君と出会ってから７度目の春がやってきた。

オレたちは２２歳になっていた。

＜やられた・・・＞

柔らかな春の日差しとは正反対な気分で、目の前の光景に舌打ちする。

関連企業を集めての春の園遊会という名目で、花を愛でながら今後の財閥の在り方を考える重要な集まりだからと、強制参加を義務付けられた時は、まさかこんな手に出るとは思ってもいなかったのに。

「―――あの・・・くそジジィ・・・」

思わず本音が零れ落ちる。

「・・・何か、おっしゃいましたか？まだお若いのに、流石、時臣の息子さんは魅力的な御方なんですね。」

隣でニコニコと笑いかけてくる相手は、全くこちらの機嫌に気付いていない。

ここにナイフがあったなら、その日和見的な笑顔をズタズタに引き裂いてやりたい。

相手がダディと知り合いで、その友人だったと知らなければ、こんな風に大人しくしていないところだ。

先程まで壇上で、人の【未来（さき）】を勝手に決めつけて、高らかに財閥の繁栄を約束していた唯一の血縁者は、今は重鎮共に囲まれて上辺だけのおべっかを使われてちやほやされているようだった。

「時継様に言われた時は、どれ程集まるのだろうかと心配していたのですが・・・これだけの花嫁候補を集められるのであれば、天羽家も安泰ですね。きっと、天国の時臣も喜んでいるでしょう。」

しみじみと告げられた言葉に、もしも裏があるのなら八つ裂きにしても足りない。

だが、初めて出会った時に、目元を潤ませてダディに似ていると優しい目付きで言われた時から、ずっとこの相手の態度は変わらないから・・・。

「―――ダディが喜んでるかどうかは理解りませんが・・・俺には迷惑以外のなんでもないです。」

「・・・え？」

「こんな・・・騙し討ちのようなやり方は、流石にお爺様の主催だとは理解しますけど・・・」

そこまで告げて、ギリッと唇を噛む。

見抜けなかった自分の浅はかさが腹が立つ。

「あの人たちが欲しがっているのは、傀儡となる人形だけだ。ここに集まった連中も、欲しいのは天羽家という血筋だけ。それが、一番の俺の呪いですから。」

そう告げて、立ち上がる。

途端に、幾つもの絡み付く様な視線が集まってきて煩わしい。

「俺が本当に欲しいのは、見てくれだけ着飾った『花』なんかじゃない。お爺様が誰を選ぼうが、結局、俺の意思など必要ない。だから、俺はここで失礼します。」

オレの言葉に眉を潜めたまま言葉を失っている相手を残して、さっさと歩き出す。

「―――時貞さま・・・」

「檜原・・・知っていたな。」

「・・・申し訳ありません。」

「―――お爺様に伝えておけ。誰を選ぼうと、無駄だと。そんなに血筋が大事なら、自分で若い嫁でも貰って作れ・・・とな。こんな何処の卑しい外国産の孫の血なんかじゃなくてな。」

後ろを付いてきた檜原にそう告げて、傍に寄るのを許さずに会場を出る。

「時貞様？！」

「どちらへ？」

何人かの黒服が慌てたように飛び出してくる。

「天羽大爺のご命令です。」

「会場にお戻りください・・・ぐっ！」

目の前を塞いだ奴を、持っていた杖で殴り付ける。

「―――邪魔だ。殺されたくなかったら、退け。」

睨み付けながら、低くそう告げたら目の前の連中は動きを止めた。

流石に、オレが本気で怒っている事に気付いたらしい。

固まっている連中を一瞥して、ホテルの玄関に出る。

檜原はジジィの傍から離れないだろうから、タクシーを捜す。

「―――セロニアス？」

不意に掛けられた声に、強く惹かれた。

思わず振り向くと、そこには久しぶりに会う姿が会って・・・。

あの頃よりもずっと色っぽく、艶やかな大輪の花のように綺麗になった昔の女。

「ユーリ・・・」

「やっぱり！―――って、ここにあんたが居るって事は、今日の会があんたのお嫁さん捜しだっていうのは本当だったの？！父さんが煩いから一応顔だけ出して帰ってこようと思って来たんだけど・・・ちょっと、拓ちゃんは？！人の事振っておいて、今更他の女なんて許さないわよ！」

