ＭＯＯＮ　ＢＡＢＹ　（後編）　２


  横須賀から戻ってきた時には、既に日も暮れてしまった後だった。
　もう少しで家に辿り着く前の町中で、時貞はハンドルを回す。
　「あれ？そっちは違うんじゃ？」
　気づいた拓がその事を口にするが、時貞はＵターンする素振りは見せない。
　「どうせだから、このまま食事していこう♪」
　大通りに出て、すぐに見えたファミリーレストランの駐車場に車を入れていく。
　「でも、檜原さんが用意してるんじゃ・・・」
　屋敷で待っているだろう人物の事を思って、拓は乗り気ではないようだ。
　「平気だよ。今夜は外で食べるって言ってあるから・・・食べないで帰ったら、その方が大変だし・・・」
　車を止めた時貞の答えに、拓は小さく微笑う。
　最初から時貞がそのつもりだったのだと気づいて・・・。
　車から降りて、店の中に入っていく。
　まだ宵の口だったので、店内はそれ程混んでおらず、ウェイターの人が現れてテーブルまで案内してくれた。
　子供連れなので、椅子ではなく、長いソファーの席に座って、間に時夜と拓実を座らせた。
　「オレ・・・ずっとここに来たかったんだ。」
　少しだけ笑みを浮かべる時貞に、拓はキョトンとしてしまう。
　「――ここって、ファミリーレストランだから、子供連れじゃないと入れないんだろ♪」
　メニューを開いて、嬉しそうに告げる時貞に、拓は奇妙な表情を浮かべた。
　それはちょうど困ったような笑いを堪えているような・・・そんな中間の顔である。
　一体、何処の誰がそんな事を教えたのか・・・時貞の意外な一面を知って、苦笑する。
　「拓ちゃん？」
　「・・・ううん。じゃあ、良かったね。」
　だが、嬉しそうな時貞に、この場で間違いを指摘するような拓ではない。
　それに、これからは時貞が誤解したままでも、いつでもこれるのだから、別に訂正しなくても良い気もした。
　「−そう・・・家族でくるのが、望みだったんだ・・・叶ったよ・・・」
　フワッと見惚れてしまうような時貞の微笑に、拓も嬉しくなる。
　そんな事を言っている内に、ウェイターが伝票を持って注文を取りにきた。
　「ご注文は？」
　「あっ・・・と・・・」
　「――サーモンのムニエルで洋食セット・・・パンで食後にコーヒーを・・・子供達はこのお子様セットで・・・」
　慌てて、メニューを捲る拓を横目に、時貞はパラパラと開いた箇所で注文を告げた。
　「・・・拓ちゃんは？」
　「えっと・・・このハンバーグセットで、ごはんで・・・飲み物は・・・オレンジジュースで・・・・・・。」
　時貞の言葉に、拓は漸く決まったメニューを告げた。
　「――それだけ。」
　伝票に書き込んでいるウェイターにそう告げると、時貞はメニューを閉じた。
　一度も入った事がないというわりには、手際よいその態度に、拓は不可思議な顔をする。
　復唱したウェイターがいなくなってから、ジッと時貞を見る。
　「何？」
　その視線に気づいた途端に、尋ねられて少しだけ口籠もる。
　「あっ・・・来た事ないって言ったのに・・・すごく馴染んでるから・・・」
　「あぁ・・・レストランぐらいは入った事あるよ。"お祖父様"の仕事の取引に、無理やり付き合わされた事もあるし・・・」
　「ふーん・・・・」
　その場面を想像して、想像が追いつかなかった拓は、あっさりとそれを諦める。
　一体どんな恰好で一緒にいたのか・・・考えるととっても怖い気がしたのだ・・・。
　「お待たせしました。」
　両手一杯に、料理皿を持ったウェイターが注文した物をテーブルの上に置いていく。
　最初に持ってきたのは、お子様セットだった。
　小さなフルコースのような料理は、ご飯の上にちゃんと旗まで立っていて・・・時夜と拓実はゴキゲンになった。
　「こぼすなよ・・・」
　「プッ・・・」
　拓と一緒に暮らすようになるまで、部屋の中も外も一緒のように汚くしていた時貞が、拓実の膝の上にナプキンをひいているのを見た途端に、吹き出してしまう。
　「拓ちゃん？」
　「・・・何でも・・・ない・・・・・・。」
　チロッと見られて、慌てて口元を抑えると、拓は時夜にも同じようにしてやった。
　握り手でスプーンを持った二人の子供は、親の手を借りる事もなく、ちゃんと一人でも食べられるようだった。
　その間に、時貞と拓の注文した物も揃えられて・・・食事の時間が始まった。
　「いただきます。」
　皆で声を揃えて食べ始める。
　子供達も、それぞれにちゃんと性格があるようで・・・。
　少しずつ一通り口にする拓実に、自分の好きな物だけを選んでいる時夜。
　「残したら、おしおきな。」
