とらぶる・ばれんたいん
　
　
　「チョコがほしーーーーいッッ！！」
　その雄叫びは、学校中に響く程の大音響であった。
　突然のその声に、教室中が静まり・・・声を発した人物に視線が集まる。
　そうして、その隣でびっくり眼の小さな姿と、飄然とした表情を崩さない相手・・・に。
　「・・・ま・・・マー坊・・・くん？」
　ただでさえ大きな瞳を、更に見開いていた小さな少年が、大声を出した者に問いかける。
　「買ってくれば？」
　無責任に突き放すように言うのは、銀の髪に褐色の肌をした異国の血が混じっている少年。
　「違う違うっ！拓ちゃんのチョコが欲しいんだよぉーーーっ！」
　女の子っぽい顔つきの金髪の少年は、最初の雄叫び同様力拳を作って目一杯にそう言い切った。
　そうして、その様子を恐る恐る周りで見ていた者達の中から、海溝よりもふかーいため息が零れ落ちていく。
　「チョコ？何で、拓ちゃんの、何だ？」
　銀の髪の少年が明らかに不機嫌な顔つきとなったのは、金髪の彼が、欲しいと言った前に、固有名詞がついた為。
　その名前を持つ少年は、ただただ困った顔つきで、居心地悪げに問いかけた相手を伺い見た。
　「それは・・・えーと・・・・」
　何と答えれば、このムードがこれ以上険悪になるのを防げるだろうか・・・との考えは、あっと言う間に、海の藻屑と消えてしまうのだが。
　“考えるよりも、先に動け・・・言いたい事は言った者の勝ち！”を地で生きている者の言葉によって。
　「そ・れ・は、オレが拓ちゃんをだぁい好きだからに、決まってんだろーーーっ♪」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　_いいきっ
　ケラケラケラーーーー☆と笑いながら、“断言し”たお子様程、強い者もない。
　「・・・・・・・」
　当事者は、ただ冷や汗をかく事しかできないというのに・・・。
　いつもならここで、無鉄砲なお子様をやんわりと諭す保父さんが、困ったように現れる筈なのだが・・・生憎とこの場には存在していなかった。
　『―――おいっ・・・誰かアッちゃん呼んでこいっ！？』
　『・・・何処いっちまったんだよぉ・・・アッちゃん・・・・』
　『バカッ！今、今泉に呼び出されたばっかだぞ・・・』
　『邪魔したら、殺されちまうよぉ・・・』
　『じゃあ、この状態をどーしろってェんだ、おい』
　周りでコソコソと話しているのは、お子様の親衛隊達である。
　別名―――『爆音小僧』。
　横浜では、ちっとは名の売れた暴走族だったりする訳で・・・。
　金髪の少年は、その“頭”だったりするのだ。
　猪突猛進型で、何処までも突き進んでから、後悔するのではなく、周りをその状態に無理やり合わせるというゴーイングマィウェイの典型的な性格は、いっそ天晴れという他はない。
　「じゃ、買いに行こーか？拓ちゃん♪」
　そのまま、あっさりと連れて行こうとするその行動を、ビシッと止めたのは、硬直したように固まっていた銀の髪の少年である。
　「“フザケ”んな、ボケ！」
　全く持って、日本語が上手なのは、悪口だけだと言うのは・・・こちらもかなり“良”い性格と言えよう。
　こればっかりは最初にこの国で彼が“兄弟”と認めた人物達が悪かったというだけの事だが。
　「あぁ？」
　言われて睨み返す金髪の少年の眼光は、とても可愛いという形容詞からはかけ離れた威嚇を露にしており・・・ぶつかった場所で火花が飛び散りそうな勢いだったりする。
　そうして、またしても間に挟まれる形となってしまった少年が、泣きそうな表情となる。
　「Ｉ ＬＯＶＥ ＹＯＵ♪拓ちゃん・・・」
　滑らかな発音で、サラリとそう告げると銀の髪の少年はそのまま小さな少年を抱きしめるように抱え込んでしまう。
　「あっ・・あの！？時貞くん！？」
　突然の行動に、包み込まれた少年は真っ赤になってオロオロと腕の中で身じろぐ。
　ブチブチブチッと血管が切れたのは、金髪の少年の方で・・・。
　「もう一遍、二度と戻ってこれないように完全にあっちへ送ってやろうかァ？！」
　ギュオォォと握り拳を込めて告げる言葉は、本気だろう。
　だが、腕の中の少年にスリスリと擦り寄っている者には、全然聞こえていない。
　何しろ、それ以外の存在など、彼にとっては必要もないのだ。
　ただ、腕の中に捕まえている存在だけの為に・・・その側に居たいが為に、ここにいるのだから・・・。
　金髪が逆立って・・・怒りの闘気を全身に漲らせている少年を、チラリと一瞥しただけで、逆に見せびらかすかのように、その柔らかな頬に唇を寄せていく。
　　　　　 　　_みんち
　「テメー、“挽き肉”にしてやる！？」
　ドッカーンと爆発した勢いのまま、その場はいつもの如く修羅場へと突入した。
　
　
　金の髪の少年の名は、鮎川真里。
　前記にもあるように、横浜一のスピードを誇るチーム『爆音小僧』の七代目“頭”である。
　金髪なのは、脱色しているからであって、純粋な日本人なのは、間違いない。
　昨年に、大好きだった憧れの人を、失い・・・その後、その人の目指した『スピードの向こう側』を探し続けて、一度あっち側へ行きかけるが、危機一髪で救ってくれた拓に、ノックアウト的な状態で虜となる。
