ＭＯＯＮ　ＢＡＢＹ　（後編）　３


　夜空に輝く、満月の光り・・・。
　一瞬、それが強く光った気がした彼は、ふと頭上を見上げた。
　「・・・っ！！」　
　途端に、上から落ちてきた"モノ"に硬直するが、それが小さな子供だという事に気付いて、思わず両手でキャッチし直した。
　「・・・ふぅっ・・・ったく！！誰だ！危ネー事しやがんのはッ？！」
　見事にキャッチできた事に対して、ホッとしたのも束の間・・・落とした者に対して、怒りがこみ上げてくる。
　こんなに小さな子供を、一体どういうつもりで・・・という感情が、沸き上がってきたのだ。
　「――フザケンナッ！くそガキッ！！」
　そうして、階段を降りてきた者を見た瞬間に、それは増幅した。
　腕の中で怯えたようにギュッと抱きついてくる柔らかな"モノ"が、彼の保護意識をムチャクチャ刺激したと言っても過言ではなかっただろう。
　「そいつを、寄越せっ！」
　凄味を聞かせて近づいてくる相手に、彼は口端を少しだけ持ち上げて、更に深くチビを懐に入れてしまう。
　「――オマエ・・・オレに命令すんのかよ？」
　嘲りを含んだ口調で、静かに問いかける。
　途端に彼の背後に立ちのぼるオーラは、闘将の色。
　恐ろしい程の、迫力と威圧感を秘めたその姿。
　「テメェ・・・！！」
　彼の態度に、苛立ったような相手は、カッとしたように一気に下まで降りてきて・・・そうして、彼と対峙する。
　途端に、影となっていたその全身が視界に写って、次の瞬間に凍りつく。
　勝負は、一瞬だった。
　たった一発のパンチで、その者は一メートル程吹き飛んだ。
　「――相手を見てから、物言えよ・・・って、もう言えねぇか・・・」
　だらしなく伸びてしまったような相手に一瞥くれると、漸く、懐に隠していたチビを見やる。
　「・・・っ！！――」
　明かりの下で、その姿を見た瞬間、彼の全身に、衝撃が走ったのは言うまでもない事だった。
　「・・・たっ・・・拓・・・！！」
　先程の、落ちついた言葉や態度など、何処へ消え失せてしまったのか理解不能な程、しどろもどろな呟きが彼の唇から零れ落ちる。
　「いや・・・まさか・・・だが・・・」
　何度も首を横に振りながら、自分の中で自問自答を繰り返している彼の様子に、キョトンとした眼差しを向けていたチビは、突然に、にっこりと笑顔になった。
　そうして、彼の着ていた特攻服の裾を掴んで、クイクイと引っ張った。
　「―――んっ・・・？何だ？」
　可愛らしい仕種に、つい眼差しが柔らかくなる彼の表情を、彼の友人達が見たならば、大爆笑か大号泣であろう。
　それぐらい、珍しい瞬間だった。
　だが、自分の感情の世界から戻ってきた彼は、そんな事はお構いなしに、可愛らしいフリルの服をきた"チビ"が両手を差し出してダッコしてという仕種をするのを見て、素直にその通りにしてやった。
　「ナマエは？」
　小さく問いかける彼に、チビはニッコリと笑って口を開く。
　「―――タクミ♪」
　そのつり込まれそうな笑顔に、彼はクッと微笑を零す。
　似ているのは、顔だけではなかった・・・と。
　「そっか・・・タクミちゃんかよ・・・オレは、ヒデトだ・・・」
　「"ひー"くん☆」
　笑いながら秀人がそう告げると、拓実も全開の笑顔を惜しまない。
　拓実を抱っこしながら、そんな風に過ごしていると、突然ライトが二人を包んだ。
　「おーい、秀！何やってんだよー」
　「なになに、秀ちゃーんっ！早く行こーゼ！」
　何台ものバイクが回りに集まってくる。
　全員同じ特攻服で身を固めている所を見ると、どうやら秀人と同じチームの者らしい。
　背中の刺繍は"外道"。
　横浜最強を自負している、強者共だ。
　「あーーーっ？！何、秀ちゃん・・・その子、誰ぇーーーっっ？！」
　目敏い一人が、秀人の腕に抱かれている拓実を見つけて、驚いたように指差した。
　「誰って・・・？」
　「まさか・・・失敗したんじゃねーだろーな・・・・」
　あぁ？と言う表情で、回りを睨み付ける秀人に、一番付き合いの長い特攻隊長が、先を促す。
　勿論、秀人がそんな性格をしている筈はないと知っていながらではあるが・・・。
　「―――吉岡ぁ・・・何フザケた事言ってんだよ・・・」