見掛けとは裏腹に、昔と変わらない口調は、すんなりとオレの耳に馴染んで、ストンと胸に落ちた。

思わず、口元が緩んでしまう。

相変わらず、性格が気持ち良い女だ。

「理解ってる。だから、逃げ出してきた。これから、帰るトコだ。」

「え？！そ・・・そうなの。あらやだ。あたしの早とちり。」

「・・・変わらないな。」

「ちょっとぉ・・・少しは綺麗になったとか・・・大人の魅力が出たとか言っても良いんじゃない？全く、あんたも変わらないんだから・・・。」

少し怒ったように言いながら、彼女は困ったように微笑った。

「でも・・・元気そうで、良かった。」

柔らかな口調は、最後に会った時と変わらない響きを持っていた。

あの時はまだ病院のベッドの上で・・・別れは必然だった。

「あぁ。このポンコツな心臓の鼓動を動かしてくれる相手が、まだ傍に居てくれるから・・・」

「―――まだ、じゃなくて、ずっとでしょ！こんなに良い女を振ってまで選んだ相手なんだから、ちゃんと二人で幸せになんなきゃ承知しないんだから。」

腰に手を当てて、ふんぞり返る様に告げられる言葉が、何故か温かいと感じられるのは、オレも少しは変わったのだろうか。

「そうだな。―――俺も覚悟を決める。」

「・・・セロニアス？」

「Thanks・・・ユーリ。」

彼女の言葉が、オレの背中を押してくれた。

こんな良い女を泣かせてまで選んだ相手を、オレは手放す事なんて出来ない。

手放した瞬間に、オレの鼓動も止まる。

幸せにできるかどうか理解らないからといって、何時までも今のままの状態で良い筈もない。

手に入れた力で何処まで出来るのかも―――【未来（さき）】も理解らないけれど。

何時もなら、オレが出掛けて帰ってきた時には、“兄弟”と一緒におかえりなさいと穏やかな笑顔で出迎えてくれる筈の君の姿が無くて、一瞬不安に駆られる。

屋敷中を探しても、君の姿が見つけられなくて、途方に暮れる。

「・・・っ」

久しぶりに結構な距離を歩いた足が、段差に躓いて、思わず掴んだ窓枠の外で、小さな声が聞こえた。

それが、ルーファスがオレを呼ぶ声だと気付いて、ゆっくりと立ち上がる。

一瞬違和感を齎した足を庇いながら、立ち上がって杖に頼りながら、声の方へと向かうと、そこは温室だった。

昔、おばあ様が使っていたというそこは、今は持ち主を失って寂れている場所の筈だ。

何故、そこから声が聞こえるのかを不思議に思いながら、入り口を開ける。

途端に、甘い花の香りがした。

「・・・これは？」

信じられない事に、温室の中は色取り取りの花で咲き溢れていた。

自然と中を見渡していた視線が、一か所で止まる。

その光景を見た途端に、胸が熱くなって涙が出そうになる。

「・・・っ・・・」

柔らかな日差しがガラスを通して降り注ぐベンチで、穏やかな表情で眠っていたのは・・・。

―――時が止まる。

呼吸すら止まってしまうかのような、静寂が訪れる。

“兄弟”は自分の事を理解ったようだ。

だが、その身体を抱き締めるように眠りに就く君を起こしたくなくて、動かないでいる。

その姿は、大切な物を護るかのように見えた。

それは、決して壊してはいけない一枚絵のように完成されて、脳裏に焼付いた。

思わず力が抜けて、手から離れた杖が転がった。

「・・・ん？」

気配に気付いたらしい君の瞼が、ゆっくりと動く。

気付けば、自分の足は自然と動いて傍に寄っていた。

「―――時貞・・・くん？」

「・・・ただいま。」

ぼんやりと名を呼ばれ、胸に込み上げるのは愛しさ。

強くなる鼓動は、傍に君がいるから。

「・・・・・・」

ゆっくりと伸ばされる指先が、傍に寄って顔を覗き込んだオレの頬を辿る。

「・・・おかえりなさい。」

ふんわりと浮かんだ笑みに、とうとう我慢できなくなった。

