カナガワ帝国の首都である＜ヨコハマ＞を後にした二人は、ヨコスカ街道を南下していた。
海に近い所為か、風の匂いに懐かしい潮の香りが含まれて、タクは嬉しそうだ。
少し前を歩くリューヤに手を繋がれながら、目新しい世界をキョロキョロと見遣って、意識に刻み込んでいく。
海の中の世界も綺麗だったけれど・・・＜リク＞の世界はもっと色鮮やかだった。
勿論、綺麗じゃない物も一杯あったけれど、総てが初めて目にする物で・・・そうして、大好きなリューヤの世界の物だという事もあって、タクは頑張って受け止めた。
上目使いに、タクはリューヤに視線を戻した。
赤褐色の少し硬い髪は、きっちりと後ろに流されて固められていて、風に吹かれても乱れない。
初めて出会った時は、固められていなかったので、もっと柔らかく見えた。
広い海の中で、傷付いたリューヤと出会ったのは、本当に奇跡だったと思う。
珍しい物を捜して、たまたま＜リク＞に近い場所で珊瑚や貝殻を拾っていたタクの頭上に傷付いたリューヤが落ちてきたのだ。
海に広がる血の穢れに、驚いて一度は逃げたのだけれど・・・隠れた岩の隙間から見たリューヤの姿がどうしても気になってしまって、タクはつい助けてしまったのだ。
入り江の傍の洞窟に運んで・・・意識が戻るまでというつもりでいたのに。
「―――タク？どうした・・・？」
視線に気づいたリューヤが、振り返る。
真っ直ぐな眼差しに、タクは記憶の淵から意識を取り戻す。
「え？・・・あ・・・。何でもない。」
真っ赤になって、首を横に振る。
見惚れていたなんて、恥ずかし過ぎて口にできないから。
そうして、答える代わりに、ギュッと繋がれた手を握る。
そんなタクの様子に、リューヤのきつい眼差しが柔らかくなる。
「もうすぐ、港町に出る。今夜はそこで宿に泊まろう。まだ、足は大丈夫か？」
「・・・うん。大丈夫。ちゃんと、歩けるよ。」
言われた言葉に、タクは何度か足を地面にくっ付けて、それから笑顔でそう答えた。
元々、＜ニンギョ＞であったタクの足は、魔女の薬で変化した尾鰭なので、長時間歩く事に耐えられない。
だから、彼等の旅は目的地に着くまでに普通の旅程の３倍は掛かるのだ。
尤も、本当に目指すべき場所が何処にあるのかを捜しているような旅なので、時間の枷はそれ程問題ではなかった。
種族の違う二人が、互いを運命の相手として一緒に過ごす為に・・・＜人魚＞だったタクが完全に＜ニンゲン＞になる為の、方法を捜す旅なのだ。
今は、非常に高価な魔女の薬に頼る事でしか一緒に居られないので、その薬代を稼ぐ為にも色々な土地の賞金目当てで、リューヤはトーナメントに出場したり、仕事を引き受けたりしているのだった。
そうして、今は少しでもタクが大好きな海を感じられるように、海沿いの道を選んで旅を続けていた。

その日、二人が宿を取ったのは、小さな港町だった。
＜ヨコハマ＞を出る時に渡された、思っていた以上の金のお陰で、暫くは旅費に困らない事もあって、少しのんびりしようと大きな街まで行くのは止めたのだ。
宿の部屋に入った途端に、タクは倒れこむようにベッドに身を預けた。
「・・・タク？足が、痛むのか？」
旅装を解いていたリューヤが、声を掛けて、慌ててベッドに駆け寄った。
「・・・ん。ちょっとだけ・・・」
顔だけを動かして、タクは力なくそれでも微笑う。
「見せてみろ。」
「・・・っ。」
投げ出されるようにベッドからはみ出していた足をそっと持ち上げて、履いている靴を脱がせると、真っ赤になった痛々しい足先が顕れた。
脱がす時に擦れたのか、息を詰める様子から結構痛むのだと気付いて、リューヤは唇を噛んだ。
こんなになるまで言わなかったタクにも、気付かなかった自分にも腹が立つ。
