季節が瞬く間に過ぎていく。

一度動き始めた世界は、留まることなく時を刻んでいく。

時が止まっていたあの一年が無かったかのような、日常が戻って早二年。

一年遅れで復学した拓の、今日は卒業の日。

３月半ばではまだ早く、桜も漸く膨らんできた程度だ。

初めて足を運んだ場所は、オレから君を２年間も自由にした学校という名の解放区。

本当ならその場所こそが、雁字搦めの檻のような場所なのに、毎日嬉しそうに通い続けた君の姿は、逆にオレを驚かせた。

同時に、湧き上がるのは不安。

いつか手放さなければならなくなるのだろうか・・・という漠然としたものだったけれど。

気持ちに引き摺られて、心が軋んだ夜もあった。

眠りにつく君の寝顔を見ながら、眠れぬ夜もあった。

それでも・・・。

結局、君は変わる事無く、傍にいてくれた。

視線をずらすと、遠巻きにしている者たちの姿が視界に映る。

不良の巣窟とも呼ばれているこの学校の何処に、君を惹き付ける要素があったのかは理解らないけれど、目立つ存在を排除しようとする空気は昔から変わらない。

＜面倒くさいな・・・＞

ジリジリと距離を取っている連中は、何を牽制し合っているのか、未だに動かないけれど、ウザイ事に変わりはない。

折角の日だから、争う事はしたくなかったけれど・・・。

サングラスを外そうとした瞬間、視界に映り込んだのは、ずっと待っていた君の姿。

「―――と、と、時貞くん？！」

目をまん丸くして、驚く君の顔に、漸く苛立ちも収まる。

「どうしたの？何か、あったの？！」

何人かの者たちの中から飛び出してきた君は、急に心配そうな表情を浮かべて問い掛けてきた。

そんな君の優しさが、オレの心を救い上げる。

「違うよ・・・」

「そう。なら、良かった・・・」

喜びの感情が、込み上げるままに静かに告げると、途端にホッとしたような微笑。

「―――迎えに、来たんだ。」

「え？」

「一緒に帰ろう。」

畳み掛けるようにそう告げると、途端にまた驚いた顔に戻る。

一時はずっと感情の無い人形のような表情しか浮かべなかった君が、昔のようにクルクル表情を変える。

嬉しい事なのに、なんだか寂しくて・・・直ぐにでもその温もりを確かめたくなった。

「あ、あの・・・」

「何？」

「て・・・手が・・・」

「うん？」

「・・・は・・・離して・・・」

「―――ヤダ。」

「・・・っっ！！」

そっと触れただけなのに、逃げようとする君が悪い。

だから、思いっきり抱き付いたら、腕の中で見る見る内に真っ赤になった。

途端に、周りで変な悲鳴が上がる。

「てめー、何やってんだぁあああ？！」

「拓先輩から離れろっっ！！」

「ぶっ殺すっ！！」

凄まじい勢いで、殺意が向けられる。

それは、さっきまで君の傍にいた連中からのモノで・・・。

「・・・時貞、くん・・・は、離してぇ・・・ここ、まだ学校だし・・・」

オレの腕の中で真っ赤になったまま、しどろもどろ言っている君は気付いているのか、いないのか・・・。

「拓ちゃん・・・」

「え？・・・な、何？」

「オレに喧嘩売ってるあいつ等、殺しても良い？」
「ぎゃー？！や・・・止めて！お願い・・・」

一応許可貰おうと尋ねると、泣きそうな声が戻ってきた。

理解っていたけれど、相変わらず君は優しい。

動こうとしたオレを、今度は逆にしっかりと抱き付いて止めてくる。

君からの抱擁に、ざわついていた心が落ち着いていく。

「拓ちゃんが、望むなら。」

にっこり笑ってそう言うと、君は困ったように視線をずらす。

そうして、表情を変えた。


「あの、お別れ言うから・・・ちょっと待ってて。」

少しだけ寂しそうな顔をしてから、クルリと姿勢を変えた。

「皆、今までありがとう。この学校で過ごした三年間、凄く楽しかったよ！本当に、ありがとうっ！！」

それは、見惚れる程輝く笑顔。

初めて見るその顔に、全身に衝撃が走る。

湧き上がったのは、君を呼ぶ声の多さに対する嫉妬。

この場所で、君がどれだけ慕われていたのかをオレに示すかのような、数々の返答に我慢できなくなりそうで・・・。

全部を壊したくなる。

「―――時貞くんっ！」

バイバイと手を振っていた君が、急に振り返る。

「ありがとう、時貞くんっ！凄く楽しい２年間だった！時貞くんが学校に戻る事を勧めてくれなかったら、こんな気持ちになれなかったよ。だから・・・本当に、ありがとう！」

