７月最初の土曜日。

梅雨の合間の晴天は、昨日までの雨の所為で出来た水溜りにキラリと陽光を弾いている。

待ち合わせの時間は午前１０時。

お互いの気持ちが重なってから、初めて示し合わせた今日は初デートの日。

「・・・お・・・可笑しくないかな・・・？」

待ち合わせ場所である公園の噴水前で、拓はもう一度自分の身支度を整える。

久しぶりにパーマを落としてストレートに戻した髪形の所為で、いつもよりも童顔になってしまうのは仕方ない。

それでも・・・ストレートの方が好きだと言われてしまえば、少しでも好まれる格好になりたい。

男として可愛いと言われるのは、ちょっと複雑な気分だけど・・・。

白地に肩の所に蒼いラインが入ったTシャツと、デムニ生地のハーフパンツ。

どちらも、母親が買ってきた物だが、同年代の友達は既に成人男子向けの服を着ている者も多いのに、拓の服は身長や体格が足りないのでまだジュニア用だったりする。

それでも精一杯のお洒落として、真新しい服を着てしまうのだから、自分はどうにかなってしまったのかもしれない。

『明日は、初デートだから。―――他の奴には絶対ェ内緒、・・・な。』

昨日の別れ際、他の皆に聞かれないように、内緒話するみたいにこっそりと耳元で囁かれた言葉が、蘇ってしまって頬が熱くなる。

普段、余り口に出さない相手が、たまに告げる言葉は本当にいつも拓の心臓をドキドキさせるから・・・。

そっと胸を押さえて小さく深呼吸する。

噴水の縁に座って、拓は熱くなってしまった頬を冷まそうと、噴水の中に指先を入れてポチャポチャと波立たせた。

どれくらいそうして遊んでいただろうか・・・。

＜遅いなぁ・・・＞

ちらりと側にあった時計を見上げると、時刻は既に待ち合わせの時間を遠に過ぎてしまっている。

気持ちが昂ぶってしまって、早くに家を出てきてしまった拓は、既に一時間近くここに居たりするのだ。

まだ真夏ではないけれど、空でにこにこしている太陽の所為で、それなりに日当りは暑い。

他の知り合いに見つからないように目深に被っていたキャップの所為もあって、暑さを思い出した途端に、汗が出てきた。

キョロキョロと辺りを見回しても、待ち合わせの相手の姿が見えないので、拓は小さく息を吐いてから立ち上がった。

噴水が見える位置で、木陰を探そうと思ったからだ。

幸い近くに丁度良い場所があったので、移動しようと足を踏み出そうとした。

「―――ちょっ！！」

突然に、グィッと腕を引かれて身体がぐらつく。

「・・・え？！」

「アブねぇっ！」

そのまま背後に倒れこんだ拓の身体を、ガシッと誰かが受け止めてくれた。

「・・・あ・・・ありがと・・・秋生く・・・・！！！」

その声で、相手が待ち合わせをしていた秋生だと理解った拓は、ギュッと瞑ってしまっていた目を開けて、振り返ってお礼を言おうとして・・・。

「・・・・・・・・・・・だ、誰・・・ですか？」

大きく目を見開いたまま硬直した。

だが、問われた相手も拓を抱えたまま、拓の問い掛けに硬直していた。

互いにピキーーーーンッと固まったまま―――時が止まる。

「――――オレだ。」

先に立ち直ったのは、秋生の方が早かった。

腕の中で無言のまま逃げようとした拓に、意識を覚醒させたようだ。

その言葉に、拓はさらに口を大きく開けて唖然とした表情になった。

またしても沈黙の時間が過ぎていく。

「―――――あ・・・秋生・・・くん？ほんと・・・に？」

やがて恐々と確かめるように小さく呟いた拓に、秋生は苦虫を噛み潰した表情のまま、静かに頷いたのだった。

人は―――髪型が変わるだけでこうも変わるものなのだろうか？

二人で往来で抱き合っているのも変に目立ってしまうので、二人は慌てて木陰になっているベンチへと移動した。

「・・・はぁ・・・」

鬱っとおしそうに前髪を掻き揚げて、疲れたように肩で息をしている秋生は、拓からしてみたら完全に別人だ。

転校してきて、初めて会った時からばっちりときつめのパーマをかけていた秋生は、それがトレードマークの様にその髪型を変える事は無かった。

たまに喧嘩をした時など、少しだけ乱れる事はあっても・・・海に入った時でさえ落ちなかったパーマが、とんでもない事になっている。

格好良いとは思ったが、逆に何だか別人みたいな違和感で落ち着かない。

しかも、秋生の機嫌も酷く悪そうなので、拓は口を開けなかった。

「やっぱ・・・可笑しいよ、な。」

漸く、息を整えた秋生が、ムッとした表情のままボソリと呟いた。

「え・・・？あ・・・」

目線を合わせない秋生の目元が赤くなっている事に、拓は漸く気付いて困ったように頬を赤らめた。

「・・・オメー、帰ろうとしたし・・・」

だが、続けられた言葉に本気で驚く。

「えぇっ？か・・・帰るなんて・・・そんな訳・・・」

ブンブンと大きく首を横に振って、拓は秋生の言葉を否定した。

「だってよぉ・・・オレが走って近付いてたのに、オメー立ち上がって・・・背中向けたじゃねぇかよ・・・」

「あ・・・あれはっ、暑くなっちゃったから・・・木陰に行こうと思って・・・って・・・ゴメン・・・走ってきてたのが秋生くんだって・・・ほんとに、全然気付かなくて・・・」