「・・・リューヤ？！」
無言でタクを抱き上げると、リューヤはそのまま風呂場へとタクを運び込んだ。
浴槽に湯を張って、縁に座らせたタクの足をその中に浸していく。
暖かな湯の感触に、強張っていた足先が解れて・・・水分を吸収して痛みが和らいだ。
気持ち良さにホッと一息つきながら、タクはリューヤが黙ったままなので、どうしようと途方に暮れた。
刻み込まれた眉間の皺が、リューヤが怒っている証のようで、シュンと項垂れた。
「・・・ごめんなさい・・・」
俯いたまま、タクは謝る。
「最初の頃に比べたら、本当に大丈夫だと思って・・・痛いのもちょっとだけだし・・・だから・・・」
嫌われたくないから、一生懸命に呟くタクの小さな肩が震える。
そんなタクを、リューヤは静かに抱き締めた。
互いの温もりと共に、心も繋がる。
「―――無茶は、するな。頼むから。」
「リューヤッ！」
絞り出されるようなリューヤの言葉に、タクはギュッと抱き付いた。
重なる息と、口付け。
パシャンと飛沫が跳ねた。
そのまま、二人は服を脱いで一緒に暖かな湯船につかった。
のぼせたように寄り掛かってくるタクを支えながら、リューヤも旅の疲れを癒す為に、全身の力を抜いて身体に染み込むような湯に身を浸した。
水に濡れて、リューヤの髪を固めていた蝋蜜が流れて、髪がばらける。
目に掛かる前髪を鬱陶しそうに掻き揚げる仕草に、タクはうっとりと大きな瞳を細めた。
「どうした？」
「・・・ん。リューヤの髪・・・綺麗。」
水を含むと赤褐色というよりは紅に近くなる髪を、血のような色だと・・・血を浴びてきたからだと揶揄されることはあっても、綺麗だと言われたのは初めてなので、どう返してよいのか理解らずに、一瞬リューヤは固まった。
ニコニコしながらすり寄ってくるタクの指先が、リューヤの髪先を弄ぶ。
それ程経験した訳ではない情事で相手した女たちですら、こんな色気は無かった気がする。
無邪気な中に潜んでいる無意識な誘いに捕り込まれそうで、眩暈が起きそうだ。
「―――タク。」
触れてくる指先を捕まえてそこに口付けると、途端に真っ赤になったタクに逃げられる。
「緋色のお前の髪の方が、ずっと綺麗だった。」
今は黒に変わってしまったが、元の鮮やかな色の美しく長い髪は海の中で目を奪われる程だった。
あんなに美しかった髪を、尾鰭を足に変える薬と引き換えに、タクは手放してしまった。
アクアマリンのように輝いていた瞳も、薬の副作用で黒く染まったままだ。
尤も、色が変わろうとも黒曜石の様に瞳は輝いていたし、艶のある黒髪は短くてもさらりと指先をすり抜けるかのように柔らかな触り心地だ。
髪に指を差し込んだまま引き寄せて、リューヤはゆっくりと唇を合わせた。
キスは二人の間に交わされる儀式のような物で、無くてはならない行為だ。
「・・・ん」
強請る様に薄く口を開くタクの口内に、舌を差し入れて絡める。
魔女の薬が無いと、海の眷属であるタクは＜リク＞で生きていく事もできない。
陸に上がった魚が、呼吸が出来なくて死んでしまうように、タクも息が出来なくなるのだ。
だから、３日に一度は薬を飲まないといけない。
だが、魔女の薬は物凄く苦くて不味いので、頑張って飲んだ後でご褒美代わりに甘いキスをしていたら、それからすっかりそれが定着してしまった。
そうして、毎日しなければならない“誓約”と合わせて何度もキスする内に、二人の間ではキスは当たり前になった。
互いの想いを重ねる為にも、口付けは必要な儀式でもあったから。
「・・・リュー・・・ヤァ・・・」
舌っ足らずな声が、タクの唇から零れ落ちる。
潤んだタクの目尻にキスをして、漸くリューヤはタクを解放した。

