10.君が歩いてきたみち

柔らかな陽光が窓から差し込む。

日が当たるソファーの上で、“兄弟”たちと一緒にまどろむ様にうとうとしている君の姿。

オレの傍に居るのを選んだ君は、特に何をする事もなく・・・一日中オレの傍で。

ただ時間が過ぎていくのを受け入れているだけ。

君を籠の鳥にしてしまってから、もう一年が経つ。

それは、オレが君の時間を一年奪ってしまったという事。

手中の大切な存在。

手放す事はもうできないけれど・・・このまま君から自由を奪い続けるわけにもいかない。

この小さな世界の中で、二人っきりで過ごすのは、オレにとっては楽園だけど・・・君には違う。

雁字搦めに鎖で繋がれたまま、オレを選んだ君に、あの時どれだけの選択肢が与えられたのか。

多分・・・他に選ぶものは無かっただろう。

それでも、君はそれを受け入れてくれて・・・どうなるか理解らないオレを救ってくれた。

何度も、何度も、何度も。

苛立ちと負い目と焦燥で、何度も破壊行動に突き動かされるような衝動に陥ったオレを、君はずっと傍に居て支えてくれた。

何の見返りも求めずに・・・ただ想いだけを与えてくれた。

春・夏・秋・冬。

四季の移ろいと共に・・・想いが重なって。

一緒に過ごした時間は、オレを全部治してくれた。

身体も―――心すらも。

未だに医者には世話になるし、折れてしまった指は、元のように動く事は恐らくできないままだけど。

旋律も『音色（コエ）』も失くしてしまったけれど・・・。

もっと大切なモノを、オレは見つけて手に入れる事ができた。

だから・・・。

「―――っっ！！これっ？！」

目の前に置かれた書類に、君は顔色を変えた。

そうして、怯えたようにオレを見る。

そんな顔をさせたかった訳じゃない。

だから、微笑う。

「今からなら、４月から２年に編入できるから。」

「・・・どうして？」

「拓ちゃんに、必要だから。」

震える声。

細い肩が更に儚く思えるほど、君が小さく見える。

オレは、気持ちを抑えて君を抱き締めた。

「ボクはっ・・・！・・・時貞くんの傍に・・・」

一瞬、強く何かを言いかけた君が、唇を噛み締める。

そうだね・・・気持ちや感情や言葉すら、君は押し殺してしまう。

だからこそ、この方法を取った。

「そう。勿論、オレには拓ちゃんが必要だから、ここから通ってもらうよ。学校に行っている時間以外の拓ちゃんは、全部オレのモノだから。」

「―――時貞くん？」

「・・・それでも、良いかい？」

「・・・待って・・・ボク・・・まだ、良く理解らない・・・。どうして？・・・今更・・・」

そっと、オレが聞くと、君は何度も頭を振る。

不安そうに呟く君の身体が小刻みに揺れる。

「本当は、行かせたくない。ずっと・・・この腕の中に閉じ込めて、誰にも・・・何処にも。―――だけど、止まった時の中で生きていく事はできない。それは、死んでいるのと同じだから。オレは、ずっと考えてた。どうすれば一番良いのかって・・・。」