　尤も、初めて出会ったその時から、路上でナンパしてそのまま遊園地でデートするという快挙を遂げた所から、一目惚れだったという噂も真実に近いものがあるかもしれないが！？
　聖蘭高校一年Ｄ組の総元締め。
　変わって、銀の髪に褐色の肌の少年の名は、天羽セロニアス時貞。
　セカンドネーム・・・洗礼名を持つ彼は、れっきとしたハーフである。
　祖父の家業を嫌った日本人の父親が、放浪先の“自由の国”の母親と出会い結ばれて彼が生まれた。　そんな彼が、何故日本にいるのかは、数奇で過酷な運命の所為なのだが・・・その為に、性格に多少の問題あり、な人間として成長する事になってしまったらしい。
　ここで言う多少と言うのが、どの程度のものを差すのかは、とても説明しきれはしないので、敢えて個々の基準に任せる事としておく。
　とにかく、全てに絶望していた彼が持っていたのは、“音色”と“走り”と唯一共鳴できた、偉大なる詩人『宮沢賢治』の世界だけであった。
　横浜の喧嘩族、『獏羅天』の三鬼龍の一人――“龍神”・“顎の時貞”と呼ばれたナイフは友達“切り裂き魔”であったが、ひょんな事から拓と知り合うようになって・・・彼を理解ってくれようと努力してくれる拓の誠意に、いつしか強く引きつけられるようになり、やがてその存在が時貞の中に刻まれる頃には、唯一になってしまっていたのだ。
　それが、確認できたのは・・・皮肉な事に、全ての絶望から解放された瞬間に起きてしまったバイク事故で、ボロボロの状態になって片足をあっち側へと踏み出してしまった時だった。
　最後に浮かんだ拓の泣き顔に、酷く胸が締めつけられて・・・零れ落ちる涙を止めたくて・・・悲しませたくなくて・・・生死の境から、戻ってきてしまったのであった。
　誰もが口を揃えて奇跡だと告げる中で、拓だけが素直に口にした言葉に、彼はずっと捕らわれてしまった。
　『・・・おかえり・・・』
　一週間の意識不明の危篤状態だった彼の元へと、毎日来てくれたと知った時の、胸に沸き上がった衝撃は一生忘れられないものとなるだろう。
　両親を失ってから、初めて、彼は自分がこの世に生を受けた事を・・・拓と巡り合えた事を、幸せだと感じたのだった。
　彼に取って、学校など無縁の物であったが、そこに拓が居るというだけで、パラダイスなので、今現在、ここに至る。
　聖蘭高校一年Ｄ組所属・・・として。
　最後に、我等がアイドルの、小さくて可愛くて守ってあげたいナンバー１の黒髪パーマの少年の名は、浅川拓。
　別名、“強運と縁組を交わした”少年。
　踊らされているのか、周りを巻き込んで踊っているのかは、理解らないが・・・とにかく運命に持て遊ばれていると言っても過言ではない程、自分の意思と無関係な所で現実が進んで行ってしまう現象は、いっそ哀れと言うしかない。
　半年前まては、ただのいじめられっ子だったのだが、ある出会いが拓の運命を大きく変えてしまったらしい。
　−鳴神秀人−という、横浜最強の族である“外道”の事実上の“頭”に憧れ、彼のように強くなりたいと願い始めた時から・・・。
　様々な体験をして、殴られる痛みも、殴る痛みも知り・・・でも、本人は極めて平和主義者だったりする。
　そこがまた、力しか知らなかった者達に取って、不可思議な存在となり・・・極端の位置として引きつけられるのではないかとも思うのだが・・・それを不幸と取るべきか、幸せと取るべきかは、定かではない。
　人に好かれる事を嫌う人間と言うのは、余りいない。
　取り合えず、いじめられっ子だった時よりかは、辛くはないし、“友達”として扱ってくれる彼等を大切だとも思っているのだ。
　尤も、度を越した好意は、迷惑以外の何物でもないが・・・。
　いじめられっ子だった時の経験から、他人の想いに酷く弱いので、時貞のような純粋な好意は、無下にはできないのだ。
　誰もが畏怖し・・・目を逸らす中で、その時貞に対して、淋しそうな瞳をしていると思ってしまった時から、既に“術”にかかってしまっていたのかもしれない。
　他人がどう思っていようが、拓は本当に普通の高校生なのだ。
　知識も常識も、だからその程度しかなくて・・・なのに、周りの者達のそれは、拓の想像以上の行動で迫ってくるので、拓には応えようもない。
　目指せ友達百人☆・・・と思っている拓は、皆で仲良く過ごせればそれだけで幸せなのだ。
　この場合、人数は多ければ多い程嬉しいのだが・・・如何せん、拓の周りに集まってくる輩は、わがままな者が多過ぎた。
　自分が拓の一番でなくては、気が済まない・・・と言うのだ。
　だからと言って、拓に選べるぐらいの度胸があるのなら、“強運と縁組”など交わしはしない。
　だから、毎日がとてつもなくハードに過ぎていくだけで・・・。
　新しい知り合いが増えれば増える程、人間関係がこんがらがって頭痛の種が増えていく気がしてならない今日この頃であった。
　現在、聖蘭高校一年Ｄ組のマスコット・・・らしい。


　事の起こりは、真里の親友である『爆音小僧』の皆のお父さん的存在である“アッちゃん”こと真嶋秋生が、彼女候補である今泉ミキから呼び出された事が原因でもあった。
　周りの連中が散々秋生を冷やかして、見送った後で、今日が何の日だったのかを思い出した真里が、突如として叫んだのだ。
