ベッドの上、横たわった拓の姿を月明かりが照らす。

汚れた服を着替えた時貞が、ベッドの端に腰掛ける。

時貞の傷はもう完全に治っていた。

傷跡すら残ってはいない。

ジッと見つめる“緋”の瞳が哀しげに細められる。

拓の鼓動は戻っている。

気が付くのも時間の問題だろう。

眼が醒めた時・・・時貞は全てを拓に話さなくてはならなくて・・・。

「―――拓ちゃん・・・。」

もう二度と笑い掛けてくれないかもしれない。

時貞を拒絶するかもしれない。

その恐怖が、どうしても拭えない。

瞳を開けて自分を見て欲しい。

―――哀しませたくはい。

葛藤が巡る。

もう賽は投げられてしまったというのに。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

ずっと捜していた。

ずっと焦がれていた。

たった一人の・・・唯一の『魂』。

それが、拓。

失ってしまった時の絶望が、全身を震わせる。

漸く巡り会えた魂を再び失うという恐怖が、時貞を狂わせたのかもしれない。

同じ思いをさせたくない。

人とは違う永い時間を孤独に生きなければならない宿業を、拓に背負わせてしまったのは、間違いなく時貞のエゴでしかないから。

それでも・・・。

どんな言葉を繕っても・・・。

―――失いたくなかった。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

「・・・ん・・・」

小さな吐息が零れる。

ゆっくりと拓が覚醒していく。

瞬きもせずに、時貞はその時間を凝視した。

―――時が止まる。

息苦しい程の緊張が、空気を震わせる。

ピクリと瞼が動いて、徐々に開かれるその瞳。

黒曜石の輝きの中に、混じる“翠”。

「・・・時貞・・・くん・・・？」

違和感に、拓も気付いたのかもしれない。

不安げに揺れた目線が、時貞を捕らえた。

「・・・拓ちゃん・・・。」

「―――ボ・・・ボク・・・生きてるの？」

小さな問い掛けに、時貞は言葉に詰まる。

「・・・ごめん・・・。」

ただ謝る事しかできない。

拓が目覚めてくれた喜びと・・・真実を告げなくてはならない苦しみが時貞を覆い尽くす。

止められない涙が零れた。

「・・・時貞くん・・・どうしたの？」

不思議そうに拓は時貞を見た。

その姿は、意識を失う前とは違い、いつもの時貞に戻っている。

怪我の方も、どうやら大丈夫なようだ。

血を吸われた時は、凄く怖かったけれど・・・時貞を失わずに済んだ事が、一番安心できた。

「―――良かった・・・時貞くんが消えちゃわなくって・・・。」

ホッと、息を吐き出すように告げる拓の言葉に、時貞は弱々しく頭を振った。

「ごめん・・・拓ちゃん・・・ごめ・・・」

ポタポタと零れる涙に、言葉が詰まる。

「俺は・・・拓ちゃんを死なせたくなかった・・・失いたくなかった・・・だから・・・。」

「・・・時貞・・・くん・・・？」

時貞の言葉に拓がその訳を問い質そうとした時、異変は起こった。

ドクンッと、大きく拓の鼓動が鳴った。

同時に、全身に激痛が走った。

「―――ッ！！」

息が詰まる。

全身の血が逆流して、細胞がバラバラになりそうな痛み。

言葉も無く拓は身悶えた。

「・・・拓ちゃんっ？！」

拓の様子がおかしい事に気付いた時貞が、慌てて覗き込む。

救いを求めるように時貞の服を掴んだ拓の指先が食い込んでくる。

喉を押さえながら、大きく口を開けて息をしようとしているが、上手く呼吸が出来ないようで、どんどんと血の気が引いていく。

森羅万象の秩序ある世界からはみ出した『魂』を、肉体が拒絶しているようだった。

このままでは、魂と肉体とのバランスが崩れて、消滅してしまう。

きつく閉じられた眦から涙が溢れる。

苦しげな拓の様子に、時貞は強く拓を抱き締めた。

死者を復活させる事が『禁術』なのは、弱い人間では強い“魔”の力に器が持たない事の方が多く・・・また気が狂ったり・・・後遺症を残す不完全な魔物と成り果てる確立が高い所為でもあるのだ。