　フルフルと肩を震わせる秀人に、やっぱりなという表情を浮かべる。
　「そーだよ、秀ちゃんが、そんなヘマする訳ねーだろっ！！」
　更に油に火を注ぐ奴もいる。
　「テメエ等、そんなに死にてーか？」
　低く低く言うリーダーはやっぱり怖い。
　ここにいる全員が束になってかかっても、絶対に勝てないだろうと理解っているからこそ、彼らは早々に白旗を上げた。
　「冗談っ！冗談だって？！」
　顔面ギリギリの所まで繰り出された拳が、とっても怖い・・・・
　しかし、よっぽどの事が無いかぎり、秀人が本気でチームの者を傷つけない事を知っているので、その怖さもそれ程ではないのだが・・・。
　「・・・しかしよぉ・・・」
　ジロジロと拓実を凝視していた吉岡が、ワザとサングラスを外して、意味深に呟く。
　「なぁーんか・・・誰かに、似てねーか？」
　ポツリと呟かれた言葉は、正しく確信をついており、秀人はギクリッと身を竦ませた。
　「あー・・・あいつ・・・えーっとあのチビっ！・・・何だっけ・・・名前・・・・」
　物覚えの悪い一人が、最初の勢いを消滅させながら・・・どうしても思い出せないというように、首を傾げる。
　「―――拓ちゃん、だろ。」
　「そう！そいつっ！」
　横から出された助けに、ポンと手を打つ。
　途端に、思い出した人物像を頭に浮かべて、彼らはウンウンと大げさに頷きあった。
　「なっ・・何だっ？！テメエ等・・・何が言いてぇんだよっ・・・」
　思わず及び腰になる秀人に、罪はない。
　だが、拓に関して仲間たちの秀人に対する容赦はなかった。
　からかいのネタとして、いつも絡んでくるのだ。
　何しろ、秀人が彼らに真面目に紹介したのは、拓だけだったのだ。
　それ程、拓の事を秀人は大事にしていた。
　勿論、チームの連中も皆それを知っていたし、納得もしていたのだ。
　だが・・・。
　それが、楽しいネタである事は間違いない。
　「秀人・・・。」
　ポン・・・。
　身構える秀人の肩を、吉岡は、軽く叩いた。
　そうして、ハーーーッと深い溜め息を吐く。
　「吉岡？」
　ダチの態度に、訝しげな顔をしながら、秀人は取り合えず、先を促す事にした。
　「・・・犯罪は・・・イカンな・・・」
　しみじみと呟かれた言葉に、一瞬鼓動が止まる。
　だが、その意味を悟った瞬間、怒りが一気に爆発した。
　「・・・ッテェーーー？！」
　バキィッと見事な程、秀人の左フックが、吉岡の顎に決まった。
　「何、考えてやがるっ！！」
　ゼェゼェと荒く息を整えながら、ギッと仲間を睨む。
　「テメエ等も、同じ事考えてんじゃねーだろーな・・」
　凄んで言う秀人が、とても怖かったので、外道の皆さんはただ首を横に振って見せた。
　同じ失敗で、殴られるのはゴメンだから。
　「・・・"ひー"くん？」
　一連の騒ぎを、キョトンと見やっていた拓実は、小首を傾げてそんな秀人を見上げた。
　「何でもねーよ。」
　安心させるように、その頭を撫でてやると・・・くすぐったそうに首を竦める。
　「"ひー"くん・・・スキ・・・」
　秀人の腕の中で、立った拓実が、その首を抱え込むように顔を上げると、そのまま秀人の頬にチュッとキスした。
　途端に、ボッと赤くなって全身の力が抜けた秀人の腕から、拓実はトンッと降り立った。
　後ろでは、"外道"の皆が一瞬の眼前の出来事に硬直してたりして・・・。
　勿論、秀人の顔はだらしない程に緩みきっていた。
　「・・・チビ・・・？」
　「アリガト・・・バイバイ・・・"ひー"くん♪」
　ニッコリ笑って手を振りながら、拓実は走りだす。
　そうして、その先に視線を流した秀人は、愕然とした。
　秀人から拓を奪い去っていった、悪魔のような男のミニチュア版が、そこに存在していた事に対して。
　「・・・"龍神"・・・？」
　思わず呟きが漏れる。
　走り出した拓実は、そのままその小さな"龍神"の腕の中に飛び込んでいく。
　そんな拓実をギュッと抱きしめた子供の返してきた視線は、確かに秀人を敵視していた。
　「かえろ・・・。」
　「うん☆」
　手を繋いで歩きだそうとしてから、秀人を振り返る。
　「バイバイ・・・・」
　繋いでない方の手を挙げて、大きく振っている拓実に、秀人も釣られて手を振ってやる。