　―――拓のチョコが欲しい・・・―――と。


　修羅場と言うのは、そりゃもう、眼も当てられない状態な事を言う訳で・・・。
　何処までも、常識と仲良くしたいといつも望んでいる拓にとって、その光景は胸が痛くなる以外の何でもなくて。
　―――どうしよう・・・。
　二人の想いが、本気なのだと気付いていないが為に、ただ息苦しい拓は、心底困った顔で辺りに救いを求めた。
　だが、そこはそれ・・・顔は可愛いが、性格が反比例するジキルとハイドのような真里と、人類未踏の不可思議現象を巻き起こせる“龍神”に対して、どうこうできる人物など、この場所にいる訳もない。
　これが、夜の町とかならば、時貞が“兄弟”と呼ぶ拓の幼馴染みとか、爆音小僧六代目とか・・・拓を可愛がる事にかけては天下一品の者たちが、救いに来てくれる筈なのだが、如何せん、ここは悪党供の巣といわれる場所なのだ。
　下手に救いなど求めて、それ相応の実力者が現れたら、それはそれでまた、更に事態が悪化する事は目に見えていた。
　「あ・・・あの・・・」
　それは、まるで小さなアリが、巨大なゾウと百獣の王のライオンの闘いの仲裁を行おうとするぐらいの勇気がいる事かもしれない。
　それでも、自分の事で喧嘩などしてほしくはないのだ。
　「―――ボク、チョコ買ってくるから！？」
　そのまま、ダッシュでその場所から逃げだす。
　お子様の要求は、満たしてやれば、ダダをこねるのを止めるのだ。
　もう片方の機嫌が最悪になるのは、目に見えていたが・・・キチンと説明すれば、きっと理解ってくれるだろうという儚い希望にかけて見る事にしたのであった。
　「えっ☆」
　「拓ちゃんっ！」
　二人が気付いて時には、既に拓の姿はその場から消えてしまっていた。
　ゴゴゴ・・・遠くの方から地鳴りが響く。
　“龍神”の怒りが、空気に浸透していき・・・辺りが暗くなっていく。
　何よりも大事で愛しい“宝珠”が、手元から離れてしまったのだ。
　カッ！
　ガラガラドッシャーンッ！！
　雷光と共に、大音響が空から降ってきた。
　「わーい☆チョコレート、チョコレート♪」
　だが、そんな天変地異も何のその。
　キャラキャラと喜ぶ真里にとっては、眼中にない。
　“龍神”と為を張れる“お子様”は、やはり強かった。
　「ガッデム！」
　拓以外の事にかけては、無関心だった“龍神”が、遂に本気になったらしい。
　その瞳の色が、穏やかな“赤銅色”から、“紅蓮”へと変化していく。
　ユラリと立ち上ったオーラが、放電現象を起こして・・・。
　「うわーーーーん！？助けてっっ！！」
　真里に放出される筈の稲妻が、一瞬の内に立ち消える。
　突如として聞こえたその悲鳴によって。
　「拓ちゃん？！」
　真里の表情も一遍して、真剣な物となった。
　先に動いたのは、時貞で・・・悲鳴が聞こえた外を見る為に窓へと駆け寄る。
　同じように動いた真里も、外へと視線を向けて・・・。
　二人の闘気が、燃え上がった。
　校門の側でバイクに跨がった状態のまま、拓を捕まえている者の姿を視界に捕らえた為に。
　「てめぇ・・・！！」
　「誰よ、あいつ？！」
　その存在を知っている時貞は、激しい“怒り”を表し・・・知らない真里は拓を捕まえていると言う事に対して、同じ気持ちを持った。
　背中まで流れるウェーブの髪は、金髪で・・・化粧を施した顔は、遠目でもかなりの美形だと判断できる。
　一見しただけでは、モデル並の容姿をしている美女とも取れるが・・・そこはそれ、拓に対して邪な想いを抱いている二人は、それがライバルだという事をいち早く感じ取ったのである。
　感性が動物並からかもしれない・
　「うわーん！？離してェーーー！！」
　「拓ちゃんは、い・た・だ・き♪」
　片手で拓を抱えたまま、反対の手でウィンクと投げキッスをされた日には、やられた方の怒りの度合いは凄まじい物であろう。
　ピキーン　ときた二人の取って行動は、奇しくも同時であった。
　「・・・　・・・」
　「“上等”だよ、テメェッッ！！」
　窓の枠に片足を引っかけて・・・飛び下りたのである。
　『ヒイィィィッッ！！』
　目の前から二人の姿が消えた教室の中は、声にならない悲鳴が上がる。
　何しろ、ここは三階なのだ。
　ちょっと飛び下りるという高さではない。
　「拓ちゃんにネ♪チョコ持って来たんだ。手作りだから、チャンと食べてネ☆」
　捕まえた拓の耳許に、真っ赤な唇を寄せて囁く美人には、そんな事はどうでも良い事のようであるが・・・二人が三階の窓から飛び下りたのを、しっかりと目撃してしまった拓に取っては、心配でどうしようもない。
　「マー坊クンッ？！時貞くんっ？！」
　必死にもがいて、その戒めの中から出で、二人の安否を気づかう拓であったが、それを許す相手ではなかった。
　「離して！二人が・・・」
　「ダイジョーブ。あいつら、“ニンゲン”じゃナイから☆」
　顔に似合わない凶悪な事を、にっこりと言われる事程、心臓が痛くなる事もない。
　「―――拓ちゃんっ！」
　だが、言葉どおりに、こちらに駆けてくる二人の姿を確認した拓は、ただただ肩をがっくりと落とす事しかできなかった。
　「わっ！？」
　その力の抜けた一瞬を見計らった相手が、ヒョイと拓を抱え込むと、信じられない姿勢でバイクを発車させた。
