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遠い夢の国・後編
拓が泣き続けている間中ずっと、緋咲はその側にいて、慰めてくれていた。
「・・・ゴメン・・・」
漸く涙も止まり、その事に気づいた拓が謝ると、緋咲は少し照れたように微笑っただけだった。
そんな所も、全く拓の知らない表情だったので、少しだけ辛かった・・・。
「気が済んだか？」
緋咲の問い掛けに、拓は小さく頷く。
一杯泣いてしまったので、赤くなってしまった瞳が少し痛んだが、取り敢えずは落ちつけた。
だが、根本的な解決にはなってはいないのだ。
緋咲が優しいのは嬉しいけれど・・・彼は拓の知っている緋咲ではない。
本当の緋咲はもっと激しくて、怖くて・・・そして、とても孤高のような瞳をしている者なのだ。
こんなに優しい眼差しを、自分に向ける者では決してないという事を拓は知っていた。
だからこそ、こっちの世界の緋咲を知ってしまえば知ってしまう程、別の意味で怖くなってしまうのだった。
元の世界では、決してこんな風に話せないだろう事までも理解ってしまうから・・・。
「あの・・・」
ギュッと拳を握りしめて、拓は緋咲を振り返る。
静かに拓の言葉を待っていてくれる彼の眼差しから、逃れようとしながら・・・。
「何だ？」
促すように問い返してくれる緋咲に、もう一度息を吸ってから、拓はやっとの思いで唇を開いた。
「ときさだ・・・くん・・・は？」
恐る恐ると言った風に、ずっと疑問に思っていた言葉を口にする。
拓が最初にこの世界にきた原因となったのは、彼に花束を添える為に訪れた場所なのだ。
あの時に、偶然のように吹いた旋風が、偶然ではなかったとしたら・・・？
ならば、この世界に拓が来る事になった訳が、何処かにあるのだろうと薄々と感じていたのだ。
「トキサダ？」
だが、マブダチだとまで言っていた筈の、緋咲の言葉に、拓は絶望してしまう。
この世界の緋咲は、時貞の事を知らないのだ。
尤も、拓と幼なじみだという時点で、それも仕方のない事なのかもしれない。
「誰だ？そいつ・・・」
突然、知らない者の名前を言われた緋咲が、ムッとしたように口を尖らせる。
「・・・理解らない・・・」
「拓？」
ポツリと呟く拓に、緋咲は驚いた顔をする。
「ボクは友達だと思っているけど・・・でも・・・時貞くんもそう思ってくれていたのか・・・知らない・・・から・・・」
泣きそうな掠れた声で伝える拓にしても、時貞の事をどう説明すれば良いのかなんて理解らないのだ。
それ程、彼はあっという間に、『疾風』のように拓の前から駆け抜けて手の届かないところへと“逝”ってしまったから。
「オレじゃ駄目なのか？」
絞り出すような緋咲の言葉に、拓は顔を上げる。
視界の中に映った緋咲の姿は、とても辛そうだった。
自分がとても酷い事をしているような気になって、拓は少しだけ首を横に振ってみせた。
「ううん・・・嬉しいよ。でも・・・違うんだ。ここはボクが“存在”る場所じゃないから・・・」
真っ直ぐに見つめてそう言い切る。
旨く説明できなくてもどかしい思いを抱えたまま、拓は少し困ったように微笑した。
そんな拓の前髪を、緋咲はクシャッと撫でて、フーッと吐息を零した。
「・・・お前・・・本当に別人みたいだ・・・。オレの拓はそんな顔をしない・・・そんな悲しみを讃えた微笑みなんか浮かべやしない。我が儘で、身勝手で・・・振り回されてばかりだけれど・・・自分の心に正直だ。お前は、違うのか？どうしたら・・・元のオレの好きな拓に戻るんだ・・・？」
真面目な深い視線で真摯に見つめられて、拓はドキッとしてしまう。
こんな告白を、聞かされて戸惑うなというほうが、無理かもしれない。
「ボ・・・ボク・・・」
「逃げるなよっ！オレは、マジで言ってんだ・・・」
困ったように逃げようとした拓の腕を掴む緋咲の手は、とても力強くて・・・。
「でも・・・ボクはっ・・・」
拓はこの世界の者ではないのだ。
いくら告白を聞いてしまったからと言って、それにどう答えて良いかなど理解る筈もない。
もしも拓が緋咲の“想い”に答えた事によって、元の世界に戻った後で、この世界の拓の立場が左右されてしまったらとっても不味いと思ったのだ。
だから、答えられない・・・。
だが、それを許さないような緋咲の迫力に、押されて・・・逃げ場すらなくなってしまう。
教室をあれ以上パニックにしない為に、緋咲は拓を保健室に連れてきていたのだ。
タイミング良く、保健の先生も留守にしていて・・・ここには、現在二人しかいないのだ。
しかも泣いているところを見られないようにと、ベットルームにカーテンを引いて中にいたりしたのだった。
非常に不味い状態に、身体の奥底から危険を知らせる本能ともいうモノがざわつく。
このままの状態では、ヤバイ―――と。
