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伝説
山下公園―――午後１１時。
秋も深まってきたので、日が落ちて随分たったこの時間の風は、だいぶ冷たくなってきている。
夏の間は、深夜までアベック達で一杯のこの場所も、流石に、この季節のこの時間にいる物好きはいなかった。
だが、いつもなら静寂の包まれている公園内も、その日はいつもと様子が違っていた。
まるで真昼のような明かりは、公園内に設置されている照明だけのものではなく。
何十台と止められた、バイクのライトによるものだ。
一体、何十人集まっているのか理解らないその集団は、皆それぞれに思い思いの塊りとなって遊んでいた。
様々な容姿の者たちは、だが全員同じ服を着ていた。
赤い色の“特攻服”。
―――胸ポケットの刺繍は“横浜”。
風に靡いている巨大な旗と、それぞれの背中を飾っているのは、『爆音小僧』の四文字である。
前の代の“頭”が、レーサーになる為に、自由の国に飛び立った為・・・その後を夏から継いで六代目となった者は、ハンパではなく強かった。
その上、走りも最速だったので、わずか三ヵ月で横浜中の族から一目置かれる存在となってしまった。
更に、自分から仕掛ける事は一度も無かったが・・・売られた喧嘩はきっちりと買い取る性格をしていたので、いつの間にかメンバーも増えてしまい・・・横浜一のチームとして君臨する羽目になった。
普段は単独行動をとる事の方が多い“頭”が、久しぶりに掛けた“集合”だったので、こんなにも規模が大きくなってしまったのであった。
不意に、辺りに緊張が走る。
一点から広がったそれは、瞬く間に公園内に広がって行き―――視線が集中する。
その先に顕れたのは一人の男だった。
髪こそ金髪に染めてはいたが、上背百八十センチ程度の彼よりも体躯の良い者は他に大勢いた。
それでも、彼の醸しだす、気迫とも威厳とも呼べる・・・身体から発揮される“気”は、到底他の者には纏えないものであった。
彼が、ゆっくりと歩く度に、ザッと道が開く。
やがて公園の中央まできた彼は、自分のチームのメンバーをぐるりと一望した。
「―――今夜ぁ、月一の“走り”の日だ。ルートは、“１３３号”を北に向かう。・・・“出発”は、午前０時丁度とする。途中でかち合ったチームとは、売られない限り手出しはするな。以上っ！」
怒鳴る訳でも、脅す訳でもない静かな口調が、彼の口元から発せられる。
だが、それ程大きくない声音でも、その言葉はシンと静まり返った公園内に強く響きわたった。
クルリと踵を返して、歩きだした彼の姿が、その場から消えてしまうまで・・・辺りで動こうとする者は一人もいなかった。
そうして―――止まっていた時が動きだす。
パレードの“出発”まで、後十五分。
自分の単車のセッティングをする者や、走りの場所をキープする者など・・・ざわめきは彼が顕れる前よりも激しい音となった。
「―――“ナッ”ちゃん！」
暗闇の中から、声と共に、彼に向かって何かが飛んでくる。
それを片手で受け取めた彼は、それが彼の好きな缶コーヒーである事に気付いた。
「・・・“誠”・・・。」
自分も缶コーヒーを飲みながら、暗闇の中から顕れた人物の名を、彼は口にした。
その人物は、ただ一人、彼と同じ“爆音小僧”の特攻服を着てはいなかった。
「―――やっぱカッコ良ーネ。“ナッ”ちゃんに良く似合ってる♪」
にっこりと笑いながら告げる言葉は、余程親しい間柄でしか発する事のできない甘えた口調である。
「何で来た？“族”はキライだって言ってたじゃねぇかよ・・・」
彼の問い掛けに、相手は少し困ったいつもの笑みとなってしまう。
「うーん・・・ケンカは嫌いだって言っただけなんだけど・・・だけど、オレ。---“ナッ”ちゃんは好きだよ、うん！」
頷きながら、そうきっぱりと告げる相手に、彼は瞬間赤くなる。
「―――誠っ！？」
それが、親友のいつものジョークだと知っていても、つい真面目に捕らえてしまうのは・・・彼もそういう感情を相手に対して持っているから。
「ほらっ！喩え族の“頭”やってたって、“ナッ”ちゃんは“ナッ”ちゃんだし・・・オレの大事な親友だよ。それに、“ナッ”ちゃん相手じゃないのに、競争して走っててもつまんないし・・・」
飲み終わった缶コーヒーを、５ｍ程離れたごみ箱に見事に投げ入れた相手は、彼を振り返ってそう笑った。
それから、次の瞬間真面目な顔つきとなる。
「“ナッ”ちゃんも、他の奴じゃつまんないだろ？」
確認というよりは、断言すると言った方が合っているように強く言い切る相手に、彼は苦笑を浮かべた。
「まぁな・・・。」
「―――だろ。だから、オレは“ナッ”ちゃんのチームのメンバーじゃなくて、“ナッ”ちゃんの走りのライバルって事。それで良いじゃん♪」
更にはっきりと言う相手の考えは、正しくチームのメンバー達が知ったら激怒ものであったが・・・彼はそれを許諾した。
