ＳＥＸＹ　−ファーストコンタクト−

　その日、久しぶりに家にいた拓の元に、一通の手紙が届いた。
　紫という封筒の色に少々嫌な予感を覚えながら、それを裏にして、予感は確信へと変わる。
　・・・差し出し人の名がないのだ。
　一瞬、何も見なかった事にして、このまま捨ててしまおうかという考えも頭の中に浮かんだが・・・後々の事を考えるとやはり読んでおいた方が身の為とも思えた。
　軽い戸惑いの後、拓は腹を決めて、その手紙を読む事にした。
　震える指先で封を切りながら、拓は差し出し人の予想を立てていたが、拓の想像の範囲ではこんな色の封筒で手紙を出すような人物は存在していなかった。
　不意に浮かんだのは、最近連絡の取れていない秀人であったが、彼ならば手紙を寄越す前に迎えにくるだろうと考え直した。
　「・・・うーん・・・誰だろう・・・？」
　小さく呟きながら、便箋を取り出す。
　それはやはりうす紫のもので、掛かれている文字すら紫で統一されているという随分と凝ったものであった。
　普段余り見ない紫に目をチカチカさせながら、拓はその文章を辿る。
　次の瞬間には、瞳は丸くなっていた。
　『・・・な・・・なにぃーーーっ！』
　音にならない程の驚きの声が上がる。
　口をパクパクさせながら、呼吸困難に陥ってしまう。
　それから、書かれていた内容を完全に理解して、ザッと青冷めた。
　その上、一番最後に記されていた・・・手紙の差し出し人の直筆であろうサインに、目眩と脳貧血をおこしそうになってしまう。
　―――それは、そう呼べるのなら、『呼び出し』状であった。
　だが、それは拓にとっての地獄への招待状でもあったのだ。
　想像もしていなかった現実に、目の前が真っ暗になる。　何かの間違いかとも思い、もう一度書いてある文章を読み直したが、内容が変わる事はなく・・・自分の頬を抓ってみたら痛かったので、夢でもない事が判明しただけだった。
　『――――――なんで・・・？！』
　絶望的な呟きが、拓の口元から零れ落ちた。
　
　−浅川拓へ。
　
　　　今日の午後７時に、川崎駅前のサ店−アゼリア−まで一人でこい。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　緋咲　薫。−

　たった４行の短い手紙ではあったが、差し出し人の名前が、十分過ぎる程の役割を果していた。
　あの夜、"覚えていろ"と捨て台詞を残して去った相手は、自分がどう逆立ちしたとて、適う筈もない程強かったのだ。
　バイクの後輪で、頬を削られても膝を付く程度で、吹き飛びもしなかった・・・あの、緋咲からの呼び出しなのである。
　すっかり困った顔付きで、今にも泣き出しそうなまま、ただどうしようもなく立ち尽くす事しか、拓にはできなかった。
　脳裏に鮮やかに蘇ったのは、あの夜の恐怖と痛みと・・・夜の闇に映えていた、封筒と同じ色の、緋咲の髪の色だけだった。