　グリンピースを外している時夜を、目敏く見つけた時貞の言葉に、泣きそうな表情を浮かべる。
　「駄目だよ・・・いじめちゃ・・・時貞くんだって、食べないじゃないか。」
　知っているんだよ・・・と拓が告げる。
　「だから、ナイのをちゃんと選んだだろ。」
　「・・・・・・」
　したり顔で言う時貞に、拓は二の句が告げなくなってしまう。
　だが、今にも泣きそうな顔で、一生懸命に食べようとしている時夜の姿が可哀相で仕方ない。
　「良いよ・・・ボクが食べるから。好きなのを食べなよ・・・ネ。」
　そう言って拓が箸で取ろうとした途端に、横から拓実がそれを掬って口に入れてしまう。
　「・・・拓実？」
　驚いた拓がマジマジと見ると、拓実はニコニコ笑顔を浮かべて時夜のホッペにキスをした。
　ガシャンッ！！
　途端に、時貞がショックで皿の上にフォークを落としていた。
　「おいし☆」
　小首を傾げて、モグモグしている拓実に、時夜も残っていた粒を拾って口にする。
　そんな光景に、拓はただ感動していた。
　安心して、自分の食べる方に専念する。
　「・・・フェェッ・・・」
　「どうしたっ？！拓実ッ？！」
　グラタンを口にした拓実が突然に泣き始めて、時貞が慌てる。
　「ウエッ・・・エッ・・エッ・・・・・。」
　「あっ・・・熱かったんだ・・・。大丈夫？舌火傷しちゃった・・・？」
　口を開けたまま、それを出したいような仕草に、漸く拓がその事に気づいた。
　そうして、拓が助けようとする前に、一瞬パニックに陥っていた時貞が行動を起こした。
　突然に屈んだと思ったら、拓実が開いていた口の中に自分の舌を差し込んで、その舌の上に乗っていたグラタンを口移しで取り上げたのだった。
　目の前で繰り広げられた信じられない光景に、拓の動作が固まる。
　やられた拓実も、驚きで涙が止まったようだ。
　「ベッ」
　グラタンを飲み込んでから、舌を出した時貞に釣られて、拓実も舌を出す。
　「・・・大丈夫・・・かな？火傷はしてネーみたいだし・・・」
　拓実の舌を人指し指でソッと抑えながら、じっくりと調べた時貞が、ホッとしたように告げる。
　「ダディ♪」
　嬉しそうにギューッと抱きつく拓実を、しっかりと抱き抱えてその髪にキスをしている。
　「――良かったね・・・うん・・・・」
　取り合えず、大事にならなくて良かったと思う事にして、拓は必死に先程の強烈な光景を忘れようと努力した。
　だが、見たのは拓だけではなかったのだ。
　ツンツン・・・。
　上着の裾を引っ張られて下を向くと、ジッと見ている時夜と視線が合う。
　「何？・・・・っ・・・・・・。」
　問いかけた途端に、ベッと舌を出されて・・・その上に乗っかっているグラタンに腰が引ける。
　つまりは、同じ事をして欲しいのだろう・・・余り考えたくないが・
　時貞のように、口移しで・・・。
　だが、人間、理解できても実行できない事は山のようにあるのだ。
　時貞は、特殊な部類に属する新人類なのだから・・・凡庸な拓ではとてもできない事もできるのだ。
　それを、同じ事をしろと言われても・・・拓はただ冷や汗をかくしかない。
　「あっ・・・あのね・・・時夜・・・・・・。」
　必死にできないと言いたいのだが・・・泣きそうな顔でジッと見つめられると胸が痛くなってくる。
　救いを求めて時貞を見るが、拓実に気を取られて気づいていないらしい。
　更に、もう一度"つんつん"と引っ張られて・・・どうしようもなくなった拓は、一度天井を見てからやけくそになった。
　一生懸命に、拓が取りやすいように舌を出している時夜が可愛いのも事実だったから・・・。
　「マァム♪」
　死ぬ気でやった拓が、真っ赤になりながら口の中に入れた物を水で流し込む。
　そんな拓に、時夜はべったりと抱きついた。　
　漸く拓実から視線を戻した途端に、視界に入った光景に、時貞は呆然とした。
　人が一瞬気を逸らした隙に、やられた・・・という感じである。
　「・・・拓ちゃん・・・オレも・・・」
　「――時貞クンッ・・・。何考えてっ・・て・・・ヤメッ・・・。」
　皿の上に残っていたサーモンを、フォークで刺して口に含んだ時貞の、意図を悟った拓が慌てて逃げようとするが、スピードで勝てる筈もなかった。
　口移しどころか、深ーーーいディープキスを食らわされて・・・思考回路がショートする。
　「ダメだよ・・・拓ちゃんは、オレのなんだからナ・・・」
　見せびらかすようにした後で、言い聞かせるように告げる言葉に対して、もう何も言う事ができない。
　更に、食後の飲み物を持ったまま、テーブルの前で硬直しているウェイターに気づいた瞬間、気が遠くなる。