　「ヒーーーーッ！？」
　拓の悲鳴が上がる。
　下手に動けば落ちてしまいそうなので、無意識の内に相手に身体にしがみつく恰好となってしまっているのだが・・・。
　「可愛いネ。拓ちゃんは・・・」
　クスクスと笑う相手には、そんな動作も喜びとなるのだ。
　そんな二人の乗ったバイクは、アッという間に風と共に走り去ってしまった。
　
　
　「・・・チッ？！」
　「何モンだァ？！・・・あいつ・・・　」
　後少しで追いつかなかった時貞が、ペッと唾を吐き出すと、ビキビキと血管を浮き立たせた真里が低く呟く。
　「・・・“湘南”。」
　バイクの去った方向を見つめたまま、ボソリと時貞が言うと、真里はギュオォッと拳を握り締める。
　「“絶対”、取り戻す。」
　「当たり前だッ！オレの拓ちゃん渡さねーヨっ！！」
　「―――てめェのじゃナイ　」
　またしても、ここで修羅場となるか？という場面で、救いに入ったのは後から走ってきた人物であった。
　「マー坊！何があった？！」
　「あっ・・・アッちゃーーーんっ！？拓ちゃんがァ・・・！？」
　真里の幼馴染みであり、『爆音小僧』特攻隊長である真嶋秋生だけが、唯一真里の暴走を抑えるストッパーとなれるのであった。
　「拓？！拓がどうしたっ？！」
　また、限りなく常識に一番近いので、余りにも不幸を背負っている拓に並々ならぬ感情を持っている秋生は、保護者ともなっていたりする。
　事が拓に絡んだと知るや否や、表情を一遍させた秋生に、逆に真里の方がたじろぐ。
　「奪われた。」
　だから応えたのは、時貞である。
　「なにぃっ？！今度は何処のどいつよぉ　」
　ビキビキと血管を浮き立たせていく秋生の怒りは激しい。
　普段物静かなだけに、その迫力も異様な物となる。
　だが、その感情が兄が弟を心配する感情に近いという事を知っている時貞は、今度は素直に口を開いた。
　「湘南・・・“聖龍連”の・・・」
　時貞の呟きが、その場の空気を震撼させていった・・・。
　
　
　さて一方、連れ去られた拓ちゃんの方は―――と言うと・・・。
　『ヒイーーーーッッ！？』
　それはそれは、のっぴきならない状態に陥っていたりする。
　連れ込まれたのは、マンションの一室。
　大きなベットの上に落とされて、自由になったのも束の間・・・とんでもない状態に意識を失う暇もないのだ。
　「どうやってチョコ渡そうかと思ってたら、一人で出てきてくれるんだモン☆祈りが天に通じたんだネ♪」
　ニーッコリと浮かべる微笑は、見惚れる程の美しさではあったが、身の危険をヒシヒシと感じている拓には、それ所ではない。
　「あっ・・・あの・・・落ちついて・・・ボ・・・ボク・・・男だし・・・！？」
　前に一遍ラブホテルに連れ込まれているだけに、そんな事は百も承知な筈なのだが、も一遍だけ無駄な説得を試みてみる拓は、何処までも常識とお友達でいたかった。
　既に過去形になってしまうのは、常識外の連中ばかりに好かれているからである。
　つまり、馬耳東風・・・状態なのだ。
　「知ってるヨ、勿論♪」
　この場合、問題なのは、相手も男の人なのだという事だったりする。
　金髪をウェーブさせて、背中まで流していて、化粧をしてモデル並の美人が、男だったと知った時の拓の衝撃は、量り知れないものであろう。
　何しろ、二度程唇を奪われた後に知ったのだから！？
　「だったら・・・どうして！？」
　この場合、拓には自分がどれ程周りの連中を牽きつける存在であるのかという自覚はない。
　この相手とて、最初は単なる興味からチョッカイをかけただけなのだが・・・“触”れる度に、拓の“本質”を知り、その“純粋”な魂を手に入れたいと思うようになってしまったのだ。
　湘南最大の族“聖龍連”に所属する『阿修羅王』の親衛隊の『曼珠沙華』の“頭”である−−千冬慎。
　化粧をするのは、綺麗でいたいからと言うのは表向き。
　彼に取っては闘いの為の儀式でもあるのだ。
　彼の親友であり、『阿修羅王』の“頭”である八尋渉に言わせると、趣味以外の何物でもない・・・らしいが、定かではない。
　だから、女と間違えられるのは、大っ嫌いなのだが・・・取り合えず、拓に対してはその手で近づいた手前、許容しているらしい。
　初めての出会いは、夜のロードでだった。
　バイクに乗った拓の背中に、彼は“龍神”を見つけたのだ。
　そうして、その存在が、“龍神”の宝物である“龍珠”の輝きを秘めている事に気付いて興味を持ったのである。
　その夜は、別の邪魔がその“龍珠”を守護するかのように動いた為に、それ以上の接近はできなかったのだが・・・。
　後日、改めて横浜に探しに行ったさいに、偶然とも言える再会を果たし・・・都合の良い事に気絶した拓を手に入れて、その“純粋”さに味をしめた瞬間から、虜になってしまったのであった。
　舌に残る芳醇で甘美な“血”の味が忘れられなくて・・・。
　そうして、獲物は、今現在この手の中に居るのだ。
　ゾクゾクする程の喜びが、千冬の全身を覆い尽くしていた。
　
　
　「・・・やっ・・・！！」
　ベットの上で、必死に逃れようとしている小さな身体を組み敷くと、そのまま千冬は怯える拓の首筋に唇を寄せた。
　「・・イタッ・・・？！」
