真嶋商会のひ・み・つ
　　
　その日は学校内では珍しく何事も起きなかった。
　余りにもスムーズに一日が終わったので逆に、この後に何かが起こるのではないかと、一瞬疑ってしまう程、平和であった。
　こういう日はさっさと家に帰って、自分の部屋に閉じこもるに限る・・・とカバンを持って、拓は立ち上がる。
　「あれ？拓ちゃん、帰っちゃうのぉ？」
　立ち上がった途端に、声を掛けられて、瞬間―来たっ！―・・・と身構える。
　その声の主は、斜め後ろの席の鮎川真里であった。
　「・・・う・・うん・・・．今日がバイク上がる日だから・・・」
　心中の動揺を必死に、押し隠して、やっとの事で振り返ってそう答えるが、相手の寂しそうな表情を見てしまい、語尾が弱くなってしまう。
　「じゃあ・・・あっちゃんちに行くんだ。」　
　拓の言葉に、途端に笑顔を見せる。
　そんな真里の表情に、拓は心の中でそっとため息をついた。
　また、掴まってしまった・・・と。
　「あっ・・・でも俺、この前の事で、夏生さんに怒られたばっかだからなぁ・・・」
　この前とは、先月の追悼集会の時の事だろう―と拓は思った。
　あの時、自分があの場所に居なかったら・・・と考えて、慌てて首を横に振る。
　総ては終わった事なのだ。
　今目の前に、真里が存在していることが、結果なのだから―それだけで・・・。
　「・・・拓ちゃん？」
　「“マー坊”」
　拓の表情に問いかけようとした真里の言葉を遮るように、教室のドアの所から、“爆音”のメンバーが真里に呼びかけた。
　その声に真里が振り返ったので、拓は漸く意識を現実に戻した。
　「なにー？」　
　「じゃあ、ぼく・・・先に行ってるから・・・。」
　「・・・あ・・・うん・・・。あっ、だけど、ちゃんと夏生さんのとこで待っててね、拓ちゃん♪」
　さっさとこの危険地帯から逃れようとしていた拓の行動の先を読んで、真里がクギを刺す。
　その読みの鋭さに、ギクリと身を竦ませながらも、ブンブンと首を縦に振って見せる。
　そうして、真里が歩いて行くのを見送ってから、教室を出た。
　「ふぅ・・・。取り敢えず学校から出れば・・・きっと・・・。」
　校門を出て、ホッと一息ついてから歩き出した拓は、すっかり緊張を解してしまった。　
　目指すは“真嶋商会”。
　足取りも軽やかに歩く拓には、その目的地でナニが起こるのか理解る筈もなかった。
　　
　「あれ？拓の奴は？」
　ふと問い掛けたのは、転校してきた時から、いつも拓の面倒をさり気なく見てやっているカズだった。
　「そういや、見ねぇな。・・・なーに、やってんだ・・・あの馬鹿。」
　答えたのは、口は悪いが、心配しているのがありありと理解る表情の―良―。
　単車置き場で、屯いながらいつものメンバーが揃っていた。
　「そういや・・・あいつのバケヨン、そろそろ仕上がる頃なんじゃねー？」
　「えっ？マジ？・・・だってよぉ、“キョー”って・・・“アノ日”だべ？」
　「“アノ日”？！」
　更に思い出したように、カズが言うと、隣でタバコを吹かしていた良が、驚いたようにそれを吹き出した。
　突然の良の態度に、他のメンバーが集中する。
　「ゲッ！誰か拓の奴に、それ教えてやったか？オレ言ってねーぜ？！」
　「ま、大丈夫だろ。そのうち、『マー坊』くんと一緒にくんじゃねぇ？」
　焦りまくる良に、他の者が宥めるように答えた。
　「なぁーにぃ？呼んだっ？！☆」
　噂をすれば影・・・。
　天まで届きそうな底抜けに明るい声で、真里がその場に現れた。
　「まっ・・・マー坊くんっ？！」
　いっ・・・一体いつの間に・・・という間隔の登場に、その場の全員が腰を抜かしかけた。