そのまま、ギューッと抱き付いてくる君の言葉が、全部すんなりとオレの心の中に浸透していく。

それだけで、何だか泣きたくなった。

このまま、君が離れていってしまいそうで・・・声が出ない。

「・・・って、自分から抱き付いちゃ駄目だよね。えっと・・・迎えに来てくれたんでしょう？一緒に帰ろ？」

ほんの少し目元を赤くして、眦に滲んだ涙を拭う君が、柔らかな微笑を浮かべて、欲しかった言葉を発する。

その当たり前のように告げる言葉に、逆に胸が締め付けられた。

家に戻ってきて、一緒に軽く昼食を取ったあと、二人でソファーに座った。

君を後ろから抱き締めるようにして、その肩口に顔を埋める。

擽ったいと文句を言うけれど、それでも君がオレから離れる事はない。

「―――拓ちゃん・・・」

「何？時貞くん・・・」

「おかえり。」

「うん。・・・ただいま。」

胸が一杯で、他に言葉が出てこない。

きっと意味が通じないと思ったのに、君はオレの不安の全部を払拭してくれる言葉をちゃんと返してくれた。

そうして、キュッとオレの上着を掴む。

「まだ、一緒にいても大丈夫？」

少しだけ声を潜めて、不安そうに振り返って見つめてくる姿が、どれだけオレの気持ちを揺さぶっているのか君はきっと知らない。

だから、そんな馬鹿な質問をできるのだろう。

答える代わりに、オレはその唇を奪う。

一瞬、強張る君の身体が、徐々に力を失っていく。

縋る様に回される腕に気を良くして・・・顔中にキスの雨を降らす。

額、瞼、両頬、鼻の先に触れて・・・もう一度、甘い唇に。

大人しくキスを受け止める君が、どんなものよりも大切で愛しい。

オレから手放す事なんて、出来やしないのに。

君の全てを手にして、オレ等を取り巻く総てのモノから護るには、まだオレには力が足りないから。

最後の言葉を、伝えられない。

君を縛る言葉。

喉まで出かかっているそれを飲み込んで、告げるのは請う願い。

「―――愛してる・・・」

唇を離してそう告げると、甘く蕩けそうな微笑が現れる。

胸を締め付けるのは甘い焦燥。

君がオレにくれたモノ以上のモノを、オレはどうしたら君に還せる事ができるのだろうか。

君から奪った君の世界の代わりに、オレは何を与えれば良いのだろう・・・。

―――答えはまだ見つからない。

目の前の画面に次々と映し出されていくのは、いくつもの記号と数字。

スクロールして内容を確かめて、マウスでクリックすると傍のプリンターから印字された紙が弾きだされる。

機械音が止まった所でビッと破って、後ろで待っていた者に無言で差し出す。

「・・・お流石です。この短期間でこれだけの実績を出されるとは、大翁もお喜びになられるでしょう。」

静かに告げられる言葉に、苛立ちも沸いたが、これで漸く舞台が整ったのだと思えば、我慢も出来る。

誰かの檻の中で、飼われたまま一生を終える気などないし、真っ平ごめんだ。

未だにポンコツな身体を煩わしく思うが、それでも傍に居る為には必要な『器（もの）』。

この腕が無ければ、愛しい者を抱き締める事もできないから。

「―――お爺様が喜ばれるかどうかは、理解らないぞ。」

最初に力が欲しいと言ったのは、自分だ。

寡黙で有能な執事は、何も言わずにそれを与えてくれた。

物凄いスパルタであったけれど・・・。

「天羽家の血筋がどれだけ有能なのかをお分かり頂ければ、十分ではありませんか？」

案の定、喰えない返事が戻ってくる。

だからこそ、この家の執事長を長い間務めてこられたのだろう。

「血筋を残せば良いのだろう？文句は言わせない。お爺様が望むのはそれだけだ。だからこそ、あんな暴挙を平然と行ったのだからな。」

「・・・時貞様。」

「呪われた家系。誰かの犠牲の上に繁栄してる最悪の血を、大事にしている連中には反吐しかでない。いっそ、総てをぶち壊してやりたい。」

怒りにまかせて吐き捨てるようにそう言うと、伏せ目がちだった視線が真っ直ぐに向けられる。

その長い年月を越えてきた深い眼差しが、細められる。

「それが、貴方様の本当の望みなら、そうなされば宜しいでしょう。」

「檜原？」

「―――ですが、浅川さまは御自分が犠牲になられたとは仰られないと思います。あの御方を理由になさるのはお止め下さい。」

落ち着いた声で告げられた言葉に、羞恥が沸いてくる。

「私が時貞様にお教えした事は、もっと有効な事に御使い下さい。どうか、御自分の幸せをお望み下さいますように。」

