体育祭にご用心。
　
　
そろそろ学校生活にも慣れて来た５月。
ゴールデンウイークも終わり、夏休み気分が抜けると、構内は俄然活気を帯びてくる。
６月の第１週の土曜日に、体育祭が開かれるからだ。
運動部は勿論の事、クラス対抗なので、生徒の熱もこもる。
体育の授業も全て、体育祭の準備に使われる事になった。
　
　
「はぁ・・・。」
小さな溜め息が拓の口から零れる。
「―――拓ちゃん？」
隣にいた時貞が気付いて声をかける。
「・・・ボク・・・足、遅いんだよね・・・。運動も苦手だし・・・」
小さく言う拓に、時貞は苦笑する。
「そんなに気にしなくても良いのに・・・」
「だって・・・今までだってずっとクラスのお荷物みたいな成績ばっかりで、皆に迷惑かけちゃうんじゃないかって・・・」
「―――じゃあ、サボる？」
笑顔でサラリと言う時貞に、拓は困ったように首を横に振る。
「取り合えず、出来るだけ頑張ってみる・・・。」
ぎゅっと拳を握り締めて、拓は気合を入れた。
「―――次、浅川。」
途端に、先生に呼ばれる。
１００ｍ走のタイムを計る為だ。
基本的な運動の能力は入学して直ぐの体力測定で出ているのだが・・・。
「位置に着いて・・・よーい・・・スタート！」
合図と共に、走り出す。
小さな身体の拓は、必死で足を動かす。
広い校庭は、直線で２００ｍも図れる広さだ。
半分の長さだというのに、何でこんなに遠く感じるのだろう。
―――そう、拓は思った。
漸く白い白線を駆け抜けてゴールする。
タイムは見るまでもない。
クラスで一番遅いのは目に見えていた。
周りで失笑が上がるのが、酷く恥ずかしかった。
「浅川・・・お前はフォームが崩れているから上手く走れないんだ。次の天羽の走りを見て、良く研究してみろ。」
体育教師に言われて、息が上がったまま視線をスタート位置に向ける。
次の走者は時貞だったのだ。
スタートの合図と同時に、しなやかな身体が飛び出す。
長い手足が、空気抵抗を物ともせずに動く。
まるで、羽が生えているように、軽やかに時貞は１００ｍを走りきった。
勿論、息一つ乱すことも無い。
時貞にとっては、軽く流したようなものなのだろう。
それでも、タイムは学年で一番のものだ。
拓は、何故だか涙が出そうだった・・・。
　
　
「はぁ・・・。」
本日、２度目の溜め息。
　
　
それは、出し物に誰が出場するかをクラスで話し合っている時だった。
足が遅いし体力の無い拓が出れる種目と言えば、自然と決まってきてしまう。
リレーなどの花形種目については、本人の意思を無視して、時貞が決まったらしい。
それはまだ、納得できるのだが・・・。
「―――応援？」
応援団員とは、各クラスから５人出されることになる応援合戦に出る者の事だった。
男子３人に女子が２人。
その中に、拓の名前があった。
体育祭は一人３種目以上の義務が課せられている。
出なければ、単位が貰えないのだ。
拓は男子が全員参加の団体種目と応援団だけで、取り合えず３種目を確保できるので、ホッとしていた。
問題は、５種目も出るくせに、更に応援団もやると立候補した時貞のやる気である。
勿論、男子は反対するものも多かったが、クラスの女子の全員の賛成で通ってしまった。
その後、誰が女子の応援団員になるかで、壮絶なバトルが繰り広げられたらしい。
　
　
「あーーーっ、拓ちゃーーーん？！」
応援団の練習の為に、呼び出された集合場所へ行くと、そこで思いもよらなかった人物と再会した。
「・・・真里先輩。」
「うん！そっかぁ・・・拓ちゃんも応援団なんだぁ！！ラッキー！！」
「マー坊？」
「拓ちゃん？」
真里が拓に抱きつくのと同時に、二人の人物から声が掛かる。
一人は当然時貞なのだが・・・。
「あっちゃーーん！！この子が拓ちゃんだよ！オレの可愛い後輩♪」
ギューッと抱き締められながら説明されても、恥ずかしいだけなのだが、流石アメフト部の真里の腕は外そうと思ってもビクともしなかった。
「あぁ。あの・・・保健室で見つけたって言う・・・お気に入りか。」
「うん！学年が違うから中々会えなくて淋しかったんだけど、一緒の応援団なら暫くは一緒に居られるね！」
ニコニコと話す真里と対象に、その場の空気が薄くなる。
暗雲を背負った時貞が、仮面のような顔で立っていたからだ。
勿論、彼等の周りに近寄ろうと言う強者はいなかった。
「・・・おい。そこ。―――始めるぞ。」
ガラッとドアが開かれて、空気が変わる。
現れたのは、威厳のある空気を纏わりつかせていた人物だった。