小さな港街な筈なのに、酒場は思っていた以上に混雑していた。
気の良さそうな宿屋の主人のお勧めという事もあって、食事をとりに出かけてきたは良いが、酔っぱらった荒くれ共の多さにリューヤは眉を潜めた。
それでも、夕飯を抜きにはできなくて、なるべく隅の席を選んで、更にタクを奥に座らせた。
「いらっしゃい！」
席に着くと同時に明るい声が掛けられた。
「宿屋の主人に紹介されて来たんだが、随分と繁盛しているんだな。」
「あぁ？見掛けない顔だと思ったら、お客さん旅の御方かぁ。ウチは美味い料理と旨い酒が自慢の看板なんでね。いっつもこんな感じなんだ。」
「・・・酒が進み過ぎて暴れる奴は・・・？」
「はは。それもしょっちゅうあるよ。巻き込まれないようにねぇ。」
悪ぶれずに笑う相手に、リューヤの額の皺が更に深くなった。
「んで？どうする？食べてくだろ？」
問い掛けに逡巡していると、そんなリューヤの裾をツンツンとタクが引っ張った。
その視線は、カウンターの上に盛られている数々の料理の材料に釘付けだ。
気付いたリューヤは、困ったように苦笑した。
「何が食べたいんだ？」
「―――あれ。」
そう言ってタクが指差したのは、茶色くて楕円形の物だった。
リューヤも初めて目にするそれは、食べ物なのかどうか全く理解らない気がした。
「は？・・・えぇ？！」
今まで話していた店主が目を丸くする。
「ちょっ・・・あれって、喰えるの？！浜辺で拾ったんだけど・・・周りが物凄く固くて割れないし、齧っても不味いし、中に何が入ってんのか理解らないから、仕方なく飾りに使ってたんだけど・・・」
本気で驚いたような口調の相手に、タクはキョトンと小首を傾げる。
「・・・食べるんじゃなくて、飲むんだよ？甘くて美味しいの。前に、もっと南の島で・・・」
そこまで言って、ハッとしたように口を噤んでリューヤを見上げる。
余りにも懐かしくてつい口にしてしまったけれど、海の世界の話をするのは駄目だった事を思い出したからだ。
「―――南の島？あんたら、一体何処から・・・」
「“ヨコハマ”だ。」
「南じゃナイじゃん？！」
「気にするな。それより、それをくれ。」
黙ってしまったタクを不思議そうに眺めた相手から、隠すようにしてリューヤが応答する。
「まぁ・・・何なのかオレも気になってたから、教えてもらえるんなら良いや。んで、どうやってこの固い皮を剥くんだ？」
片手で持ち上げるには少し大きなそれを手に取った相手が、タクに尋ねる。
問い掛けに、タクは困ったようにリューヤを見上げる。
「飲みたいなら、教えてやれ。」
答えて良いのかどうか迷っている事に気付いて、リューヤはクシャッと髪を撫でた。
途端に、タクは柔らかな微笑を浮かべた。
「あ・・・あのね。皮を剥くんじゃなくって・・・穴を開けるの。それで、細長くて真ん中が穴になってる海草で中身を飲むんだよ。」
「へえぇ。穴ねぇ・・・ちょっと待てよ。これで開けりゃ良いのか？」
そう言うと、相手は何処から取り出したのか、細長い槍の先のような金属を取り出した。
ナイフと言うよりも、針が大きくなったような形状は何に使われるのか全く理解らない。
「よっ、と。あぁ。成程ね。中身は液体かよ。・・・って、確かに甘いわ。こりゃ・・・」
空いた穴からジワリと染みだしてきた汁で汚れた指を、ペロリと舐めた相手が、苦笑しながら視線を流す。
「―――細長い海草ねぇ・・・真ん中が空洞ってのは、ウチには無いかなぁ。このまま、飲むのも無理そうだし・・・どうする？」
「あ・・・あの。」
ちょっとだけ逡巡して、タクは店の中を見回した。
すっかり甘い匂いが辺りに充満しているので、できれば飲みたくて。
「―――半分に切ってやろうか？」
リューヤが真面目な顔で問い掛ける。
