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シークレット・ラブ
酷い苛立ち・・・それは、あの夜から始まった。
薄暗い国際埠頭“海の公園”・・・。
完全に叩きつぶした筈の相手に、まさかの逆転の一発を食らって・・・非常に不本意な結末を迎えなければならなくなった時から・・・。
ずっと頭の中から消える事のない―――“存在”。
チビという形容詞が、まるっきり当てはまる・・・見た目そのままの力しか持っていなかった筈の相手に、屈辱を受けた。
思い出してしまった忌まわしい出来事を、ムリヤリ消し去る為に、彼はくわえていたタバコを火の点いたまま手で握りつぶした。
ジュッと手の中で音がして、肉の焦げる嫌な匂いと共に、手の平が熱くなる。
火脹れになる痛みによって、漸く苛立ちが納まる。
怒りが納まる事は決してなかったけれど・・・。
絶対に忘れない・・・と彼は思った。
あの夜のクソチビの姿を。
自分が受けた屈辱以上の事を返してやらないと、きっとこの怒りは納まらないだろう。
―――それは、確信とも言える考えであった。
紫に染めた髪が揺れる。
待ち合わせの場所についてから、相手を呼び出すのはいつもの事。
だから、相手が先にこれる筈もないのだが・・・。
それでも、必死に走ってきて・・・自分の姿を見つけた瞬間に相手が浮かべる笑みが見たくて、毎度同じ行動を取る。
足元のタバコの数は、増える一方なのだが・・・。
待っている間に思い出すのは、色々な事。
過去の自分。
そうして、初めて出会った頃の事・・・。
あんなにも、殺してやりたいと思っていた筈の相手に、今では完全に捕まっていた。
“極悪飛童”と呼ばれていた横須賀『麓沙亜鵺』第十一第目の彼−緋咲薫−は、溢れ落ちた記憶に少しだけ自嘲した。
紫の髪に、顔の中央を横切るナイフ傷。
一度見たら忘れられない顔だちをしている彼は、恐ろしく激しくて凶暴な性格をしていたのだ。
それが、ここまで丸くなってしまったのは、『運命』の相手とも言える者に出会ってしまったから。
憎くて憎くてどうしようもなかった気持ちが、いつしか変化した時には・・・譬えようもない程の“想い”が彼を包み込んでしまったのだった。
愛情と憎悪は紙一重とは良く言われるが・・・どちらも相手を激しく思う事に代わりはない。
憎しみが消えた後に、残った感情がただ、それだけだった事・・・。
勿論、相手を取り囲む全ての事に対して、寛容にはなれないけれど・・・取り敢えず今はこうして会う事ができるだけで良いのだ。
最初は、徹底して、精神的に追い詰めてやろうと思っていたのに、まさか相手があんなに従順な性格をしているとは思わなくて・・・彼が長い間“敵”だと思い続けている『外道』の頭の“マブダチ”だと告げて歯向かってきたチビを、奪ってやろうと思っただけだった。
なのに、会う度に・・・気持ちを奪われていったのは緋咲の方だった。
抑えきれない感情は、あの日、いともたやすく爆発してしまった。
恐怖に怯えて、泣きじゃくる腕の中の小さな身体を・・・緋咲はメチャメチャにしてしまったのだった。
一生消えないだろう傷を、その身体に刻みつけてしまった。
そうして・・・最初に考えていた緋咲の復讐は果たされた筈だった。
なのに・・・全身を包み込んだのは、果てし無い程の“後悔”だけ。
信頼を裏切ったという事実と、成長しつつあった感情が粉々に砕け散った喪失感に蝕まれて、緋咲は自分が許せなくなっていた。
そうして・・・全ての決着をつける為に、『外道』の“頭”に戦いを挑み・・・その互いの“想い”の深さに、太刀打ちできない事を思い知らされた。
そこまで思い出して、彼は傷痕が残っている拳を握り締めた。
くわえていた煙草の煙を、吐き出す。
フーッと吐き出された紫煙は、ゆらゆらと空気に溶け込んでゆく。
「・・・緋咲くーーーんっ！」
タタタッと走ってくる小さな身体が見える。
顔を上げた緋咲は、相手に応えるように軽く右手を持ち上げた。
