夏の終わり


長い筈の夏休みも気付けば、数日を残すのみとなっていた。
実家に帰郷していた者達も、すっかり寮に戻ってきて・・・思い出話に花を咲かせていた。
あいつは、ちゃっかり彼女を作ったとか・・・誰々に振られたとか・・・ひと夏の体験等々。
―――話題は尽きることも無い。
特に夕食事時の会話は、盛り上がっていた。


「―――拓。」
不意に声を掛けられて、食堂に入ろうとしていた拓は声を掛けてきた人物を振り返った。
「一色先輩？今日、戻られたんですか？」
目の前にいたのは、まだ荷物を手に持ったままの一色大珠だった。
「ああ。家で用を言いつけられて、遅くなった。」
「そうなんですか・・・あ、遅くなりましたけど・・・。おかえりなさい。」
まだ、挨拶もしてなかった事に気付いて、拓は小さく笑ってそう告げた。
途端に、一色の眼差しも柔らかくなる。
「・・・ただいま。それから、これ・・・土産。」
差し出された手の中に、入っていたのは小さな包みだった。
「・・・え？！・・・僕に・・・？」
心底驚いて、拓は目を丸くする。
「―――倫子が・・・持ってけって・・・」
目元を少しだけ赤くしてボソボソ言う一色に、拓は少し困ったように笑う。
「ありがとうございます。・・・僕・・・御土産買えるようなトコ行ってないから・・・お返し出来ないんですけど・・・宜しく言って下さい。」
そう言って、拓は一色の手から包みを丁寧に受け取った。
「気にしなくても良い・・・と、思う。じゃあ・・・」
軽く笑うと、一色はクルリと背を向けて、自室に向かって歩き出す。
「あ、一色先輩！食事はどうするんですか？」
「―――今日は、食べてきたから。」
振り返らずに、ヒラヒラと手だけを振って、一色は廊下の角を曲がっていってしまった。
拓の手の中に、残された小さな包み。
一瞬、中身が何だか気になったが、後で部屋で見てみようと思い直して、拓は食堂の中へ入っていった。


食事が終わって、風呂に入り終わると・・・後は消灯時間まで自由だ。
実家から帰ってきたばかりの者たちは、残り少ない時間を有意義に使う為に、レポート用紙を小脇に抱えて親しい先輩の部屋に転がり込んでは、夏休みの課題を手伝ってもらう貴重な時間だったりもする。
最も、殆ど寮で過ごした拓は、課題をすべて終わらせていた。
自室で机に向かっても、やる事もないので、ぼんやりとしていた。
窓の外からは何処から聞こえてくるのか、虫の声が聞こえてくる。
まだまだ蒸し暑い日が続いているので、夏の気分から抜けないが、季節は徐々に変わっているのだろう。
ふと、気付いてポケットを探る。
一色から貰った包みの事を思い出したのだ。
「・・・なんだろ・・・」
触った感じでは、硬いものだ。
無造作にセロハンで止められた包みを解いていくと、中から出てきたのは、小さなキーホルダーだった。
「・・・これって・・・」
それは、思っても見なかった物で・・・。
青い鈴と、四葉のクローバーを咥えた硝子のイルカ・・・。
まぁ、ピンクじゃなかっただけマシな気もするが。
―――男の拓が持つにしては可愛らし過ぎる気がした。
手にとって、揺らしてみると・・・それはチリンと小さな音を立てた。
チリン・・・チリン・・・。
それは何所か、懐かしい感じがする音だった。


暫くすると消灯の時間が来る。
夜のバイトをしている緋咲が戻ってくる筈も無く。
今夜も、拓一人の点呼だ。
最初はバイトをしている事を知らなかったので、毎晩毎晩どうして窓からこっそり入ってくるのだろうかと訝しく思っていたのだが・・・この夏休み中に色々と緋咲の事を知ったので、今では随分と落ち着いていた。
ベットに横になって、机のスタンドだけ小さく点す。
真っ暗な中でも平気で帰ってこられる事を知っていても、少しでも明るくしてあげたいのだ。
早く自立したいから、金を貯めている――と言った緋咲の顔はもう一人前の男の顔だった。
緋咲が自立したい理由までは拓は知らない。
時折見せる陰りを帯びた表情の中に、その答えがあるのかもしれないが・・・そこまで親しい訳ではないので、拓に理解る筈もない。
いつか・・・。
いつか、教えて貰えたら・・・。
―――そう、思って拓は動揺する。
いつの間に、こんなにも深く気にするようになってしまったのだろうか・・・と。
掛け布団を被って、ギュッと目を瞑る。
早く眠ってしまえば、これ以上考えずにいられるだろうと思っていたのだが・・・。
ガタン。
いつもより早く、窓が開いた。
不思議に思って拓が、布団から顔を出すと、丁度緋咲が部屋の中に入ってくる所だった。
いつもなら颯爽と桟に手を掛けて入ってくるのだが、何だか微妙に動きがいつもと違っている。
何処か疲れたような・・・うだる気な態度で、窓枠に座り込んで中々室内に入ってこようとしなくて。
不意に、緋咲が腕を動かす。
視線はずっと外を見たままだ。
何かを追い払うかのような手の動きは、どうやら外に誰かいるようだっだ。
少しの静寂の後、窓の外からバイクの音が聞こえた。
それが、徐々に遠ざかっていく。
バイク音が完全に聞こえなくなってから、緋咲は鬱陶しそうに前髪を掻き揚げてから、座っていた窓枠から室内へと入ってきた。
慌てて、拓は目を瞑る。
じっと見ていた事が、何だか急に恥ずかしくなったからだ。
それでも、気配を探ってしまうのはどうしてなのだろう？
静かに動きながら机の上のスタンドを消すと、緋咲は自分のベットに潜り込んでいく。
拓は息を潜めて、じっとしていた。
そうして、再び訪れる静寂。
ゆっくりと目だけを開けると、薄暗い部屋の中・・・それでも窓辺にうっすらと明りが差す。
ぼんやりと視線を流すと、窓枠の中に天空の月が在った。
まん丸には少し欠けた、その姿。
その黄色を目に焼き付けてから・・・拓もまた眠りの世界へと誘われていった。


