ＳＥＸＹ　−ａｃｔ．４〜５−

　（ＡＣＴ．４）

　横須賀メインストリート。
　「土屋ぁーーー緋咲さんわぁ？」
　『麓沙亜鵺』の親衛隊の一人である相賀が、相棒の土屋に向かってふて腐れたように尋ねる。
　「・・・いつものとこだろ。」
　対する土屋の口調は、計り知れない怒りに満ちているようだ。
　「またかよ・・・。」
　ギリッと唇を噛み締めて、相賀は眦を吊り上げる。
　自分等がその強さに心から崇拝しているヘッドの緋咲が、最近妙に奇怪しいのだ。
　横浜の、何の力もないようなチビに出会う為に、自分等のチームをほっぽってただ一人で走って行ってしまう。
　前の緋咲では、とても考えられないような行動を取り続け・・・その理由すら自分等には説明してくれず・・・毎日毎日、歯痒い想いをしなくてはならない状態に、『麓沙亜鵺』のメンバーは切れかかっていた。
　喩え、最初の日に緋咲にクギを刺されていようとも・・・自分等のヘッドを一人占めする存在など、許せる筈もない。
　「あんな奴、消えちまえば良ーんだ、畜生っ！！」
　苦々しい表情で相賀がコンクリートに唾を吐き捨てる。
　「相賀・・・。」
　「土屋ぁ・・・オレは、"や"るぜ。」
　ギュッと拳を握り締めて、相賀は低くそう呟いた。
　「相賀ぁ？！」
　驚きの声が、土屋から漏れる。
　彼等にとって、ヘッドの命令は絶対なのだ。
　それを今、相賀は破ると告げたのだ。
　「緋咲さんに知れたら・・・」
　「構うもんかよっ！このまんまじゃ、今だっておんなじだろっ！」
　「だけどよぉ・・・」
　「"許せ"ねーんだよッ！あんなポッと出の奴なんかに、何で緋咲さんが・・・ぜってぇ納得できねぇっ！！」
　想いを吐き散らすかのように相賀は悲痛な声を上げた。
　元々、気性は激しく・・・自分の気持ちに正直で我慢なんかできない奴だが・・・それでも緋咲に対してだけは従順な態度を取ってきた。
　それも全て、その強さに憧れているから。
　誰をも拒絶し・・・孤高の位置に『居る』ような、強い存在。
　それが、緋咲であり・・・そんな緋咲と同じチームで走れ、側にいられる事が誇りだった。
　誰にも負けたくなくて・・・強いチームにしたくて、必死に後を追いかけてきたのだ。
　自分が、死に物狂いで手に入れた場所を・・・あっと言う間に奪われた悔しさに、気が狂いそうな程怒りが盛り上がってくる。
　「理解ったよ、相賀・・・。」
　「土屋ぁ？！」
　顔を上げた相賀に、土屋はフッと肩の力を抜いて・・・くわえていた煙草を投げ捨てた。
　「・・・要は、あいつの方から、緋咲さんに近づけさせないようにすりゃ良いんだろ。」
　立ち上がって伸びをしてから、土屋は苦笑いを浮かべて見せた。
　「んな事、できんのかよ？！」
　「・・・あいつ、『外道』のハチマキ締めて、緋咲さんに秀人のダチだって言ったんだろ。だから、緋咲さんが興味を持ったんだと思う。」
　「なんで？！」
　「オレらぁ、昔から何処のチームも"上等"こいてっけど・・・緋咲さんの『外道』への憎しみには負けちまう。結局、秀人に拳を奪われたから、あいつを奪うつもりじゃねぇのか？」
　不可解な表情を浮かべる相賀に、説明するように土屋は理解り易く言う。
　「それを、あいつに理解らせてやりゃあ、良いのさ。」
　「土屋ぁ・・・オマエって頭良いんだなぁ・・・」
　土屋の言葉に、相賀はすっかり上機嫌となった。
　まだ、全てを言った訳でもないのに、単純に喜ぶ相賀に、土屋はだからこそ、ほっとけない・・・と小さく溜め息を漏らす。
　無鉄砲で無茶苦茶で、それでも自分の心に酷く正直で・・・一途とさえ言えるからこそ、ついフォローに回ってしまう。
　緋咲一筋を、公言して憚らない相賀が、土屋は好きだった。
　ずっとこのまま変わらないでいてほしい・・・と思う。