　小さな悲鳴が上がるのと同時に、千冬の舌にあの感覚が蘇る。
　鮮やかな程の“生命の輝き”。
　汚れたこの世界の中で、何という“清浄”な心を持っているというのか・・・。
　それは、“純真”な心。
　誰かを信じるとか・・・希望とか・・・願いとか・・・全ては“力の源”で・・・。
　「ステキだ・・・拓ちゃん・・・」
　うっとりと囁く千冬の台詞が、満足した狩人の想いであった。
　暫く首筋にキスをしていた千冬は、傷つけた場所をペロリと舌で嘗めると、漸く身体を起こして拓を伺い見るが、何をされるか理解らない拓は、ガチガチと全身を硬直させて固まっていた。
　そんな拓に向かって、千冬はフッと微笑を浮かべて見せた。
　「チョコ、食べる？」
　途端に、拓は信じられないという風に大きな瞳をまん丸に見開いて、千冬を凝視する。
　「あっ・・・」
　小さな呟きが、その唇が漏れて、届く。
　スッと身体を離すと、千冬は懐から小さな包みを取り出して拓に差し出した。
　「え？！あの・・・・」
　「食べて・・・ネ。」
　お願いと言うよりは、強要的な言い方に、拓は言葉もなくブンブンと首を縦に振って見せた。
　そうして、手の中に渡された包みを困惑した表情で開いていく。
　可愛らしいラッピングの包みは、千冬の容姿とはかけ離れているような気もするが・・・取り合えず拓はジーッと見つめている視線から逃れる為にそれだけに意識を集中させる。
　幾重にも巻かれている中から、やがて小さな袋が出てきた。
　その中には、小さなハート型のチョコが入っていたりして・・・。
　拓の顔に冷や汗が流れ落ちる。
　突然に、拓を拉致して襲うという行動を取るかと思えば、手作りでこんな物を作ったりするのだ・・・・
　食べるのが、とっても怖い。
　たかがチョコであるのだが・・・。
　これを食べたら、取り返しのつかない状態になってしまうのではないかという・・・不確かな予感が、拭えないのだ。
　包みを開いたまま、中々チョコを食べない拓に、先に行動を移したのは、千冬の方だった。
　「食べさせてあげる♪」
　「えっ？！あの・・・！？」
　にーっこりと微笑った千冬が、ズイッと動き、拓が思わず逃げ腰になった時であった。
　「・・・千冬さんっ！？」
　バタンッとドアが開いて、一人の美人が飛び込んできた。
　「何だ？！ジャマすんじゃねぇよっ！！」
　アッという間に、男言葉と戻る千冬に、拓はクラッと目眩を起こしかける。
　「スイマセンッ！！？でも・・・その・・・會長が・・・・」
　「―――千冬・・・　」
　美人の後ろに、ババーンと現れたのは、“聖龍連”の“會長”であり、『阿修羅王』の“頭”である八尋渉その人であった。
　「何だよ・・・ヒロ？！」
　「てめェ・・・また、抜け駆けしやがったナ・・・　」
　乱れた髪をかきあげて、千冬がチラリと視線を流すと、ぶつかった場所で火花が散った。
　「抜け駆けなんかしてネー。第一、バレンタインなんか興味ないって言ったのは、ヒロだろ。」
　「―――千冬・・・。だったら、テメーの行動で右往左往する奴らの事を少しは考えろっ！どいつもこいつも俺のトコに聞きにきやがって・・・こいつらを見つけ出すまで、何時間かかったと思ってやがる　」
　「・・・スイマセンッ？！千冬さん・・・恵一の奴が、“カレシ”に嫌われたら、死んだほうが良いって・・・・」
　「“カレシ”・・・って？」
　飛び込んできた美人が、青冷めたのは、千冬の凍りつくような眼差しを、見てしまったからである。
　「・・・『アシュラ』の亨さんです・・・・」
　こわごわと告げた瞬間に、その場にパアンという音が響く。
　「八尋っ！！ウチのメンバー脅したな？！」
　「でなきゃ、テメェの居場所を割らねェだろーが。」
　千冬の繰り出した拳を、八尋が手の平で受け止める。
　「だからって、やり方が“汚”ねェヨっ！」
　「ほー・・・どっちが？俺が甘いモンが嫌いだって事を知ってる癖に、全然正反対の事をバラして、女供で俺の行動範囲を束縛しようとしやがったのは、何処のどいつだ　」
　何だかとんでもない内輪もめが始まっているらしいが・・・拓は気が気ではない。
　「それは・・・」
　言葉を濁した千冬が、クルリと振り返った途端に、拓はビクンと萎縮した。
　「―――拓ちゃんに会いたかったんだ・・・」
　『ヒッ？！！？』
　グイッと抱き寄せられて、その腕の中に捕まった途端に、拓はまた自分が修羅場の中に引き込まれてしまった事を悟った。
　「何処の“チョウチョ”かしんねーけど、何で動いちゃいけねェんだよ？！オレはカンケーねェ。八尋が気になるんなら、好きに“アソ”べば良いだろ。」
　「バカ野郎。あそこで得体の知れねェのは、一人だけだ。もう時期“キチガイ”が戻ってくるウワサもある。そんな時に、“横浜”の連中とモメてらんねェんだヨ。」
　「イ・ヤ・ダ。」
　「千冬っ！」
　「ウルサイっ！！帰れヨっ！」
　拓をギュッと抱きしめたまま千冬は感情的な言葉で八尋を拒絶した。
　自分を抱きしめる千冬の腕が、密かに震えている事に拓は気付いた。
　そうして、その抱擁が時貞と同じだという事―――に。
　拓が初めて千冬と出会った時に、千冬は八尋と供にいた。
　完全に千冬を女神のように美しい女の人だと思い込んだ拓は、八尋の彼女だとも思う程二人の間に流れる空気は親密な物だったのだ。