一瞬想像したタクはブンブンと首を横に振った。
「あ、あった！」
クルリと見渡した後で、入り口付近に目線をやってタクは顔を綻ばせた。
一瞬動作が遅れたリューヤが追うよりも早く、ピョンと席を立って、タクは入り口に向かって歩いていく。
「タク？・・・待て！」
「きゃっ！！」
そうして驚いたリューヤが腰を上げる前に、突然開かれたドアに弾かれてすっ転んだ。
だが壁に叩きつけられる前に、伸びた腕が軽々とタクを掴んで引き寄せたので、タクは怪我をせずに済んだ。
「―――大丈夫か？」
低い声が、響く。
「あ・・・ありがとう・・・ございます。」
「気をつけなよ？」
突然の衝撃から漸く立ち直ったタクが顔を上げると、柔らかな微笑が返ってきた。
「あぁ？邪魔だっ！・・・！！」
店の中に入ってきた大柄な男が、苛立ったように吐き捨てた後で、全身を硬直させた。
喉元に突き付けられている剣は、今にも男の首を切り落とそうと煌めいている。
「リューヤッ！！駄目ぇ！」
助けてくれた男の腕の中から飛び出すと、タクはリューヤに飛びついた。
そんなタクをリューヤは片手でギュッと抱き寄せる。
「・・・怪我・・・は？」
「大丈夫！何処も怪我してなんかないから・・・だから、剣をしまって！」
確かめるように聞くリューヤに、タクはブンブンと首を横に振って懇願する。
その声に、漸くリューヤは剣を下した。
「・・・ひぃっ！！」
慌てたように、リューヤに剣を突き付けられていた男は店を飛び出していった。
店の中も今までの喧騒が嘘のように静まり返っている。
「・・・はっ！はははっ！！」
突然、大きな笑い声が響いた。
振り返ると、笑っていたのは先程タクを助けてくれた相手だった。
「いやー、スゲェなぁ、アンタ。あそこで寸止めする方が難しいってのに・・・どんだけ手練れなんだよ？」
ヘラヘラと笑って持っていた杯を傾ける。
酔った様子なのに、その瞳は真剣だった。
「タイジュ様？」
近くに座っていた連れらしい青年が、眉を潜めて声を掛けた。
そんな相手を一瞥すると、リューヤはグルリと店内を見回した。
途端に、あからさまに視線を背ける者たちが多くて・・・すっかり目立ってしまった事に漸く気付いた。
これでは、食事どころではない。
「・・・店主。迷惑をかけた。これだけ、貰っていく。」
タクを抱えたままリューヤはカウンターで茫然としていた店主に向かってそう言うと、茶色の物体を受け取った。
そうして、代金代わりに金貨一枚を残して、振り返る事なく店を出た。

「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
「―――泣くな。」
宿に戻っても泣き止まないタクを抱き締めたまま、リューヤは何度も慰めるように口付けを落とす。
タクが零した涙の粒はキラキラ輝いて、シーツに吸い込まれることなく硝子珠のように転がっている。
「・・・折角、外に出たのに・・・リューヤもお酒・・・飲めなかった・・・」
ポロポロ溢れ出るその想いが、自分を思い遣ってくれてのものだと理解るだけに、気分は物凄く複雑だ。
「酒なんか、何時でも飲める。だから、もう泣き止め。」
「・・・だってぇ・・・」
あんまりにも泣きじゃくるから、リューヤもどうしてよいのか途方に暮れた。
深淵の魔女に人魚は泣き過ぎると、涙に溶けてしまうと脅されているのだ。
「ほら。飲みたかったんだろ？」
テーブルの上に置いておいた物を片手で掴んで、目の前に差し出す。
「・・・リューヤ・・・？これ・・・」
「あぁ。途中で引っこ抜いてきた。これが欲しかったんだろ。」
小さく開けられた穴に突き刺さっていたのは、あの時タクが見つけて取りに行った花だった。