「・・・時貞くん？」

君の身体をきつく抱き締める。

頭では理解っているのに、感情が追いつかない。

君を失う事を無意識に恐れる身体が―――心が。

「拓ちゃんは知らないだろうけど・・・ヒロシだけじゃない。ここに来たのは・・・」

「え？」

「一杯・・・君を連れ戻しにやってきたよ。何度も何度も・・・。その度に、セキュリティに阻まれて、悔しそうに帰っていった・・・何人も。」

「あ・・・」

オレの言葉に、君の瞳が驚愕に見開かれる。

見る見る内に、その瞳から雫が溢れ出る。

君は優しいから、こんなたわいない事でも感情を揺り動かされる。

オレ以外の為に流す涙は、綺麗だけど―――見たくない。

「どうしよ・・・ボク・・・嬉しい・・・。」

「拓ちゃん・・・泣かないで。」

「だって・・・ここに居るのはボクの・・・我が侭で・・・だから・・・友達だけど・・・っ・・・」

感極まったように、君がオレに縋り付く。

喜びと困惑とが入り混じったような表情で、泣きじゃくる。

あぁ・・・誰かの為に涙を流す君を見たくは無いけれど・・・。

―――誰かの為に泣く君の姿は、なんて切なくて愛しいんだろう。

そんな君だから、本当にこの手の中から離したくはない。

籠から放たれた君が、何処までも行ってしまいそうだから。

「―――君を必要なのはオレだけど・・・君はオレだけのものじゃない・・・。オレはね、拓ちゃん。拓ちゃんの全てを諦めさせる為に、君の傍に戻ってきた訳じゃないから。一年も掛かってしまったけれど・・・まだ、全部を君に返す事はできないけれど・・・。家族を、奪ってしまったから・・・せめて、友達は・・・」

一言一言、区切るように想いを綴る。

声を発する度に、密かに疼く胸の痛みに気付かない振りをして。

「―――時貞・・・くん？」

涙に潤んだ綺麗な黒曜石の瞳が、オレを映し出す。

出会った時から全く変わらない澄んだ瞳は、オレの全てを暴くかのようにジッと見詰めてくる。

この瞳の前では、どんな嘘も吐けない。

吐きたくないから、オレは降参するしかない。

「なんて・・・奇麗事だな。オレは、拓ちゃんが傍にいないのは、考えただけで凄く寂しい。だけど―――良いんだ。」

苦笑すると、君は途端に顔を歪めた。

「・・・ボ・・・ボク・・・怖いよ・・・」

搾り出すように零れ落ちた君の『想い（ココロ）』。

「大丈夫・・・。オレから君を奪おうとやってくるのは、前の話なんかじゃなくて、今でもなんだ。だから、呼べば飛んでやってくるよ。」

「・・・違う・・・」

「拓ちゃん？」

「怖いのは・・・」

言いたくなかった事実を憮然と呟けば、君は震えながらオレにしがみ付いた。

「ボクが居ない間に・・・消えたりしない？―――ぜ・・・全部、夢だったなんて・・・言われたら・・・」

恐々と呟くその言葉は、本当に想像もしていなかった。

余りにも意識外だったから、一瞬頭の中が真っ白になった。

「―――は？」

「時貞くんの傍から離れても・・・そのまま消えていなくならない？・・・ごめんね・・・ウザイって思う、自分でも・・・。でも、君が居なくなるのは嫌なんだ・・・。君がここに居る事をちゃんと目で見て確認してないと・・・怖くて。」

「・・・たく・・・ちゃん？」

「どうしよう・・・ボクは臆病で弱虫で・・・こんなボク、時貞くんに嫌われる・・・よね？もっと、強くならないと・・・でも・・・怖い・・・どうしようもなく・・・怖い・・んだ・・・」

俯きながら、独白みたいに告げる、君の細くて白い項。

小刻みに震えるそれが、オレの視線をやけに惹き付けた。

不意に、胸の奥が熱くなって・・・眼の奥が焼け付くようで・・・。

あぁ・・・君はどうして。

どうして、こんなにもオレを喜ばせる存在なのだろう。

「―――My sweetheart darling at a fool.（馬鹿だなぁ・・・）」

「え？」

「Thank you.　my honey.・・・You are all of me.（ありがとう。君がオレの全て。）」

日本語で伝えるには、重くて恥ずかしくて。

ついつい使い慣れた言葉を使ってしまう。

君は困ったように意味を掴みかねてしまうけれど・・・。

それでも、安堵したように微笑うから。

だから、オレは真実を口にする。

君を安心させるように。

「オレは、消えないよ。君がそう望む限り・・・ここに居る。拓ちゃんが臆病だというのなら・・・そうさせてしまったのは、オレの罪。こんなに君を泣かせてばかりいると、オレは、神様に怒られてしまうよ。」

