7.眠る君のそばで

あれから十ヶ月が過ぎようとしている。

最初の一ヶ月は集中治療室の中で、オレはずっと夢と現実の狭間を漂っていたらしい。

面会謝絶の札が消えたのは、それから更に一ヵ月後で・・・ベッドの上から起き上がれるようになったのは事故から半年過ぎで。

―――今はリハビリを兼ねて自宅療養中だ。

顔以外は満身創痍だった所為で、【内臓（ナカ）】の殆どを移植しなければならなかったオレが生き残ったのは、全ての医者が奇跡を当たり前の様に口にする程、アリエナイ事象らしい。

一番驚いているのは他の誰でもなく、オレ自身なのだが・・・。

傍らに視線を向けると、そこには当然の様に存在する君の姿。

死に逝くオレをこの世に引き戻して、繋ぎとめている“唯一”。

何度も危篤状態に陥ったオレの意識を、君だけが呼び戻せるのだと理解った“お爺様”は、あらゆる手段を行使して、君をオレの側に縛り付けた。

意識が戻って漸く回りの状況を判断したオレは、慌てて君を解放したけれど・・・それでも君は今もこうやってオレの側に居てくれる。

何処までも優しい君。

―――オレの全て。

「・・・時貞くん？どうかした？」

ずっと見ていたから、視線を感じたらしい君が振り返る。

そうして、当たり前の様にオレの側に近付いてくる。

手を伸ばして請えば、何の抵抗も無くその身体はオレの腕の中に包まれる。

「―――たく、ちゃ、ん。」

そっと声を出すと、掠れた響きが零れ落ちる。

完全に治っていない肺の所為で、言葉は未だに掠れたままだ。

「うん。」

それでも、そんなオレの声を聞き漏らさないように、君は優しく相槌を打ってくれる。

脳裏に蘇るのは、生き返った後で一番最初に視界に映った君の綺麗な泣き顔。

あんなに嬉しそうな泣き顔を見るのは初めてだった。

―――君が壊れなかった事を、改めて神に感謝した所で、また意識は混濁してしまったけれど。

何度も“悪夢”に苛まれた。

辛い過去の【映像（ビジョン）】を繰り返し見せ付けられて、意識を暗闇に取り込もうとするかのように、苛烈な“悪夢”がオレの心を喰い破ろうとした。

ふとすれば消えてしまいそうな朧げ気で儚い【生（オレ）】を、その度に救い上げてくれたのは、君の声と想い。

目を醒ます度に、当然の様に其処に君は居てくれて、何度もオレの名を呼んでくれた。

君の側に居たい―――その願いだけが、オレが生き返った【理由（イミ）】。

君の黒曜石の瞳の中にオレが映る。

真っ直ぐな眼差しは、初めて出会った頃と少しも遜色なくて。

穢れない綺麗な君。

「えっと・・・その・・・」

ほんの少しだけ抱き締める腕に力を込めたら、途端に君は真っ赤になってしどろもどろになる。

その後の行為を、君は知っているのに、いつまで経ってもそういう処も変わらない。

何処までもオレに甘い君が、最終的にはオレを受け入れる事を、ちゃんとオレは理解ってる。

―――だから、甘えて強請る。

この腕に抱き留めるその温もりを・・・オレの生きる【理由】を失わない為に。

ゆっくりと顔を近付けても、真っ赤になった顔のまま君は逃げずにそっと目を閉じる。

ギュッと無意識にオレの服を握り締める君の仕草すらも、オレにとっては愛おしい。

最初は緊張を解す為に触れるだけ。

何度も角度を変えて啄ばんで・・・そうして、ゆっくりと口付ける。

柔らかな感触。

甘いのは先ほどまで君が間食してた【お菓子（チョコ）】の味。

直接食べるのは甘すぎて胸焼けしてしまうけれど、こんな風に間接的な甘さなら歓迎したい。

味わうように甘い口付けを堪能していたら、君の身体から力が抜けた。

感じて過ぎてしまったのだろうかと思えば、ただの酸欠だったようで・・・口付けが解けた途端に、肩で息をしていた。

相変わらず、不器用で慣れないその姿に、苦笑が漏れる。

そう言えば、初めてデイープキスをした時に、君は気絶してしまったっけ。

「・・・時貞・・くん・・・？」

呼吸を整えながら、涙で潤んだ瞳がオレを見る。

オレの腕の中で上目遣いのその表情は、いつもオレの感情を全て奪い去る。

そんな君の貌にそそられながら、オレはゆっくりと体勢を入れ替える。

シーツの海に君を沈めても、君は抵抗せずに受け入れるだけ。

「・・・愛し、て・・・る。」

上手く響かない“声音”で、想いを綴る。

それでもきちんと聴きとめる君は、今にも泣きそうな綺麗な顔で、柔らかな微笑をオレに返した。

動けるようになってまず最初にしたのは、君を抱く事だった。

何本も折れて上手く動かなくなってしまった指では、“ギター”で想いを伝えるのは無理だったから、必死に声を取り戻して。

最初にその言葉を告げた時、君は崩れ落ちるように号泣して・・・その胸の内に秘めた想いをオレに教えてくれた。

泣きながら、オレたちは互いを求めた。

心も身体も想いも―――全部が一緒になって重なって。

そうして、オレと君は一つになった。

君がオレの生きる【理由】。

君がオレの還る場所。

腕の中で、オレの愛情を受け止めて、意識を失うように君は眠りに付く。

汗で少し湿ってもまだサラサラな君の髪をゆっくりと梳きながら、少し疲れたような君の寝顔にキスをする。

未だに行為に馴染まない君の身体は、オレを受け入れるには小さ過ぎるのかもしれない。

女ならば当たり前の事で、身体が勝手に反応して受け入れるのに、何度も繋がった筈の君の身体はいつ抱いても初めての時の様に泣きながらオレを受け止めるから。

壊れてしまうのではないかという恐怖は、オレにしがみ付くようにしながらも全身を委ねてくれる君の想いに救われて。

だから余計に、恋焦がれるように君をきつく抱いてしまうのだけれど。

【I love you．Only one．・・・All of me.（愛してる。君だけを。・・・オレの全て。）】

もう何度呟いたか理解らない【祈り（コトバ）】を喉の奥で綴る。

この気持ちをどう表現すれば良いのかも、誰に告げれば良いのかも理解らないけれ
ど・・・。

『meet you, ・・・and ・・・love me．I ・・・permit it,・・・ and・・・ thank you for・・・（君に出会えて、オレを愛してくれて・・・赦してくれて・・・ありがとう。）』

眠る君の耳元で、掠れた声のまま呟く。

自分の口からこんなに感謝の言葉が溢れ出るなんて、君と出会う前までのオレだったら想像もつかない。

なのに、今ではそれが当たり前のように、湧き上がってくるのは感謝の気持ちだけ。

君の側で過ごせる穏やかな『刻』。

あんなに感情を揺さぶっていた荒々しい激情の発作も、君が腕の中に居れば起こらない。

当たり前のようにオレの傍に君が居る。

穏やかな寝息を立てて。

触れても消えて無くならない温もりと―――規則正しい・・・【鼓動（おと）】。

君の背中から抱き締めれば、同じ場所に重なるそれが、生きている証。

ぎゅっと包み込んで、肩口に顔を埋めて、それを確かめながら眠りに付く。

―――柔らかな響きに、意識が満たされたまま・・・。

毎夜繰り返される、それは大切な―――“儀式”。