教室へ戻る前に、少し頭を冷やそうと、遠回りをしていた拓は、ふと聞こえてきた音に足を止めた。
ニャア。
見ると、子猫が芝生の上で遊んでいた。
緋咲の姿が見えないのは体育祭をフケているからかもしれない。
午前中のどの競技にも、緋咲の姿は無かったから。
―――体育の単位・・・どうするんだろう？
そんな事を思いながらまた歩き出そうとした拓は、突然目の前に振ってきた物に身を竦ませた。
それは黒板消しだった。
慌てて上を見るが、どの窓にも人はいない。
幾ら小さい物でも、当たれば怪我をする。
もし当たり所が悪ければ取り返しの付かない事にもなる筈だ。
見えない敵意に拓はゾクッと身を竦ませた。
『一人になるな。』
そう、言われていたのに・・・。
思い出したのは、状況が一変したからだ。
いつの間にか、周りを取り囲まれていた。
・・・見た事もない連中に。
「１−Dの浅川拓だな。」
更に、ご丁寧にご指名付だった。
しらばっくれて逃亡しようにも、運動着に着いているゼッケンがそれを許さない。
「・・・何の御用ですか？」
「―――我々と一緒に、来てもらう。」
体格の良い男が、凄みを利かせながらそう告げる。
何処かに逃げ道はないかと、拓は辺りを見回すが、何処にも逃げ道は無かった。
それだけ、相手も人数を用意してきたと言う事だ。
「何の為に？」
何とか誰かが通らないかと思ったが、流石にこの時間にここを通る者もいない。
だからこその行動なのだろうが・・・。」
ニャーッ！！
「イテェ！」
突如、鳴き声が響いて悲鳴が上がる。
拓を捕まえようとした男の腕に、子猫が噛み付いたからだ。
「―――ダメだっ！！」
子猫を殴ろうとした男を身体を張って、拓は止めた。
そうして、向き直る。
「一緒に行きます。だから、この子に手を出さないで！」
そう言って、拓は子猫を安全な場所まで放してやる。
子猫は何か訴えるような大きな瞳を向けたが、拓が困ったような顔をすると何処かに走り出してしまった。
「―――付いて来い。」
大柄な男の命令に、拓は仕方なく付いていく事しか出来なかった。
　

　
拓が連れ込まれたのは、使われていない倉庫だった。
運動場からも離れているので、助けを呼んでも誰も来ないだろう。
後ろの奴に、グイッと背中を強く押されて、転がるように中に倒れこんでしまう。
後ろ手で縛られている為に上手く受身が出来なくて、冷たいコンクリートの床の感触がした。
「『生徒会』に逆らうから、こんな目に遭うんだ。」
「―――よく、考えるんだな。」
次々と浴びせられる言葉に、怒りが込み上げる。
「・・・どうして、こんな事！！」
「ウエの連中の考える事なんか知らないさ。ただ、オマエには懸賞金が懸けられたのさ。」
「―――懸賞金？」
「ああ。お前を餌にして、ブラックリストの連中を倒した者には、部費の一年分の追加予算が下りる。」
「・・・何で、ボクが・・・餌？」
言い返そうとして、違和感に気付く。
榊も自分の事を、"供物"だと言っていた。
それは、この事を示していたのだろうか？
だが、榊も剣道部部長だが、拓をどうこうしたりはしなかった。
グイッと顔を持ち上げられると、目の前の男が嫌な顔をした。
「この、可愛い顔で落としたのか？あいつ等を・・・」
下卑た笑いで舐めまわすような視線が気持ち悪い。
「―――ホントは、オンナなんじゃねーの？！」
途端に爆笑が湧き上がる。
確かに身体は小さいし、男らしいと言える顔付きではないけれど、そこまで侮辱される謂れは無い。
悔しくて、涙が零れそうだった。
ドカッ！
突如、凄まじい音がして、倉庫のドアが吹き飛んだ。
「・・・来たか。セロニアス・・・」
大柄な男がそう言ったのを、確かに拓は耳にした。
＜セロニアス・・・って・・・確か・・・＞
驚いて拓が視線を入り口に向けると、そこにいたのは想像していた人物ではなかった。
「・・・ったく、手間掛けさせやがって・・・」
苦々しい口調で、入ってきたのは緋咲だったのだ。
「・・・え？」
余りの出来事に思考回路が動かない。
「―――緋咲？・・・セロニアスはどうした？」
「あぁ？知らねーよ・・・。それより、返して貰うぜ、そのチビ。―――煩くて、昼寝もしてらんねぇ・・・」
「―――何、言って・・・まぁ、良い。お前もブラックリストに載っているからな。飛んで火に入る何とか―――だ。」
「ハッ！まぁた、生徒会に言いように使われてんのか？テメー等、いい加減、学習しやがれ！」
小馬鹿にしたような物言いに、周りを囲んでいる連中の怒気が高まる。
「黙れ！！特待生だかしらないが、お前のような奴がこの学園の質を落としているんだぞ！」
叫ぶように言った奴を、一瞥で黙らせると、緋咲はボキッと指を鳴らした。
「口で言っても埒がねぇ。いいぜ、かかってこいよ。」
冷たい、ゾッとするような口調で、言い捨てた緋咲に最初の大柄な男が前に出る。
構えからして、格闘系の部に所属している事が伺えた。
隙が無いところをみると有段者にも見えた。
幾らなんでも、これだけの専門家と戦うなんて無茶だと拓は思った。
だが、緋咲のケリを一発食らったそいつが、声も無く沈んだのを見て、ざわめきが広がる。
確かに完璧なガードをしていたのだ。
それなのに、そのガードごと巨体を吹き飛ばした緋咲の強烈な威力の蹴り。
「―――手加減、しねーぞ。」
低く言う緋咲は、本気で怒っていた。
全身を覆う気が半端ではなく広がって、周りの連中を威圧していく。
見ていた拓も、ゾッとした程の怒気だ。
向けられた連中は、余程肝を冷やしたのだろう。
「フザケンナッ！！」
連中の一人が、バットを持ち出して、緋咲に殴りかかった。
それを軽々と避けると、緋咲はバットを蹴り落として、拳を動かした。
それだけで、殴りかかった者は吹き飛んだ。
見えない程のパンチが当たったのだと理解したのは、吹き飛んだ者の頬が奇妙に歪んでいたからだ。
「・・・バカが。」
蔑むように言う緋咲が、グルリと視線を回すと、囲んでいた連中は思わず後擦さっている。
既に、この場を支配している者は決まっていた。
「・・・引くぞっ！！」
誰かが叫んだ声が、合図だった。
まるでクモの子を散らす勢いで、倉庫の中から飛び出していく。
悪鬼の手から、命辛々逃げ出すような光景だ。
緋咲に倒された者の姿も無くなった。
誰かが担いで逃げたのだろう。
そうして、倉庫の中に残ったのは―――。
　

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