|
スペシャル・ナイト
「デートしようか？」
それは、本当に不意打ちの言葉だった。
いつだって思い立ったら吉日の人間で、他人の意思や予定など全く無視する相手だという事は、この一年で嫌という程、半ば有無を言わさない状況で慣らされてしまった筈だったのだが・・・。
それでも、やっぱり唐突な言葉は、驚きを引き起こす元らしい。
「はい？」
大きな瞳を更に見開くようにして、拓はそれを告げた相手をまじまじと見てしまった。
そうして、怖々と言った様子で、まるで凶悪なものに向かうような仕草で、相手の額に向かって手の平を押し当てようとした。
「・・・ナニ？」
だが、その腕を逆に引き寄せられて、その腕の中に引きずりこまれてしまい、慌ててバタバタと手足を動かして逃れようとするが、所詮相手の腕力に適う筈もない。
「離して！？時貞くんっ！」
まい
はにー
「オレの“拓”ちゃん♪」
幸せそうな表情で、拓を引き寄せたままその髪に頬を擦り寄せる。
それをやられる度に、拓の心臓がどれほど縮む思いをしているのか時貞は知らない。
こればっかりは、慣れると言う事はなかった。
「デートしようよ。」
拓を両腕に抱き締めたまま、時貞はもう一度最初の言葉を告げた。
途端に、拓の抵抗が止み・・・信じられないという表情で時貞を見つめる。
「本気？！」
ここにきて、漸く時貞が真面目で言っているのだという事を知って、言葉も戸惑いのものとなってた。
「そう。二人で出掛けて・・・公園を散歩したり、食事をしたりして・・・。」
何かを夢見るような表情で告げる時貞の表情に、拓の中で危険に対する信号が点滅し始める。
「―――時貞・・くん？」
モシモシ？と言った口調で、拓はそっと問いかけるが、空想か妄想に耽っている時貞にとって、それはもう決定している事項だったらしい。
「じゃ、行こうか？」
言葉と同時に、抱え上げられてしまう。
「ちょっ・・・ちょっと時貞くんっ！？降ろして！？どうして、いきなり？！」
軽々と抱え上げられてしまう事に、ちょっと口惜しさを感じながら、拓は精一杯のお願いで頼んでみる。
下手をするとこのままの状態で“ＳＲ”に乗せられる可能性があるだけに、せめてその言葉を発する原因を追求したいと思うのは我が侭であろうか。
拓の問いに、ちょっとだけ眉を上げた時貞は、何でもないと言う風に微笑を浮かべる。
「したこと無かったから、恋人同士みたく一遍してみたくなった☆」
平然と告げる時貞に、拓は思いっきり脱力してしまう。
そりゃ、そうだろう。
恋人も何も、最初から恋愛感情など全く、全然・・・これっぽっちもなかったのだから。
なのに、空から恐怖の大王が降ってきたかの如く、『不運』というやつは、突然拓の人生を狂わせてしまったのだった。
勢いと、同情と、少しの『想い』だけで・・・永遠の後悔に陥る羽目になろうとは、拓自身想いも寄らなかった。
しかも、あの人生最大の不幸とも言える―――結婚式から、既に一年がたってしまったのだ。
現状は、未だに変化する事もなく、毎日が衝撃と驚愕で過ぎていくだけであったが・・・。
そんな状態で、今更恋人同士もないものであろう。
だが、拓の思惑とは逆に、時貞は人生を謳歌しているようであった。
毎日が幸せで、楽しくて仕方ないらしい。
尤も、表面上ではポーカーフェイスを保っているので、余程親しい者しかそれを理解る者はいなかったけれど。
「桧原っ！『拓』ちゃんと出掛けてくる。」
執事の桧原にそう告げると、時貞は拓を抱えたまま、結局“ＳＲ”に乗せてしまう。
逃げようがない拓は、仕方なく時貞にされるがままになっている。
「行ってくるよ、アービィ・ルーファス・・・」
主人の見送りにきた二頭のボルゾイ犬にそう告げるとその頭を撫でる。
おとなしくそれを受け入れた二頭は、時貞の腕の中で困っている拓を気づかうように、そっと手を嘗めた。
「・・・行ってくるね。」
仕方がないという風に、はぁっ・・・っとため息を零してから、拓も同じように頭を撫でる。
