君をさがしてた

『・・・俺、吸血鬼なんだ・・・』

『はい・・・？！』

突然の台詞に、拓は瞬間で固まった。

『―――拓ちゃんの血が欲しい・・・って言ったらどうする？』

それはそれは麗しい微笑付で言われ、拓はうーーんと考え込んでしまう。

銀髪に、血を思わせる“緋”い瞳。

確かにそれは、一般的な吸血鬼のイメージとあっている。

だが・・・透けるような白い肌ではない。

しかも、耳に付けているピアスはどう見ても十字架だ。

『また、そうやって驚かそうと思って・・・』

苦笑いしながら、拓はそう答えた。

途端に浮かんだ相手の自嘲気味な表情に気付くことも無く・・・会話はそれで途切れた。

――――それは、半月前の記憶。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

――――真夜中のベイブリッジ。

何かに導かれるように、気付いた時には拓はそこにいた。

そうして、目の前の惨状に大きく瞳を見開いた。

つい先程まで自分の部屋に居て、ベッドに入って眠りに就いた筈なのに・・・という疑問も吹き飛ぶほどの衝撃的な光景。

ボロボロになった時貞が、傷付いたまま横たわっている。

その全身から流れ伝う血が、アスファルトに血溜りを作っていた。

相当の出血量は、確実に時貞の命を奪いつつあった。

だらりと投げ出された四肢はピクリともしない。

「―――時貞くんっ！」

走り寄った拓は、近くで見るその酷い姿と匂いに吐き出しそうになった。

口元を押さえて、無理やり唾を飲み込むと、意を決して血溜りを避ける事無くしゃがみ込んだ。

不意に目頭が熱くなる。

胸がギュッと捉まれたように、息苦しくなった。

このままでは・・・時貞は助からない。

―――そう、識ってしまったから・・・。

「・・・ときさだ・・・くん・・・」

ポタポタと雫が零れ落ちる。

それが、時貞の頬に当たった瞬間・・・濃い陰影を落としていた長い睫が震えた。

ゆっくりと開かれた血色の『瞳』。

途端に、拓はドキリとした。

見た者に恐怖を与え、虜にする魔性の眼差し。

恐い程のそれを見るのは、初めての筈なのに―――懐かしい感じがして。

「・・・ぁ・・・」

小さな声が拓の唇から漏れた。

普通の人間なら即死とも言える状態なのに、時貞は起き上がったのだ。

そして、物凄い力で拓の腕を引き寄せた。

息も出来ないほどに、強くきつく抱き締められる。

「・・・ん・・・くるし･･･ぃ･･･よ・・・ときさだ・・・く・・・」

必死に拓が声を出すと、途端に時貞は拓を突き飛ばした。

突然の事に、受身の態勢が取れなかった拓は、アスファルトに倒れ込む。

「――――イタッ！」

いきなりな態度に、拓が訝しげに振り向くと、時貞は自分の身体をきつく抱き締めていた。

爪が肉に食い込みそうな程の力だ。

慌てて起き上がって近付こうとした拓を、時貞は拒絶した。

「ダメだ！！来るな、拓ちゃん！！―――クッ！！」

悲鳴のような声に、ビクリと身体が竦む。

「・・・もう、抑えられない・・・。逃げろ・・・」

苦痛に顔を歪めて言う時貞に、拓は足が地に付いたように離れなかった。

時が凍りつく。

同じ光景を、拓は“知”っていた。

目の前で、変化していく時貞の異形の姿。

漆黒の闇よりも尚暗い暗黒の魔性。

逆立つ銀糸に―――闇に輝く“緋”の瞳。

それは、確かに時貞だった。

だが、人ではないその姿―――。

最期の時を迎えようとしていた時貞の姿に、拓は魂の記憶を解放する。

それは、“前世”の記憶。

拓の魂が覚えていた・・・時貞の姿。

銀の髪に紅い瞳の哀しい魔の『想い』。

記憶に引き摺られるように、拓は時貞に近付いていく。

最期の瞬間・・・恐ろしい魔獣と化していく時貞に自分を捧げようと・・・。

それが、時貞を救う唯一の方法なのだと―――覚えていたから。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