騒いでいた真里でさえ、拓を解放して、おとなしくなった。
「―――リューヤ怒らせると後がウルサイから、またね、拓ちゃん。」
こっそり耳打ちすると、真里は２年の席へと戻っていった。
拓も時貞に引きずられるように、自分たちの席へと向かう。
そうして、シンと静まり返った室内に、静かな声が響いた。
「今回『赤団』の団長を務める事になった・・・３年の榊だ。やるからには、優勝目指して徹底的にやらせてもらう。泣き事や甘えは一切切り捨てろ。―――以上だ。」
そう告げると、席にドカッと座り込んでしまう。
ざわめく室内だったが、取り合えずどうする事も出来ないので、動くものはいない。
次いで、別の人物が前に立った。
「副団長の都築だ。今後の詳しい練習方法と時間帯は入り口の所に置いてある紙に書いてあるので、各自取って目を通せ。・・・それから、浅川はいるか？」
突然の名指しに、ドキッとしてしまう。
「―――は・・・はい？」
恐る恐る返事を返すと、相手は少しだけ驚いたように拓を見た。
そうして、榊に耳打ちする。
途端に、視線が合って、拓はそのきつさに身を竦ませた。
真っ直ぐな眼差しは、拓の視線を捕らえて離さない。
拓を凝視した後、榊はゆっくりと頷いた。
都築が正面に向き直る。
「―――浅川は、残れ。他は本日は解散だ。」
「・・・何で、拓ちゃんだけ残るんですか？」
冗談じゃないと言う風に時貞が立ち上がる。
拓に至っては、驚きと恐怖の余り、声も出ない。
自分が何か不味い事をしてしまったのではないかと思って。
「―――やってもらう事がある。」
答えたのは、榊だった。
その有無を言わせない口調に、時貞も二の句が告げなくなる。
それでも、納得がいかないのか睨む眦は榊のそれに匹敵する程の強さだ。
「・・・生徒会の決定だ。文句があるのなら、直接会長に言え。」
そう断言すると、榊はまた黙った。
先程とは違うざわめきが室内を駆け抜ける。
『生徒会』という言葉に、拓はますますパニックに陥ってしまう。
生徒会と言えば、この神奈川学園を事実上運営している影の支配者などと呼ばれている人たちの事なのだ。
そんな人たちが、面識も無い自分に何をやらせようと言うのか？
―――少し考えただけで、怖い考えになってしまった。
「拓ちゃん？鰐淵の知り合いなんだ？」
あっけらかんと言う真里に、拓は半べそを掻きながらブンブンと首を横に振って否定した。
入学式に間に合わなかった拓は、結局生徒会長や役員達の挨拶を聞けなかったのだ。
だから、未だに誰が生徒会役員なのかも知らないと言うのに・・・逆に名指しされてしまう方が怖かった。
「あれ？じゃあ・・・千冬が手ェ回したのかな？あいつも手が早いからなぁ・・・。」
続けられた真里の言葉に、拓の意識が引き付けられる。
知っている名を聞いたからだ。
「鮎川は、黙ってろ！それと、浅川以外はさっさと解散しろ！でないと追い出すぞ！！」
都築の怒鳴り声に、慌ててクモの子を散らす勢いで出て行く。
結局その場に残ったのは、６人。
「おい、真嶋。鮎川を連れてけ。」
「えーっ！拓ちゃんは俺の可愛い後輩なんだから、みすみす生徒会の毒牙にかける訳にいかないって！」
「―――マー坊っ！！」
しれっと言う真里に、真嶋と呼ばれた先輩が慌てて声を掛ける。
「もう、決定した事だ。」
榊が口を開く。
「決定って・・・だから、拓ちゃんに何をさせるつもりなんだ？！」
時貞が詰め寄った。
「―――"供物"さ。」
「え？！」
物騒な物言いに、拓がビクッと震える。
真里と真嶋は声を無くしている。
「・・・『生徒会』が何を考えてんのか知った事じゃねぇがな・・・。尤も、『生徒会』に逆らっちゃ運動部はおろか、学校生活もまともに過ごせなくなるからな。」
榊が続けた言葉に、時貞は目を細めた。
「行こう、拓ちゃん。『生徒会』だろうが何だろうが、人を"供物"だなんて言う連中の言う事を聞く必要なんかないさ。」
「・・・時貞くん・・・？」
低く言う時貞に、拓は少し驚く。
酷く時貞が怒っているような気がしたからだ。
グイッと手を引かれて、ズカズカ歩き出す時貞に引きずられるままに、拓はその場を後にした。
時貞の怒りのオーラに気圧されて、その場の誰もが動けなかった。
　
　
拓が『生徒会』の誘いを蹴ったと言う噂は、瞬く間に広まったが、特に変わった事も無く日々は過ぎていった。
体育祭が近付くにつれて、準備の熱も帯びていくようだった。
　

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