　できる事なら、このまま何処かに消えてしまいたい拓であった。


　たかがファミリーレストランで食事をするのがあんなに大変な事だったとは、考えた事もなかった拓は、ぐったりとした様子で、店を出た。
　すっかり満足した時貞は、足取りも軽く子供たちと前を歩いている。
　「・・・”龍神”だな・・・。」
　駐車場に向かう途中で､突如、暗闇の中から前にバラバラと数人の男たちが現れた。
　「時貞くんっ？！」
　繋いでいた手を離して子供たちを拓に預けた時貞に、拓は青褪めて問い掛ける。
　「大丈夫だよ、拓ちゃん。危ないから、下がって。」
　ニッと微笑を浮かべると、そのまま周りを囲むようにしている者たちに対峙した。
　「折角の楽しい“キブン”がシラけちまった・・・“セキニン”取って、せいぜい楽しませてくれ・・・。」
　ニイィッと相手には底意地の悪い笑みを浮かべて、挑発するように腕を振っている。
　そんな時貞の様子に、拓は彼が本気で怒っているのだと気付いて、困ったように辺りを見回した。
　こんな状態の時貞は、絶対に手加減なんてしないのだ。
　それが理解っているからこそ、騒ぎが大きくなる前に、誰かが来てくれないかと様子を見たのだが・・・生憎と誰も通ってくれない。
　そうしている内に、相手の者たちが動いて、時貞は喧嘩の体制に入ってしまった。
　「時貞くんっ！」
　子供たちを庇うようにギュッと抱き締めて、拓は安全な場所まで動いてから、時貞を見やった。
　本の数分で、勝負はほぼ決まっていた。
　いくら人数がいたとて、『龍神』の強さは半端ではないのだ。
　更に、喧嘩の方法も強烈だ。
　倒れた相手が、二度と歯向かわないように、その潰し方も凶悪と言える程、悲惨なものだった。
　地面に伏したまま、ピクリとも動かなくなるまで、容赦しない。
　そんな時貞の姿に、拓はとても胸が痛くなってしまう。
　「ひいっ？！」
　返り血を浴びて艶然と微笑む時貞の姿に、残った者たちがパニックに陥る。
　その内の一人が、走り寄ってくるのに気付いた拓が、子供たちを庇って逃げようとするが、その前に掴まってしまった。
　「拓ちゃんッ？！！！」
　小さく上がった拓の悲鳴に、振り返った時貞は、突き飛ばされた拓が、地面に倒れる所を目撃してしまい・・・ブチ切れた。
　全身から溢れ出る怒りのオーラによって、銀の髪が重力に逆らって靡く。
　「皆殺しにしてやる・・・テメェラ・・・！！」
　襲撃者たちは、『龍神』の逆鱗を思いっ切り逆撫でしてしまったらしい。
　本領を発揮した『龍神』は、人間の敵う相手ではなく・・・。ｖ 　恐怖に怯えて、逃げ腰になっている者たちを、瞬間で滅すると、そのまま拓の元まで駆け寄った。
　「拓ちゃんっ！」
　「あ・・・時貞くんっ！・・拓実がっ・・・！！」
　時貞の顔を見た瞬間に泣き出した拓を、時貞は支えて起き上がらせた。
　「どうしよう・・・」
　「拓ちゃん・・・ケガしてる・・・」
　転んだ拍子に肘を擦ったのだろう。
　一皮剥けてしまっていて、血が流れていた。
　「時貞くんっ？！」
　その血を、唇で拭った時貞に、拓は真っ赤になって焦った。
　だが、次の瞬間に、顔を上げた時貞のゾクリとするような容貌を間近で見てしまい、青褪める。
　「とっ・・・時貞くん・・・？！」
　拓の問い掛けにも、時貞は答える事無く、ユラリと振り返る。
　途端に、倒れている者たちの“生命”が危ないと悟った拓は、慌てて、時貞の腕を掴んだ。
　「駄目だよっ！！時貞くんっ・・・！それより、拓実を助けなきゃ・・・」
　凍り付くような“紅”い眼差しで、襲撃者たちを睨んでいる時貞の意識を逸らそうと、拓も必死である。
　「だけど、こいつら・・・拓ちゃんケガさせた・・・」
　「違うよっ！だって、ボクを突き飛ばした奴は、拓実を連れて行った奴だからっ！！良いよっ！時貞くんが行かないんなら、ボクが行くっ！！」
　そう言って、駆け出そうとした拓の先を、時貞が走る。
　「時貞くんっ！」
　嬉しそうに告げる拓に、時貞は少しだけ微笑した。
　「理解ったから・・・そいつを捕まえた時は、邪魔しちゃダメだよ、拓ちゃん。」
　ニッと浮かべられた微笑がとても怖くて・・・拓はただ頷く事しかできなかった・・・。
　願わくば、拓実を連れ去った襲撃者が、この現場から逃れた途端に、拓実を離して・・・そのまま、二度と目の前に現れませんように・・・と祈りながら。
　それは、時貞を殺人者にしたくない、拓のささやかな願いでもあった。

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