目が合った瞬間に、ニコッと見せた笑みに、自分の感情が和らいでいくのを感じながら・・・。
「―――ごっ・・・ごめんなさいっ・・・待たせちゃって・・・」
緋咲の元に辿り着いたチビが、困ったように微笑う。
最初に出会った時とは、全く違う表情で。
「否・・・そんなに待ってねぇ・・・」
煙草を足元でもみ消すと緋咲はボソリとそう告げた。
彼の足元に散らばっている煙草の数は、彼の言葉を拒否していたのだが・・・。
ますます困った顔となりそうな相手に、緋咲は少しだけ苛立つ。
そんな顔が見たい訳ではないのだから。
「直ぐに・・出てきたんだけど・・・」
尚も気にする相手の言葉が、聞きたくなくて・・・緋咲はその唇を摘まみ取った。
「―――理解ってる。」
唇を離して、前髪をクシャッと掴むと、相手は真っ赤な顔をしてコクンと頷いた。
そんな相手の態度に、緋咲は愛しさが増していくのを止められなかった。
浅川拓―。
それが、チビの名前。
『外道』の“頭”の親友で、『爆音小僧』と深く係わっているらしい横浜中の族の中で、極めて重要な位置にいる“存在”。
緋咲の唯一の“マブダチ”である“龍神”までも、魅了した者。
そんなにも凄い奴等に、想いを寄せられている事にも気づかずに、拓は緋咲の“想い”を受け止めた。
それは、正しく“早い者勝ち”の状態ではあったのだが・・・。
結局最初の思惑通りになったのだから・・・緋咲に文句は無かった。
ただ、ここまで拓に傾倒してしまったのが、想像できなかった事と、二人っきりに中々なれない状態には、閉口していた・・・。
本当に、一体何処から沸いてきた？と言いたくなる程、拓の周りにはいつも誰かが纏わりついていたのだ。
そうして、緋咲の邪魔をするのだ。
だから、“横浜”の連中は緋咲にとって皆【恋敵（ﾗｲﾊﾞﾙ）】であった。
「・・・緋咲くん？」
どうしたの？という風に問いかける拓には、決して理解らない悩みである。
だから、緋咲はこの他人の気持ちに酷く鈍感な拓に、苛立ちながらも安心していた。
勿論、いつ実力行使に出るか理解らない連中は、不安だらけの対象であったけど。
「何でもねぇ・・・。」
折角久しぶりに二人っきりになれたのだ。
わざわざ嫌な事を考えなくても良いではないか。
そう気を取り直して、緋咲は拓の肩を抱き寄せた。
こうして、この腕の中に“存在”がある。
“独り”だった緋咲にも、護る存在ができたのだ。
尤も、守られるのを許容する程、弱いチビではなかったけれど。
喧嘩や暴力はキライで、平和主義者だけど、“トモダチ”の為にはいつでもその小さな身体を張って、決して『力』に心を屈伏されない『強さ』。
ひょっとしたら、あの夜・・・初めて出会った夜から、緋咲はそれに牽かれていたのかもしれない。
それを決して認めたくなかっただけで・・・。
全ては、無駄な足掻きでしかなかったということか。
「今日は、何処へ行く？」
緋咲の問い掛けに、拓は少し困ったように微笑う。
「なるべく・・・皆に合わない所が良いなぁ・・・」
ボソリと呟くのは、いつもかち合った後で、悲惨な状況となってしまう為。
彼等の想いを気づかない拓には、何故彼等がいがみ合うのかが理解らなくて、胸が痛くなってしまうのだ。
できる事なら、皆仲良くしてほしいのだが・・・『族』同志で馴れ合う事がない事も理解っている拓はせめてその原因を作らないようにしたくて想いを口にする。
勿論、それは緋咲にとっても同じ想いであるのだが。
何しろ、彼は拓と二人っきりになりたいのだ。
だから、邪魔をしにくる奴がいない方が嬉しいに決まっている。
「ふん・・・。なら、八景島辺りでも出掛けるか。」
わざと、ぶっきらぼうにそう告げると、拓は途端に顔を輝かせた。
「うんっ！」
緋咲が自分の気持ちを受け止めてくれた事が嬉しい拓は、大きく頷いた。
思いどおりの反応を返す拓が、緋咲はますます可愛くてしょうがなくなってしまうのであった。