　それを拒絶してまで、自分を捕まえている腕が、何だか切なかった。
　時貞と同じように、拓に何かを求めているような感覚に、拓はどうすれば良いのか理解らなくて途方にくれてしまう。
　「あっ・・・あの・・・千冬・・・さん？！・・・」
　小さな呟きが、拓の口を開かせる。
　「―――チョコ・・ありがとうございます！？あの・・・でも・・・ボク、友達が待ってるから・・・きっと心配してくれてる・・・と思う。―――だから、ケンカしないで・・・・」
　「拓ちゃん・・・？」
　「ボク・・・千冬さんの事・・何も知らないから・・・だから・・・その・・上手くなんて・・言えなくて・・・でも・・・？！マー坊クンや時貞クンが・・・ボクにはとても大切な“友達”で・・・だから、“敵同士”になったりしたら・・とても悲しいし・・・・だから・・・帰して欲しい・・・」
　困ったように、だが真っ直ぐな瞳で、拓は千冬を見つめる。
　その瞳の中には、千冬に対する嫌悪は全くみられない。
　普通の者なら、突然拉致されて、理不尽な状態でここまでされて怒る筈なのだが・・・拓には、怒りは見られなかった。
　ただ、自分を心配しているだろう“友達”の元へ帰りたいと望むだけで・・・。
　喩え、無理やり自分の元へと閉じ込めてしまったとしても・・・その心を手にいれる事はできないのだ。
　千冬の中で、言い知れない感情が沸き上がる。
　ここでいつもの彼ならば、喩え心を手に入れられなくても、その“血”を得る為に自分の“モノ”にする所なのだが・・・拓に対してそれができなくなっていた。
　深い深い“想い”が、全身を支配していく。
　「・・・また、会ってくれる？」
　問い掛けは、酷く弱々しいものとなっている。
　「―――はい・・・。」
　陰りのない、真っ直ぐな瞳が小さく頷く。
　そんな拓を、もう一度ギュッと抱きしめると・・・スッと千冬はその身体を手放した。
　「“ミズキ”・・・」
　「はっ・・・はいっ？！」
　静かな声がかかって、部屋の隅で恐縮していた美人が反射的に返事を返す。
　「拓ちゃんを・・・“横浜”まで・・・」
　それだけを告げると、千冬はクルリと背を向けてしまう。
　両手で自分の身体を抱きしめるような状態のまま、壁際で佇んだままピクリともしなくなる。
　「―――行けっ！」
　「はっ・・・！」
　呆然としていた美人に、命令を下したのは、八尋だった。
　深く頭を下げるとそのままベットに近づく。
　その間に、乱れた服を着なおした拓は、促されるままに、ベットから降りて、靴を履くと・・・仁王立ちをしている八尋に向かってペコリとお辞儀をして部屋を出て行った。
　そうして、部屋を一歩出た瞬間に、硬直する。
　ズラリとドアを囲むようにしていた“聖龍連”の者たちの姿に！？
　「ひっ！？」
　「“ミズキ”っ！“千冬”さんは？！」
　「すげー、怒ってた・・・・」
　途端に、周りの連中の中から息を飲む音がする・・・。
　だが、拓が驚いたのは、美人だと思っていた“ミズキ”と呼ばれていた人物が男だと気付いてしまったからであった。
　と、すると、部屋の中を食い入るように見つめている者たちの中に混じる、千冬と同じ特攻服（なのだろう！？）を纏う者たちも全員・・・！？
　末恐ろしい考えに陥ってしまった拓は、思わず泣きそうになってしまった。
　“あなたの知らない世界”に、思わず足を踏み入れてしまったかのような怖さである。
　「俺は、これから“横浜”に行ってくる。」
　「何で？！」
　突如上がった疑問は、ミズキが振り返った視線に集中した。
　「誰だ？このチビは・・・？」
　「あーっ、こいつって・・・“千冬”さんのお気に入りぃーー！」
　「何ぃっ？！」
　化粧をしていない連中は、『阿修羅王』という特攻服を着ていたので、八尋のメンバーである。
　『曼珠沙華』の一人が叫んだ言葉は、その場を阿鼻叫喚の図にするのに、十分な威力を発した。
　「何で、こんなチビが“千冬”さんのぉ？！」
　ギラギラとする殺気に、拓は硬直したまま、動けなくなってしまった。
　「バカヤロウッ！てめぇら、道開けろっ！！」
　そんな彼らを一喝したのは、出口から飛び込んできた者であった。
　『阿修羅王』の副リーダーである。
　「・・・お前が、浅川、拓か？」
　全く見ず知らずの者に名前を言われて、拓は心底びびってしまった。
　「はっ・・・はい・・・？」
　「経堂？」
　恐る恐る返事を返す拓と裏腹に、拓を送るように言われていた瑞貴が問いかける。
　「お迎えが来てるゼ・・・」
　苦虫を噛み潰した表情は、闘神と呼ばれる彼のいつもの物とはかけ離れているもので・・・。
　その言葉の意味に、気付いた拓が、走りだす。
　ドアを出て、エレベーターに乗り込み・・・一階まで降りると、そのままマンションから駆けだした。
　「・・・時貞くんっ！マー坊くん・・・みんなっ！！」
　「拓ちゃんっ！」
　拓の声に、最初に気付いたのは、時貞だった。
　掴んでいた奴をそのままほっぽりだすと、あっと言う間に拓の元まで飛んできて、拓の身体を抱きしめた。
　「―――拓ちゃん、拓ちゃん・・・拓ちゃん・・・。」
　きつくきつく・・・再び離れるのを許さないかのような抱擁は、時貞の“想い”。
