相変わらず、君はオレの傍を離れない。

オレをこの世に繋ぎとめる唯一の存在と気付いた“お爺様”の取った行動は、君からオレ以外の全てを奪い取った。

それを識った時、オレは愕然とした。

何処までも傲慢で他人を見下す上流階級者の驕った考えが、君を追い詰めたのだと思うと、血が繋がっている事すら嫌で・・・消えてしまいたかった。

オレの存在が、君から自由を奪った事に―――その時オレは絶望した。

発作的に破壊の衝動が沸きあがって、メチャクチャに暴れて手の付けられなくなったオレを、傷付くのも構わずに全身で押し止めてくれたのは、君だった。

誰もが逃げ出した病室の中で・・・グチャグチャに破壊尽くされた部屋の中で・・・君だけは逃げなかった。

泣けないオレの代わりに、【慟哭（ナ）】きながら、君はオレを抱き締めてくれた。

小さな手で包み込んで、消えたいと願うオレの魂を救い上げた。

「・・・良いんだ・・・。ボクが・・・時貞くんを、選んだんだ。」

泣きじゃくりながら、君はオレにそう言った。

その言葉が耳に届いた刹那、オレの全身を突き抜けたのは甘い衝動だった。

抑えきれない感情が、全部を壊して無くしてしまう激しい衝動がその瞬間消えて、全身から力が抜けた。

肺が潰れて息継ぎも上手く出来なくて・・・未だに呼吸チューブが繋がったままの喉の奥から、想いが競り上がって来る。

『・・・ぁ・・・・・・あい･･し･・・・て・・・・・・る・・・・・・』

音に成らない言葉が、唇から零れ落ちた。

他に言葉が見つからない。

懺悔の言葉も、謝罪の言葉も、感謝の言葉も・・・伝えなくてはならない言葉は一杯あるのに、一番大事なその言葉すら声を失った今では伝えられない。

―――悔しくて、唇を噛みしめる。

物を握る事なら出きる手も、折れて上手く動かなくなった指では【音色（オモイ）】として君に伝える事も出来なくなったから。

「君の傍に居させて・・・お願い。せめて、君の身体が治るまで・・・」

オレを抱き締めたまま、君は請うようにそう告げた。

それを請うべきなのはオレの方なのに。

応える術を持たないオレは、ただ君を抱き締め返す事しかできなかった。

「うん・・・、ありがとう。時貞くん・・・」

オレの腕の中でくぐもった声を出した後、顔を上げた君の【微笑（ナ）】き貌。

それにオレは魅了されてしまった。

そっと重ねた唇は、全身に震えが奔るほど、怖くて切なかった。

病室の外の景色は、色鮮やかな季節を迎えていたけれど・・・あの時オレたちの目の前にあったのは、先の全く見えない不安定な未来だけだった・・・。

二人で過ごし始めてから、もう半年以上経っている。

君が言葉にしたように、オレを選んだ君は、オレ以外の全てを失ったまま。

何をするにもオレの顔色を伺い、気にして・・・その内、君の存在自体が消えてなくなってしまいそうで、あの頃のオレは、それがとても怖かった。

侭ならないポンコツな自分の身体にも、思い通りにいかない現実にも、何もかもが煩わしくて、苛立って―――。

君に八つ当たりして、いっその事全てを失くしてしまった方が楽なんじゃないかと、詰った事もあった。

何度も何度も、君を壊そうとした。

その度に、君を形作る幾つもの欠片が崩れ落ちていく。

オレが削りとってしまう。

少しずつ君を壊していく。

心も身体も気持ちも・・・何もかも柔らかい君だから、オレという【衝撃】を上手く受け止めてくれるけれど。

その都度、君は少しずつ何かを失っていくのだろう。

目に見えない場所で、傷を隠したまま・・・君はオレを救う。

君を失えないオレが、誰よりも君を失くしていく。

“何処までも何処までも一緒に・・・”

脳裏に湧き上がる【詩（フレーズ）】。

君が欠片を失ってしまうのなら・・・オレが削り取ってしまうなら、その分を補うように君を愛したいのに。

いつまでも君を見失わないように。

ずっと一緒に傍に居られるというのならば・・・その為ならば、オレの全部を差し出しても構わないのに。

心と身体がバラバラになってしまったかのように、オレの意思とは無関係に、ポンコツのままの身体は暴れまくった。

君を何度も傷付けた。

その度に君はとても辛そうな顔をして・・・君の頬を雫が伝い落ちる。

狂いそうな程の慟哭の中で、君の瞳だけはいつも真っ直ぐにオレを捉えていた。

気を失ってぐったりする君の小さな身体を抱き締めて、ベッドの中で何度嘆いただろう。

失いたくないのに、無くしたくないのに・・・オレが縋り付くには君は余りにも小さくて。

上手く動かないオレの手でも、首に巻きつけて力を入れれば、その瞬間に君は消えてしまう。

葛藤と絶望と後悔と懺悔。

どうしたら良いのか理解らなくて・・・どうやって愛したら良いのか思い出せなくて。

全てを壊す事しか持っていないオレが、君を壊さずに愛する方法が理解らない。

腕の中に抱き締めて、離したくないと心が訴えるけれど・・・君は抱き締めれば抱き締めるほど、小さくなってしまうから。

【God. If you please･･･Please do not deprive me of you who love.
（神よ、どうか・・・愛を与えてくれる君を、オレから奪わないでくれ。）】

