「あ、時貞くん！ねぇ、窓の外を見て。」

視線を窓に向けていた君が、オレを振り返る。

釣られて視線を向けると、窓の外には昼間だと言うのに鈍色の空が広がっていて・・・そこから何かが降りてきていた。

「―――何？」

「・・・雪だよ。今年に入って初めての・・・初雪だね。」

嬉しそうな表情で君が笑う。

雪が降るのが何で嬉しいのかオレにはちっとも理解らないのだけれど、君は他愛無いことでも大発見したようにオレに教えてくれる。

「ね、ちょっとだけ外に出ても良い？」

強請るように問う君の瞳があんまりにもキラキラしてたから、反対する事なんかできない。

黙ったまま頷いたオレの目の前で、君の姿が軽やかに動く。

バルコニーに続くドアを開けると、冷たい風が部屋の中に吹き込む。

尤もそれは一瞬の事で、直ぐに閉められたドアの外に君の姿は躍り出た。

「うわー・・・結構降ってきてる・・・」

両手を広げて、空を抱きしめるような格好で、雪を受け止めているその姿は、そのまま冬の空気の中に溶けてしまいそうで、ドキンと心臓が跳ねた。

一瞬伏せられた瞼が、再び開いて・・・オレを振り返る。

灰色の景色に吸い込まれそうな輪郭が、ぼやけてしまいそうで・・・。

「―――たく、ちゃん！」

「え？・・・何、時貞くん？」

身を乗り出して声を出したら、トテトテと戻ってきた君が、すぐ傍でキョトンと小首を傾げる。

その身体を引き寄せて腕の中に包み込む。

誰にも・・・何処にもやらないように・・・。

「―――時貞くん？どうしたの？」

オレの腕の中から、不思議そうに君が訪ねてくる。

「・・・消え・・・いなく、なって・・・しまうかと・・・」

腕の中の感触に、漸く安堵の吐息と共に声が漏れる。

応えの代わりに返ってきたのは、君の腕の抱擁。

「・・・ボクは、ここに居るよ。不安にさせてゴメン。もう、部屋に戻るから・・・ね。」

柔らかい声が、オレを包む。

何処までも優しい君は、何処へも行けないまま。

DEAD　ENDの部屋の中・・・檻に囚われたかごの鳥。

手放せないオレは途方に暮れるしかできなくて・・・。

時折、何処か遠くを望むような君の眼差しに、気付いていながら・・・。

―――手を、離せない。

―――放したくない。

あぁ・・・オレはどうすれば良いのだろう？

答えの出ないまま、ただ時間だけが過ぎていく日々。

そうして、二人が初めて出会った夜から一年が経った。

もう、一ヶ月もしない内に、あの事故からも一年が経つ。

君がオレを選んだ日。

君がオレ以外を捨ててしまった日。

あの頃のオレたちには、それが必要だった。

君が居てくれなければ、オレは死んでいた。

それを枷にしたくはないけれど・・・君がオレの傍に居てくれると言ってくれたから・・・その詞に甘えてしまっている。

あの日・・・家族を失ってしまった絶望の日から、ずっと独りだったオレの傍に、寄り添うようにいてくれる『存在』。

兄弟でもなく、ギブ＆テイクを求める恋人とも違う・・・君。

オレの全てで、愛しい相手。

“ライク”と“ラブ”の違いなんて、そんなに無いと思っていた。

どっちも相手を好きな想いの、言い方が違うだけなんだと・・・。

―――でも、違う。

今ならそのコトが理解できる。

上辺だけの詞がどれだけ軽いものだったか・・・容易く想いを表現できなくなった分だけ、余計に重く感じるから。

自分が持てる全部を捧げるから・・・だから。

―――その全てが欲しい。

手中に収めて、誰にも触れさせず、大切に大事に・・・壊れないように。

失ってしまう事の怖さが、どうしようもなく気持ちを苛んで行く。

そうして、君の自由を奪って・・・オレの自由も無くなって・・・。

―――あぁ。オレたちは何処へ向かっているのだろう？