「・・・どうして・・・理解った・・・の・・・？」
涙に潤んだ瞳のまま、綺麗な花弁を見つめてタクは震える声を出す。
それには答えずに、リューヤは小刀で花の部分を切り取った。
斜めに切られた茎は、確かに中が空洞だ。
そのままリューヤは切り取った花の方をタクの短い髪に挿した。
途端に、タクの頬が紅く染まる。
漸く止まった涙に、リューヤは苦笑しながら軽く目元に口付けた。
コンコン。
不意にドアをノックされる。
互いに顔を見合わせてから、タクをベッドに残したままリューヤが慎重にドアの傍による。
「・・・おーい、お客さん。居ないのかい？何か、酒場の店主からお客さんにお詫びだって、食事が届いてるんだけど。・・・寝ちゃったかな？」
ドアの外の宿屋の主人の声に、漸く緊張を解いてリューヤがドアを開ける。
「―――あぁ、居たね。リクオの奴が珍しく殊勝な顔でこっちに来て、謝っておいてくれなんて言うから・・・何かあったのかい？」
「・・・大した事じゃない。」
「でも、こうやって飯を持ってきたって事は、食べてないんだろ？すまないね。」
「いや・・・。」
「酒場に集う連中も、普段は気の良い奴ばっかりなんだけど、酒が入るとどうしても気が大きくなっちゃってさ。元々、海の男たちばっかりだから、礼儀なんて知らねぇし・・・まぁ、詫びのつもりで持ってきたみたいだから、アンタ達に迷惑かけたって反省してるんだ、許してやってくれよ。じゃ、空いた皿は後で部屋の外に出しといてくれれば構わないから。」
そう言うと、宿屋の主人は両手に持っていた料理をリューヤに渡して戻っていった。
渡された料理は、まだほんのり暖かい。
気付くと、直ぐ側まで来たタクがリューヤの服の裾を握りしめている。
「―――良かった・・・ね。」
「ああ。」
蕩けそうなタクの笑顔が、広がる。
リューヤもまた、頬を緩めた。

料理が自慢というだけあって、どれも美味しそうな匂いを漂わせていた。
ただ港町というだけあって、料理の材料は間違いなく海の物だ。
つまりタクにとってみれば、海の仲間を食べられている事になる。
＜ニンゲン＞として生きていく為には決して目を逸らせない現実とはいえ、辛い事に変わりはない。
それが理解っているから、リューヤはタクの目の前で余り食事を取らない。
携帯食でもある干した何かを口にする事はあっても、宿や酒場ではもっぱら酒ばかりを口にしていた。
「・・・食べない・・・の？」
「後で、食う。」
気にして問い掛けるタクに、リューヤはそう答えた。
美味しそうな食事を目の前にして食欲が沸かないと言ったら嘘だ。
だが、どうしてもタクの前で食べる気にはなれない。
まだ、肉料理だったら別だったのだが・・・。
「あの・・・ね。＜ニンゲン＞は海の生き物も・・・食べ、るんでしょ？・・・ボクが＜ニンゲン＞になるなら、仕方ない事なんだよね？」
そうして、先にタクの方がスプーンを持って料理の前に立った。
「―――タク？」
目を瞑って料理を口に運ぼうとしているタクに、リューヤは表情を変える。
だが、口に運ぶ前に震える指先からスプーンが落ちた。
「あ・・・あれ？」
ガタガタと全身を震わせながら、必死で震える腕を抑えようとするタクの姿に耐えられなくなって、リューヤは背後から震える小さな身体を抱き締めた。
「・・・無理、するな。」
「でも・・・」
「良いんだ。何も食べられないという訳じゃないんだ。海草は大丈夫だろ？」
「うん・・・。」
「果物も野菜も。・・・木の実に、それに卵は大丈夫だった。」
「お肉は・・・苦手だけどね・・・」
耳元で囁くように言葉を綴るリューヤに、タクは擽ったそうに身を竦めて苦笑する。
「―――十分だ。」
言い聞かせるように告げるリューヤに、タクは漸く微笑った。
