているのであろうか？
＜・・・ボク・・・男だけど・・・オンナって・・・一体(T△T;)？！＞
言っている事が全く理解りませんと、大きく顔に書いてあるような拓の表情に、土屋がクスッと笑う。
「ンなよーじゃ、秀人の『オンナ』って言う訳じゃなさそーだな。まぁ、あの『外道』の秀人がそんな癖持ってるなんて聞ーた事もねぇし・・・まぁ、実際、緋咲さんがなっちまうとは想いもしなかったが・・・」
一人で納得したように喋る土屋に、拓はますますキョトンとしてしまう。
考えれば考える程、ドツボに嵌まってしまいそうで・・・余り考えたくなかった事も事実ではあったが。
「―――入れよ。中に緋咲さんが"居"っから。」
ポケットから煙草を取り出して、火を点けて一服してから、土屋は拓にそう言った。
拓は急に足元を掬われたような気がした。
選択を迫られたようで、心臓が緊張にキュッと縮こまった。
―――中に、緋咲が居る。―――
ただ、それだけの事なのに、この『想い』と『感情』を何と表現すれば良いのだろう。
あの夜の理由を聞きたい自分と、二度と会いたくないと思う自分。
身体が、二つに裂かれてしまったようだ。
心の中の葛藤が、拓の動きを封じ込めた。
そんな拓の気持ちを、察したのか・・・行動を起こしたのは相賀だった。
凄まじい力で、地面に凍りついたような拓を無理矢理動かして、店の中に押し込んだのだった。
ドンと押されたまま、拓は店の中に足を踏み入れた。
そうして、後ろでドアが閉められてしまう。
完全に退路が断たれて、拓は急に不安になった。
「・・・誰だ？―――皆、出てけって言っただろ。」
奥の部屋から不機嫌そうな低い声が響く。
たった二週間聞かなかっただけで、酷く懐かしい感じがした。
ゾクリと身を震わせて、拓はその場に立ち尽くした。
どうする事もできなくて・・・。
「おい・・・聞こえねぇのか？」
更に怒りを露わにした声が、聞こえ・・・中の扉が開かれる。
怖くて、拓はギュッと目を瞑ってしまう。
「・・・・」
扉が開かれた瞬間、息を飲むような音が聞こえ・・・反射的に拓は目を開けた。
そうして、その視界の中に緋咲の姿を捕らえて、驚愕した。
「・・・ぁ・・・！」
小さな悲鳴が、抑えられた口元から漏れる。
「オマエ・・・なんで・・・？」
戸惑ったような緋咲の声に、拓はどうしようもなく泣きたくなってしまう。
あんな目に合ったというのに、不思議と怒りは沸いてこなかった。
そんな自分が、不思議で不可思議で・・・拓の思考回路が考える事を拒否する。
何も考えられなくなるぐらい、拓の意識は目の前の姿に捕らわれた。
「―――何しに、きやがった？」
低く問うような口調が、緋咲の口から発せられる。
自嘲気味な笑みが、口元に刻まれる。
「オレと秀人が、ケンカした事を、秀人から聞いてきたのか？」
嘲るような口調が、拓を困惑させる。
突き放すような態度に、拓の心がざわめく。
「ボクは・・・そんな・・・ただ・・・連れてこられて・・・」
しどろもどろに言う拓に、緋咲は急に険しい顔付きとなった。
「・・・あいつら・・・」
そうして、苦々しい表情のままで、拓に近づく。
その時、拓の心に沸き上がったのは"恐怖"ではなくなっていた。
緋咲が、右足を引きずっているのだ。
緋咲に対して、"タイマン"をはって怪我をさせられる人物と言えば、秀人しかいない事に拓は気付いた。
「・・・その・・・足・・・」
思わず呟いてしまったその言葉が、緋咲の『感情』に触れたのか・・・一瞬カッと瞳を見開いてから、緋咲はまた奇妙な笑みを浮かべる。
「・・足・・・？あぁ、これかよ？秀人から聞いただろ・・・それでも、オレに言えってェのか。」
秀人の名を出す度に、酷く苦しげな表情となっている事を、緋咲は気付いているのだろうか？
その表情が、拓の『気持ち』をこんなにも揺すぶっているという事も。
「・・・そっ・・・そんなつもりじゃ・・・それに・・・ボク・・・秀人くんには・・・まだ・・・」
会っていないから・・・と続けようとした言葉は、真摯なまでに深く見つめてくる緋咲の瞳に捕まって続ける事ができなかった。
急に、周りの空気が薄くなったようで・・・拓は呼吸が苦しくなってしまう。
こんな感覚は、他の誰といてもならないというのに・・・強いて言えば、あの『武丸』に出会ってしまった時の恐怖が凍りついた瞬間と言うのも呼吸が止まってしまうが・・・それとはちょっと違う気がした。