「・・・ん・・」

そのまま抱き締めるように腕の中に引き込んで、キスをする。

その存在を確かめるように、何度も吐息を重ねる。

温室の中で、噎せ返る様な甘い匂いに包まれて、それでも君から漂うのはお日さまの匂いで―――。

ささくれていた心さえも癒された気がした。

「・・・えっと・・・あの・・・」

腕の中で真っ赤になったまま、君は困ったように目線を逸らす。

「―――拓ちゃん？」

「ボク・・・土いじりしてたから・・・汚れてて・・・その・・・」

続けられた言葉に視線を流すと、確かに作業用のエプロンを付けていて、衣服の所々が汚れていた。

「だから・・・離して・・・」

申し訳なさそうに告げる君に、オレは口端を上げる。

そんな理由でなら、手放す気にはなれないから。

「―――別に、気にしない。」

そう言って、頬にキスすると、更に顔が紅くなっている。

先程、余りにもすんなりとキスを受け止めて、身を任せてきたのが、実は寝ぼけていたからだと理解ったから、ちょっとだけ意趣返し。

キスの途中で、気付いて逃げようとした君への―――。

「オレに抱かれるのは、嫌？」

耳元に唇を寄せて、耳朶を甘噛みしながら問い掛けると、途端に腕の中の身体がビクンと反応を返す。

あれだけ身体を合わせておきながら、何時まで経っても初心としか言えない君の心は、何時になったら全部オレのモノになってくれるのだろう。

「あ・・・ときさだ・・く・・・」

そのまま首筋を舌で辿っても、その腕がオレを抱き締めずに、堪えるように握り締められている事に、胸に痛みが走る。

このまま抱いたとしても、きっと君は受け入れてくれるだろう。

それでも・・・。

抱き締める腕に力を込めたまま、オレはもどかしい想いを抱え込んだ。

ギュッと目を閉じて耐えるようにしていた君が、ゆっくりと瞳を開ける。

少し涙に潤んだ綺麗な黒曜石のような瞳が、明るい光の下でキラリと燿る。

「・・・時貞くん？」

君を抱き締めたまま動かないオレに、君は不思議そうに問い掛けてくる。

「何か、合ったの？」

続けられた言葉に、意識が捕らわれる。

「・・・どうして？」

顔を上げて聞き返すと、少し困ったような表情が見えた。

「えっと・・・上手く言えないけど・・・そんな気がしたから。―――嫌な事？」

ポツリと零れ落ちた言葉が、オレの鼓動を跳ね上げる。

ただ抱き締めているだけで、一言も言っていないのに・・・。

どうして、こんなにもオレの事を理解るのだろう？

「あ・・・あの・・・無理に言わなくても良いんだけど・・・その・・・ボクで力になれるんなら・・・」

小さく告げられる言葉が、胸を締め付ける。

オレの選んだ君は、誰よりも優しい。

何故、君だったのだろう？

何度も自問自答してきた疑問。

今まで肌を合わせた事のある誰でもなく、恋人だったユーリでなく・・・。

オレの代わりに泣いてくれた―――初めての相手。

その傍で、生きていたいと心から望んだ“唯一”。

たった一人の、オレが見つけた愛すべき者。

オレが生き続ける為の【意味（りゆう）】。

もう他の誰も、代わりになんてなれない。

「―――ねぇ。どうしたら、拓ちゃんはオレのモノになってくれる？」

「え？」

「あぁ。違う・・・。何処までも何処までも一緒に・・・傍に在りたい。」

“願い”はすんなりと口から零れ落ちた。

途端に、君の大きな瞳が、更に零れ落ちそうに見開かれる。

「こんな風に、拓ちゃんを縛り付けてるオレが口にするのは、ズルいと思ってた。拓ちゃんから色々な物を奪っておきながら、願うのは・・・。」

真っ直ぐに見つめてくる瞳を見るのが辛い。

君の逃げ場を奪っておきながら・・・君を縛り付けておきながら、告げる言葉はどんな言葉で言い繕っても、許される事じゃない。

それでも、君を失えない。