何処がどうヤバイのかまでは理解らないのだが・・・この全身に沸き立つ悪寒は、どうしても止められない。
「・・・拓・・・」
眼前まで迫った緋咲の顔に、怖くて目を瞑ってしまった拓は、ヒーーーッ！！と硬直していた。
ガラッ！
と、丁度そこに運良く保険医の先生が戻ってきた。
「こらこら、ここは、逢い引きの場所じゃないぞ。」
ヌッと顔を出した、その者を見て、拓はえっ？！とびっくりしてしまう。
眼鏡をかけたその顔は、確かに拓の知っている保険医のものであったが・・・それは初めての体験だったのだ。
「キヨミ・・・センセ・・・ィ？」
酷く弱々しい声が、拓の口元から零れる。
「あぁ？どうした、浅川？・・・今日は随分とおとなしいんだな。」
フッと微笑を浮かべるその姿は、どう見ても拓の知っている保険医で・・・だが、決定的な違いを拓は知ってしまったのだ。
「えっ？！何で・・・？」
ほけらっと凝視してしまうのも、無理はない。
眼鏡はしているものの、いつも綺麗なお化粧をしている清美保険医は、“乱校”内の密かな憧れの的でもあったのだ・・・。
だが、目の前の者は、眼鏡こそかけていて顔も確かに同じだが、すっぴんで・・・短髪だったのだ。
「何だ？先生の顔に何かついてるか？それとも、新しいジョークか？」
ニッと微笑するのは、艶やかなものであったが、何故？という想いが拭えない拓であった。
今まで、確かに性格は１８０度違ったような者は一杯いたが・・・性別が逆転しているのは、初めてではないだろうか？
すると・・・ひょっとして・・・・
「せっ・・・センセー・・・この学校に兄弟がいますよ・・・ね・・・？」
「何、今更な事言ってるんだ？浅川は・・・」
恐る恐る問いかけた拓に、保険医は少し驚いたような表情を浮かべてさも可笑しい事を聞いたという風にそう言って笑った。
その言葉に一瞬ホッとした拓であったが、次の瞬間、聞かなければ良かったと、死ぬほど後悔してしまった。
「三年にいる“はるき”を妹だと最初に気付いたのは、お前じゃないか？」
ククッと笑いながら告げられた衝撃的な告白に、拓は真っ白になってしまう。
妹・・・あの鰐淵が・・・。
横浜最大の規模を誇る族の“夜叉神”の総長で、“乱校”の実質的な影番で、伝説とまでなっている『音速の四天王』の一人である、あの−鰐淵春樹が、こっちの“世界”では、女性なのだ。
はっきり言って、信じられない・・・・
また、同じ顔だとしたら・・・絶対に見たくない。
「でも、あいつにはちゃんと彼氏がいるから・・・いくらお前がちょっかい出したって、無理だって。相手は、あの演劇部の部長の久須美だからなぁ・・・。」
ハハハ・・・と明るく笑う清美にクリソツな保険医は、中々の好青年らしい。
だが・・・続けられた言葉に、拓は声もなくシーツを掻きむしってしまう。
ここまでくるともう・・・拓の想像など何処まで言っても追いつかない・・・。
「―――あぁ、何だ？やっぱり付き合ってんのかあの二人・・・」
平然と受け止めている緋咲の思考回路を、思わず覗いて見たくなってしまった拓であった。
「現会長の一条先輩の告白を断ったってのは、知ってたけど・・・そりゃ、相手があの久須美先輩じゃなぁ？」
「まぁ、一条も成績優秀で真面目で、問題ない生徒なんだがな・・・。何でも、幼馴染みの久須美と子供の頃に約束したからってな・・・我が妹ながら、可愛い奴だ。」
うんうん・・・と目を瞑って言っている内容に、拓は更にプツプツと鳥肌が立ってくるのを止められない。
これを、非常に悪意のあるジョークだと笑い飛ばせる性格をしていたなら、もっと楽に生きられたのだが・・・・
「ボク・・・帰る・・・」
がっくりと肩を落として、立ち上がる。
「じゃあ、オレも・・・」
「・・・ったく、お前らは一体何しに学校に来てるんだ？たまにはちゃんと授業に出ろよ、浅川！」
最後に注意するように告げる保険医に、困った顔を浮かべながら、拓は緋咲と一緒に保健室を出た。
「何だかんだ言って、鰐淵も良い奴だよな・・・。」
隣でポツリと言う緋咲に、拓は小さく頷く。
本当なら、あんな場所を目撃したのだから・・・もっと気まずい雰囲気になっても仕方ないのだ。
その辺は、拓の知っている先生と変わらないらしい。
だが、これ以上学校に居て、先程の会話に出てきた者たちに出会ってしまうのがとても怖くて・・・拓は、帰る事に決めたのだった。
ザワザワとしたライブハウスの中で、拓は居心地悪げに、カゥンターの椅子に座っていた。
「いつもなら、一番に飛び出してって、真ん中で踊ってる奴が・・・どーした？何か悪いものでも拾い食いしたのかよ？」
カゥンターの中のバーテンが、軽い調子で問いかけてくる。
兄弟揃って、こっちでは明るいらしい・・・。
金髪に染めているのは変わらないのだが、パーマはかけておらず・・・少し長めの髪を襟首の所で軽くゴムで結わいていて、きっちりとしたスレンダーな黒服を着込んだ人物を紹介された時、拓は絶対別人だと思ったのだ。