もしもこのまま拓が消滅するようならば、自分も生きてはいない。

・・・生きていく事は出来ない・・・。

深い意識の底に沈めていた筈の記憶が、ゆっくりと覚醒していく。

救いの無い世界で、今まで生き続けてきたその『約束』。

―――掛け替えの無い清らかな魂を失ったあの時。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

『――――君は・・・生きて・・・セロニアス･･･。』

業火の中、事切れる寸前に告げられた最期の言葉。

その言葉だけで、今日まで生き永らえて来た。

再び失う事に・・・拓のいない世界を生きていく事にもう耐えられえないから。

ギリッと唇を噛み締めると、途端に血の匂いが漂う。

ふと、唇に触れる感触。

驚いて意識を戻すと、拓が時貞を見ていた。

―――黄金の瞳で。

驚くよりも早く、唇が重なる。

変貌を遂げる肉体が、“魔力”を欲しているのだと、気付いた。

舌を絡めて、口内を探ると、小さな牙が生まれている。

納得がいった時貞は、爪で自分の喉元を切り裂いた。

途端に鮮血が溢れ出る。

「―――好きなだけ飲めば良い・・・。」

血に誘われるように拓は時貞の喉に唇を寄せた。

そうして、牙が突き立てられた。

ゆっくりと吸われていく“力”。

ゾクゾクと身体が沸き立つ。

初めての感覚。

どんな薬よりも・・・どんな相手とのセックスよりも興奮した。

先程吸った拓の甘美な血の味が蘇って、喉が鳴った。

血を吸い・・・吸われる・・・。

互いの身体の中に、同じ血が流れるという事。

それは、どんな“絆”よりも深い繋がり。

ただ一人・・・半身と定めた相手だけと分け合える悦び。

治まらない興奮に、時貞は拓の顔を上げさせるとそのまま口付けた。

血の味が口内に広がっていく。

お互いに貪るような口付け。

血を飲んで完全な“魔”と化した拓は、月明かりの中で輝いて見えた。

妖艶な雰囲気が、時貞を誘う。

口角に付いた血を舐め取る舌の動きに、目が奪われた。

互いに求め合うように縺れ合ってベッドに倒れる。

ギシッとスプリングは軋んだが、シーツの波は二人の身体を優しく誘い込んだ。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

絡んだ指先はきつく―――。

重なった身体は、より深い“絆”を求める『儀式』。

求められるままに、時貞は自分の“想い”と共に“魔力”を拓に分け与えた。

『・・・拓･･･。』

時貞がその瞬間に浮かべたのは、至福の微笑み。

意識を失った拓が、再び目覚める時―――

―――それは、新しい『一族』の誕生の瞬間でもあった。

　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

気だるげな感覚の中、拓は目を覚ました。

瞳に映る世界の違和感に、ほんの少しだけ眩暈を起こす。

そうして、起き上がろうとした途端に、走った痛みに顔を歪めた。

「・・・ボク・・・？」

薄暗い部屋の中で、拓は小さく呟いた。

更に、同じベッドの中・・・一緒に眠っていた者の姿に心臓が止まりそうな程、驚いた。

『・・・え？！どうして？！･･･』

余りの驚きに声も出ない。

銀糸のような髪が、シーツの波に絡んでいる。

その端正な寝顔に、拓は思わず見惚れてしまった。

彫りの深い顔立ち。

長い睫に縁取られたアーモンド形の目は、“緋”の輝きを秘めていて・・・。

そんな事を思っている内に、フルフルと揺れた睫がゆっくりと開かれて、その“緋”が拓の姿を捉えた。

―――時が止まったかのような緊張。

何かを言おうとして、起き上がった時貞が全裸な事に拓は目を見開いた。

そうして―――自分も同じ格好だと漸く認識して、慌てて布団を抱え込んだ。

耳の裏まで真っ赤になった拓を見て、時貞は目を細めて微笑した。

「・・・あ・・・あの・・・その・・・ボク・・・」

今にも泣き出しそうな拓を、両手でそっと抱え込む。

「―――昨夜の事・・・覚えてない？」

耳元で囁かれて・・・息が止まる。

バクバクと心臓が鳴るのは、抱き締められているからだけではなく・・・。

その腕がどれだけ力強く自分を抱き締め・・・甘く囁かれたのかを思い出してしまったから―――。

プシューッと湯気を出しそうな勢いで、拓はへなった。

全身から力が抜けてしまう。

「・・・怒ってるかい・・・？」

少し声を潜めて尋ねる時貞に、拓はギュッと目を閉じたままフルフルと首を横に振った。

痛くて・・・苦しくて・・・先にしがみ付いたのは拓の方だったから。

「―――ボク・・・吸血鬼になっちゃったの？」

時貞の血を吸った事も思い出して、拓は喉を鳴らす。

信じられなかったが・・・記憶はそれを否定する事を許さなくて・・・。

一瞬哀しげに揺らいだ時貞の眼差し。

それを見て拓は困ったように、微笑った。

「・・・そっか・・・。」

小さな呟きに耐えられなくて、時貞は拓を胸に抱き寄せた。

きつくきつく離さないように。

「―――これから、どうすれば・・・」

「俺の傍にいれば良い・・・。」

顔を埋めて小さく呟く拓の髪に唇を寄せて、時貞はそう言った。

「・・・良いの？」

「―――嫌だって言ったって、放さないよ。」

腕の中に包み込まれて、言われた言葉に、拓は漸く不安が消えた気がした。

驚いたけれど、時貞を恨んではいない。

ただ、どうしようもなく不安だっただけで・・・。

「やっと見つけた・・・ずっと、さがしてた・・・『唯一』だから―――もう、離せない・・・。」

吐息のように囁かれた言葉が、甘い響きを含んでいた。

「時貞くん・・・」

拓が時貞を見上げる。

金色に光っていたその瞳も、今は翠がかった黒に落ち着いていた。

薔薇色の唇が、薄く開いていて・・・。

―――誘われるように、時貞は口付けた。

「―――ずっと、一緒にいよう・・・。」

夢見るように囁いた時貞の言葉は、遠い日に言えなかった“詞”。

―――やっと叶えられた『約束』。

もう少し生きながらえるのも悪くない。

こうして・・・二人でいられるのなら・・・。

窓の外には星の見えない夜空。

ただ天空の月だけが“緋”く輝いていた―――。

　
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