　緋咲が、どんな想いで動いているのかは、土屋には理解らないが・・・相賀程怒りはしない。
　ヘッドとして・・・尊敬をしているが、だからと言っていつも一緒でいなければならないと言う事はない。
　それぞれに自分の時間を持っていても何の不思議ではないのだ。
　だが、それも知らなければの話だろう。
　知ってしまえば、見知らぬ振りをする訳にもいかない。
　喩え、緋咲が『秀人』に対する当てつけで動いていようとも、それでチームの中に不穏な感情を芽生えさせては仕方がないような気がするのだ。
　勿論、緋咲に対して面と向かってそれを告げられる程、対等ではないから・・・残るは相手に避けてもらうしかないだろう。
　「相賀・・・一人で勝手に動いたら、ダメだかんな。もう少しガマンしろよ。やるんなら・・・そうだな・・・次の集会の後で―――あいつを呼び出そう。」
　ニッと笑って土屋がそう呟くと、相賀は大きく頷いた。


　――― 知らない場所で・・・そんな話が持ち上がっている事に、当事者の拓はまだ気付く筈もなかった。





　（ａｃｔ．５）
　
　リーン・・・リーン・・・
　階下で電話が鳴っている。
　両親が法事で親戚の家に行ってしまったので、一人で留守番をしていた拓は、２階の自分の部屋から降りて受話器を取った。
　「・・・もしもし、浅川ですけど・・・」
　心を落ち着けてゆっくりと喋る。
　幾分緊張してしまうのは、緋咲からのものだったらどうしようかという戸惑いを隠す為で・・・。
　『秀人に会いたかったら、今夜１０時に横浜のＢ突まで出てこい。』
　「え？！あの・・・？」
　名前も何も言わずにそれだけを告げると、その電話は切れてしまった。
　「・・・Ｂ突・・・？」
　途切れてしまった受話器を置く事も忘れて・・・拓はそう呟いた。
　そこは、前にリョーの事で拓が初めてゼロヨンをした場所だった。
　辛うじて勝てたものの・・バイクは見事に海の中に沈んでいってしまった場所。
　「・・・秀人・・・くんが・・・？」
　誰からの電話かも理解らない。
　そこに行けば会えるという確信もない。
　それでも、拓の気持ちは既に決まっていた。
　秀人という言葉によって。
　いつもの拓ならば疑心暗鬼に包まれて、何かあるのではないかと勘繰る所なのだが・・・秀人の名の効力は凄い効き目だった。
　何も考えられなくなってしまう程に・・・。
　持っていたままの受話器を戻して、拓は階段を上がり自分の部屋に戻って着替え始めた。
　喩え、少しの希望でも・・・会えるというのなら、拓に迷いは無かった。
　それ程、会いたくて仕方なかったのだ。
　拓の頭の中には、秀人の姿しか見えていなかった。


　バケヨンを精一杯の速度で走らせて、拓は夜のロードを走っていた。
　一分でも一秒でも早く・・・目的の場所に辿り着こうとして。
　最後に出会ったのは、何時の事だったろう。
　まだ２ヶ月程しかたっていないというのに、随分と久し振りのような気がした。
　拓は秀人に会える喜びで、胸が一杯だった。
　それは、純粋な感情。
　拓を初めて対等に接してくれた『彼の者』は、拓に強さを指導してくれたのだ。
　急ぐ拓は、秀人に会った時の事しか考えておらず・・・その後を付けるように走っていた存在に少しも気付いていなかった。
　いつもは最終地点をＢ突にしているという真里達も、今日は別ルートを走ると言っていたので・・・Ｂ突は静まりかえっていた。
　同じような倉庫が並ぶ中を、拓は走っていく。
　所々に、屯っている人影が、拓の不安をかき立てる。
　＜秀人・・くん・・・何処だろ・・・？＞
　暗がりが多いので、コンクリに気をつけながら、拓はゆっくりと走り続ける。
　不意にガクンッと強い衝撃を受けて・・・ハッと気付いた時にはハンドルを取られていた。
　フワリという浮遊感の後で、痛みが全身を覆った。