「良いんだ・・・僕の血をあげる・・・だから―――死なないで・・・」

それは、強い願い。

狂おしいほどの“想い”。

死なせたくないという望みと、自分が死ぬだろうという恐怖に全身を震わせながら、それでも拓は逃げ出す事はしなかった。

抱き寄せられ、強い抱擁の中―――喉に突き立てられた時貞の牙が、拓の『命』を吸い取っていく。

消滅しない為に、防衛本能だけの魔獣と化している時貞は、意識が欠如してしまう。

だからこそ、拓を離そうと必死だったのだ。

それが、理解っているから・・・その優しさを知っているからこそ。

拓は自分を捧げても良いと思ったのだ。

―――ゆっくりと失われていく力。

薄れていく意識。

最後の力を振り絞って、拓は時貞の首に腕を回し・・・抱き締めた。

「―――――」

掠れた声には、“想い”を伝える術はなくて・・・。

ただ、ふんわりと浮かんだのは微笑。

そして、拓の意識はそこで途切れた。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

甘美な血の味に、時貞が自我を取り戻す。

そうして、自分の姿が元に戻っている事に気付いた。

途端に身じろぐと、力を失った拓の腕が外れて・・・スローモーションのように落ちる。

大きく見開かれる“緋”の瞳。

また拓を失ってしまった事と、自分が生き残ってしまった絶望が、全身を襲った。

「・・・ぁ・・・」

震える唇が、息を吐き出す。

胸が鷲掴みにされたように、激痛が走る。

それは、先程に事故った時の痛みとは比べ物にならない。

魂が抉られる程の―――喪失感。

「―――アアアアァァァッッ！！」

全身を掻き毟るようにして、時貞は我が身を呪った。

自分の呪われた運命を嘆いた。

「・・・拓・・・ちゃん・・・拓ちゃ・・・―――拓っ！！」

硬く閉じられた瞳はもう再び開く事はないと言うのか？

少し困ったように首を傾げる仕草も、気遣うように喋る優しい響きも―――失ったのだ。

「―――駄目だ・・・駄目だ・・・俺をまた独りにしないでくれっ！！」

零れ落ちるのは紅い『涙』。

泣けない時貞の慟哭。

魂が悲鳴を上げる。

拓の喉元に付いている牙の跡が、否応無く時貞を追い詰めていく。

自分が拓の『命』を奪ったのだ。

誰よりも愛した者を――――。

「ウオオォォォォォオオオゥゥッ！！」

咆哮のような絶望の叫びが、ベイブリッジの空気を震わせて、夜空に吸い込まれていった。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