　川崎駅前通り。
　喫茶店−アゼリア−
　そこは緋咲のお気に入りの店だった。
　更に、『頭』のお気に入りという事で、横須賀の暴走チーム『麓沙亜鵺』の溜まり場でもあった。
　夕刻、五時を過ぎると普通のサ店から、カフェ・バーに変わるというその店の一番奥まった場所の一角が緋咲の指定席だった。
　手元に置いてあった『ジョーカー』の箱の中から最後の一本を取り出すと、取り巻きの中からライターを持った手が伸びてきて、火を点ける。
　ふうっと煙を吐くと、チラリと視線を入口へと流す。
それから壁掛けの時計へと眼差しを移動させる。
　そんな動作を、もう３０分も前から、延々と繰り返しているのだ。
　恐らく、本人も気付かぬままに・・・。
　だが、取り巻きの連中は、緋咲が誰かを待っているのだという事をその動作によってすぐに理解してしまった。
　勿論、理解したとて、それを緋咲に確認するような勇気のある奴は、この場にいる連中の中にはいない。
　妙に緊張した空気が漂い・・・時が流れる。
　またしても緋咲が時刻を確認した時、それは丁度７時を示していた。
　何処かで、チャイムの音が鳴っている。
　カラン・・・と音がして、入口が開く。
　全員の視線が一斉に、そこに集中した。
　だが、そこにいたのは店に入ろうとした、ただのアベックだった。
　笑いながらドアを開けた彼らは、すぐに笑みを凍らせて・・・慌てて踵を返すとそそくそと出ていった。
　気の抜けた緋咲が、煙草の灰を捨てようと、視線をドアから外す。
　「なんだ、てめぇっ！！」
　突然、相賀の声がした。
　「お前、あの時の『チビ』・・・」
　「―――何しに、きやがったんだ？」
　次々とドスの効いた声が上がっていく。
　その声に引き付けられるように緋咲は視線を戻した。
　そうして、ドアの所でキッと自分を睨むように立っていた拓の姿を視界の中に捕らえたのだった。
　緋咲の口元に微笑が刻まれる。
　周りの連中は、拓の姿に二通りの反応に別れたが、持った感情は同じだった。
　拓の事を知らない奴は、自分達の『場所』に侵入してきた事に怒り、存在を知っている者は、あの夜の事を思い出して更にやばい状態である。
　何しろ、拓は『麓沙亜鵺』の天敵とまで言われている『横浜』最強の族『外道』の『頭』である鳴神秀人と『友達』状態であるし、あの夜もその『外道』のハチマキを締めて緋咲に"上等"してしまっているのだ。
　「"上等"だ　テメェッ！」
　「止めろ。」
　腰を浮かしかけた土屋を制したのは、緋咲の静かな一声であった。
　途端に、周り中が水を打ったように静まり返った。
　「・・・緋咲・・・さん・・・？」
　『ジョーカー』を指で消しながら、ユラリと緋咲が立ち上がる。
　その静かな態度が、嵐の前の静けさのようで・・一度でも緋咲のキレた所を知っている連中の恐怖を煽っていた。　持ってきた手紙をきつく握り締めて、拓はキュッと唇を噛んで勇気を振り絞った。
　少しでも口を開けば、声も出せない程脅えているのが相手に悟られてしまう。
　仕方なく拓は真っ直な視線で緋咲を見つめ続けた。
　「入ってこい。―――オレはこいつと"サシ"でつけたい話があるから・・・お前らは消えてろ。」
　ゆっくりと首を動かしてから、緋咲は周りで唖然としていた連中にそう命じた。
　『頭』の命令はどんな事でも『絶対』である。
　聞きたい事は山のようにあり、納得しきれないのだが・・チーム内で�ｂQの相賀と土屋はその命令を受け入れた。
　「"行く"ぞ、テメー等！」
　「トロトロしてんじゃねーゾッ！」
　屯っているメンバーを蹴散らすように追い立てながら、彼らはそれが日常茶飯事のように、裏口から全員出て行った。
　そうして・・・その場に残されたのは――二人。
　「こっちに、こい。こなければ、オレから行くゾ。」
　ゆっくりと足を踏み出した緋咲に、拓はビクッと身体を震わせた。
　膝がガクガクとなり、今にも力が抜けて跪いてしまいそうで・・・。
　どうなってしまうのかという恐怖と、思い出した殴られた痛みに拓は動く事ができなくなっていた。
　―――意識ではどんなに逃げ出したくとも、身体が言う事を聞いてくれないのだ。
　オロオロとしている間に、全身に威圧感を漂わせながら、緋咲は拓の目の前まで歩いてきた。
　「――――漸く"会え"たな・・・『チビ』・・・」
　ニイィッと笑われて、拓は心臓が止まるかと思ってしまった。
　「あの夜の・・・"カリ"を返したくて・・・随分と"捜し"たぜ。」
　緋咲の一言一言が、拓をジワリと追い詰めていく。
　クラッと揺れて、拓は後ろのドアに背中をぶつけた。
　まるで袋小路に追い込まれた獲物のように、もはや逃げ道は何処にもなかった。
　半殺しの目に合うかもしれないと思って、拓の目尻に涙が滲む。
　スッと緋咲の右手が持ち上げられ・・・
―――殴られるっ！―――
　そう感じた拓は、その衝撃に耐えようとギュッと目を瞑ってしまった。
　顎に手が掛かって・・・グイッと顔が持ち上げられる。　次の瞬間に、痛みではない衝撃が、拓の全身を駆け抜けた。
　『――――――！？――――――』
　驚愕と狼狽と困惑と・・・。
　その他諸々の感情が、拓の頭の中をグルグルと回って思考回路を根こそぎ奪い取った。
　全身の感覚は触れている一か所に、集中していく。
　それは、奪い取るような激しい−口付け。
　予想外の出来事に、拓は真っ白になってしまう。
　そんな拓と対照的なのは、やはり何処かうっとりとしている緋咲であろう。
　頭の中がショートしてハレーションを起こして全身の力を失った拓を、緋咲の両腕が引き寄せる。
　そのまま、包み込むように屈んで、緋咲は拓の耳元に唇を近づけた。
　「――――ずっと・・・お前が忘れられなかった・・・。」
　吐息のように囁かれた言葉の、意味を理解する間もなく・・・現実への拒絶反応が拓の総てを支配しきった。
　フェードアウト。
　薄れていく意識の中で、これが夢であってほしい・・・と最後の瞬間まで拓は祈り続けていた。
　
　意識を失った拓の身体が、緋咲の腕の中に崩れていく。　その身体を軽々と抱き上げて、緋咲は店の更に奥のドアへと向かう。
　そのままドアの向こう側へと緋咲の背中が吸い込まれていく。
　パタンと音を立てて、扉が閉まった瞬間に、緋咲は薄く微笑を浮かべた。

　―――それは、ゾッとする程セクシーだった。



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