ガクゥッと肩を落として呟く秋生に、拓は慌てて言い訳をしようとして・・・語尾を小さくする。

確かに立ち上がった時に、走って近付いてくる人物の姿は視界に認識していたのだ。

まさか、それが秋生本人だとは全く想像もしなかっただけで・・・。

声を聞いて、まじまじと至近距離から言われなければ、多分誰も気付かないと思う。

それ程、秋生の格好はいつもと違った。

緩くウエーブの掛かった前髪は、耳の横のラインまで長くて、綺麗にセットされていて・・・途中から半分剃っている眉も、何故かきちんとそれなりに細く描かれていて、キリッとした表情は見惚れそうな程格好良い。

何処をどう見ても、彼が普段暴走族をやっている不良だとは思われないだろう。

しかも、着ている服も渋い色の麻のシャツを素肌の上から羽織っているような着こなしだし、幾つか身に着けているシルバーのアクセと似合ってて―――見ているだけで拓はドキドキしてしまった。

「・・・くそっ、あの馬鹿兄貴・・・何が、『デートするなら、マー坊とかにばれないようにしなきゃ、な。』だ！もう出掛けるって言ってんのに、人の事あちこち引き摺り回しやがって・・・」

直視しているのが恥ずかしくて目線を逸らした拓の仕草を見て、秋生はますます眉根を寄せて低く呟く。

背中に背負ったオドロ線は、今はいない兄に向かってどんどん広がって行くようだ。

ブツブツと呟いている秋生は全く気付いていないが、夏生の見立ては確かなようで・・・道を行く女の人がチラチラ秋生を見ている事に、拓は気付いてちょっとだけ苦笑する。

そうして、自分の格好を見直して、余りのギャップに落ち込んだ。

「でも・・・凄く格好良いよ、秋生くん・・・」

小さくポツリと呟く。

「・・・拓？」

「僕の方が子供っぽくて・・・一緒に歩いてたら、笑われちゃうね・・・」

困ったように笑う拓に、秋生は一緒言葉を詰まらせて・・・それから、表情を変えた。

「―――ばーか。でも・・・サンキュ・・な。」

「・・・っ！」

少しだけ屈んで、秋生は拓の耳元で、そう囁いた。

途端に、真っ赤になった拓がバッと身体を離して耳を抑える。

その動作に、ニッと笑って、秋生は大きな手で拓の頭をポンと叩いた。

「お前が嫌じゃなけりゃ、良いか。待たせちまって、悪かった。どっか行ってまず昼飯でも喰おうぜ。」

「・・・うん。」

秋生の言葉に、漸く拓も心からの笑顔を浮かべて見せた。

公園近くのファーストフード店で、ハンバーグセットを買って食べて・・・食後のデザートにソフトクリームを二人で食べた。

それから桜木町に行って、ゲームセンターで散々遊び倒した。

対戦ゲームやクレーンゲームにコインゲームまで・・・。

地元ではこんな風にゲーセンで自由に遊ぶ事なんて出来なかったから、凄く楽しくて・・・拓は始終ニコニコしながらゲームを堪能し
た。

実は途中で何度か絡まれそうになっていたのだが、拓が気付かない処で秋生が眼光を効かせていた事を、拓は全く知らなかったのだが・・・。

「ふふっ・・・一杯取っちゃったね。」

クレーンゲームの戦利品を抱えて、拓が屈託無く笑う。

その笑顔だけで、秋生は幸せだった。

ゲームセンターを出て公園に戻る途中で、空模様が怪しくなってきた事に気付く。

夕暮れにはまだ早い時刻、本来ならばまだまだ青に染まっている筈の空が薄暗くて―――。

見る見る内に立ち込めた暗雲が泣き始めるまで、そう大した時間は掛からなかった。

「・・・ヤベェ、な・・・」

ポツポツと地面にシミを作り出した雫は、やがて本降りへと変わる。

更に、公園内に駆け込む頃には土砂降りの状態になってしまっていた。

慌てて二人で側に在った大きな木の陰に逃げ込むが、既に服は大分濡れてしまった。

おまけに、急激に下がってきた気温の所為で、見る見る内に体温が奪われていく。

濡れて顔にへばり付いてしまった前髪を掻き揚げて、睨み付けるように空を見上げた後で、視線を拓に戻した秋生は、拓が身体を震わせている事に気付いた。

「―――拓？」

「ん・・・ちょっと、寒い・・・」

両手で自分の身体を抱くようにしながら、小刻みに震える拓の姿が秋生の保護本能を掻き立てる。

「もっと、こっち寄れ。」

