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『プチホテル 風が運んだ物語
』
激しさを増して降りしきる雨が、もともと悪い視界を更に悪化させていた。
台風が近づいてきていると、確か今朝のニュースで言っていたはずだ。バイクよりも走行状態の良い四輪車ですら減速を余儀なくさせる今夜、こんな悪天候の夜にバイクに乗ろうとするものはあまり、というかほとんど居なくて、メットの視界を塞いで流れる雨水に苛付きながらもベイブリッジに向かう道を拓はひとりでひた走る。
何も考えず、ひたすら必死に滑る車輪と不意の突風に取られるハンドルを操作する。
早く、早く。一秒でも早くたどり着きたい。
目を見開いて、それだけを祈りのように考え続ける。
衝動的に家を出てから、ひどい雨のなかを事故ることなく短時間で抜けてきたのは奇跡に近かった。
いつもどおりバイクを降りメットを脱いで、激しすぎる雨にもはや凛とたつこともできない花々がしおれている場所を見下ろす。
−−龍神、天羽セロニアス時貞が眠る場所。
ハアハアと、雨の音に消されずに聞こえる自分の呼吸音が妙に大きかった。
どれくらい、そうして立っていたのだろう。
不意に、自分に降り注ぐ雨が止む。俯いていた顔を上げれば目の前は相変わらずの土砂降り模様で、更に視線を上に上げれば誰かが自分に傘を差し向けていた。
拓に降り注ぐはずだった雨を受けて、傘が撓みリズミカルに音が鳴る。
ぼんやりと、緩慢とした動作で振り返った拓は、憮然とした表情で自分に傘を出す人物を見つけ柔らかい笑顔を浮かべてみせた。
「緋咲、くん‥‥」
掠れた声だったけれど、それは雨にも負けず相手に届いたらしい。横一文字に、鼻梁に傷を負った秀麗な顔が一層不機嫌そうに顰められる。
「てめぇ。いい加減うぜぇんだよ。毎日、毎日。何を考えてこうやって立ち尽くしてやがる。」
「‥え？」
「‥‥まあ、いい。来い。」
拓の返答を聞かず、乱暴に腕を掴んで横づけされていた四輪車に押し込める。呆気に取られた拓が我にかえるよりも早く、運転席にと回り込んできた緋咲がアクセルを踏み込んで一気に車を加速した。
自分が乗ってきた単車を置き去りにされて、拓が慌てて後ろを振り返る。
「心配すんな。帰りはちゃんとここまで送ってきてやる。それよりも、シートベルトつけてな。ちょっとばかし四輪には慣れてないんでな、荒っぽいぜ。俺の運転はよ。」
突然のことに頭も体もついていけない拓に、緋咲がニヤリと前を向いたまま笑ってみせる。その浮かんだ表情に今は何を問いても無駄だと知って、拓はふぅと体から力を抜いた。
哀しいタイマンの後、緋咲はもう自分を傷つけはしないのだと分かっている。緋咲の隣は拓にとって安心してもいい場所だ。
「‥‥車が濡れんのは気にすんなよ。俺の車じゃねーしな。それに帰りにはどうせ違う車を手配するからよ。‥それよりも少しは落ち着け、お前。横でちょろちょろ動かれるとウザったい。」
落ちつかなげに助手席でもぞもぞと動いていた拓の様子が気になったらしい緋咲が、呆れたようなため息と一緒に言葉をよこした。拓は少しだけ恨めしげに涼しい顔をした緋咲を睨み、それでも結局は濡れてしまったシートを乾かすことも、自分が今更服を拭ってみても無駄な行為にしかならないと判断して、半ば投げやりに背もたれに体を持たせかけなおす。
そんなに長い時間雨に打たれていたわけでは無かったのに、なぜか体がだるかった。
「‥く、‥‥た‥‥‥く。おいっ。」
体が揺れる。
押されるに任せて体が揺れて、意識が戻ってくる。目を閉じた記憶が無いのに、意識がなくなっていたのは、少しの時間でも気を失っていたからだろう。
遠くに聞こえる声に誘われてうっすらと目を開ければ、まず視界に移るのは車の天井ではなく、隣で車を運転していたはずの緋咲の顔。ぱちりと一度瞬きをして、拓はシートから体を起こした。
「お前、いま気ぃ失ってたぜ。大丈夫かよ？」
眉を潜めて緋咲を言うのを聞き流して、ぐるりと周囲を見ればまばらに止まる車の姿が炯炯とした光に浮かび上がっている。いつの間にか目的地に着いたらしかった。エンジンを切ってついてきなと仕草で促たし車から緋咲が降りる。拓は未だうまく働かない頭を振りながらぼんやりと緋咲の後をついていった。