だが、間違いなくそれがこの“世界”の夏生なのだと知った瞬間・・・クラクラしてしまった。
落ちついた渋い“いぶし銀”なんて、遠い過去の夢のような姿に・・・でも、これはこれで恰好良いかも？なんて思ってしまった。
「そうなんだよ、アニキ・・・こいつ、今朝っから奇怪しいみたいで・・・人の顔を見る度に、驚いたり、奇妙なものを見たような顔をしたり・・・青くなったり・・・変なんだ・・・。」
隣で、やはり黒服に身を包んだ、この“世界”でもちゃんと“弟”な秋生が、トレーを片手に会話に混ざる。
「やっぱ、昨日のあれが不味かったんじゃねぇのか？」
そう言って、緋咲を見つめる夏生の表情は、面白がっているようだ。
「あの後、何かあったのかよ・・・お前等？！」
「何もねーよっ！」
ニヤニヤと笑う夏生に、不貞腐れたように言う緋咲は、拓の横でコークハイを飲んでいたりする。
紫ではなく、茶髪の少し長めの髪を、軽めのディップで無造作に流して・・・後ろに流している。
着ていたのは、蒼紺を基調にした黒のスーツで・・・ちゃんとカッターシャツにカジュアルネクタイという装いである。
しかも今の拓の恰好は、どんな服を着ればよいのか困っていた拓の代わりに、洋服タンスの中から緋咲が選んだものだった。
少し大きめのオフホワイトのサテンのシャツに、コットンパンツを太目のサッシュで止めて・・・上に麻のジャケットを羽織っていた。
第二ボタンまで外して、大きく開いた胸元では、白金と蒼銀の絡むような鎖が目立っていた。
これが、いつもの姿だと教えられて・・・本当に一体、どんな性格をしているのだろう・・・・と泣きたくなった拓であった。
「でもまぁ・・・今日は、拓の好きなバンドも来てるから・・・すぐに元気になるサ♪」
ポンッと軽く頭を叩かれて、困った笑みを零す。
いつもなら、どんな状況にも、何となく慣れてその空間に馴染める筈なのに・・・どうしてもこの“世界”には馴染めそうもなかった。
“あなたの知らない世界”並の恐怖の連続なのだ。
尤も、恐怖というのとは、ちょっとニュアンスが違うのかもしれないが・・・・
それにしても・・・と思う。
何で、この“世界”ではこんなに、秋生と緋咲の仲が良いのだろうか？！
拓の知っている二人であったなら、絶対馴れ合うような接点は見つけられない筈なのに・・・・
「あれ？秀人の奴が来てる・・・」
ふと、呟かれた緋咲の言葉に、拓はビクンッと硬直してしまう。
「落ちつけよ、拓・・・！何でそんなに、あいつと仲が悪いんだよ・・・」
他の動揺をどう受け止めたのか？
困ったように言う秋生の言葉に、瞳を見開く。
秀人と仲が悪い・・・と彼は言ったのだ。
拓と秀人の仲が悪い・・・と。
「嘘だっ！」
強い声が、溢れる。
「拓？」
不思議そうに問いかける緋咲の言葉も、耳に入らないように、拓は視線を動かす。
そうして、目的の人物を目にした途端に、その姿に胸が一杯になった。
誰よりも強く拓が憧れている秀人の姿が、人込みの中にあった。
向こうもこっちに気付いたらしく・・・視線が合う。
だが、その瞬間の眼差しに、拓はドキンとしてしまう。
冷たい・・・他人を寄せつけないようなその瞳は、拓の姿にきつく細められた為に・・・。
「よぉ、緋咲・・・！相変わらず、こんなチビと一緒にいんのかよ？幼馴染みだかなんだかしらねぇが・・・大変だな・・・」
「うるせぇよ、オレが居たくて居るんだ！テメェはあっちで、グルーピーの女と遊んでろっ」
わざと拓を無視して、馴れ馴れしく緋咲に話しかける秀人に、拓は青冷める。
拓がルフルと震えている事に気付いた緋咲が、シッシッと秀人を追いやる動作で、拓を庇う。
「―――何だよ・・・オレたち二人なら、この辺一体シメる事だって出来んのによぉ・・・」
つまんねぇな・・・とぼやきながら離れていこうとする秀人の姿に、感情が定まらなくなる。
「―――秀人クンッ！！」
溢れでる“想い”のままに、拓はその名を口にした。
だが、返ってきたのは、奇妙な者を見るような、冷たい眼差しだけで・・・。
ズキンッと胸が痛んだ。
「秀人クンだぁ？！ナニ、馴れ馴れしく人の名前呼んでんだよ・・・クソチビッ！」
「止せっ！鳴神っ！！」
言葉と同時に、秀人が拓に襲いかかり・・・気付いた緋咲が、バッと拓を庇って、秋生が秀人の身体を押さえ込んだ。
「離せよっ！真嶋っ！」
チッと舌打ちした後で、態勢を戻した秀人は・・・いまいましいという表情で拓を睨み付ける。
「・・・違う・・・」
俯いた下から、ボソリと呟かれた拓の呟きが漏れる。
「・・・秀人くんじゃない・・・ボクの知ってる・・・秀人くんじゃ・・・っ・・・！！」
ボロボロと零れ落ちる涙は、悲しかったから。
悔しかったから・・・。
胸が張り裂けそうに痛かったから―――。