「―――セロニアス！！」

闇に紛れるように、飛び込んできた影。

それは、紫の鬣を靡かせた。

そうして、現状を見て―――何があったのかを理解した。

慌てて側に近付こうとして、時貞に牙を剥かれる。

「寄るなっ！！」

拓をきつく抱き締めたまま、時貞は緋咲を拒絶した。

闇の中、蒼紫に光る瞳が、細められた。

「・・・テメーが、手にかけたのかよ・・・。」

苦々しい言葉が紡ぎ出された。

時貞は答えない。

だが、沈黙が答えなのだ。

緋咲は、迅速な動きで近付くと、時貞を殴り飛ばして拓を奪い取った。

拓の血を飲んだとしても、消滅しかけた身体に力は無く、時貞は飛ばされたまま起き上がれない。

「――っ！！」

そんな時貞を一瞥すると、緋咲は腕に掴んだ拓を診る。

完全に血の気の失った顔。

紫に変化し、硬く閉ざされた唇。

動かない鼓動。

涙の跡が、やけに痛々しく見えた。

「・・・人間って言う奴は、どうしてこんなに馬鹿なんだ・・・？」

きつく眉を寄せて、緋咲はギリッと唇を噛んだ。

「―――簡単に死んじまう癖に・・・命知らずで・・・。」

言いながら、緋咲は拓を横倒せる。

横になった拓の姿は殉教者のように、穏やかな顔をしていた。

恐怖が無かった筈は無い。

それでも、それを許したのだ。

歩いて時貞に近付いた緋咲は、長い爪で自分の腕を切り裂いた。

赤い血が流れ落ちる。

「―――飲め。」

時貞の目の前に、腕を突きつけるように差し出した。

ギリッと唇を噛んで時貞は緋咲を睨みつけると、顔を背ける。

滴り落ちる雫。

「このまま、テメーが消えたら・・・あいつは何の為に命を懸けたんだ？」

静かな問い掛けに、時貞は顔を歪めた。

「同じ魔族の血なら、他の奴を犠牲にしなくても済む。」

断言する緋咲に、時貞はハッとしたように顔を向け、蒼紫の瞳を凝視した。

揺るがない強い視線。

腕を滴り落ちる“朱”が、時貞の瞳を焼いて、意識を奪い取った。

伝う血を舐め取ると・・・そのまま時貞は緋咲の腕に牙を立てた。

「・・・くっ」

小さな呟きが漏れる。

食い込んだ牙は、ゆっくりと緋咲の“魔力”を吸い取っていく。

「テメー・・・やっぱ・・・ここんとこ『狩』りしてやがらなかったな・・・」

苦しそうにそう吐き出すと、緋咲はギリギリの状態を見計らって、時貞の頭を掴んで牙を外させた。

真っ赤に染まった二本の牙が、暗闇で怪しい光を放った。

顔を上げた時貞の瞳は鮮血の虹彩をしていた。

「―――ヒザキ・・・。」

口元を拭った時貞に向かって、緋咲は懐の中から包み紙を取り出した。

緑色の丸薬を取り出すと、緋咲は何粒かを口に含んで飲み込んだ。

そうして、残りを時貞に渡す。

「一族に伝わる秘薬だ。新月期の体力増強剤みてぇなもんだ。お前は、俺の血を吸った。―――このクスリとお前の戻った魔力を使えば・・・こいつを生き返らせる。」

真っ直ぐな眼差しと言葉が、時貞を貫いた。

「―――それは・・・。」

「禁忌と呼ばれている魔術だ。使えば、どんな副作用があるかも解らん。・・・だから―――お前が決めろ。」

それだけを告げると、緋咲はクルリと踵を返した。

そして、闇の中に跳躍した。

残された時貞は、手に入れた丸薬を握り締めたまま・・・ただ立ち竦むしかなかった。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

どれ程の時間が経っただろうか。

それは長い逡巡だったかもしれないし・・・ほんの少しの刹那だったかもしれない。

ゆっくりと動いた時貞は、横たわる拓の傍に膝を付いた。

完全に戻った“緋”の瞳が、拓の姿を映し出す。

決断を迫られている。

復活させられる時間も限られているからだ。

余りにも時間が経ってしまうと、肉体の方が崩壊を始めて使い物にならなくなってしまう。

「・・・拓ちゃん・・・」

恨まれるかもしれない。

憎まれるかもしれない。

―――呪われた運命を、受け入れられるだろうか？

それでも傍に居る事を、許されるだろうか・・・。

今まで感じた事の無い恐怖が、時貞を覆っていた。

拓に嫌われる事・・・それは、全てを失う事と同じだから・・・。

それでも。

喩え、禁忌を犯してまでも・・・。

―――拓を失えなかった。

丸薬を口に含んで、噛み砕く。

そっと拓を抱き上げると、そのまま時貞は拓の喉元に口付けた。

牙を使って、薬を拓の体内へと浸透させていく。

既に事切れている拓に、薬を飲ませる確実な方法はこれしかなかったから。

―――同時に、十分に戻った自分の“魔力”も流し込んでいく。

拓の魂を取り戻す為に・・・。

それが、決められた『生命』の輪廻から、拓の命を外してしまう意味を持っている事になろうとも―――。

「―――時貞さま・・・。」

静かに掛けられる声。

答える事も無く、時貞は拓を抱えたまま立ち上がった。

そうして、闇よりも黒い車の中に乗り込んだ。

そのまま、まるで見えない翼が生えているかのように、車は夜空へと走り出した。

後には、事故の痕跡など欠片も無く・・・ただトラックだけが悪い夢から覚めたかのように取り残されていた。

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遠く離れた場所で、バイクに跨っていた姿が、空を仰ぎ見る。

暗闇に紛れて飛んでいく車の姿を、”蒼紫”の瞳が映し出した。

「・・・それが、お前の答えか―――セロニアス。」

咥えタバコをしたまま、紫煙を吐き出す。

ほんの少し、口端が持ち上がった。

鬣のような紫の髪を靡かせて、緋咲は走り出した。

夜の闇の中・・・失わずに済んだ同胞と、新しい“仲間”の誕生に、祝杯を挙げたい気分だ。

それが、どれ程重罪で在ろうとも・・・どうせ救いなどない『存在』なのだから―――気にする事はないのだ。

日差しの中で生きる事はできないが・・・夜の世界も満更嫌いではないから。

力の源である月光の輝きが、全身を包み込む。

満月のように溢れ出す程のものではないが・・・酷く気分が高揚しているのが感じられた。

夜の街を疾駆するマシンは、まるで鋼鉄の翼のように鈍い光を放っていた。

　
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