季節は巡る。

ただ、時間だけが過ぎていく。

でも、オレたちの時間は止まったまま。

身体の疵が癒えても、心の傷は消えないままで・・・。

「―――――っ！！」

真夜中に、突然悲鳴が上がる。

君を抱き締めたまま眠っていたオレは、その声に飛び起きた。

「・・・・・・っぁ・・・、･・・・や・・・・・・ふっ・・・・・」

いつの間にかオレの腕の中から抜け出していた君が、ベッドの上で自分の身体を抱き締めるように小さくなって、虚空を見たまま酷く震えていた。

「―――拓・・・ちゃん？」

思わず零れ落ちた問い掛けに、君はビクリッと身体を震わせて。

「・・・っ、時貞・・・くんっ！！」

飛びつくように、泣きながらオレの腕の中に縋り付いた。

何時もよりも強く握り締めてくる指先が、小刻みに震えている。

恐怖に怯えるようなその姿に、漸く痺れていた思考が戻ってくる。

「・・・嫌な、夢でも見た？」

「―――ゆ、め？」

落ち着かせる為に、その小さな背中を撫でながら問うと、君は涙に濡れた瞳のまま、オレを見上げた。

そうして・・・視線を落として、何度も頭を振る。

まるで、嫌な記憶を振り落としてしまいたいような仕草が、逆に意識を奪う。

「・・・夢・・・だよね？」

誰に問うでもなく呟いて、君は漸く大きく息を吐き出した。

その表情が余りにも儚げだったから、疑問が湧き上がった。

「―――どんな、夢？」

オレの声に、君は酷く怯えたように、大きく身体を震わせた。

その途端、君の大きな瞳からポロポロと堰を切ったように雫が溢れ出す。

「え・・・？あ・・・あれ・・・？どうして・・・？」

呆然と呟く君は、どうして涙が零れるのか訳が理解らないという表情で。

―――オレの鼓動を乱す。

「・・・拓ちゃん？」

「ちが・・・。安心したから・・・夢だって・・・うん。良かった・・・ボク・・・」

止まらない涙が、ポタポタと滴って、シーツに染みを作る。

「ご・・・ごめんね・・・起こしちゃって・・・。あの・・・大丈夫だから・・・直ぐ・・・止める・・・から・・・」

ゴシゴシと拳で頬を強く擦る君の手を掴む。

「―――時貞、くん？」

少し驚いた表情をする君の、赤くなってしまった頬に唇を寄せて。

流れ伝う雫をキスで拭う。

途端に、ビクンと硬直する君を腕に抱き締めて。

「・・・オレに、関する夢？」

口にした問いに返って来た君の貌が、言葉よりも雄弁に答えを物語っていた。

違う意味で硬直してしまった君の肩口に顔を伏せて・・・その耳元に囁く。

「―――例えば・・・オレが死―――」

「違うっ！！」

「・・・拓ちゃん？」

「違うよ・・・悪夢って言うのは・・・そういうコトじゃなくて・・・」

オレの声を遮って、叫ぶように君は否定の言葉を発した。

そうして、酷く辛そうな表情で・・・ポツリと呟いた。

「・・・・・・君にとって・・・ボクが・・・」

そこまで言って、言葉を途切らせる。

俯く君の顔色が酷く蒼褪めて・・・その瞳が瞬きを忘れたように一点を凝視している。

「―――ボクは・・・もう・・・いらないって。身体も治って、もう大丈夫だから・・・ボクは必要なくなったって・・・。時貞くんが・・・背中を向けて・・・呼んでも振り向いてくれなくて・・・。理解ってるのに・・・それが本当で・・・何時までもこんな風に居られる筈無いって・・・・・・理解っているのに・・・。」

涙腺が壊れてしまったみたいに、君は大粒の涙を溢れさせながら、震える声でそう告げた。

「・・・時貞くんの身体が治るのは嬉しい事なのに・・・喜ばなきゃ駄目なのに・・・ボクが、いなくても・・・大丈夫だって、、、言われたら・・・ここが、苦しくて・・・痛くて・・・息が出来なくて・・・・・」