信じられなかった・・・信じたくなかった。
本当に嫌われていたのだ・・・冷たい視線で睨み付けられる程。
秀人に殴りかかられて・・・それを緋咲に助けられる。
こんな・・・こんな滑稽な事はない。
「嫌だ・・・こんなの・・・嫌だっ！」
強く強く・・・全てを拒絶するかのように、拓は強く叫んだ。
一刻も早く、この場所から離れたくて・・・。
一瞬でも、こんな場所にはいたくなくて・・・。
「拓っ！！」
驚いたような、呼びかけを振り切るように・・・拓は人込みをかき分けていく。
店を出て・・・近くの公園を、走り抜けようとした所で、追いつかれた緋咲に捕まってしまう。
「拓っ！どうしたんだ・・・？落ちつけって・・・」
「嫌だっ！離せっ！帰るっ・・・こんなの嫌だっ・・・帰るんだっ！！」
宥めるように言う緋咲の言葉も、拓の耳には入らない。
「何処へ行くって言うんだよ？お前は、浅川拓だろ？！俺の幼馴染みで・・・」
「違うっ！幼馴染みなんかじゃっないっ！」
ただ、この“世界”から逃れたくて、緋咲の腕から逃げたくて・・・撥ねつけるように叫んだ途端に、強く抱きしめられる。
「・・ゃっ・・・んっ・・・！！」
体格の差の所為で、必死の抵抗も何の役にも立たなかった。
力強い両腕の中に抱き込まれて、無理やりに顔を上げさせられて・・・ディープキス。
噛みつくような激しいそれに、拓の思考能力がショートする。
余りの衝撃に、溢れ続けていた涙まで止まってしまったように・・・ただ瞳だけが大きく見開かれて。
「・・・悪い・・・・お前があんまり悲しい事言うから・・・聞きたくなくて・・・」
ゆっくりと離された緋咲の唇からそんな台詞が零れ落ちた時も、拓は呆然としたままだった。
相手の言葉を聞きたくない時は、キスするなんて・・・そんなのは恋人同士・・・・
動かない頭で、ただその事が脳裏に浮かんで・・・拓はボッと耳まで真っ赤になった。
だが、次の瞬間・・・その相手が緋咲だったと気付いてザーッと血の気を引いた。
「・・・怒ったのかよ・・・拓・・・・」
そんな拓の様子をどう受け取ったのか、気づかうように問いかけてくる緋咲の優しげな口調に、ますます全身が凍りつく。
ファースト・キスが緋咲・・・・
余りにも辛い現実に、拓は何処かで何かがプツリと切れた気がした。
「―――嫌だあぁぁぁっっ？！！？」
ダーッと涙を流しながら・・・渾身の力を込めて緋咲を吹き飛ばすと、そのままダッシュで走りはじめた。
泣いて走りながら・・・ゴシゴシと唇を拳で拭うが・・・やっぱりやってしまったものは元には戻らないのだ。
不意打ちのような状態で、笑顔の良く似合う可愛い子か艶のある色っぽいお姉様タイプとしてみたいと、ずっと憧れていた夢でもあるファースト・キスを奪われてしまったたのだ。
これを不幸と言わずして・・何と言うのか・・・・
とほほ・・・な状態に、本気でこの“世界”から一刻も早く元の“世界”に帰りたいと思ってしまう拓だった。
否・・・絶対に“帰るんだ”と思った−と言った方が、正しいかもしれないが・・・。
帰りたい・・・帰れない・・・。 何処ぞの歌ではないが・・・正しく、堂々巡りに陥ってしまっている状態に、拓は夜の町中を宛もなく彷徨い続けるのだった。
何処をどう走ったのかも覚えて居ない状態で・・・いつしか鈍くなった足運びは・・・やがて疲れたように立ち止まった。
―――帰りたい・・・それは、確かに強い“想い”。
だが、その方法を、拓はどうしても見つける事ができないのだ。
焦りばかりが、拓の全身を駆け巡っているようだった。
ここは、拓が１６年間過ごしていた“世界”とは、全く異なる“世界”なのだ。
一見しただけでは、全く正反対の鏡のような“世界”なのかとも思ったが・・・どうやらそういう訳でもないようで・・・。
全然別の、違う次元だと言った方が正しいのかもしれない・・・。
ＳＦやファンタジーで良く書かれている世界ではあるが・・・実際に、こうして自分が体験してしまうと、ただ面白いだけでは済まされない状態なのだという事が、良く理解った。
“パラレルワールド”・・・と言う、もう一つの別次元の宇宙。
そこは、自分の住んでいる“空間”と似ているのかもしれないし・・・全く違うのかもしれない。
今回は、本当に、姿・形は拓のいた“世界”と同じなのだが、その性質が呆れる程違う“世界”だったらしい。
なまじ、姿が似ている所為で、返って違う性格に戸惑ったり・・・驚いてしまったのだが・・・。
それでも・・・秀人の態度は悲しかった。
いくら別人なのだと思っても、あの姿は拓にとって憧れの秀人に違いないのだ。
彼のようになりたくて、必死に頑張ってきたその“想い”までも、冷たい視線に否定されたようで・・・。
あの眼差しを思い出して、拓はゾクリと身を震わせる。
「―――秀人くん・・・会いたい・・・」