曇りガラスの自動ドアを潜り抜ければ、こじんまりとしたロビーが広がる建物だった。ホテルのような様式にキョロリと物珍しげに見渡した拓を置いて、緋咲は入ってすぐにのエレベーターにさっさと乗り込む。なかからおい、と声がかかり慌てて拓も入り込んだ。
小柄な拓でさえ、緋咲と二人で乗れば満員になりそうなくらい小さなエレベーターは途中で止まることなく、すぐに目的階へとたどり着く。
チャリと緋咲の手の内で鍵が鳴り、拓は訳が分からないまま廊下を抜けて部屋へと通された。
「あ、あの。緋咲くん？ここどこ？」
「あぁ、見りゃあ分かんべ。」
勝手知ったる様子で玄関先から扉を開けて奥へと入り込む緋咲を追って、慌てて雨でずくずくに濡れた靴を脱ぐ。すっかり姿の見えなくなった緋咲へと大声で問いかけたら、どこかくぐもった声が返ってきた。
「わかんないから、聞いてるんだけど‥‥。もう、どうして皆聞いたことにちゃんと答えてくれないかなぁ。」
むぅと口を尖らせてため息交じりにぶつぶつと言いながらドアを開け−−そのままの姿勢で、拓は目の前に開けた景色に目を見開いた。
最初の自動ドアをくぐったときから、どこかホテルにしてはこじんまりとした風情だとは思っていたけれど、いま拓の前に広がる部屋は大きさにしたら８畳ほどなのだろう。ドアのまん前にどんと部屋の３分の２を占領する勢いでベットが鎮座し、開いているスペースに小さなラブソファとテーブル。冷蔵庫、ＴＶなどが置いてある。
いくらなんでも拓だって、知っている。こんな感じの部屋がなんの目的のために作られたのかを。ここは‥‥。
「‥‥‥もしかして‥ラブ、ホテル？」
「今ぁ、こっちでお湯溜めてっから、濡れた服脱いで風呂にでも入れや。」
ビクゥッ。
衝撃的だった光景に、誰にこの場所に連れてこられたのかを忘れていた拓の耳元で緋咲の声がした。
瞬間的に竦みあがり、後ろを振り返りざま後ずさる。
「‥ひっ。ひ、咲く‥ん。」
「お、おう。雨に濡れて気持ちわりぃだろ。風呂入ってきな。」
急激な拓の動作に、声を掛けた緋咲もビックリしたのだろう。瞬きを繰り返して、もう一度先ほどの言葉を繰り返す。
「へ？‥お、お風呂？」
「ああ。さっさと入ってこいよ。」
「う、うん。そ、そうだね。じゃあ、僕、失礼して‥‥。」
ビクビクと、不思議に体がひとりで緊張してしまったようだった。緋咲の横をすり抜けて、風呂だと指差されたほうへ、自然に足早やになりながら歩いていく。洗面浴室へと入ってから、ようやく拓は溜めいていた息を吐き出した。息と一緒にへなへなと足からも力が抜けていく。
「な、何も‥。こんなところに連れてこなくたっていいじゃないかー。ビックリしたぁ‥‥。しっかし。ここが噂に聞くラブホテルかあ。話には聞いたことあったけど、ほんとにベットしかないんだぁ。うう。僕できれば初めては可愛い女の子と来たかったよなあ‥‥。」
座り込み、濡れて肌に張り付いた服を脱ぎながら文句を言う。
晶や麻美、萌子、雛子、輪子など。自分の周囲に居る可愛い女の子達を思い出し、天井を見上げ、もう一度大きく息をついた。頭を振って立ち上がろうと、足に力を込めたところでまたしても思いかけず緋咲の声がする。
「そりゃあ、悪かったな。拓ぅ。まさか一回も来たことが無かったとは思わなかったぜ。」
「‥っ！」
ドンっ。
大きく音を立てて、振り返った拓が壁に張り付いた。驚きのあまり声もでない拓を見下ろして、ドアを背もたれに緋咲が立っている。
「ま、俺だって別に手を出そうと思ってお前をここに連れてきたわけじゃねぇけどよ。」
くつくつと喉の奥で笑いながら言われても信憑性を感じられないのは仕方がない。プルプルと震える拓を見て緋咲は軽く肩を竦めた。
「服、クリーニングに出してやっからよ。出来上がるまで、そこのバスローブでも着てろ。」
顎をしゃくり、散らばった服を集めてそれだけだと踵を返す。
「あ。‥‥ありがとう‥。」
「そー思うんだったら、さっさと暖まって来い。」
背中越しに投げられた言葉は、ぶっきら棒だけれど優しかった。