『・・・お兄ちゃん・・・』
何処かで小さな子供が泣いている。
『―――どこぉ・・・？』
泣きながら、必死に辺りを探しているが、お目当ての人物の姿はない。
『どうした・・・？』
不意に掛けられた声に、小さな子供はびっくりする。
その相手が、草むらを掻き分けて出て来たからだ。
それでも、相手もまた子供だったので、警戒心はすぐに薄れる。
『お兄ちゃ・・・いな・・・ぃ・・・』
それでも、保護者と逸れたという怖さが消える事は無くて・・・小さな子供は泣きじゃくるだけだ。
『・・・泣いてないで、一緒に探すぞ！』
ギュッと手を握り締められて、少しだけ怖さが消える。
『良いの？』
まだ涙の残る目が大きく見開かれる。
『うん。兄ちゃんって、ここの生徒なんだろ？』
『・・・よく・・・分かんない・・・。』
『な・・・泣くなよっ・・・それで、何処で逸れたんだぁ？』
またべそかきになりそうな小さな子供に向かって、一生懸命に尋ねる。
そうして、繋がった手はそのままに、広い場所を探し回る。
初めて訪れた場所なので、何も分からないと告げる子供に、相手はそれでも根気良く一緒に探してくれた。
やがて、お目当ての人物が現れるまで―――。
『マコ兄ちゃんっっ！！』
その姿を見つけた途端に、小さな子はまたポロポロ泣きながら走り出した。
『・・・・――くっ・・・！！』
気付いたその者も、両手を広げて小さな子供の身体を大切そうに抱きとめた。
『何処行ってたんだ？ずっと探したんだよ・・・』
制服に身を包んだその姿は、確かにこの学校の生徒だ。
そうして、呆然と傍に立っていた子供にも気付いて、頬を緩ませる。
『あぁ・・・友達と一緒だったのか・・・。』
『・・・逸れたって、泣いてたから・・・』
『うん。どうしても一緒に来たいって言うから連れてきたら、いつの間にか逸れちゃってね。ありがとう・・・ね。』
柔らかな口調でそう言うと、優しい微笑が浮かぶ。
『ほら・・・泣いてないで、ちゃんとお礼を言わなきゃ駄目だよ―――』
促されて、泣いていた子供も漸く顔を上げる。
『・・・ありがと・・・』
兄の言葉に素直に従って、可愛らしく頭を下げた。
『―――マコト？見つかったのか？』
『・・・居たーーー？』
『良かったなぁーーー！』
同じ制服を着た生徒が、次々と声を掛けていく。
それだけで、兄もどれだけ必死で探してくれたのか小さいながらに理解る。
『・・・マコ兄ちゃん・・・』
ぎゅーっと抱きつく小さな身体を、優しく撫でると、兄は慈愛の篭った眼で見つめる。
『さあ、お家に帰ろうね・・・』
握られた大きな手の暖かさが、不安をすべて拭い去ってくれた。
兄と一緒に歩き出しながら、小さな子供は少しだけ振り返った。
そうして、まだ立っていた男の子に向かって、バイバイと手を振る。
『―――ちびっ！』
思ってもいなかった大きな声が返ってきた。
びっくりして立ち止まった子供に、男の子は照れ隠しするかのように背を向けた。
『今度は、ちゃんと遊びに来いよっ！』
そのまま言われた言葉に、目を大きくしてから・・・兄を見る。
兄は少し困ったように笑いながら、ゆっくりと頷いた。
その表情を見て、子供も笑う。
それは頭上の太陽に負けないぐらいの、輝き。
『―――また、来るね！』
精一杯の声で、応える。
そうして、薄れていく景色―――。


―――それは、魂が覚えている・・・“失われた記憶”。



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