珍しく誰にも邪魔される事なく八景島シーパラダイスで散々遊んだ二人は、“横浜横須賀道路”を通って、緋咲のマンションまで戻ってきていた。
両親共に、海外で事業をしている緋咲は、昔っから一人だった。
譬えどんなに金持ちだとしても・・・報われない事は沢山あるのだ。
だから、同じ境遇にいた“龍神”とも、共感したのだった。
緋咲は、拓に過去の事を少しだけ話した事があった。
それは、横須賀の緋咲が何故横浜にいる“龍神”と友達だったのかと、何故、拓の友達である『外道』の“頭”と敵対しているのかを拓が知りたがった為で・・・。
それらに対して、嘘を交えずに自分の感情を応えた緋咲に、拓は泣きだした。
拳を傷めた為に、緋咲が失ってしまった“夢”に対して・・・拓は涙を零したのだ。
“龍神”の『音』を知っているだけに、拓は同じ“夢”を持っていた緋咲の立場が悲しくなってしまったらしく。
逆に、緋咲の方が慰める状態であった。
溢れ落ちる涙を、口づけでぬぐい取って・・・。
身体を重ねた緋咲に、拓はもう逃げなかった。
「・・・今日は、楽しかったね・・・」
フワリと笑う拓の言葉に、意識を戻した緋咲は口元を持ち上げる。
「誰も邪魔しにこなかったからな。」
頷きながら言う彼に、拓は耳まで真っ赤になった。
二人っきりだという事を、今更ながらに思い出したのだろう。
大きなカウチの隣に、座った緋咲をチラリと見てから、慌てて俯いている。
「・・・うん。・・・そうだね。」
慌てたように呟く拓は、水族館の事を思い出していた。
薄暗い通路の中で、一瞬ではあったが、緋咲が拓にキスしたのだ。
あの時・・・確かに拓はそういう言葉を口にはしていたのだが・・・。
“あの魚・・・なんか、キスして・・・って言ってるみたいだね・・・” そう言った次の瞬間の行為だった。
びっくり眼の拓に、緋咲はただ微笑っただけだった。
だが、拓にしてみればそれどころではない。
水槽の中に首をつっこんでしまいたいぐらい・・・顔が火照って仕方なかった。
館内が薄暗くて、本当に良かったとしみじみと思ったものだった。
「・・・拓。」
キスされて・・・先程の事を思い出した拓は、クスリと小さく笑う。
それに気づいた緋咲の視線に、何でもないと首を横に振って・・・その首に両腕を回す。
こういう行為が正しい事なのかどうかはまだ理解らなかったけれど・・・それでも素肌の温もりはとても優しいから・・・。
怖い事も何度もあった。
傷つけられて、悲鳴を上げて飛び起きた事もある。
それでも・・・拓は捕まってしまっていたのだ。
初めて見た時から忘れられない・・・紫の髪のシルエットに・・・。
いつもはディップで固めて、立てているその髪が、今日は拓と会う為に自然な流れのままとなっている。
少し眺めの髪が腕に触れて・・・拓は困ったように微笑んだ。
あんなに怖い目に合わされたというのに、拓は緋咲を選んでいた。
その強さに酷く憧れた、拓の友達である“秀人”の敵だと言うのに。
今も、緋咲と拓がこんな関係となってしまっている事を“秀人”は知らない。
裏切っている事になるのかな？・・・と胸が痛んだのは、最初だけ。
拓の知っている秀人なら、本気で拓がこの“想い”を説明すれば、きっと理解ってくれる筈だから・・・。
それが、甘えだとは理解っていたが・・・拓は緋咲の側から離れる事ができなくなっていたのだ。
最後の瞬間、緋咲は拓を拒絶した。
これ以上拓を苦しめないように、身を引こうとしていたのだ。
そうして次の瞬間、拓は自分でも信じられない行動を取っていたのだ。
離れようとした緋咲の“特攻服”の裾を掴んだまま・・・どうしても離す事ができなくなっていた。
拓はギリギリの状態で、頭で考えたのではなく・・・自然と全身で選んでいた。
どうしようもなく、緋咲に惹かれている事を自覚して。
―――その後、緋咲に捕まった。
・・・心も身体も・・・何もかも。
それを後悔する事は、未だにない。