ゆっくりと湯船につかって芯まで冷えた体を温めた拓が風呂から上がると、丁度緋咲が電話を終えたところだった。汎用に作られた綿生地のバスローブは小柄な拓には少し大きい。それでも足が全部隠れるわけでもなく、丁度膝が隠れるほどの長さは慣れてなくて妙に気恥ずかしいものがあった。
「よう。丁度いいみてーじゃねーか、ソレ。似合ってんぜ。」
「そんなことないでしょぉ。からかわないでよ。あの。ありがとう‥。緋咲くん。」
小さく呟くような声で礼を伝えると、緋咲が少しだけ口の端を持ち上げて笑った。
先ほどまではどうして車に乗せられてこんな処まで連れてこられたのか不思議だったが、緋咲は拓を待ち伏せしていたのだと温まって人心地もついた今なら拓にも冷静に考えられる。待ち伏せをさせるに足るここ数日の自分の行動と、そうせざる得なかった状況を思い出して無意識に唇をかみ締めて俯く拓に緋咲がポンと頭に手を置いた。
「まったくそんな顔してんじゃねぇよ。いつも前向いてるのが、お前だろーが。」
くしゃり。そんな音を立てて、緋咲の指が拓の乾ききってない髪をかき乱す。思わず顔を上げた拓と見下ろしていた緋咲の視線が合った。静かに拓の視線を受け止めて、緋咲がソファを指差して座れと無言で促たす。
「緋咲くん。なんで‥。」
なんで僕があの場所に来ていることを知っていたの？
問いかけは拓のなかで口に上ることなく、喉で詰まり消えていく。だが緋咲は消えた問いかけを受け取ったようだった。自分はベットにと腰掛け、ジョーカーに火をつけながら話し出す。
「お喋りなやつが近くにいんだよ。そいつが、お前がここんとこ毎日ベイブリッジに来ては何時間もずっと立ってるって教えてくれた。−−なぁ。拓ぅ、聞いてもいいかよ？お前は今、何をセロニアスに聞いてんだよ？」
「‥‥‥。」
「死んじまった奴は何にも答えねーだろーが。」
「‥そんなこともない、かな。あそこに行くと落ち着くんだ。時貞くんが居なくなった場所にずっと立ってると、ぐちゃぐちゃに思えていたこととかなんか整理されるみたい。だから、きっと時貞くんは色んなことを教えてくれるんだよ。ただ‥‥今はね。いろいろ考えちゃって。何日かずっとあそこに居たけど、わかんなくて。そのうち、僕はちゃんと時貞くんと本当に向かい合えてたのかなとか考えちゃって‥‥僕は時貞くんを忘れてないのかなって思ってみたりしてね。」
「あいつはちょっとやそっとで記憶から消し去られるような奴じゃねぇだろうよ。」
「‥‥そうなのかな。緋咲くん、覚えてる？増天寺で、時貞くんの音を聞いて、みんながいっときでも争ってたのを忘れたことがあったよね。‥なのに。今はもう、あの奇跡をみんな忘れてるみたいなんだ。‥‥ねぇ、なんでみんな、喧嘩するのかな‥‥‥？」
ここ何日か、ずっとマー坊クンたちを見てはこみ上げてきた想いが、迸るように言葉になって溢れだしてうまく喋れない。途切れ途切れに脈絡のない言葉を並べる拓をどんな目で緋咲は見ているのだろう。
それが俺たちなんだと宣言されて、喧嘩を止めたいという気持ちを必死になって隠して耐えてきた。族だからとか、面子だとか、そんなこと拓には理解できなかった。
なんで？と。もっと話し合ったら解りあえるかもしれないのに、どうして拳をぶつけて傷つけあわなければいけないのっ。
そう、大声で訴えたいのに、わかるだろうと相槌を求める視線が言葉を堰きとめる。
知っている者同士が、闘いあう。どんどんエスカレートする喧嘩に、いつか誰かがイナクなってしまうかもしれない恐怖が、拓の身を竦ませる。
もう自分の目の前から、大切な人がイナクなることなんて耐えられない‥‥。
また明日と、誰もが簡単に別れの言葉を口にするけれど、明日の保障なんてどこにもないのに。
みんな、誰かれとなくぶつかって、喧嘩ばかりで‥‥‥。
みんな友達だから、もう誰も傷ついて欲しくないのに‥‥。
ガクガクと自分の意思では止まらない震えがくる。両腕を廻して、必死に止めようとするのに止まらない。見っとも無いと思うより無力さに、止まれと願ってぎりっと強く唇を噛んだ。
「拓、そんな情けーねツラしてんじゃねぇよ。いまにも泣きそーじゃん、お前。」