君を腕に抱きかかえたまま、何度祈っただろう？

懺悔しただろう？

初めて身体を合わせた時よりも、随分と細く儚くなってしまった君を、救う手立てをオレは持っていなかった。

危うい関係の上に成り立っていたオレと君の世界が壊れかけたのは、初秋。

半年振りに会った彼は酷く怒っていた。

「―――俺は、“大事”な【親友（ダチ）】を失いたくないっ！！拓ちゃんが幸せなら、仕方ねぇと思ってたけど・・・泣いてんじゃんかっ！辛いんだろ？！苦しいんだろ？！」

泣きそうな怒声で、叫ぶように告げたヒロシの言葉に、君は弾かれたように瞳を見開いた。

そうして、直ぐにオレを気遣うように視線を向ける。

それは、久しぶりに見る君の貌。

いつもの、穏やかだけれど全ての感情を消してしまった【笑顔（カオ）】ではなく。

君自身の感情が、強く顕れた表情。

「なぁ、俺に出来る事があんなら、何でも言ってくれよ・・・拓ちゃん。」

「ヒロシ・・・ちゃん・・・」

続けられた言葉に、君の戸惑いと動揺が更に強く顕れた。

オレは言葉も出ないまま、目の前の二人を凝視するしかできない。

君を失ってしまうかもしれない強い喪失感に、暴れてしまいそうな身体を抑えておく事しか・・・オレに出来る事は無かったから。

感情を押し殺して、息を飲み込んで。

「―――帰ろう、なぁ？」

君を想うヒロシの声が、オレの心を突き刺す。

オレから君を奪おうとするヒロシを壊したくなる衝動が、湧き上がる。

「・・・ううん。ごめん。」

怒りの衝動に意識を奪われないように、必死に身体を抑えていたオレの耳に、聞こえたのは否定。

君の為に言われた言葉に、応えて居なくなってしまうと考えていたオレは、完全に不意を付かれた。

「拓ちゃん？！」

「ありがとう、ヒロシちゃん。ヒロシちゃんが言ってくれた事、凄く嬉しい。で・・・でも、ボクは・・・」

そこまで言って、君はオレを振り返った。

大きくて綺麗な、変わらない瞳でオレを見詰める。

「・・・ボクが、時貞くんの傍に居たいんだ。別に、脅されてる訳でも、監禁されてる訳でもないよ・・・時貞くんは、ボクが傍にいなくても構わないって言ってくれたけど・・・ボクが、離れたくなかったんだ。―――時貞くんが・・・居なくなるのが・・・怖いんだ・・・」

喋っている内に、大きな粒が盛り上がって溢れてくる。

頬を流れ伝う雫が、ぽたぽたと滴り落ちた。

それをオレは呆然と見てる事しかできなかった。

「嫌だ・・・時貞くんが、消えてしまうのも・・・居なくなって、しまうのも。ボクが・・・苦しくったって、良いんだ・・・辛くったって、構わない・・・だって・・・だって全部、時貞くんが生きている【現実（イマ）】だから・・・だから、ボクはここに居たい。・・・ごめんね、時貞くん。君を、苦しめて・・・いるのは、ボクの・・・身勝手な願い。生きてて欲しいから―――君が、どんなに・・・苦しくて・・・辛くて・・・消えてしまいたい、と思っても・・・ボクは・・・君の傍にいたいんだ・・・」

泣きながら、何度もしゃくり上げるように、君はそう言った。

掠れと泣き声とずれた息で、物凄く聞き取りづらい言葉だったけど・・・。

何度も出てきた傍にいたいという言葉が、リフレインのように耳に残った。

「駄目・・・かな？・・・こんな、ボクじゃ・・・君の・・・・・・そばに・・・」

何度も何度も・・・。

涙で顔をぐしゃぐしゃにする君が。

君だけが・・・。

「――――っ！」

軽い衝撃と共に、君の身体がオレに向かって飛び込んでくる。

慌てて抱きとめると、大きな瞳が驚いたように見開かれている。

「チッ！！いーかぁ、テメー・・・オレの大事な【親友（ダチ）】を、“仕方”ねっから貸してやっから、さっさとそのポンコツな身体を治しやがれっっ！！勝負は、それからだっ！！」