「うん。じゃあ、ボクはこれを飲んで良い？」
両手で抱えた物を大事そうに撫でる。
「あのね。ずっと前に、南の島まで遊びに行った時に、友達に教えてもらったの。一杯泳いで喉が渇いてたから、初めて口にしたけど凄く美味しかったんだ。・・・うん、甘い。」
ニコニコしながら差し込まれた茎を使って上手く中身を吸ったタクは、うっとりしたように目元を細めた。
「ふふふ・・・美味しい・・・」
「良かったな。」
ほんのりと頬を紅潮させて、幸せそうに飲んでいるタクの姿に、リューヤは微笑う。
柔らかな眼差しに包まれて、タクはドキドキした。
見られているのなんていつもの事なのに、何だか身体が熱くて頭がポーとなる。
ボトッと持っていた物が落ちた。
「―――タク？」
「あれ？・・・なんか・・・フワフワする・・・」
「おい？！」
フラッと倒れ込んだタクに驚いたリューヤが慌てて抱きかかえるが、真っ赤な顔をしたタクはフニャンと微笑った。
「身体の中がポカポカして・・・温かーい・・・」
全身から力が抜けたような状態で、タクは幸せそうに微笑っている。
全く見た事も無い物だったので、タクの言葉だけを鵜呑みにしてしまったが、もしかして＜ニンゲン＞にとっては毒だったのかとリューヤが危ぶんで、慌てて転がった物を拾い上げて、躊躇せずに口にした。
途端に、口の中に広がったのはただ甘いだけの・・・果汁？
暫く口に含んだが、リューヤの身体に異変は起こらない。
それでも飲み込むのを止めて吐き出すと、タクの様子を見ようと抱えなおすが、特に問題は無いようで、赤い顔のままタクはリューヤを見つめていた。
「・・・ん？」
ベッドに横にして、口を漱いでこようと立ち上がろうとしたリューヤを、タクの腕が縋りつくように掴む。
「離れちゃ・・・や・・」
潤んだ目付きで強請るように言われて、リューヤの膝が砕けそうになる。
鉄面皮だの、夜叉だの『鬼神の化身』とまで呼ばれていたリューヤの無表情を、これだけ崩せるのもタク以外いない。
「―――タク・・・」
眩暈と共に、頭痛がして、リューヤは額をきつく抑える。
愛しさが募るたびに、日に日に愛らしくなるタクの甘えは、リューヤの欲望を煽る一方だ。
どちらかというと淡泊すぎて、血が滾るのは敵と対峙して死闘を繰り広げてる時だけだった過去の自分を考えると、笑い話にしかならないが。
固まっているリューヤを潤んだ瞳で見ていたタクが、擦り寄るように近付く。
そうして、自分からリューヤの唇にキスをした。
「ふふ・・・甘い。」
ペロッと唇を舐められて、リューヤの何かが切れた。
グイッとタクの身体をベッドに押し付けるようにして、リューヤは伸し掛かるようにしながら白くて柔らかなタクの喉元に噛み付くように口付けた。
「・・・ん・・・ぅ・・・」
ピクンと反応しながらも、怯える事無くタクはリューヤに身を任せている。
きつく抱き締める腕に安心したようににっこり笑って、タクはシーツの冷たさに火照った身体の熱を委ねて・・・心地良さそうにうっとりと瞳を閉じた。
リューヤの髪を弄っていた指先から力が抜けて、パタリとシーツに落ちる。
タクの胸元に赤い花を散らしていたリューヤは、顔を上げて・・・絶望した。
何時の間にか規則正しい寝息を立てて、タクは夢の世界へと行ってしまっていたのだ。
「・・・・・・・・・・・」
無言のままリューヤは起き上がって、深く息を吐き出した。
散々振り回されてしまった事に、軽く自己嫌悪に陥りながらも、浮かび上がるのは自嘲。
「・・・ったく。」
あどけない寝顔を浮かべるタクに、布団を掛けると、リューヤは前髪を掻き揚げながら、立ち上がった。
そうして、自身の熱を冷まそうと、冷たい水を浴びる為に風呂場へ向かった。