呟きが唇から零れる。
それは、真実の想い。
ただ、この場合の会いたいというのは、あの冷たい眼差しの持ち主ではなく・・・拓の“世界”の・・・拓をマブダチだと言ってくれる秀人の事だ。
『―――強くなれ、拓！』
そう言って、ハチマキと手帳をくれた“彼”に会う為には、やはり元の“世界”に戻らなくてはならないのだ。
トボトボと歩いていた拓は、ふと前方に見えた物にハッとした。
摩天楼の輝きを背景にして・・・そびえ立つようにたっていたベイブリッチが、ライトアップされている。
「ベイブリッチ・・・？」
その形が、記憶の扉を叩く。
元の“世界”で、最後に拓がいた場所。
あそこで、拓は“旋風”に巻き込まれて・・・意識を失ったのだ。
そうして、気付いたら・・この“世界”で・・・。
だから、この“世界”のあの場所に、元の“世界”に戻れる何かがあるかもしれない・・・と。
走りだした拓の足元は、今度こそしっかりとした感触で、拓の身体を支えているようだった。
夜も更けてきたので、ベイブリッチには薄く霧がかかっているようだった。
高速道路だと言うのに、車が一台も通らないのも変だな・・・と思いつつも・・・その上を拓は歩いていく。
そうして、いる内に、不意に耳に低い音が響く。
一瞬ビクッと身を竦ませた拓は、次の瞬間それがメロディーだという事に気付いて、誰か人がいるのだとホッとした。
だが、その場所に近づくにつれて・・・その場にいる人影が徐々に形をはっきりさせると足が止まってしまった。
目の前で、俯き加減でギターを弾いているその姿に、最初に沸き上がったのは、恐怖で・・・だが、それもすぐに胸を一杯にした懐かしさで消えていく。
ただ、怖かったのは、その姿が消えてしまうのではないかという事だけ・・・。
幻のように消えてしまったら、どうしようか・・・と。
空気を振動させるような緩い“音”が、不意に止む。
近づく事もできなくて、ただその姿を視界に写したまま、凝視していた拓は、キュッと唇を噛む。
「・・・待っていたよ・・・拓ちゃん。」
上げた顔の、微笑を浮かべた唇から、吐息のように零れた“声音”に、拓は涙を堪える事ができなかった。
「・・・時貞くん・・・」
ゆっくりと歩いて近づいても、その姿は消えなかった。
「会いたかったよ・・・」
「ボッ・・ボクもっ・・・」
抱き寄せられても、拓はその腕の中に素直に留まった。
ずっと、会いたかった時貞なのだ。
会いたくて会いたくて・・・一杯話したい事があった筈なのに・・・“想い”が強すぎて、言葉にならない。
「ほんとに・・・本当に・・・時貞くんだ・・・」
嬉しそうに何度も何度も、ただそれだけを告げる。
「ゴメン・・・拓ちゃんが泣いてるのが、理解ったけど・・・オレはこの場所から動けなかったから・・・」
「―――時貞くん？」
零れ落ちる拓の涙を指先で拭いながら、静かに時貞が告げた言葉に、拓はキョトンとした顔をする。
「・・・拓ちゃんがこの“世界”に来たのは、オレの所為なんだ・・・」
ポツリと告げられた衝撃的な告白に、拓はゴクッと唾を飲み込んだ。
そんな拓に、時貞は少し困ったように微笑った。
そうして、拓をギュッと抱き寄せる。
「時貞くんっ！？」
「あの夜・・・事故った時・・・」
話しはじめた時貞に、拓は時貞を失った夜を思い出して、ゾクッと震えた。
そうして、自分からギュッと時貞を抱きしめる。
クスッと笑った時貞は、拓の髪をそっと撫でて、遠くを見つめる。
「―――なんて言えば良いのか・・・オレも説明できねーけど・・・」
そう言って、続けられた時貞の言葉は、信じられないような事だった。
事故の夜に、大きな地震が起こって・・・そのまま時貞はこの“世界”に落っこちてしまったらしいのだ。
しかも、この“世界”のこの場所から離れられなくて・・・どうする事もできなかった・・・とそう告げた。
「―――まぁ・・・ずっと一人だったし・・・これも今まで悪い事ばっかしてきたから天罰かも・・・ってちょっとだけ思ってた・・・」
寂しそうに言う時貞に、拓はブンブンと首を横に振る。
そうして、たった独りでこんな場所にずっといた時貞の事を思いやって、悲しくなってしまう。
「そんな時に、“想い”が届いた・・・」
「“想い”・・・？」
「そう・・・強い・・・“希望”。この“世界”に来る前に、拓ちゃんオレに会いたいって・・・もう一度オレに会って色々な事を話したいって・・・そう言ってくれたから・・・」
ポタッと頬に落ちてきたものに、拓はハッとする。
「・・・時貞くん・・・。」
泣いている時貞に、拓はどうしようもなく胸が苦しくなった。
「帰ろうよ・・・一緒に・・・。ね？どうやったら、元の世界に戻れるのか、二人で考えようよ・・・」
精一杯の想いで、訴えかける。
「・・・オレのワガママだったから・・・拓ちゃんに会いたかったから・・・だから、“呼”んだ・・・んだ。」