いつの間にか手に持っていたコートを、拓に被せると、時貞も愛用のコートを着込む。
「しっかり掴まらなきゃダメだよ。」
メットを被った拓にそう言い聞かせるように告げると、時貞は“ＳＲ”を駆動させる。
一瞬の“Ｇ”が、身体を浮遊させる。
そうして、まるで風と共に疾駆するかのように・・・二人の乗った“ＳＲ”は、横浜中央へと向かって走り出した。
―――だがしかし、拓はまだまだ自分の認識が甘かった事を、嫌という程身を持って知る事になるのである。
「着いたよ、『拓』ちゃん。」
時貞の言葉を、拓は一瞬聞き落とした。
と、言うよりも、まだ身体の中で“ＳＲ”の振動が残っているような感覚に包まれていて・・・痺れていたのだ。
「・・・ぁ・・・うん・・・あっ・・。」
単車から降りた時貞の後に、同じようにしようとした拓は、思わずバランスを崩してしまう。
「拓ちゃん？！」
それを、時貞がさり気なく支える。
「・・・あ・・・ありがと・・・・」
時貞に抱えられて漸く足を地に付けられた拓は、真っ赤になって礼を述べた。
心の中では、不覚を取ってしまった・・・！？と嘆きながらも。
「じゃあ、行こうか☆」
妙に浮かれている時貞が、珍しくて・・・でも、その笑顔がまんざらでもない拓はつい気を抜いてしまった。
「うん。」
素直に時貞の言葉に頷く。
地下の駐車場から、エレベーターを使って一階まで上がった拓は、そこが横浜ランドマークタワーだという事に気付いた。
いつもの市内地よりも、随分と海側へときている事に拓は不思議そうな顔をする。
「時貞くん？ここ・・・」
「ん？！あぁ・・・そう、“みなとみらい”だよ。ケッコー“イ”い場所あるらしい。」
フワリと微笑を浮かべる時貞に、拓は突然の行動の意図を悟ってしまった。
確か、昨夜見たテレビの中で、ここの特集を組んでいたような気がする・・・。
つまりは、またしても遊びたくて・・・でも一人では嫌なので拓を連れだしたのだ。
しかも、ここは横浜の中心街からは遠く、他の連中の邪魔が入らないと踏んだのだろう。
どうして・・・そういう考えを、もっと別の方向に向ける事ができないのだろう・・・。
つい、ため息が零れてしまう拓であった。
それでも実際、拓とて来た事がなかったので、ここはもう開き直って楽しんでしまうに限ると思い直す。
「何処に行くの？」
ちょっと困ったようないつもの笑みでそう問いかけると、途端に時貞の笑みが広がった。
一階の入口から外に出て、歩いて２．３分の所にあった建物に時貞は入っていく。
入口には《三菱みなとみらい技術館》と書いてあった。
その入口で、二人分の料金を払うと貰ったパンフレットを手に時貞は拓の手を引っ張った。
「うわぁ・・・」
思わず感嘆の声が拓の口から零れる。
重厚技術の最先端とも言える、先端技術の数々が、理解りやすく展示やゲームなどで紹介されていた。
大きなブロックは全部で５種類に別れていてそれぞれにテーマが決められている。
環境・宇宙・海洋・エネルギー・コミュニケーション・・・。
その中で、特に時貞が興味を持ったのは“宇宙”だった。
拓が声を掛けなければ、そのままずっと浸っていたのだろうか。
不意に、不安になってしまって拓はそっと時貞の服を掴んでしまう。
「時貞くん・・・？」
「あぁ・・・“ダイジョウブ”・・だよ。『拓』ちゃん・・・。」
穏やかな声に、ホッとしている自分に気付いて・・・拓は思わず冗談じゃない！？と首を横に振って、その感情を打ち消した。
“宇宙”を見つめる時貞の瞳が、懐かしいものを探しているように見えて・・・それがとても怖かったとは、口がさけても言えない・・・と。
取り敢えず、館内を一周してから・・・そこを後にした。
そのまま、隣に位置する《横浜美術館》へと足を向ける。
入館してエントランスホールと呼ばれる広場を抜けると、屋根がガラス張りの部屋に出る。
そこから右手のエレベーターへと、時貞は進んでいく。
