「・・・目が覚めたのか？」

カチャッとドアを開けて入ってきた人物は、想像もしていなかった者だった。

それでも、意識を失う前に傍に居たのは、間違いなく彼で。

先ほどまでの、強い怒りの気を今は纏っていなかった。

静かな声だったけれど、視線を向ける事が出来ない。

―――声も出ない。

彼が、ここまで僕を連れてきた理由が・・・理解らない。

「―――急に、倒れるから焦って・・・。そしたら、セロニアスん家の執事が現れて・・・」

ボソボソと歯切れ悪く言う姿は、初めて見るものだったので、驚いたが・・・それ以上に伝えられた言葉に胸が痛む。

檜原さんは、君が居なくなった後も、君の残したもの全てに気を配って心配してる。

こんな僕の事までも・・・。

「・・・お前、セロニアスと・・・」

言いよどんだ言葉の先を彼が口にしなかったのは、何に対する遠慮なのだろう？

沈黙が部屋の中に広がっていく。

重苦しい空気が、気分を憂鬱とさせる。

ここは君との想い出が多過ぎるぐらいなのに、その存在は何処にも無い。

息が苦しくて、胸が詰まる。

シーツを握り締める指先から力が抜ける。

泣き顔を見られたくないから、腕で顔を覆ったけれど、今更な気もする。

「―――緋咲くんには・・・関係ない。」

それでも触れられたくはない。

たとえ、軽蔑されても、嘲られても・・・確かに、あの時間は僕の大切な記憶だから。

君が僕に残してくれたモノ。

「関係無くないっ！！」

「・・・っっ！！」

強い力に引き摺られる。

気付けば、目の前には怒ったような彼の顔があって・・・。

逃げる間もなく追い詰められる。

彼の瞳の中に滲んだ色彩は、確かに燃える様な“緋”。

その髪色である紫のイメージしかなかった僕には、初めて見るその【色】は、君と同じで。

その瞬間、君が彼を親友だと言っていた事を思い出して・・・理解した。

「ずるい・・・ずるい・・・っ！！約束をしたのは君なのに・・・一人にしないでって・・・ずっと一緒に居てって・・・僕の・・・僕の心を持っていったままで・・・。忘れたくても、忘れられないのに・・・君の言葉も、声音も、記憶も・・・今でもこんなに僕を支配してるっ！」

「―――拓？！落ち着け・・・っ！！」

「・・・時貞くんっ！！・・・ときさ・・・・っっ！！」

一瞬で溢れ出てしまった。

ずっと胸の奥に溜まっていた感情が、爆発する。

心が求めるままにその姿を追って・・・追いかけようとした身体が強い抱擁に包まれた。

同時に、声を奪うように塞がれた口に触れる温もりと感触に、鼓動が止まりかける。

そのままシーツに押し付けられたけど、抵抗する事なんか出来なかった。

それ位、衝撃が酷くて・・・全身が硬直していた。

指先一本自分の身体ではないような感覚。

「―――泣くな。」

低い声が耳に届いて、漸く自分が泣いている事に気付いた。

「・・・緋咲くんの所為、だよ。」

ボソリと呟くと、怖いぐらい真っ直ぐな視線が返ってきた。

睨み返したいのに・・・。

“目は口ほどに物を言う”

黙ったままなのに、その眼差しが余りにも綺麗だったから・・・目が逸らせない。

こんな風に、君と同じ眼差しをまた向けられるなんて・・・それが、選りによって彼だなんて・・・。

彼は君ではないのに―――。

「―――どうすれば、お前をアイツから奪えるんだ？」

掠れるように呟かれた台詞に、息が詰まる。

思ってもいなかった言葉に、一瞬意味を図りかねた。

「・・・な・・・何、言って・・・」

掴まれた二の腕に力が入る。

そこから伝わる痛い程の、感情。

ずるい。

「セロニアスはもういないのに、お前はアイツしか見てない。何時までも幻だけを追いかけ続けて・・・。」

ずるい・・・ずるい。

君たちは、誰も彼も僕の気持ちを考えてくれないから。

忘れても良いよ・・・そう、君が言う。

忘れたくないよ・・・そう、僕が答える。

忘れるんだ・・・そう、皆が言う。

忘れたくないんだ・・・そう、僕が答えているのに！

「―――俺を見ろ。恨んでも、殺したくなるほど、憎んでも良いから。死んだアイツじゃなく、生きているお前の世界に戻って来い。」

本当に―――ずるいなぁ・・・。

もう、逃げられない。

君との記憶の中だけで生き続けられない。

優しくて幸せで・・・暖かな温もりに包まれていたかった僕。

君を忘れない事で、君の所為にする事で、自分を守っていた僕の弱さを、彼は打ち砕いてしまった。