「な・・・泣き虫で・・・ごめん・・・ね。」

オレの言葉に、浮かんだのは困ったような笑みで。

一生懸命に涙を止めようと、力を入れる君の姿が・・・更にオレを追い詰める。

君は弱くなんか決して無い。

自分の為ではなく、人の為に啼ける君は―――誰よりも優しいだけ。

だから・・・ほら。

「―――うん。時貞くんが居なくならないなら・・・ここに居ても・・・帰ってきても良いなら・・・。」

顔を上げる君の瞳が煌く。

もう、その瞳は過去を振り返らない。

止まった時をぶち壊して―――『未来（さき）』を見ているから。

それが、眩しいと思ってしまうのは・・・寂しいと思ってしまうのは・・・。

オレだけの、我が侭。

咲き誇った桜が、ハラハラと舞い散る４月。

毎日、君はオレの手元を離れていく。

「あの・・・時貞くん。」

「大丈夫。オレはここにいるから。行っておいでよ。」

何度も振り返って・・・君はオレを不安そうに見上げる。

そんな君を、オレは笑って見詰める。

門の前―――まるでこれが永遠の別れのような雰囲気は、既に一週間続いている。

「だぁかぁらぁ・・・毎日、毎日。いい加減、慣れても良いよねぇ？俺の目の前でいちゃいちゃしないっ！！」

「・・・うぅ・・・でも・・・マー坊くん・・・」

「大丈夫って本人も言ってんじゃん。・・・ったく、殺しても死なねータイプなのに、こんなに拓ちゃん洗脳しやがって・・・！！」

迎えに来た同じガッコの金髪小僧が、ブツブツと呪いの言葉を吐いて、オレに向かってキバを剥く。

しょんぼりと肩を落とす君の姿は、思わず抱き締めて離したくない位可愛くて。

台詞と裏腹に―――オレは腕の中の温もりを離せない。

「・・・洗脳なんかじゃ、ないからね！」

必死に言い募る君が、誰よりも愛しい。

「理解ってる。愛してるよ、オレの大切なハニー。」

「ん・・・行ってきます。」

君はオレの“モノ”だと、見せ付けるように頬にキスをして微笑うと、君も漸く落ち着いて。

―――浮かぶ微笑と、別れの言葉。

それでも、少し不安そうに・・・名残惜しそうにバイクの後ろで何度も振り返る、君が。

だから、オレは手を振り続ける。

小さくなっていく君の背を、追いかけてしまわないように。

「―――あぁ。お前達も寂しいのかい？」

同じように見送る“兄弟”たちが、擦り寄ってオレを慰めてくれる。

オレよりも往生際の悪い彼等は、最初の日から君の服を噛んで離さなくて・・・。

オレの不安を一番良く知っているのは・・・お前達なのかもしれない。

一週間経っても、君を手放す感覚にまだ慣れないオレを気遣う。

「拓ちゃんが、卒業するまで・・・オレもする事があるから・・・」

街角に君の姿が見えなくなるまで見送ってから、クルリと踵を返す。

新しい時間を歩き出した君と一緒に歩いて行けるように・・・。

“何処までも何処までも―――一緒に。”

未来を口にするのも、考えるもの、少し怖いけれど。

君がオレに与えてくれた分、オレも君を幸せにしたいから。

「―――檜原。」

「・・・はい。時貞様。」

「二年あれば、大丈夫か？」

「―――理解りました。仰せのままに。」

歩きながら、声を出すと、いつの間にか背後にいたらしい檜原から返事が戻る。

否定の言葉を吐かないと言う事は、何とかなるようだ。

「もう、“お爺様”にとやかく言わせない。オレは・・・力を手に入れる。」

君をオレから離すもう一つの理由。

それは・・・君を本気で逃がさない為の布石。

誰にも文句を言わせる事無く・・・オレが君を手に入れる為に。

君が学校に行っている間に―――新しい力をオレも手にいれる必要がある。