グィッと引き寄せた細い二の腕は確かに冷たくて・・・秋生はそのまま拓をすっぽりと抱き寄せた。

「・・・あ・・あ・・・秋生・・く・・・」

「こうすりゃ、ちっとは違うだろ？」

耳まで真っ赤になって口をパクパクとさせる拓の顔を苦笑しながら見つめて、秋生は小さくそう言った。

「で・・でも・・・誰が見てるか・・・」

「あぁ？こんな急な雨ん中、他の奴等の事を見てるような酔狂な奴はいねぇよ。とっくに、公園から居なくなってらぁ。」

それでもしどろもどろ告げる拓に、秋生は言い聞かせるように呟く。

確かに、雨宿りできるような場所がない公園内は、すっかり人気が無くなっていた。

秋生の腕の中で、困ったように目線だけを回りに向けた拓は、その事を確認して漸く緊張を解いた。

そうして、そっと寄り添うと、確かに秋生の腕の中は温かくて心地良かった。

「うん・・・暖かい・・・ありがと・・・」

「お・・・おう。」

うっとりと拓が呟くと、秋生の口から微妙に外れた音程の肯定が漏れた。

一瞬、拓を抱き締めている秋生の腕に力が入って・・・。

―――屈み込むように姿勢を変えた秋生が、ゆっくりと拓の唇に自分の唇を押し当てた。

「―――さてっ・・・と、どうすっかな。」

話題を変えるかのように、顔を上げて、少し赤くなった秋生が呟く。

拓は一瞬の出来事に驚きの表情を浮かべて、声も出ない。

秋生が触れた自分の唇に手をやって、カアァッと綺麗に頬を染め上げた後で、恥ずかしそうに秋生の胸に顔を埋めてしまった。

仕方なく、秋生は拓を抱き締めたままで視線を駐車場へと向けた。

拓のバイクが公園に止めたままだったので、ここまで戻ってきたのだが・・・この状態では乗って帰る事もできないだろう。

秋生に関しては、夏生に振り回された所為で、すっかり待ち合わせの時間に遅れたので、ここまで車で送らせたから、今日はバイクではないのだが。

その秋生にしてみれば、このままずっと拓を抱き締めていても構わないのだが・・・（いや、むしろその方が嬉しかったりするが）・・・流石に、濡れた服のままでは身体に毒だろう。

秋生自身は別に少しも寒くなかったのだが、雨に濡れて拓のTシャツは、透けている上に肌に張り付いていて、それはもう見事に秋生の欲望を刺激しまくっていたりするのだ。

こんな生殺し状態で、ずっと我慢なんか出来る筈もない。

だからと言って、こんな場所で、こんな状態のまま手を出したりしたら、絶対に嫌われるのは目に見えていたので、秋生は自分の欲望ともずっと戦っていたのだ。

そんな風に悶々としていると、漸く土砂降り状態だった雨が小雨に変わった。

帰るのなら、今しかないと、秋生は腹を括った。

「―――拓。雨が大人しくなったから、今なら大丈夫だ。完全に止んでねぇから濡れっけど、もう服も濡れちまってるし、構わねぇよな、行くぞ。」

「・・・う・・・うん。」

走って駐車場まで来ると、ポツンと拓の乗ってきたバイクだけが置いてあった。

秋生はシャツの袖で手際よくシート周りを拭いてやる。

「・・・ちゃんと、運転できっかよ？気ぃ、付けろよ。」

「た・・・多分。でも秋生くんは？バイク・・・？」

「あぁ？ここまでアニキに送って貰ったんで、“足”ねぇんだ。オレは歩いて帰っから・・・」

「えぇ？だ・・・駄目だよ、そんなの！僕、送ってくから、後ろに乗ってよっ！」

会話の途中で、拓の表情が変わる。

苦笑する秋生に、拓はその腕を掴んで懇願するようにそう告げた。

半泣き状態で、上目遣いに見られると、流石に秋生も弱い。

「理解った。・・・んじゃ、オレが運転すっから、後ろ乗れ・・・な。」

「・・・ん。」

少しだけ眉を潜めて逡巡した後で、秋生は頷きながらそう言った。

途端に、拓の顔に笑みが戻る。

「良いか、しっかり捉まってろよ。」

前に乗った秋生にしがみ付くようにして、拓は自分のバイクのバックシートに座った。

こんな風に自分のバイクに乗るのは初めてで、改めて秋生の背中が凄く大きくて安心できる場所なのだと知った。

他の誰の後ろに乗った時よりも速いのに、全然怖くない秋生のライディングに拓は安心したように身体を預けた。

小雨のように降り続ける雨の所為で、すっかり濡れてしまっているのに、シャツ越しに伝わる体温が温かくて、拓は違う意味でずっとドキドキしていた。