ふわり、と。
震えの走る拓の体が一回り以上大きな緋咲の体に包まれる。人肌の温かさに、ひとりでは止められなかった震えが止んだ。
「ひ、ざき、くん‥。」
「そうだなぁ。俺らぁ、バカだからよ。人と理解しあうのも拳しかねーんだよ。とことんまで遣り合って、初めて相手のことぁ、理解できんのよ。許せんのよ。」
まったくバカだよなぁ。
もう一度呟いてトン、トンとリズムよく緋咲の手が拓の背中を叩く。優しい宥めるようなそのリズムに、拓の目に涙が篭った。
「しょうがないだろ。とことんやんなきゃ気がすまねーんだからよ。俺らは言葉は違ってもみんな言ってることは一緒だと思うけどな。‥‥なぁ、拓。考えてみろよ。俺らもそうだったろ？あのタイマンで真剣に向き合って喧嘩したじゃねーか。俺らはあれで理解しあえたんだろ？あれが無ければ、今でも俺らは敵同士よ。」
緋咲薫は浅川拓上等サと続いた声に、ぎゅと緋咲の服に拓の手がしがみつく。一旦収まった震えがまた、拓の体を小刻みに揺らした。
「なぁ。お前がやめて欲しいって思うんだったらそう願えばいいんだよ。どうせお前は族じゃねぇんだし。誰か一人がそんな風にやめさせようと思ったっていいじゃねーか。俺らの喧嘩を止めさせるバカが居たっていいんじゃねーの。」
「‥‥‥。」
「増天寺で、一触即発だったあの空気を昇華させたのはセロニアスだった。セロニアスの魂が見つけた音だったよな。あいつの魂を受け継いだお前が、俺達の喧嘩を止めるっていうんなら上等じゃねーの。お前の魂を見せてみろよ。なぁ、拓。お前の本気を俺らに見せてみな。」
「‥‥うん。うん。」
拓の気持ちも想いも否定しない緋咲の言葉が、染み渡るように体のなかに入り込む。生命張って喧嘩している自分達に、自分も生命張って喧嘩を止めてみせろと言う。
それは。
友達の間で迷い、仕方がないんだと無理に納得させようとしていた拓の枷を外す言葉だった。仇敵として会い、友人を共に失い、拳を交えて解かり合えた緋咲だから言える言葉だ。拓に届く言葉だ。
「ありがとう‥‥。緋咲くん。」
「ふん。礼を言われるよーなこたぁ、何もしてねーよ。」
すんっと小さく鼻をすすって笑う。緋咲は浮上した気配を察して、乱暴に拓を引き剥がした。
いつまでも甘えさせてくれないのは緋咲らしい思いやりで。こうして友達になれたから、緋咲の世話好きなところも、優しさも、強さも知ることができた。喧嘩の果てに理解し合えたから、みんなで仲良くバイクを乗ろうよという自分の、甘い夢だってまだ見ることができるんだと思う。
後悔はしたくないから。
望む明日にするために、走り出す。
迷宮のように暗い道を、光を求めて彷徨っていたここ数日のような走りではなくて。
夢を夢のままで終わらせないために。
みんなが追い続けるスピードの向こう側を見つけ出すために走ろう。
迷いも恐れも吹っ切れて‥‥拓はそれから朝まで緋咲と昔話をした。
緋咲の知っている、拓の知っている時貞がそこには居て。
緋咲の知らない、拓の知らない時貞が居る
二人のなかで、あまりにも身近に時貞が蘇る。
「結局よぉ。俺もお前も、いまこうして二人で会って喋ってたり行動したりするのはセロニアスが居たからなんだよなぁ。俺たちが生きてる限り、俺たちのなかであいつも一緒に生きてんだよなぁ。」
ようやく朝日が昇りつめ、送っていこうと拓を促した緋咲が笑いながら最後に告げた言葉が拓の胸を打った。
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（コメント：素晴らし過ぎですｖｖザキがカッコ良くて・・・読んでいて、「いつHに突入してもおかしくないかも？！」と興奮していたドリーマーは自分の余りの邪さに反省させられました（苦笑）久しぶりに、純粋に『特拓』ＳＳとして楽しませて頂きました。ひょっとして、天羽がキューピット？―――なんて言うと呪いが恐いので、こっそり心の中で思っておくだけにしときますね（爆）本当にありがとうございましたｖ）
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