　バイクから飛ばされて、コンクリに背中から落ちたのだと気付くまで、一瞬の間があった。
　ガシャンッという、バイクの倒れる音が闇の中に響く。
　「・・・っ・・・ぅ・・・」
　起き上がろうとした拓は、背中に走った激痛に、息を詰めた。
　ゆっくりと吐き出して呼吸を整えながら、そのままコンクリの上に仰向けに転がる事しかできない。
　＜・・・やっちゃった・・・＞
　段差か何かがあったのだろうか？
　自分の不注意に、拓は眉を顰める。
　秀人に会えるという事で、浮かれ過ぎていたのかもしれない。
　これだけ派手な音を立てても、人がこない処を見るとあの電話はイタズラだったのだろう。
　それが、とても悔しくて、悲しくて・・・拓は泣きたくなった。
　一体、誰が何の為にそんな事をしたのだろうか？
　秀人と拓の存在を知っている・・・？
　そこまで考えて、拓はゾクリと身を震わせた。
　まさか・・・と言う想いが、どうしても拭えない。
　「・・・へえぇ・・・ほんとに引っ掛かるとはねぇ・・・」
　「――オレも、ンなに上手く行くとは思わなかったけどな・・・」
　寝転ぶ拓の上から声が降ってきて、拓が大きく瞳を見開いて見ると、見覚えのある二人が、嘲笑うかのように拓を見下ろしていた。
　『麓沙亜鵺』の緋咲の両腕と呼ばれる親衛隊にいたような気がした。
　そうして、他にも何人かが拓を囲んでいる事に気付く。
　「良い格好だなぁ・・・。」
　動けない拓に、相賀がニタリと笑って近づく。
　「・・・あの電話は・・・」
　「そう、オレ等がかけたんだよ！」
　そこまで聞いて、拓は周りを見回すが・・・そこに緋咲の姿はなかった。
　それが逆に、拓の意識に危険を知らせる。
　「緋咲さんなら、いねーよ。」
　「オレ等はオマエと話がしたかったからよ。」
　「・・・話・・・？」
　「緋咲さんにあんま近づくんじゃねぇっ！」
　苦しそうに聞く拓に、相賀は感情に任せたまま想いを吐き出した。
　「・・・別に・・ボクから近づいてるわけじゃ・・・」
　「うるせぇっ！」
　「・・・ぐっ・・」
　その答えは、相賀の逆燐を逆撫でしたらしく、カッと赤くなった相賀はそのまま拓を蹴り付けた。
　容赦のない蹴りが、横腹に決まって、拓は痛みに身を縮めた。
　身体に力が入らないので・・・身を護る事もできなくて・・・拓はされるがままになっている。
　「相賀・・・ウップン晴らしも良いが、ここでやると誰が来るか理解んねーから、倉庫ン中に入るゾ。」
　スッと目を細めながら、用心深く辺りを見回してから、土屋は周りの連中に合図を送る。
　「土屋ぁ・・・。」
　まだ、物足りないという表情で相賀が振り返る。
　「横浜の連中に見つかったら、厄介だろ。やるんなら、見えないトコで徹底的にすんだな。。オマエの好きにしろよ。」
　配下の奴等に拓を抱えさせると、そのまま土屋は相賀を促して、空いていた倉庫の中に移動した。
　「この中なら、どんなに悲鳴上げたって誰にも気付かれねぇな。」
　「土屋？」
　「・・・オマエの気が済むよーにしろよ。」
　無抵抗の状態でいる拓を蔑むように見下しながら、土屋は冷めた表情で、言い切る。
　それは、拓にとっては絶望の響きとなった。
　喩え、何を言ったとしても・・・聞き入れてくれそうもない雰囲気が漂っているのだ。
　どうする事もできなくて、ただギュッと瞳を綴じて、拓はその痛みに耐えるしかなかった。


　「―――何をしてやがる・・・。」
　低い・・・怒りを彷彿させる響きが、倉庫の中に広がった。
　別にそれは怒鳴っている訳でもなく、声を荒らげている訳でもない。
　なのに、言葉事態の持つ独特のトーンが、底冷えするような恐怖を漂わせているようで。
　「・・・ひっ・・・」
　「・・・！」
　その場にいた連中の中を、戦慄が駆け抜ける。
　「『相賀』ぁ・・・『土屋』ぁ・・・」