フワリと浮かべられた時貞の笑みが、余りにも儚くて・・・拓は強く首を振る。
「一緒には、帰れないの？！どうして？だって・・・時貞くんだって、“落ちて”きただけだって・・・！」
悲鳴のように告げる拓の言葉にも、時貞は唇の端を持ち上げただけだった。
「嫌だっ！」
拓の身体を離そうとした時貞の腕を潜って、拓はその身体に強くしがみつく。
「一緒じゃなきゃ・・・嫌だっ！どうして？どうして・・・時貞くんだけ・・・そんなの間違ってるっ！！」
強い意思が、拓の唇から発せられる。
途端に驚いたような顔付きとなる時貞に、拓は尚も食い下がった。
「・・・一緒に、帰ろう・・・。二人で一緒に帰れる方法を探そうよ、時貞くん・・・きっと、あるからっ！」
必死の形相で告げる言葉が、何よりも自分の事を思っての言葉なのだと気付いて、時貞は言葉を失ってしまう。
そうして、ただ黙ったまま・・・きつく拓の身体を抱きしめた。
強く強く・・・離れる事を許さないかのような抱擁。
「・・・拓ちゃん・・・」
想いの込められたトーンに、拓は少しだけ恥ずかしくなってこんどは逃れようと身じろぐ。
だが、がっちりとした時貞の腕は、他の身体を離してはくれなかった。
それでも・・・同じ事を緋咲にやられるよりは、ずっと精神的にましだったので・・・取り合えず抵抗するのは止めた拓であった。
時貞の好きなように、その腕の中で落ちつく。
「・・・どうして、時貞くんはここから動けないのかなぁ？」
ふと、思いついた疑問が、口をついて出る。
「それは、この“世界”にオレが“存在”しないからだよ・・・」
小さく告げられた答えに、拓はエッ？と首を傾げる。
拓の髪に擦り寄っていた時貞は、理解らなかったらしい拓の様子に、クッと笑ってこの“世界”の事を少しだけ説明してくれた。
この“世界”には、天羽時貞という人物は存在していない・・・という事。
だから、この“世界”の身体を持たない時貞は、初めて“落”ちてしまったこの場所から動けないのだ。
同じように次元の狭間に入った拓は、たまたまこの“世界”に共鳴する身体があった為に、全く違う場所で目覚め・・・自由に動き廻る事ができたのだ・・・と。
「ふうーーーん・・・でも、何かこの“世界”のボクって・・・ちょっと、怖い気がする・・・・」
今までの体験から想像して、ついぼやく拓に、時貞はますます笑みを深くする。
「ヒザキと幼馴染みだし・・・？」
悪戯っぽく問いかける時貞に、拓は冷や汗を流した。
「それっ！？凄く怖かったよぉ・・・・」
心からの、感想を告げる。
あれだけ細かに面倒をみたこの“世界”の緋咲が知ったら、ショックで倒れるかもしれないが・・・それでも、どんなに親切にしてもらっても・・・どうしても馴染めない事はあるのだ。
しみじみと告げる拓に、とうとう時貞は爆笑した。
ハッハッハッ・・・と笑う時貞に、拓はムスっとした表情を浮かべたが・・・やがて一緒になって笑い始めた。
そう・・・よくよく考えれば、笑い話なのだ。
余りにも衝撃的な体験の連続で、怖さばかりが先立ってしまったけれども・・・落ちついて考えると笑ってしまう事ばかりで・・・。
それでも、笑いが少し乾いてしまうのは、やっぱり何処かで信じたくないと思ってしまうからかもしれないが。
「あれ・・・？」
出会ったり、話しに聞いた人物と元の人物を当てはめて・・・そのギャップを時貞に話して聞かせていた拓は、出会わなかった者たちの事が気になった。
「そういえば・・・ヒロシちゃんや、キヨシくんに会ってないや・・・大珠くん・・・って、あぁ・・・彼は時貞くんのギターが凄く好きだって言ってた・・・。」
「ふーん・・・。」
天羽が逝ってしまってから、知り合った大珠の事を説明する時に、そう告げると時貞は余り感心がないようにただ相槌をうった。
「他にも・・・でも、どうして、時貞くんは居ないのかなぁ？こんなに皆いるのに・・・？」
本当に不思議だ・・・と告げる拓に、時貞は透明な表情を浮かべる。
「―――死んでた。」
ポツリと呟かれた言葉に、拓はビクッと震えた。
「・・・時貞くん？」
驚きにかすれた声で聞き返す。
その呟きが間違っている事を願いながら・・・。
だが、そんな拓の望みを時貞が知る筈もなく。
「だから、この“世界”のオレは、もう存在していないんだ。だから、この“世界”でオレは身体を手に入れられなかったし・・・元の“世界”では、『魂』の脱け殻が残ってただろ。」
絶望的な台詞を、淡々と歌うように時貞は告げた。
瞳を見開いた拓は言葉も出ない。
「その身体も、―――今は無い・・・。喩え、一緒に戻っても・・・」
続けられる言葉に、拓は強く首を横に振る。
激しく振って、全てを否定しようと全身で訴える。
そんな事はないっ！・・・と。
そう思わなければ、呼吸すらできなかった。
胸が苦しくて苦しくて・・・張り裂けそうなぐらい痛くて・・・辛い。