　「拓ちゃんっ！」
　「拓っっ！！」
　泣き笑いの表情で、飛び込んできたのは、真里である。
　先程までの修羅の形相は何処へやら・・・すっかりいつもの笑顔を向ける。
　「無事で良かった♪」
　半ば時貞から奪いとるようにして、ギュウゥッと抱き締める。
　この場合、時貞が譲った訳では、決してなく。
　真里の恐れる程の馬鹿力が、発揮されただけである。
　「まっ・・マー坊くん・・・・」
　キュッと抱き込まれた息苦しさが、嬉しいやら、恥ずかしいやらで・・・拓は小さく呟く。
　喩え、その方法はどうであろうと・・・ここまで拓を探しにきてくれた事に対して、胸が一杯で・・・。
　「拓ちゃん・・・。あいつ、ドコ？」
　だが、口調を変えた時貞の台詞に、拓はビクリッと身を竦ませた。
　「そーだっ！あのフザケた奴は？！」
　続けて尋ねてくる真里の本気の視線に、拓はオロオロとしてしまう。
　ここで拓が下手な事を言えば、“横浜”と“湘南”の間で、“戦争”が始まってしまうのだ。
　だから、迂闊な事は言えないのだが・・・だからと言って、上手く説明する事など、この二人の前では皆無である。
　「あ・・・あの・・・」
　困ったような視線が、第三者の存在を捕らえた途端に、丸くなる。
　「おら、拓が見つかったんなら、もう良いだろーが。これ以上騒ぎを大きくすっと、マッポがきちまうゾ。」
　誰よりも便りになる超アニキの『爆音小僧六代目』である真嶋夏生が、そこに立っていた。
　「だけど、“ナツオ”さんっ？！」
　その意見に不服そうな面をして、真里が食って掛かる。
　「じゃー、先に拓を連れて帰るから、好きなだけ遊んでろ。行くゾ、拓。」
　口に加えていたタバコを足で消すと、夏生はきっぱりと言い切って、真里の腕の中から拓を取り上げてしまう。
　「―――帰るから、拓ちゃん返せ。」
　その途端に、その腕からまたしても時貞が拓を奪おうとする。
　「テメェの単車じゃ、タンデム組めねェだろうがよ。」
　幾ら引退をしたとは言え、その迫力はまだまだ健在であった。
　凄まじい威圧感に、“龍神”が圧されたのだ。
　「おら、行くゾ。ガキ共・・・」
　口は悪いが、貫祿は十分である。
　拓を抱えたまま配達用の軽トラックに乗り込むと、有無を言わさない勢いで車を発進させてしまった。
　「チェッ！―――帰るよ、皆！」
　愛車のフォアに跨がった真里が、号令すると、『爆音小僧』のメンバー達もそれぞれ自分の単車に戻る。
　「・・・あの“ビジン”に言っとけ。―――次に“横浜”で見掛けたら、ブッ“殺”ス。」
　ボロボロにされていた“湘南”の奴に向かって、凍りつくような一瞥をくれると、真里は低く威嚇の言葉を残した。
　時貞の“悪魔の槌鋸”は、さっさと走りだした夏生のトラックの後ろにべったりとくっついたままで、既にこの地に未練はないようであった。
　そうして・・・。
　正しく“強者どもが夢の跡・・・”状態の現状が、“聖龍連”のメンバー達に悪夢として刻み込まれる事になったのであった。
　たった十人足らずで、『阿修羅王』の戦闘メンバーの三分の一を壊滅させた“疾風”に対して・・・八尋は面白そうに笑っただけであったが。
　一人部屋の中に残った千冬は、ベットの上で、拓の温もりを探して横になると・・・胸ポケットの中に入れておいた写真を取り出す。
　それは、隠し撮りさせた拓の姿であり・・・。
　「拓ちゃん・・・。」
　小さく呟く千冬は、艶やかな唇をほんの少しだけ持ち上げて微笑った。
　どうやら、ここにも懲りるという言葉を知らない人間が存在するらしい。
　“横浜”・“横須賀”・“湘南”・・・神奈川制覇も後少しである。
　それが、拓にとって良い事なのか、悪い事なのかは・・・また別の話であるが・・・。
　
　
　凄まじい一日が、やっと終わりを告げようとしていた。
　だが、ここにきて、真里の最後の悪あがきが入ったりして・・・。
　「拓ちゃんのチョコレート食べたい・・・」
　また、諦めていないらしい真里に、拓は冷や汗をかいてしまった。
　「マー坊くん・・・・あっ・・・あの、“夏生”さん・・・コンビニに寄って下さい・・・・」
　横浜に戻ってきた途端に、軽トラックの横にくっついた真里のセリフに、拓はがっくりと肩を落として運転手の夏生にそう頼んだ。
　真里の台詞と、拓の態度に夏生は漸く全てを納得して、困ったように苦笑した。
　「仕方ねェなぁ・・・あいつは・・・・いつまでたってもガキでよぉ・・・」
　「―――あの・・・どうもありがとうございました。」
　ご要望通りにコンビニの前で拓を降ろすと、夏生はそう呟いて、仕事場に戻って行った。
　拓のお礼の言葉に、何でもない事のようだと手をヒラヒラと降りながら・・・。
　「拓ちゃーん♪」
　単車から降りた真里が、満面に笑みを浮かべて拓に飛びついていく。
　これでは、時貞の機嫌は最悪だろうと思った拓が、チラリとそちらを見やると、意に反して、時貞はおとなしく佇んでいるだけだった。
　「あー、オレねぇ、チョコレート・アイスが食べたぁーい☆」
　喜々として拓に抱きついたまま、真里は拓を促して店の中に連れ込んでしまう。
　時貞は、そのまま外に佇んだままで・・・ついつい拓はそちらが気になって仕方ない。
　「やったぁ♪拓ちゃんのチョコーーー☆」