一歩下がってそう告げると、誰よりも時貞の事を理解している執事は一礼して部屋を出て行った。

どうやら、考える時間を与えてくれたようだ。

昔の自分だったら、あっさりとブチ切れてそこ等中の物に八つ当たりして、目茶目茶に暴れていた。

今も、出来る事ならそうしたい。

それでも、抑えきれない感情ではなくなっている事にも気付いている。

カチャ・・・と小さな音が聞こえる。

何しに戻ってきたと視線を向ければ、そっとドアから顔を覗かせたのは誰よりも大切な君の姿。

「―――拓ちゃん？！」

「・・・あ・・・あの・・・そろそろ、お茶を、―――って思って・・・でも・・・」

困ったように困惑する君に、浮かぶのは自嘲。

「・・・入ってきて。」

「邪魔じゃない？檜原さんは大丈夫って言ってくれたけど・・・」

オズオズと問い掛けてくる君は、いつだってオレの事を一番に気にしてくれる。

この部屋にいる時はオレが仕事をしている事を知っているから、滅多にこないのに、珍しいと思ったら、日課のお茶の時間をすっかり過ぎていた事に、壁掛け時計で理解った。

「おいで。」

椅子に座ったまま両手を広げて、請う。

今は何よりもその温もりが恋しい。

「あの・・・でも、僕、呼びに来ただけで・・・。お茶もあっちに用意してあって・・・」

困ったように目線をずらしながらも、そっと近付いてきた身体を、両腕で抱き締める。

「・・・時貞、くん？」

「暫く、こうしてて。」

「・・・うん。」

ギュッと抱き締めて、肩口に顔を埋めてその全部を確かめる。

戸惑った声でも、君は逃げたりせずに、オレの望むままに大人しくしている。

「仕事って、大変・・・？僕にも、何か出来る事・・・ないかな？」

気遣うように問われる言葉が、耳に心地良い。

それだけで、構わない。

こうやって傍に居て、オレの腕の中にいてくれたなら、他には何も望まない。

だから・・・。

「・・・出来る事？」

「えっと・・・大した事は出来ないと、思うけど・・・」

顔を上げて聞き返すと、途端に頬を染め上げた君の顔が視界に映る。

「―――なら。キス、してよ。拓ちゃんから・・・」

望みを口にすると、その顔が更に真っ赤になって相変わらず大きくて綺麗な瞳が零れ落ちそうに見開かれた。

「・・・ダメ？」

少し強請る様に告げると、ギュッと照れたようにオレの肩に顔を埋めて逃げてしまう。

「―――ズルいよ・・・そんなの、反則・・・」

消え入りそうな声で、トンと軽く叩かれた胸が甘く響いた。

その小さな身体を抱き締めて、柔らかな髪にキスしながら、辛抱強く待つ。

やがて、綺麗に染まった顔のまま、困ったように向けられる眼差しが、それでも真っ直ぐにオレを見詰める。

「・・・目、、、閉じて・・・」

震える甘い吐息みたいな声が唇から零れ落ちたから、促されるままに目を閉じる。

そっと触れた個所は、羽のように軽くてあっという間に離れてしまう。

その感触を忘れたくなくて、追いかけるように口付けた。

「・・・っ！！」

腕の中でビクリと身体が震える。

驚かせたと理解っていても、突き上げるような衝動は収まらない。

その甘くて蕩けそうな吐息まで全部飲み込まなければ、気が済まない。

縋る様な指先が、しがみ付いていた服から離れるまで・・・。

君は知らない。

オレの汚い心も、狡猾な想いも・・・。

確かに、オレの身体の中には悍ましい血が流れているのだろう。

君が気付かない内に、君を手に入れる為に、オレが何をしているのか。

優しい君がオレを思い遣って、犠牲じゃないと言ってくれるのを理解っていて、その全てを手に入れようとしているのに・・・。

オレの生死が、一番君を縛り付けているのに、その傍らに居たいから、君を手放せない―――オレが一番の悪の罪人。

＜あぁ、神様。

生きる事を望むのが罪だというのなら、オレを生かす為に総てを奪われた君はもう十分に罰を与えられている。

だから、オレがこの手で幸せにする事を、どうか許して欲しい。＞

口付けを交わしながら、想いが湧き上がる。

他のどんな事よりも、一番大切な―――『願い（イノリ）』。

神の教えに逆らう事しかできないオレが、神に祈る事すら、反逆なのかもしれないけれど・・・。

喩え、自分は地獄に落ちる事になっても構わない。

だから、祈り―――懇願する。

抑えきれなくて溢れた想いは、雫になって零れ落ちる。

その雫は、息が続かなくて気を失ってしまった君の頬にポタリと落ちた。

　　　　戻る