　だが、頭の中はショックの余り固まっていた。
　そうして、階段を昇って行った子供たちの姿が完全に見えなくなってから・・・その場で突然に、両膝を地面につけてしまう。
　「秀人っ！！」
　慌てて近づいた吉岡が、不安そうに覗き込むと、意に反して秀人は笑っていた。
　「・・・秀ちゃん？」
　ついに気が狂ったかもしれないと、恐る恐る近づくメンバー達に気付いて、漸く秀人は顔を上げる。
　笑みを堪えるように口を抑えていた手を外して、ニッと笑うと、回りを見回す。
　「何、グズグスしてんだ？"走"りに行くゾ！」
　力強く言い切る秀人に、全員が驚く。
　だが、そんな連中を無視して、秀人はスタスタと自分の単車へと戻っていく。
　パールホワイトの『ＦＸ』。
　それに跨がってから、秀人は一瞬だけ失なってしまった温もりを探して、空を見上げた。
　そうして、頬に触れたあのキスを思い出す。
　小さくて、柔らかな"想い"。
　秀人は、知ったのだ。
　あれが、拓の秀人に対する"想い"なのだという事を。
　拓実と言った子供・・・。
　あの子供だけだったならば、他人の空似で過ごしてしまったかもしれない。
　だが、最後に現れた"龍神"のミニチュアが、教えてくれたのだ。
　銀の髪に褐色の肌・・・それだけでも驚きなのに・・・更に秀人を睨んだ深いルビーブラッドの瞳。
　あんな"眼差し"を持つ者など、この世に二人といる筈もない。
　果して、あれが本当の拓なのか・・・違うのかは、理解らないが・・・。
　それでも、その唇から零れ落ちた"想い"。
　スキだと、そう拙い言葉でつげられた『真実』。
　それこそが、秀人の一番欲しかったもの。
　"龍神"の"想い"を受け止めた拓を、秀人は奪い返す事ができなかった。
　それは、力が足りなかったから・・・。
　"想い"が不確かだったから・・・。
　それでも、拓は"想い"を返してくれた。
　秀人の"想い"は昇華されたのだろうか？
　焦がれるような"恋い"は、いつか違った形に変化できるのかもしれない・・・。
　今はまだ・・・納得する事はできないけれど。
　それで、拓も幸せなら・・・一番の"マブダチ"として過ごす事もできるかもしれない。
　勿論、不幸ならば、容赦などしないが・・・。
　「・・・秀人？」
　横に並んだ吉岡が、秀人に声をかける。
　「行こうゼ、秀ちゃんっ！」
　オッくんも反対に位置どって、笑う。
　そんな二人に、クッと苦笑を浮かべると、秀人は一度だけアクセル音を響かせた。
　それが、合図・・・。
　"外道"のパレードの始まり。
　走り始めた彼等は、後ろを振り返らない。
　月夜が照らすロードの上を、滑るように走っていく強者どもの行進は終わらない。

　―――先頭を行く秀人が、吹っ切れた表情を浮かべていた事は、夜空を照らす月だけが知っていた・・・。



　「拓実ーーーーっっ♪」
　離れて、五分・・・。
　二人で戻ってきたチビ達を、気付いた天羽が抱き締めていた。
　その電光石火な事・・・。
　しかも、やはりと言うか・・・片っぽだけというのが、また、らしくて・・・拓は困った顔する。
　「マァム・・・。」
　そんな拓の足に、時夜はキュッと抱きついてきたので、拓もそんな時夜を抱き上げる。
　「そっか・・・時夜が拓実を迎えに言ってくれたんだね・・・大丈夫だった？」
　そっと、尋ねるのは・・・いなくなった時の原因が原因だったから。
　絡んできた連中の一人が奪うように拓実だけを連れ去ったので、とても心配したのだ。
　「あいつ、どうした？」
　思い出したように時貞が問いかけると、拓実はその胸から顔を挙げてにっこりと笑う。
　「"ひー"くん♪」
　続けられた答えに、時貞の額がピクリと動く。
　「−何処のどいつだ！！」
　一瞬で、拓実に悪いムシがついたのだと気付いたその野性の勘に、拓はただ苦笑する。
　「あれ。」
　だが、スッと指さした時夜の示した方向を見やった大人二人は、思わず瞳を見開いた。
　「・・・あれは・・・」
　ポツリと拓の唇から震えた声が漏れる。
　胸を締めつけるような光景が、そこにあった。
　通りを隔てた向こう側・・・走っていくのは何処かのチームで・・・。
　だが、拓はその者たちが誰なのかを、その特攻服に刺繍されている文字で理解したのだ。