このまま君を失う位なら、この鼓動を止めてしまった方がマシだから。

「―――時貞くん・・・それって・・・」

戸惑ったような君の声が、少し震えている。

「拓ちゃんの今だけじゃなくて、未来も・・・この先の時間も全部、欲しいんだ。―――オレと共に生きて欲しい・・・オレのパートナーとして。」

ユーリに背中を押されたからだけじゃなくて、ずっと考えていた。

何時までも中途半端な関係のままでは、いつか手放さなければならない日がくるのではないか・・・と。

いつまでも優しい君に甘えて、ずるずると君の時間だけを奪っているオレ。

自分さえいなければ、君は自由になれるのに・・・オレが居なくなるのは嫌だと泣いて言ってくれる君だから・・・。

拒絶されたら鼓動が止まる事を理解っていながら、いままで聞けなかった言葉。

それが、罪だという事を知っていたから。

君にとって何よりも罪深い願いだという事を―――。

「・・・・・・」

覚悟を決めたオレの目の前で、突然君は泣き出した。

大きな瞳からポロポロと大粒の涙を零して、唇をギュッと噛み締めている。

途端に、ズキリと胸が痛んだ。

息が苦しくなって、全身から力が抜ける。

―――泣かせたかった訳じゃないのに・・・。

絶望が心を支配する。

オレの目の前でゆっくりと時間が動く。

震える君の腕がゆっくりとオレに近付いて、そのままオレの服を掴む。

「・・・ぃ・・」

掠れるような小さな響きが君の唇から吐息のように零れて―――。

次の瞬間に君は、何かを耐えるような泣き顔から、花が綻ぶような微笑を浮かべた。

「―――嬉しい。」

今度こそ、耳に届いたその【声音】。

聞こえた瞬間、オレは君をきつく抱き締めていた。

「拓ちゃんっ！」

「・・・うん、、、うん。」

名を呼ぶと、何度も頷いてくれる。

そうして、涙に濡れた綺麗な瞳が、腕の中から真っ直ぐにオレを見上げた。

「ボクは、ずっと前から時貞くんのものだったよ・・・」

「でも、それは・・・そうじゃないとオレが生きていけないから・・・」

君の言葉に、オレが答えると小さく首を振る。

「違うんだ。ズルいのはボクの方。君に必要とされているから・・・必要とされている間は、一緒にいられるって・・・そう思って。その時間が長ければ長い程良いって願って・・・それは、時貞くんにとって良く無い事なのに・・・」

「―――そんな事ないっ！オレは、拓ちゃんが居てくれるから生きていけるのに・・・」

「ボクで、良いの？本当に・・・？だって、ボクは男なのに。」

「関係ないっ！拓ちゃんじゃなければ駄目だ！他の誰でもない、オレが選んだ“唯一”は君だけだよ・・・」

「・・・っ」

オレの言葉に、また君の瞳に涙が盛り上がって零れ落ちる。

それが、悲しみに因るものではないと理解ったから、オレはキスでそれを拭う。

「・・・ふふ。」

擽ったそうに、小さく微笑う君がオレの愛しい相手。

「オレの全部を上げるから、身も心も全部、オレのモノになって下さい。」

もう一度、そっと願いを口にする。

「―――はい。」

はにかむ様に頬を染めて綺麗に微笑った顔に我慢できなくて、オレは返事を聞いた瞬間に君に口付けていた。

やっと口に出せた“願い”は、思っていた以上にすんなりと君に受け入れられた。

お互いに同じ想いのまま、随分と遠回りしてしまったけれど・・・。

でも、これでやっと【未来（さき）】に進める。

オレの全てを賭けて、君を幸せにするために。

―――一緒に、幸せになる為に。

君だけがオレの“唯一”。

【I love you forever．Only one．（永遠に愛してる。君だけを。）】

君の全てを手に入れられるなら、何千・何万回告げても構わない。

その心に届くように、囁き続けたいのは―――愛を請い願う『言の葉』。