　「今、オレの事話してた？」
　ニコニコと笑いかける真里の目は半分程マジだった。
　「えっ？だっ・・・だから・・・拓の奴がこないから、マー坊と一緒だろっ・・て・・・」
　困ったように、カズが答える。
　「えーっ？『拓』ちゃん？！先にアッちゃん家に行くって言ってたけど・・・それがどうかしたの？」
　尚も明るく答える真里に、その場はパニックに陥ってしまう。
　「『マー坊』・・・ヤバイよぉ、それぇ・・・」
　情けない表情を浮かべた良が、ガックリと肩を落として呟く。
　「なんで？」
　不思議そうな表情の真里には、まだ理由が理解らない。
　「あっ」　
　間抜けな声を上げたのは、真里と一緒にやってきた秋生だった。
　「なに？アッちゃん。」
　「今日・・・『誠』さんの・・・」
　秋生が最後まで言う前に、真里はダッシュの態勢に入っていた。
　「マー坊・・・！？」
　「先、行ってっからねーーっっ！！」
　愛車のフォアに跨り、エンジンを噴かしてアッという間に、飛び出して行く。
　最後の言葉がドップラー効果のように、遥か彼方から響いて聞こえてきた。
　　
　学校から歩いて来た拓は、真嶋商会という看板を前方に見つけて、ホッと息を吐いた。
　ここまで、何事も無くこれたのは奇跡かもしれない・・・とつかの間の幸福を味わっていた。
　「・・・こんにち・・は・・・」
　ドアの隙間から声を掛けて、中に入ろうとした拓は、中でガタンという大きな音が聞こえてビクリと身を竦ませた。
　「出てけーーっっ！！」
　次いで、凄まじい迫力のある怒鳴り声に、勢い余って転んでしまう。
　＜・・・ヒッ・・・なっ・・・なに・・・？！＞
　「聞こえねぇのかっ？！」
　「・・・ご・・・ごめんなさいっ！？」
　続けられた台詞に、慌てて両手で頭を抱えて平謝りしてしまう。
　そんな拓の上を、ドアをぶち破るような勢いで何かが飛び出してきた。
　「・・・そっ・・・総長っ！！すんませんっっ！」
　放り出されたらしいその者は、中から出てきた夏生に向かって、土下座をしながら侘びを入れていた。
　そんな光景を、拓は尻餅をついたままビックリ眼で見つめる。
　初めて見る夏生の迫力ある姿に、硬直してしまったと言った方が正しいかもしれない。　
　「オレはもう、『爆音小僧』じゃないんだぞ。二度とここには来るな！」
　低くドスの効いた声で脅すように夏生が喋ると、相手は青褪めた顔で走り去った。　
　理解りました・・・と言って、拓も逃げ出したいのは山々なのであるが、すっかり抜けてしまった腰ではどうする事もできなかった。
　「・・・ん？」
　外を睨むようにたっていた夏生が、中に戻ろうとして・・・入り口で座り込んでいた拓を見つける。
　その視線に、拓はギクリと身を竦ませる。
　夏生の機嫌が滅茶苦茶悪いように見えたので、そのしわ寄せが回ってくるのではないかと思ったのだ。
　「―お前・・・？」
　完全に座り切っている夏生の眼差しに、拓は寿命が確実に縮まっていくのを確信した。
　目の前が真っ暗になっていく・・・。
　ゆっくりと近付いてくる夏生の姿が、涙で霞む。
　ギュッと瞳を閉じて、恐怖を拭おうとするのだが、やっぱり怖いものは怖かったりするのだ。
　＜わーん？！マー坊くーん！＞
　ここまできて、漸くマー坊と一緒にこなかった事を悔やむ拓であった。
　後悔先に立たず・・・ここ最近の拓の名言でもある。
　「・・・何処かぶつけたんか？」
　だが、同じ視線の位置で覗き込むように尋ねてきた夏生の言葉に、一瞬気が抜けてしまう。
　えっ？顔を上げると、心配そうな眼差しとぶつかった。
　「―――立てないのか？」