「・・・嬉しかった・・・。拓ちゃん・・・。オレの為に泣いてくれて・・・ありがとう・・・。」
夢見るように呟く時貞の“声音”が・・・哀しい。
涙の所為ではなく、ぼやけていく時貞の姿を、離さないように掴んだ拓の指先が空を切る。
「――――っっ！！」
悲鳴は、音にならなかった。
慟哭が、全身を包み込む。
確かに、拓はもう一度会いたいと願った。
その願いは叶えられた・・・。
ならば、会いたいと思うのではなく、生きて帰して・・・と願えば良かったというのか？
願って叶うと言うのなら、何度でも・・・何回でも・・・何べんでも・・・。
そうして、“願い”が叶うというのならば・・・。
「・・・してっ！」
砕け散った“想い”が、溢れ出る。
「――返してっ！時貞くんを・・・っ！どうすれば・・・何をすれば・・・返して・・・時貞くんっ！！」
泣き叫ぶ拓の−強い“願い”。
叶った筈の夢を、残酷な程呆気なく奪われた。
取り戻した筈の“想い”を、粉々に砕かれたのだ。
もっと一杯、色々な事を話したかった・・・。
彼は・・・時貞は、“落”ちただけだと言った。
帰り道を無くしてしまったのは・・・拓ではなく、“彼”だったのだ・・・。
誰もしらない、別の“世界”で・・・たった独りで、過ごしていた時貞。
それは、元の“世界”でも同じだったのかもしれない。
だが、それは今までの話しで・・・これからはちゃんと拓がいるのだ。
どれ程、深く係われるのかなんて理解らないけれど・・・それでも、独りじゃないと教えてあげたかったのだ。
なのに、辿り着いたと思ったその瞬間に、その“魂”は捕まえる事さえできなかった・・・。
「・・・なんで・・・諦めちゃうんだよ・・・ボクは一緒にいたいのに・・・“友達”になりたいのに・・・もっと・・・もっと理解りあいたいのに・・・」
次から次へと溢れでる想い・・・。
ポロポロと零れる涙をそのままに、拓はギュッと拳を握り締めて立ち尽くす。
だが、どんなに言葉を紡いだとしても・・・時貞が戻ってくる事はなかった。
ゴシゴシと乱暴に腕で涙を拭うと、拓は傍らに置いてあった物に目をやった。
ルビーヴァーミリオンのサドウスキー・・・。
拓の部屋にある筈の・・・元の“世界”で時貞が拓に“遺”したものだ。
それを、そっと抱えて、拓は空を睨む。
そこに“存在”する・・・拓をこの“世界”に連れてきたモノに・・・対して。
「こっ・・・これで、気が済んだっ？！でも、ボクは・・・ボクは負けないっ！」
挫けない意志で、拓は巨大な影を真っ直ぐに見つめる。
徐々に強くなっていく風が、旋風となっていく。
拓を最初に、この“世界”に連れてきた時と同じ状況になっていく。
フワリと身体が宙に浮く感覚に、拓は意識を飛ばさないようにギュッと腕の中のギターを抱きしめた。
＜一度だけ・・・チャンスをやろう・・・。＞
直接、頭の中に響くような『音』に、拓はハッとしたように辺りを見回す。
＜強く念じるがよい・・・望みの場所に連れていってやろう・・・運命を変えたいというのなら・・・その“想い”で動かしてみよ・・・＞
さざめくような言葉が、胸にしみ込んでくる。
その瞬間、拓の心は決まっていた。
何をすべきなのか・・・どうしたいのか？
―――どうすれば良いのか・・・。
激しく巻き込むような旋風に、身体を預けながら・・・意識を失う事もなく、拓はある一点をずっと考え続けていた。
それは・・・“望み”。
叶わないと思っていた事が、叶うというのなら・・・それを取り戻す為に・・・どんな事だってできるだろう。
“失う”という事の哀しみの大きさを、知ってしまった後ならば・・・。
喩え、それが・・・運命を変えてしまう事になったとしても・・・。
―――諦めるという事だけは、したくはないから・・・。
身体を取り巻く風が止んだ時、拓は自分が何処にいるのかを辺りの景色によって、理解した。
そうして、間違いなく望み通りの場所だった事に、安堵する。
ベイブリッチの上・・・１０メートル先で、横転しているトラックが見えた。
そうして、横たわる人影も・・・。
「・・・時貞くんっ！」
慌てて、走って拓はその凄惨な現場をしっかりと見つめた。
途端に、胸が痛むが・・・それを無理やり払って・・・その傍らに膝をつく。
「・・・来て・・・くれたんだ・・・拓ちゃ・・・」
焦点のあっていない眼差しで、最期の言葉を口にする時貞に、拓は盛り上がる涙を抑えきれなかった。
「―――死んじゃ・・・駄目だよっ！生きてっ！」
必死に、言い募る拓の目の前で、時貞の命の灯火はどんどんと弱まっていく。
そうしている内に、グラッとそれは、きた。
大きな・・・橋自体が傾げるような大きな歪み。
次元の裂け目が、暗闇の中にぽっかりと口を開いていたのだ。
ズズッと時貞の身体が、その裂け目に向かって引きずられる。
「時貞くんっ！」