　ゆっくりと入ってきた人物の気に圧倒されて、囲んでいた連中の人垣が崩れて道ができる。
　衝撃の止まった拓は、ゆっくりと霞む瞳を見開いた。
　そうして、その声に・・・思わず泣き出したくなっている自分に気付いてしまった。
　「――― 緋咲・・・さ・・ん・・・」
　絶望の吐息が、相賀の口元から零れ落ちた。
　「・・・『相賀』ぁ・・・手ぇ出すなって・・・言ったよな。」
　「・・だっ・・・だけど・・・」
　「ばっ・・相賀っ！」
　完全にブチ切れた状態の緋咲が、確認するのを、相賀は首を横に振って泣きそうな表情となる。
　素早く振り上げられた緋咲の拳を、だが、受け止めたのは土屋だった。
　「土屋っ！ぐっ・・・」
　自分の代わりに殴られた土屋に、驚いた顔をする相賀をも、緋咲は容赦無かった。
　手加減せずに繰り出された緋咲の拳に、土屋も相賀も身体ごと吹き飛ばされた。
　「・・・緋咲さん・・・なんで・・・。」
　「消えろ・・・。」
　泣きながら訴える相賀の哀願を、緋咲は有無を言わさない否定で拒絶する。
　「・・・くっ・・・。」
　ギュッと拳を握り締めて、ふらつきながらも相賀は立ち上がって・・・零れ落ちる涙をそのままに歩き出す。
　「・・・相賀・・・。」
　そんな相賀の背中を土屋は、悲痛な想いで見つめる。
　壊れてしまった・・・そんな想いが拭えない。
　緋咲は、自分等よりもこのチビを選んだのだ。
　「――― 緋咲さん・・・。そいつ、秀人の名前だけで、オレがかけた電話に引っ掛かったンすよ。緋咲さんはオレ等よりもそんな奴を選ぶんスね。」
　手下共を促して、外に出して・・自分も出ようとする瞬間に、ふと、立ち止まって土屋は最後の想いを口にする。
　そうして、そのまま歩き去ってしまった。
　静寂が、辺りに漂う。
　土屋の最後の言葉に、拓はギクリと身を硬直させ・・・緋咲はカッと瞳を見開いた。
　−『外道』の秀人。−
　その存在は、拓にとっても緋咲にとっても、決して失くせないものだった。
　拓は心の拠り所として・・・緋咲は−憎しみの対象として。
　全然正反対の位置に存在しながらも、二人の間に壁のようにある―――"存在"。
　土屋の最後の言葉が、それをずっと抑え続けていた緋咲の想いを暴走させてしまった。
　喩えどうしたとしても、拓の中でその存在を越える事はできないと知った瞬間から・・・感情の歯止めが利かなくなる。
　「・・・そうかよ・・・。」
　低く呟かれた言葉は、自嘲気味な笑みさえ刻まれて・・・。
　拓はゾクリと身を震わせた。
　それは最初の夜に会った時の、夜叉のような緋咲の顔だったのだ。
　沸き上がる恐怖に、拓は痛む身体を必死に動かして緋咲から逃れようとする。
　頭の奥の方で、キケンなシグナルがずっと拓を追い立てるのだ。
　このままここに居てはいけない・・・と。
　「そんなに、秀人が・・・。」
　低い・・・背筋を凍らせるような感情のないバリトン。
　ギリッと握り締められている拳が、緋咲の怒りの最後の理性のようで、拓は生きた心地がしなかった。
　「―――好きかよ。」
　苛立ったかのように言われた言葉に、拓は大きく瞳を見開く。
　そんな言葉を緋咲の口から聞く事になるとは思ってもみなかったのだ。
　「・・・ひ・・緋・・咲・・・」
　戸惑うような声が、拓の唇から発せられる。
　ゆっくりと一歩一歩近づいてくる緋咲に、魅入られたように瞳が反らせなくなる。
　ドキドキと鳴り響く鼓動は、恐怖からくるものなのか・・・それとも・・・？
　胸倉を掴まれて、そのままグイッと引き起こされる。
　「・・・いたっ・・・」
　小さく悲鳴を上げる拓に構わずに、拓が痛みに気を取られている瞬間に、緋咲はまたしても拓の唇を奪っていた。
　ハッとして拓が逃れようとするのを、緋咲は許さない。
　だが、精一杯の力を振り絞って、拓は緋咲の束縛から逃れた。