きつく胸を抑えて、静かに啼く君の姿が、オレの心臓を締め付ける。

想像もしたこと無かった―――そんな事。

君がオレから離れる事は遭っても・・・オレがそんな事を言う筈も無い。

なのに君はずっと、その事が悪夢になってしまう程、恐れていたのか。

「―――同じ事を言われたら、オレは生きていけない。拓ちゃんを失ったら、オレの鼓動は止まるよ。君が、オレの全てで・・・生きる意味だから。いつも言ってるし、態度でも示してるのに・・・まだ、足りない？」

そっと目尻にキスしてそう告げると、漸く君は瞬きをした。

「足りないんなら、そんな悪夢を見ない位、理解らせてあげるけど・・・」

「―――っ？！」

顔を寄せて、触れるか触れないかの位置で囁いたら、君は真っ赤になった。

「―――オレが、どれだけ拓ちゃんを必要としてるのか、もっと教えてあげるよ。」

「・・・えっと・・・き・・・気持ちだけで・・・も、・・・十分・・・・」

「もう二度とアリエナイ“悪夢”を見ないように・・・オレはここに居るし、この腕が離さないってコト・・・ちゃんと覚えて欲しいから・・・」

「あの・・・と・・・時貞くんっ！」

逃げるように身体をずらそうとするのを抑えて、俯こうとする顎を持ち上げて・・・目線を合わせて伝えたら、まだ幾分潤んでいる瞳が真っ直ぐに返って来た。

その瞳の中に、オレが映る。

獲物を追い詰める瞬間の、笑みを浮かべているオレが。

「―――何？拓ちゃん。」

笑みを浮かべて聞き返すと、君は少しだけ戸惑う仕草をした後で・・・。

「・・・ありがとう。ありえないって・・・言ってくれて。それだけで・・・もう・・・本当に、嬉しい。」

怖ろしく綺麗で儚げで透明な笑顔。

浮かべた君がオレの首に両手を回して、身体を預けてくる。

そうして、唇に触れた―――ほんの一瞬の感触。

その瞬間、オレの全身に衝撃が走った。

―――全身の血が逆流するかと思った。

どうして君の『存在』はこんなにもオレをざわつかせるのだろう。

思考が止まる。

ただ鼓動だけが、耳鳴りのように煩い。

からっぽだったオレの身体に・・・渇き切っていたオレの心に・・・。

君はどれだけの想いを注いでくれるのだろう。

「・・・えっと・・・あの・・・」

自分からキスしたくせに、真っ赤になって隠れるように布団に逃げようとする君は―――どれだけオレを喜ばせれば気が済むんだろうか。

けな気で、可愛くて―――愛しい。

遙か昔に見失ってしまった感情。

こんな柔らかな気持ちがまだオレの中に残っていた事が、照れ臭いほど・・・嬉しい。

「―――拓ちゃん。I love you from the bottom of my heart.（君を心から愛してる。）」

布団ごと君を抱き締めて持ち上げる。

驚いたように顔だけ出した君に、啄ばむ様に口付けた。

オレは、君以外何もいらない・・・。

君がオレから離れるのをオレが怖かったように、君からオレが離れるのを怖いと言った君。

同じ想いを抱いて・・・苦しんで、悲しんで、戸惑って。

口にしてしまえば、こんなに簡単に不安が消えるのに。

弱い自分を晒すのが―――君に嫌われるのが、怖かった。

君が傍にいてくれるのは、優しさと同情と負い目で・・・オレはそれに付け込んだだけ。

壊す事しか出来ないオレだから、しがみ付いて、縋り付いて。

それが、一方通行の片恋じゃないのだと。

想いを反してくれるのだと、初めての君からのキスが教えてくれたから。

―――不器用な君からの、精一杯の・・・。

望んでも構わないだろうか？

望みは叶うのだろうか。

何度、祈っただろう？

何度、絶望しただろう。

何処にも光りの見えない暗闇の中で・・・泣いて、喚いて、『慟哭（な）』いて。

―――オレは壊れて・・・全部壊して。

いつしか、回り全ての世界が悪いのだと、全部他の所為にして・・・。

そうして、流れる時間を過ごしてきたオレだけど。

君と共に在る事を望むのは―――『原罪（ツミ）』ではないのだろうか。