相変わらず怒ったような声で、ヒロシはそう告げた。

なのに、その表情は先程までとは全然違う。

「ヒロシちゃん・・・」

「拓ちゃんがそこまで言うんなら、俺は止めねぇよ。だけど・・・忘れんじゃねぇよ。俺は何時だって、拓ちゃんの為なら何だってしてやっからよ。二人で辛気臭ぇ顔する前に、頼ってくれよ。こんな風に、傷付かないでくれ。時貞ァ・・・テメーも、拓ちゃん奪われたくなかったら、もっと大事にしろよっ！！次来た時に、まだおんなじ状態だったら、今度こそ連れて帰っからな！！」

俺の腕の中で、驚いた顔をした君の呟きに、ヒロシは仏頂面のままそう断言した。

途端に、腕の中の君の顔が変わる。

ずっと辛そうだったのに、柔らかな幸せそうな表情へと。

相変わらず、泣き虫な君の瞳からは綺麗な雫が零れたままで。

捨て台詞のようにそう言い捨てて、帰ってしまったヒロシの姿を、君は何時までも窓辺に佇んで見送っていた。

少し寂しそうな表情は、どれだけ二人が親密なのかをオレに見せ付けているようで。

『―――た・・・く・・・・・・ちゃ・・・・』

漸く搾り出したオレの喉から零れ落ちた息は、掠れて【声音（オト）】にならない。

それでも、ちゃんと反応した君は、振り返ってオレを見た。

「・・・時貞・・・くん・・・」

ゆっくりと近付いてきたその小さな身体を、そっと抱き締める。

君がくれた言葉。

その―――【気持ち（オモイ）】。

それは、オレの感情とは違うのかもしれないけれど・・・何処までも優しい君の同情なのかもしれないけれど・・・それでも。

―――失くせない。

手放せない。

君を大事に―――したい。

「・・・あ、い・・・して、る・・・・・」

溢れ出る感情のままに、その耳に口を寄せて・・・息を吐き出すように。

今まで簡単に口にし過ぎてきた言葉が、こんなに重いとは思わなかった。

もどかしい感情を持て余して・・・でも、他に上手い言葉が浮かばなくて。

ビクッと身体を振るわせた君は、弾かれたように顔を上げてオレを凝視した。

その黒曜石のような澄んだ瞳に、少し歪んだオレが映っている。

今のオレは、君にどう映っている？

目線だけで問うようにして、オレは苦笑した。

こんな風に、みっともない告白をするなんて、思ってもいなかった。

どうしようもないほど、溢れ出す感情が・・・更に君を縛り付けるだけだと理解っていたから、声を失ったままだと思って舌に乗せてしまった。

まさか、この場面で【声音（オト）】を取り戻せるとは思ってもいなかったから。

「―――時貞くん・・・声が・・・・・・」

呆然としたように呟いた君の瞳から、新しい涙が溢れ出す。

そんな君の姿が本当に愛しくて・・・喜ぶ顔が見たくて・・・同じ【台詞（オト）】を吐き出す。

「・・・たく、ちゃ・・・・・・あい、し・・・て、・・・・・る。」

「ぼ・・・ボク・・・も・・・ボクも好き・・・大好き・・・・・・時貞くんっっ！！！」

オレの腕の中で、オレに縋り付くようにして・・・君は初めて大声で泣いた。

子供のようにわんわん泣く君が、今までどれだけ我慢してくれていたのか、それを思うと苦しくて辛いけれど・・・それ以上に、全身を満たしていたのは―――歓喜。

オレの中でずっと暴れまくっていたモノが、満たされて漸く眠りについていく。

その瞬間、身体を丸めて全身で泣く君が、オレの全てになった。

泣き止まない君を慰める為に、オレは何度も顔中にキスをした。

抱き締めてキスをして・・・未だにベッドから出られないままのオレだったから、君を引きずり込んだ。

驚きに漸く泣くのを止めた君の大きな瞳に惹かれるように、口付けて。

真っ赤になった君を、腕の中に包み込んで・・・。

オレの目から涙が零れ落ちた。

君の瞳からも涙が溢れた。

泣きながら、オレたちは抱き合って―――一つになった。

オレの為に一杯無くしてしまった君の欠片の変わりに、オレは君に溢れるほどの愛を贈りたい。

【I love you．Only one．・・・All of me.（愛してる。君だけを。・・・オレの全て。）】

上手く喋れない言葉の代わりに、想いを込めてキスをする。

何度も何度も繰り返す・・・溺れるほどの情熱に突き動かされて、上手く動かないぎこちない動きのままで、オレは君を求めた。

心も身体も何もかも繋がったまま、オレは満たされた状態で、意識を失うように眠りに付いた。

悪夢を見なかったのは、生き返ってからそれが初めての夜だった。