周りの友達の一人一人に何故かばれてしまう度に、その度に沸き上がる手のつけられない程の修羅場には、泣きがはいったけれど・・・。
結局全ては、拓が決めた事なのだ。
だから、どんなに怖くても、逃げる事だけはしたくなかった。
緋咲の腕が拓を抱き締めたまま、二人で横たわる。
重なり合う唇が、離れた途端に、緋咲はそれを首筋に移動させた。
途端に、ピクリと拓が首を竦める。
それを気にする事もなく・・・緋咲は更に唇を辿る。
ゆっくりとボタンを外していき・・・露になった胸元へと唇を落とす。
途端に、カァアッと全身を染め上げる拓は、いつまでたってもこういう行為に慣れなかった。
またそれが、楽しくて・・・緋咲は口元を歪める。
途端に、顕れるのは独特の−笑み。
彼だけにしか造れない“ＳＥＸＹ”なそれに、拓はドキリとしてしまう。
そうして、その後は甘い蜜事が待っているだけだった。
徐々に火がついてきた全身から力が抜けて・・・全てを緋咲の手中に預けて、快楽に身を震わせて泣きじゃくる拓の肢体を抱き締めて・・・想いの丈を施していた緋咲は幸福だった。
素直に反応を返すその身体は、確かに今まで緋咲が抱いた事のある女とは全く違っていたが・・・それでもそれ以上の興奮が全身を包み込む。
「―――拓・・・」
甘く囁いて、少しきつくいたぶる。
苦しい程の快感に、何も考えられなくなっている拓を慈しむように抱き締める。
「ゃっ・・・あ・・・あっ・・・」
しゃくりあげながら、全身を強張らせる拓が、メチャメチャにしてしまいたい程愛しくて・・・。
自分も衣服を脱いで、その柔らかな素肌の温もりを感じようとした緋咲は、次の瞬間背筋に凍りつくような殺気を感じて、バッと振り返った。
「誰だっ！！」
決している筈のない第三者の気配を、敏感に感じ取った彼は、まだ快楽の波の中にいる拓を庇うように抱き締めて・・・扉に向かって言い放った。
「・・・“緋咲”ィ・・・ 」
怒りの形相も凄まじく・・・そこには怒りに満ちた“龍神”が仁王立ちしていた。
「セロニアスッ？！何で、テメェがここにいやがる？」
やばい奴に、最悪な状態で見つかったと思いながら、それでも邪魔をした相手に、食って掛かる。
スッと右手を差し上げた“龍神”こと、天羽“セロニアス”時貞は、ビキビキと額に血管を浮き上がらせて凍りつくような『緋』色の瞳で緋咲を睨み付けた。
「・・・うるせェゾ。拓ちゃん返せよ。」
シッュと投げつけられた物が、ストッとカウチの背もたれに突き刺さる。
鈍く銀色に光るのは、天羽の愛用のナイフだった。
次の瞬間には、二本目を持っている。
「フザけんなっ！拓は渡さネー！テメェこそ、勝手に“人”んチに入ってくんじゃねーよっ！！」
だが、ブチブチと切れた緋咲も、ナイフなんか眼中にないと言った様子で、怒鳴り返す。
「力づくでも奪ってくよ・・ヒザキぃ・・・」
「ハッ、やれるモンなら、やってみやがれっ？！」
売り言葉に買い言葉・・・その場は一瞬で修羅場と化した。
ボーっとしていた拓は、一瞬で甘い感覚がそげ落ちて、ザッと青冷めたまま固まってしまう。
人外とも言える強さを持った二人の本気の戦いは、拓にとっては脅威なだけ。
何故か被害がこないカウチの上で、乱れた衣服を胸に抱き締めたまま・・・ひーん(T△T;)と泣いている。
緋咲と関係を持ったのは・・・まだ数回。
周りの連中にばれてからは、本当に一度もないのだ。
秘められた恋人同志などとんでもない。
逢い引きすらできない二人の関係は、正しくロミオとジュリエット状態であった。
好きだから、一緒にいたい・・・。
そんな思いすら許されない二人では、全ての障害を越える事など・・・果してできるのであろうか？
頑張れ緋咲・・・負けるな緋咲！
“人生楽ありゃ、苦もあるサ♪” いつか二人っきりで過ごす甘い生活を“夢”として、イバラの道を突き進めっ！
―――ハッピイ・エンドは、もうすぐの筈だから・・・
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