　ゆっくりと尋ねる夏生に、拓はただ首を振る事で答えた。
　驚きの余り、言語障害に陥っていたのだ。
　そうして、それは更に驚愕へと変わった。
　『うわっ？！』
　言葉も出ない・・・。
　あろう事か、夏生は腰の抜けてしまった拓を軽々と抱き上げたのだ。
　『ひえぇぇぇぇーーーッッ？！』
　抱き上げられた恥ずかしさと恐れ多さに、拓はどうする事もできない。
　夏生のオイルの匂いのする腕の中で、借りてきた猫のようにおとなしくしている他には・・・。
　密かに香る煙草の匂いが、やけに意識に残って拓の鼓動を激しくしていた。
　　
　「『拓』ちゃんっ！！」　
　そうして３０分後にバイクを置くのももどかしげに飛び込んできた真里が見たものは・・・。
　「おう、『真里』。どうした？！」
　「『マー坊』くん・・・？」
　コタツに入ってお茶とお菓子を食べながら、ファミコンに没頭している夏生と拓の姿であった。
　「・・・“ナニ”よ・・・二人ともぉ・・・？！仲良くなっちゃってぇ・・・“ナン”でえぇ？！」
　脱力と共に、駄々を捏ね始める真里の姿に、夏生は呆れたように・・・拓は困った顔で微笑った。
　「ズッリィのおぉーーーっ！」
　膨れた顔で言い切る真里の声が、本気で拗ねているものではない事は、柔らかな雰囲気で理解できた。
　「・・・お前も入ってくりゃ良いだろうが。」
　「うんッ♪オレ、『拓』ちゃんの横取ったっ！☆」
　言い切らない内に、上がってきて、態々拓の入っている側面へと潜り込んでくる、
　「『マー坊』・・・く・・・ん・・・」
　「えっへへぇ・・・♪」
　あんまりにも真里が嬉しそうに笑うので、拓は何も言えなくなってしまう。
　やれやれ・・・と言う風に、夏生は煙草を取り出す。
　火を点け、息を吐き出して、それから本の少しだけ視線を伏せた。
　真里と拓の姿が、昔の自分と彼奴の事を思い出させて・・・。
　一瞬、気配があって視線を戻すと、拓のそれと絡まった。
　困ったように細められたそれは、過去の記憶とオーバーラップして・・・夏生はフッと口元に笑みを浮かべた。
　「『拓』うぅっ！？」
　「『マー坊』っ！！」
　叫びながら、今の『爆音』のメンバーが飛び込んでくる。
　そうして、中の様子にやはり最初の真里と同じように脱力してへたり込んでいた。
　「ナンだよぉ・・・心配してソンしてぜ！・・ったくぅ！」
　「一人で行動すっから、いけねーんだよっ！」
　張り詰めていた息を吐き出すかのようにカズが言うと、良は言葉と一緒に拓にネックブリーカーを仕掛けて行く。
　「いっ・・・痛いよぉ、『リョー』くん・・・？！」
　結局、最後はイジメられる拓だった。
　　
　いつもの騒がしさが戻ってくる。
　｢・・・アニキ。｣
　なんとなく変わったような夏生の姿に、秋生が問い掛ける。
　「何だ？」
　「・・・何でもねぇ。」
　「変な奴だな・・・。」
　だが、帰ってきた素っ気無い返答に、秋生は質問を取り消した。
　煙草を銜えたまま笑う夏生の微笑みは、やはり何処となく前と違う気がしていたが・・・。
　秋生は、言葉よりも早く夏生の視線によって答えを見つけてしまったのだ。
　夏生の視線の先に、拓が映っている。
　それだけで、何となく理解ったような気がした。
　　
　こうして、“誠さんの月命日には夏生の側に近付いてはいけない”という『爆音』のメンバーたちの暗黙の了解の『恐怖の日』は消滅した。
　だがしかし、それを消滅させた本人は、その事に全く持って気付いていなかった・・・らしい（汗）
　　
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