　そうして、その先頭にいるだろう人物すらも・・・。
　知らず動こうとした足は、次の瞬間掴まれた腕によって止まる。
　振り返った拓は、自分を見つめる"紅"い瞳に包まれて・・・意識をつなぎ止めた。
　そうして、同じ瞳を向ける時夜に、微笑を浮かべた。
　「ここにいるよ。」
　小さく答える拓の身体を、時貞が引き寄せる。
　幾分きつい抱擁は、時貞の"想い"。
　「―――オレが離さないから。」
　耳許で言い聞かせるように告げるその声が、泣きたくなるぐらい優しくて・・・。
　「・・・帰ろうか？」
　続けられた言葉に、拓はコクンと頷いた。
　そうして、寄り添うように歩きながら、そのまま駐車場まで戻る。
　だが、ザワザワとざわついているその場所に、困った拓は困った顔で時貞を振り返る。
　何台もの救急車の赤ランプがクルクルと廻っているのを見ながらも、時貞は全然動じる様子もない。
　「―――何かあったんですか？」
　平然と問いかけた時貞に、野次馬していたらしい人が振り返った。
　「あぁ・・・怪我人だってよ。まるで、化け物にでも襲われたみたいに酷いらしいよ・・・」
　「へぇ？こんな場所でねぇ・・・そりゃ怖ェーや。」
　おどけたように告げる時貞に、拓はオロオロした。
　一体、誰がやった事だと思っているのか、他人事のように言っている時貞に、困った顔を見せる。
　「・・・じゃあ、その化け物が戻ってこない内に、帰ろうか？」
　クスクスと笑っていう時貞だったが、その"紅"い瞳は笑ってはいなかった。
　「―――やりすぎだったんじゃ・・・・」
　大事になってしまった事に、拓が少しだけ青くなって呟くと、時貞はフフンと鼻で笑った。
　「命があっただけ、良かったんだよ・・・拓ちゃん止めなかったら、あいつ等、"死"んでたかもね・・・」
　前を向いて、エンジンをかける。
　真っ直ぐに前方を見つめる"緋"い瞳が、残忍な光を秘めている。
　その横顔が、とても哀しくて・・・拓はフルフルと首を横に振った。
　「―――拓ちゃん？」
　気付いた時貞が横目で拓を伺うと、拓は真っ直ぐな眼差しで時貞を見た。
　「時貞くんは・・・そんな事しない・・・。ボク、信じてるから・・・。」
　疑いのない、真っ直ぐな"想い"が、時貞の心を奪う。
　過去の危険な記憶を浮かべていた時貞は、それらが一掃されてしまったような気がした。
　そうして、こんな所が一生勝てはしないだろう・・・と感じた。
　「・・・愛しているよ、拓ちゃん。」
　感動を、そのまま口にする。
　心を偽らない事が、こんなに安らげる事に気付く事ができて嬉しい。
　気付かせてくれた拓が、愛しい。
　それが時貞の"想い"。
　だから、何よりも、誰よりも――拓が"大事"。
　誰にも譲れない程に・・・奪うように、手に入れた。
　喩え、それが正しい事じゃなくても・・・間違った事だとしても・・・。
　暗闇の中、漸く辿り着けた安らぎを、二度と手放す事など、できはしないのだ。
　生きていく限り・・・。
　それは、間違いようのない"真実"。
　時貞の中の・・・たった一つの・・・。
　「・・・何、言って・・・？！」
　真っ赤になってしまう拓が、時貞の宝物。
　"龍神"の『龍玉』。
　力の"源"・・・・増幅させる。
　そんな拓を見て、時貞はフッと微笑を浮かべる。
　満足そうに目を細めて・・・。
　拓の腕の中で、子供たちは夢の世界に漂い始めている。
　車内に漂うのは、柔らかな空気。
　幸せという名の"空間"。
　ずっと昔から、祈り続けてきた―――見果てぬ『夢』。
　バックミラーに、天空に昇りつつある月が写る。
　月光の光が、時貞の"紅"い瞳を透き通らせて。
　黙ったまま、顔の火照りを隠そうと横を向いてしまった拓は、気付かなかった。
　その瞬間・・・幸せの空間の中で、時貞の"紅"い瞳が哀しげに満月を見つめていた事を・・・。
　"もう少しだけこのままで・・・。"
　幸福の絶頂の中で、時貞は心の中でそう呟いていた。

　―――時が、決して止まってくれない事も、知っていた筈なのに・・・。



　家路についているセドリックの、シルエットが・・・滑るように横浜の町並みを駆け抜けていった。

　　　　　　後編４へ　　　　　／　　　　　戻る