初めての場所で戸惑う拓の足取りとは逆に、時貞のそれは軽い。
まるで行く場所をずっと前から計画を立てていたという風に。
常設設備の方ではなく、企画展のコーナーの方に向かうという事は、その内容を把握しているからなのだろうか？
入口の所に出ていた看板では、『古代・中世ヨーロッパ印象派展』と書いてあったが、それがどんなものなのか、拓には全然理解らなかった。
そうして、その意味が把握できたのは、その展示してあった絵画を見た瞬間だった。
それは、確かに時貞の求めるものだったかもしれない。
『厳粛』な“美”。
大いなる・・・壮大なる“敬愛”。
神々しいまでの―――“翼ある者”
宗教的な色が一番濃く写し出されている作品の数々は、逆に人々の救いへの“願い”を訴えているようだ。
黒い翼の“夜の女神”。
それは、決して恐怖だけではなく・・・。
キリストを胸に抱き、涙するマリアの絵の前で、時貞は足を止める。
ジッと見つめる“緋”い瞳が、深い彩りを見せる。
その横顔を見つめる拓の心を鷲掴むようだ。
どれ程の『想い』を、抱えているのだろう。
どれだけの『願い』を、祈った事だろう。
それらは、叶ったのだろうか？
少しでも、報われたのだろうか？
こんな時、拓はどうしようもなく、胸が苦しくなる。
何もしてあげられない自分が、とても歯痒くなる瞬間。
ふと、気付くと・・・時貞の手が拓の指先を掴んでいた。
「−時貞くん？」
「・・・今は、拓ちゃんが・・・いるから。」
小さく囁くような呟きが、耳を掠める。
キュッと握られたその強さが、拓の胸の痛みを拭い去っていくようだった。
「これは・・・“祈り”・・・“天使たちの囁き”・・・“神への讃歌”・・・」
一枚一枚の絵の前で、横に書かれてある横文字を見ながら、時貞は拓へと説明していく。
尤も、そういう方面には、まるっきり無知な拓は、ただ時貞の言葉を素直に信じる事しかできなかった。
何だか、すっかり高尚なコースを辿っているような感覚を覚えながらも、拓は時貞の進む後を付いていく。
「一休みしよう。」
一通り見おわってから、突然時貞がそう告げて、拓は一瞬キョトンとする。
確かに結構歩き回ったが、別に疲れているという訳ではないし・・・時貞に至っては、全然最初と変わっていないようにしか見えないのだ。
「何処・・・で？」
「ここの２階だよ。」
言葉と同時に、時貞は拓の腕を掴んで、どんどん歩き出す。
そうして、時貞が歩いていく店を見て、拓は更に目を見開いた。
「ちょっ・・・時貞くんっ！？ここって・・・」
拓の焦りも無理はない。
店の雰囲気が、とても高校生が入れるような場所ではないと訴えているようなイメージだったのだ。
「ティーブレイクは、本当はイングランドに限るけど、かといって、この辺で甘味処はないし・・・仕方ないよね。」
明るく言う時貞の意識は、拓のそれとまるっきり異なっていたりする。
そういう問題じゃ・・・！？と拓が思ったのも束の間・・・結局強引な時貞に勝てる筈もない。
「何にする？『拓』ちゃん。」
メニューを見て、その値段にまたクラクラとする拓を尻目に、時貞は平然と選んでいる。
時貞がお坊ちゃんだと言う事は、前々から知っていた。
感覚が、平民の拓とは違うと言う事も。
だが、だが・・・拓が他の連中と一緒に一服するというのは、良くあるファーストフード系統の店で、セット売りいくらの世界だというのに・・・フランス料理の店に入られるのはちょっと・・・どころか、かなり嫌かもしれない。
こんな高級そうな所でする一息など、息を止めているに等しい。
「そんなに高くないな・・・味はどうだろ？」
コーヒーが一杯５００円もする事に、缶コーヒーなら１１０円で済むのに・・・と考えていた拓は、時貞の言葉に思わずテーブルに突っ伏してしまう。
これだから・・・金持ちは嫌いだ・・・・と自分も既にその金持ちに養われていながらも、まだ金銭感覚が一般人から抜けられない拓は嘆いた。