　「・・・こ・・・こんな事をしても、ひっ・・・秀人くんには関係ないっ！ボクを使って、秀人くんをどうにかしようとしたって・・・ムダ・・・だから・・・っ！」
　必死になって、拓はずっと思っていた事を告げた。
　それを口にする瞬間に走った痛みに、気付かない振りをしながら。
　それで、緋咲が諦めてくれるだろうと思っていたのだ。
　だが、緋咲は更に凄味をました顔付きで、拓の胸倉を掴み上げた。
　そのまま首を締められるような感覚に、拓はビクッと身を縮こませた。
　「・・・だから？・・・少し黙ってろ。」
　そのまま伸しかかるようにして、緋咲は拓の全身を封じ込めてしまった。
　緋咲の下に組み敷かれて、拓は恐怖に包み込まれる。
　「―――これは、なんだ？」
　「・・・そっ・・・それはっ！」
　目敏く緋咲が見つけたものに、拓はザッと血の気を失った。
　緋咲が拓のポケットから引き出したのは、拓が秀人から貰ったハチマキだったのだ。
　真ん中に、秀人のチーム名の『外道』と刺繍された−それ。
　あの夜、緋咲に向かって行った時に締めていたそれを、緋咲は目を細めて掴み取ってしまう。
　「かっ・・・返してっ！」
　それは、拓に取って秀人との思い出の品だった。
　拓が、根性を出し切って、秀人の手助けをした時に、秀人から貰った宝物なのだ。
　「『外道』・・・ふん・・・。こんなものが、そんなに大事なのかよ。」
　ギリギリと歯軋りするように、緋咲は怒りを露にしている。
　何がそんなに緋咲の怒りを買っているのか、理解できない拓には・・ただその恐怖に耐える事しかできなかった。
　「やっ・・・何を・・・っ！」
　突然、緋咲は拓の腕を一まとめにして、そのハチマキで縛ってしまった。
　「確かに、抵抗を封じるにはベンリだな。」
　そうして、震える拓の顎を掴んで、その視線を搦める。
　胸が苦しくなる程、それは悲痛な感じがした。
　きつく寄せられた眉が、解け・・・絶望を味わったような苦い表情。
　拓の背筋を、ゾクリと何かが駆け抜けた。
　「二度と、秀人の名を呼べないようにしてやるよ。」
　それは、酷く渇いた声だった。
　言葉と同時に、ボタンを引き千切られ、シャツを引き裂かれた。
　「なっ・・・何をっ？！」
　衝撃の余り、拓は酷く狼狽した。
　冷気に晒された肌に、噛み付くように緋咲が口付けて・・・初めて己の置かれている状況に狼狽した。
　まさか、という想いが拭えないのだが・・・それでも逃げようとしてもがっちりと押さえ込まれている為に動く事もままならない。
　拓は、緋咲の行動の意味が全く理解らなかった。
　そうして・・・その想いも・・・。
　――― 理解などできる筈もない。
　それは、何も知らないと言う事ではなく、そういう行為に対して常識的な範囲でしか理解していなかったからでもあった。
　年頃の十六歳である。
　興味がないと言ったら嘘になるだろう。
　だが・・・だが・・・何が悲しくて、同じ同性に押し倒されなくてはならないのか・・・。
　悔しくて・・・悲しくて・・・。
　拓は精一杯の力で、緋咲を拒絶した。
　「・・・ゃだ・・・嫌だっ！」
　叫びながら、拓はどうしようもなく哀しくなった。
　こんな風に・・・無理やり・・・拓の気持ちも何もかも引き裂くような行為に、止め止めもなく涙が溢れ出す。
　それでも、どんなに泣き叫んでも・・・暴れても、緋咲の凌辱から逃れる事はできなかった。
　「・・・っ・・・秀人くんっ！助け・・・っ！！」
　秀人へ救いを求める悲鳴が、拓の最後の意識だった。
　一瞬、きつく抱き締められる感触が拓の意識を浮上させたが・・・そのまま拓は深い悪夢の闇の中に沈んでいった・・・。

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