　やがて、拓がお金を払ったチョコレート・アイスを持った真里が、“猫にまたたび”状態で店から出た。
　「良いだろー、拓ちゃんのチョコ♪」
　にっこり笑顔の真里は、そのまま見せびらかすかのように時貞にそれを向けて、拓の心臓を縮み上がらせた。
　横では、秋生が無鉄砲な真里の行動に頭を抱えていたりする。
　あわや、修羅場か？！と思われた瞬間、時貞がニコリと微笑した。
　「良かったな。」
　その余りにもあっけない展開に、周りで緊張していたメンバーたちが玉砕する。
　「お・・・おうっ☆」
　不意をつかれたような真里も、更に深い笑顔を浮かべた。
　そうして、拓も漸くホッと肩の力を抜いた。
　時貞が、真里と仲直りをしてくれようとしているのだと思って・・・。
　だが・・・それは、一時もしない内に海の藻屑と消え去るのである。
　「時貞くん・・・。」
　嬉しそうな表情の拓を、ガバッという勢いで時貞が抱きしめた。
　「オマエが欲しかったのは、拓ちゃんのチョコで、その望みは叶った。次はオレの番だ。」
　「オレの番・・・？」
　意味不明な時貞のセリフに、嫌ーな予感が背筋を這い上がっていく。
　「オレの望みは・・・欲しいのは、拓ちゃんだヨ・・・」
　うっとりとした表情で囁かれて、拓の身体がピキーンと凍りつく。
　一難去ってまた一難・・・。
　時貞がそういう性格なのだと、すっかり忘れていた拓にも責任はある。
　“右の頬を叩かれたら、左の頬を差し出せ”等というクリスチャンに当てはまらないこの御仁は、はっきり言って“目には目を・・・歯には歯を！！”というアラーの神の方が相応しいかもしれない。
　時貞の怒りは、半端な物ではなかった。
　余りにも静かなだけに、嵐の前の静けさという事を忘れていたのかもしれないが・・・。
　ハッと気付いた拓が逃れる間もなく・・・あっと言う間に唇が奪われていた。
　「あーーーーーーーーーーーーっっ！！」
　「・・・んーーーーーっっ！！」
　真里の雄叫びと、拓の声にならない悲鳴は同時だった。
　戦慄がその場所を包み込む。
　「今夜・・・オレのモノにするよ・・・」
　ゆっくりと唇を離した時貞の“紅蓮”の瞳が拓を真摯に見つめる。
　金縛りにあったように、拓は呆然と真っ白になっていた。
　「てっめぇーーーっ！！」
　ブチブチと血管から血を吹き出しそうな勢いの真里が、大魔神のような表情でワナワナと全身を奮わせる。
　「オマエは、ちゃんと、チョコを受け取った。だから、オレの邪魔をするな。」
　ビシッと言い切る“龍神”の迫力も相当なものだったりして・・・。
　「ずりぃよ・・・そんなの・・・！今日はバレンタインなんだから、チヨコが欲しいのは、当たり前じゃんかよォ・・・！」
　プーッと膨れる真里には、常識という言葉は通用しない。
　正式に言うならば、バレンタインと言うのは、女の子が男の子に告白する日であって、その気持ちを伝える手段にチョコレートを送るのは、お菓子会社の陰謀であって、決して無理やり、しかも同性にねだってもらう物ではないのだ。
　そんな自分の事を棚に上げきってしまうのは、やはり“自己中心型”の性格かもしれないが・・・時貞を責められる立場ではないだろう。
　だがしかし、目の前で大好きな人のキスを奪われて黙っていられはしないのだ。
　「―――別にオレはチョコなんか欲しくない。」
　きっぱりと言い切る時貞は、はっきり言って女性の敵かもしれない。
　昔っからそうであるが・・・その、切り捨てるようなクールな態度に騙されて、泣きを見る女性も少なくはなかったりする。
　その癖、拓に対してだけは、淋しそうな表情を浮かべて人恋しい態度を取るのだから、油断のならない男である。
　拓の優しい気持ちが、時貞の孤独に気付いて・・・ほっとけないという感情を逆手に取る癖に・・・そんな事を言うのだ。
　「欲しいのは、拓ちゃんだけだ。」
　ここできっぱりはっきりと断言されても、拓は嬉しくない。
　逆に、これから先の事を考えて、目眩が起こりそうな程である。
　時貞の要望に比べたら、真里の願いなど・・・可愛いものだったと言う事に気付いて、ハアァ・・・と深いため息を零す。
　ドッカーーーンッ！
　またしても、真里の感情が大爆発を起こす。
　本日、二度目のバトル・・・。
　この闘いの勝者が、拓と一緒に過ごす権利を主張するらしい。
　困ったように周りを見回していた拓は、ふとポケットの中に手を入れてその存在に気付く。
　小さな包みに包まれた・・・チョコ。
　そうして、意識を飛ばす。
　この“横浜”に住む・・・“彼の人”の元へ。
　どうせチョコをあげるなら・・・。
　そこまで考えて、拓はポッと頬を赤らめた。
　初めて会った時から、その強さに憧れて・・・今も拓の意識を捕らえて離さない・・・ただ一人の・・・。
　拓が聖蘭高校に転校してから、一度も再会できない・・“想い人”。
　“・・・元気にしてるかな？―――秀人クン・・・”
　届かない想いは、疾風に乗って“横浜”の町並みに流れていった。
　
　
　―――その後、真里と時貞のバトルで、どちらが勝ったのかは定かではない・・・（汗）
　
　
　
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