慌てて、拓は時貞の身体を抱き抱えて、その裂け目から庇う。
だが、想像以上の力が作用しているらしく・・・時貞の身体ごと拓もズルズルと引っ張られてしまう。
このままでは二人とも巻き込まれてしまうと思った拓は、キュッと唇を噛みしめたまま時貞の身体と裂け目の間に塞がった。
「・・・怖いよ・・・凄く怖い・・・。でも、何もしないで諦めるなんて、もうしたくないから・・・だから・・・今度は、時貞くんがボクを探して・・・会いたいと思ってよ・・・・」
精一杯の“根性”で、そう告げると、そのまま拓はその次元の裂け目の中に飛び込んだ。
何か、考えがあってそうした訳ではない。
ただ、あのまま諦めて同じ運命を受け入れるぐらいなら、何とかして違う行動を起こしたかったのだ。
そうすれば、また違った“時”が回り始めるかもしれない・・・から。
何処までも暗闇の中を、落ちていく。
否・・・落ちていくというのは的確ではないかもしれない。
何しろ、余りの暗闇に右も左も上も下も理解らない状態なのだ。
早まったかもしれない・・・と、飛び込んだ後で、後悔したが・・・それでも、取り合えず、願いは“叶った”のだから、心は満たされていた。
漆黒の暗闇の中で、一瞬キラリと何かが光った。
それが、黄金の輝きの龍だと理解った途端に、拓はゴクッと息を詰める。
まさか、食べられちゃうんじゃ・・・・との危惧は、頭の中に響いてきた“音”に消え失せた。
＜なかなかどうして・・・時として“ヒト”は想像もつかない事をしでかす・・・＞
低く震えるように微笑うその“音”が、あの“世界”で最後に聞いたものだったので、拓は改めてその姿を見やってしまった。
「・・・“龍神”・・・？」
思わず漏れた呟きは、無意識のもので・・・。
＜そなたに助けられるのは・・・二度目・・・醜く忌み嫌われた姿の時に・・・そなただけが、腕を差し出した・・・羽を差し出して・・・幸福になれる・・・と・・・＞
続けられた言葉に、拓はびっくりしてしまう。
それは、忘れてしまった筈の・・・あの夜に拓が見た夢なのだ。
哀しい瞳の龍がとても可哀相で・・・思わず持っていたアイテムをあげてしまっただけだったのだが・・・。
＜今度は・・・我がそなたを助けよう・・・そなたの“望み”を叶えよう・・・なんなりと・・・＞
さざめくように告げられた“音”に、拓は少しだけ考えた後で・・・小さく微笑う。
「・・・ほんとに・・・どんな事でも・・・？」
確認するように問いかけた拓に、戻ってきたのは、空気を震わせるような笑い“音”だけだった。
「―――なら、ボクの“望み”は・・・・」?
―――そうして、暗闇の中・・・キラキラと輝く黄金の龍に、そっと耳打ちするように告げられた拓の“願い”は・・・確かに叶えられたのだった―――。
スーッと大きく息を吸って吐いて・・・深呼吸。
何処が違うという訳ではないけれど・・・戻ってきた自分の“存在”すべき『世界』の空気は、本当に美味しいと感じてしまう拓だった。
あっちの“世界”でずっと感じていた違和感も、すっかり消えて・・・精神が安定していた。
それでも・・・違う意味での“不安”が、予感となって全身を駆けめぐっていたりするのだが・・・。
何しろ、この“世界”はこの“世界”で、拓にとって中々ハードな場所なのだ。
抱えきれない程の恐怖も一杯あるのだが・・・。
「あーっ、拓ちゃんみっけっ！！みんなー、拓ちゃん居たよぉっ！」
言葉と同時に飛びついてくるのは、満面笑みの真里で・・・その背後には何処にもオドロ線などない。
「てっめー、オレらに散々心配させやがってよぉっ！？」
次の怒ったようにヘッドロックをかけてくるのは、良である。
眼鏡をかけた優等生では決してなく・・・金髪でパーマぎっちりのロックンローラーを目指しているお調子者で・・・。
「いたっ・・・！？いたた・・・リョーくん・・痛いよ・・・・」
「おぉっ？！いつもの拓だっ！？」
「治ったのかよ？拓・・・」
ジュンジが驚いたように言うと、カズが心配そうに覗き込んでくる。
「えっ、いつもの・・・って？」
告げられた言葉に、不思議そうに問いかける。
「・・・拓。お前、今日一日凄くヘンだったぜ。」
きっぱりと告げるのは、しっかりいつもの“爆音小僧”特攻隊長の秋生だった。
「そっか・・・ゴメン・・・。」
ポツリと呟いた拓は、困ったように微笑って皆にそう告げた。
そうして、見回した視線が一点で止まる。
拓が気付いた事を知った相手も、口端を持ち上げて笑みを浮かべていた。
「―――ただいま・・・拓ちゃん・・・。」
艶然とした微笑を浮かべる時貞に、拓は飛びつくように・・・力一杯抱きついていった。
―――遠い夢の国の“龍神”が、微笑っているような気がした・・・。
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