「・・・帰れよ。お遊びはもう終わりだ・・・。二度と、ツラ見せんじゃねェ。」
冷めたように言い切る緋咲の言葉に、拓は今度こそ衝撃を受けた。
実際、その言葉は拓がずっと望み続けていた言葉なのだが・・・。
なのに、いざそれを告げられた瞬間・・・拓はどうしようもなく"哀しく"なった。
そうして、気付くのだ。
もう、どうしようもない程・・・取り返しのつかない程に―――魅かれてしまっていたのだ・・・と。
考えるよりも先に、身体が動いていた。
後ろを向いて拒絶する緋咲の上着の裾を、拓は思わず握り締めていた。
歩き出そうとした緋咲が、それに気付いて足を止める。
だが、振り向く事はない。
「―――どういう、事・・・だ？」
背中を向けたまま、拓に問う。
拓は何も答える事ができなかった。
『想い』が激し過ぎて・・・言葉が見つからないのだ。
こんなに難解な『感情』が自分の中に潜んでいた事に、、拓は生まれて初めて気付いた。
ただ、離れたくなくて・・・。
「・・・おい・・・！」
業を煮やして振り返った緋咲は、そのまま絶句した。
上着の裾を握り締めたまま、大きな瞳からポロポロと大粒の涙を零している拓の姿に。
緋咲の険しかった表情が、途端に困惑したものとなる。
「・・・何を、泣いてやがる・・・」
泣かせるような事を言った覚えはない。
そう緋咲は考えていた。
なのに、拓は大粒の涙を次から次へと零し続けるのだ。
その姿が、緋咲の『想い』を震わせる。
諦めた筈だった。
―――秀人との戦いで、吹っ切る事に決めたのだ。
だから、心を隠して・・・必死の『想い』で、突き放そうと・・・忘れようとしているのに。
何故、こんな姿を見せられなくてはならないのか。
「・・・泣きたい・・・んじゃ・・・ない・・・」
緋咲の言葉に、拓はゴシゴシと拳で目を擦る。
途端に、頬が赤くなって・・・ますます情けない顔になってしまった。
それでも、拓の涙は止まらない。
緋咲の中で、理性が切れかかっていた。
全身を激しい『想い』が脈打っている。
短い時だが、一緒に過ごした時間が、記憶となって巡った。
そうして、最後のあの瞬間、この腕に抱き締めた感覚までも・・・。
すっぽりと収まってしまう程、小さな肢体だった。
それを、緋咲は無理矢理引き裂いたのだ。
事が終わった後で、緋咲は拓が初めてだったという事に気付いて・・・秀人に対する優越感よりも、後悔に苛まれた。
かなしい
その時の感覚が蘇って、緋咲は酷く"愛しい"表情を浮かべた。
泣き続ける拓に、もうどうしようもなくなってしまう。
―――抱き締めたくなる。
そのまま、緋咲は『想い』のままに行動を起こした。
フワリと空気が動いて、拓は緋咲の腕の中に包み込まれた。
その優しい抱擁に、拓はびっくりして緋咲を見つめる。
そんな拓に、緋咲は苦笑いを浮かべていた。
「嫌なら、抵抗しろよ。この腕から逃れて、帰れ。」
抱き締めた瞬間、ビクリと身を震わせた拓に、緋咲は静かに告げる。
その言葉通り、緋咲の抱擁は拓が抵抗すれば、いつでも解放されるようなものだった。
拓の心はもう決まっていた。
もう、戻る事はできないのだ。
何も知らなかった頃へは・・・。
「逃げなきゃ・・・二度と、離さない。―――覚悟しろ。」
それは、緋咲の告白で『想い』だった。
言葉を受け止めた拓は、自分の中で安心している『気持ち』が存在している事に気付いた。
見つめる緋咲の深い眼差しを、真っ直ぐに見つめ返して・・・拓は少し困ったように微笑った。
「・・・帰らない。――もう、戻れない・・・。」
拓の答えに、緋咲もまた、あの"セクシー"な笑みを浮かべる。
それは、緋咲にとっては会心の笑みに他ならない。
近づけられる緋咲の顔に、受け答える為に、拓はゆっくりと瞳を綴じた。
触れるだけのキスが離れ・・・そのまま緋咲は拓の耳許に唇を寄せる。
腕の中に、きつく抱き込まれて・・・囁かれた言葉。
あの夜に気を失う前聞こえたのは、やはり気の所為ではなかったと言う事を、拓は知る事となる。
『・・・オマエが、好きだ・・・・拓・・・。』
それは、"夢"の中で、何度も聞いたあの言葉であり・・・そうして、拓もやっと自分の気持ちが、"恋"である事に気付いたのであった。
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