「オレは“ドン・ペリ”のロゼ・・・こっちは、ミルクたっぷりのカフェ・オレとミルフィーユを。」 注文を取りにきたウェイターに、そう告げると時貞は椅子に背を預けた姿勢のまま、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
一息吸って、ゆっくりと吐き出す。
その仕草も、実に堂々としたものなので、誰も未成年が煙草を吸っているとは思いもしないだろう。
半分異国の血が混じっている時貞は、歳相応に見られる事はない。
拓だとて、初めてその年齢を聞いた時に、信じられなかったのだから。
それでも、一緒にいて、少しづつその表情の少ない変化まで、理解るようになってきて。
・・今では、子供っぽいと思う時すらある・・・。
尤も、思うだけで、面と向かって言った事はまだないが！？
「お待たせしました。」
注文したものがテーブルの上に並べられる。
半分しか吸っていない煙草を、時貞は灰皿で消してしまった。
「時貞くん？」
それがとても不思議で、拓はつい問いかけてしまう。
「こっちを、飲みたい？！」
シャンパングラスを、わざわざ拓に向けて尋ねる時貞に、ブンブンと首を横に振って見せる。
「こっちがあるからいいっ！」
それから、慌てて時貞の視線から逃れるように、目の前のカフェオレに口を付けた。
ミルクのたっぷり入ったそれは、だが、まだ砂糖が入っていなかったので結構苦かった。
「あつっ！？」
おまけに猫舌な癖に、冷ますのを忘れていたのでその反動が全部きてしまった。
苦いし、ヒリヒリするし・・・半べそをかきそうになってしまう。
「・・・しょうがないなぁ。」
クスリッと微笑を浮かべながら、時貞は備付けのシュガーポットから、二つ掬って拓のカップの中に入れて・・・最初に出されたコップの中から小さな氷を掬ってそれも入れて軽く掻き混ぜる。
それから、それをいつもするように一口嘗めて・・・また元に戻した。
「もう、平気だよ。」
にっこりと告げる時貞に、拓は恥ずかしいやら立場がないやらで茹でダコのように真っ赤になって俯いてしまった。
「・・・ありがと！？」
「どういたしまして。」
小さな・・・消え入りそうな声で告げる拓に・・・時貞の笑みが深まる。
そんな拓を“可愛い☆”“抱きしめたい♪”と思っているのだから、既にビョーキも脳まで達していると見ていいだろう。 拓にとっては息が詰まりそうな・・・だが、時貞には至福の『お茶の時間』であった。
美術館の外の広場を歩いて・・・そのまま《けやき通り》を通って、もっと奥の方の海側の建物へと向かって歩く。
大きな展示場を持つ《パシフィコ横浜》は、色々なイベントなどが催される事もあるらしい。
今日は何もなかったので、見学する事もできたが・・・そこは時貞の目的地ではなかった。
そのままぐるりと回って、海側へと足を運ぶと、海の上に浮かんでいるような建物があった。
「時貞くん？何、あれ・・・？」
不思議そうに拓が尋ねると、時貞は『行ってみよう』とだけ告げた。
橋を渡って建物の中に入ると、そこはシーバスなどの海の交通の乗船口となっていた。
「へえぇ・・・知らなかった。」
海風に煽られながら、拓が止まっていた船を見て感心したような声を上げた。
「横浜駅や、山下公園まで行ってるようだよ、『拓』ちゃん。」
「ふぅーん・・・。」
《ぷかりさん橋》の説明の画面を見て、本当に海の上に浮かんでいるのだという事を知った。
足元のすぐ下は、穏やかな波がゆらゆらと揺らめいている。
濁った近くの海は、とても綺麗とは言えなかったが、遠くの水面は陽の光を反射させてキラキラと輝いていた。
そろそろ夕暮れ時も近づいていたので、潮風も幾分きつくなってきたのかもしれない。
「そろそろ行こう？」
「うん。」
最初は強引で無理やり連れてこられた事に、ちょっとだけ不満があったが・・・それも今では何処かへと消えてしまっているようだった。
ＮＥＸＴ ／ 戻る
|