今の所、横浜中の族の中で、彼よりも速く走った者は一人もいない。
ならば、彼と互角以上のスピードで走る事のできる相手は、それを言う資格も実力も十分持っていたのだから。
「あぁ。オマエは、誰かの下につくタイプじゃねぇしな・・・。自由に走ってんのが一番似合ってっからよ。」
長年の付き合いから、それぐらいの事は理解る。
彼の言葉に、相手は『勿論！』と言うように―――微笑していた。
彼−第六代目“爆音小僧”リーダー真嶋夏生と、その親友であり“走り”にかけては夏生さえ凌駕する程の速さを持っていた半村誠の・・・それが全ての始まりの夜でもあった。―――
彼等が、その光景を目撃したのは、定期集会が終わり・・・自然に流れ解散した後で、立ち寄ったコンビニの側だった。
最初に、その事に気付いたのは誠の方だ。
「“ナッ”ちゃん・・・あれ。」
缶コーヒーを飲み終わった誠が、隣で一服していた夏生を振り返る。
「―――あ？！」
―――振り返った夏生に、誠は自分の見つけたものを指さした。
「“爆音”のメンバーじゃないよネ。」
「あぁ。ウチの奴等じゃねェ。」
顔を見合わせて頷き合う。
沸き上がった感情も同じであり・・・次の瞬間、二人は同時に一歩を踏み出していた。
「―――止めて下さいっ！」
泣きそうな悲鳴が上がる。
小さな身体を精一杯に広げて、倒れている者を庇った少年は、大きな瞳に涙を浮かべていた。
「退いてろっ！」
バシッという音と共に、小さな身体が吹き飛ぶ。
「・・・拓ちゃんっ！」
ボロボロになって倒れていた少年が、起き上がる。
瞬間走った痛みよりも、更に心が痛む。
幾ら多勢とは言え、自分に力が足りない事が・・・何よりも悔しくて。
道を歩いていた途中で、絡まれた時は大丈夫だと思っていたのだ。
喩え、相手が何人だろうが・・・そんじょそこらの奴には負けないという自信が合った。
なのに、思った以上のダメージを受けたのは、相手が連れてきた人物が、想像以上に強かった為。
喧嘩に慣れていると言っても、たかが十四歳である。
どう見ても高校生である相手と戦うには、余りにも分が悪すぎた。
喧嘩に負けて傷を追うのは、半分は自分の責任なのだから仕方ないとしても、友達を巻き込んでしまった事は彼の胸に後悔の痛みをもたらしたのだ。
「逃げろっ！拓ちゃんっ！」
せめて友達だけでも逃がそうと、最後の力を振り絞って相手にタックルをかけてその行動を阻む。
「逃がすかよっ！」
勝ち誇った少年が、走りだした小さな少年の行く手を遮る。
そうして、大きく振り上げられた拳の衝撃に耐えようと身体を硬くした少年は、いつまでたってもその痛みがやってこない事に不思議な表情を浮かべた。
恐る恐る瞳を開けると、目の前でいじめっこの少年が、別の者に止められていた。
「離せよっ・・・離せっ！」
掴まれた痛みにわめく少年の手を、その人は振り払うようにして離した。
突然に顕れた目の前の二人組を、小さな少年はびっくり眼で見つめてしまう。
「大丈夫？」
黒髪の優しそうな笑みを浮かべた人が、問いかけた言葉に、拓はホッとしたと同時に大粒の涙をボロボロと零し始める。
「助けてっ！死んじゃう・・・ヒロシちゃんが死んじゃうよォ・・・！！」
泣きじゃくりながら言う少年の頭をヨシヨシと撫でながら、誠は夏生を振り返った。
頷いて、夏生も歩きだす。
「止めろよっ！」
静かな・・・だがきつい言葉がその場に響き渡る。
「テメエ等か？オレの弟の邪魔をした奴は？」
脅すような口調で答えてくるその横に隠れるように、先程のいじめっ子の少年が立っていた。
「邪魔？元々“子供”同志の喧嘩に、しゃしゃりでて加減も理解らないような卑怯者に、そんな事を言われる筋合いはないネ。」
驚いた口調で嘲りの言葉を投げつけた誠に、相手はカッときたようだ。
「テメェッ！！」
顔を真っ赤にしたまま、殴りかかってきた。
ポンと側にいた少年の身体を夏生の方へと押しやると、誠は飛び込んできた相手の攻撃を避けて、その足をひっかけた。
飛び込んだ勢いも手伝って、そいつはもんどりうって転んでしまう。
「オレ・・・喧嘩は嫌いなんだよね。」
しれっとした顔で告げる誠は、確かに怒っていた。
「・・・ヒロシちゃんっ！」
倒れたまま動かない大事な友達に、小柄な少年は駆け寄って声を掛ける。
「・・デェジョーブ・・だったかよ？拓ちゃん・・・」
「ボッ・・ボクは大丈夫だよっ！それよりヒロシちゃんが・・・いっ・・・痛い？ごめん・・・ごめんね・・・ボクのせいで・・・」
掠れた声で問うヒロシに、拓は顔中を涙の洪水にしてオロオロとしている。
「拓ちゃんのせいじゃねーべ。」
そんな拓に、フッと小さく微笑すると、ヒロシは口元の血を拭ってみせた。
「でも、いじめられてたのはボクなのに・・・ヒロシちゃんが庇ってくれたから・・・」
「オレぁ、ヒキョーな事すんのが嫌ェなんだよ。それに、“トモダチ”をバカにする奴ァ、許せネー。・・・ところで、拓ちゃん。あいつら・・・誰よ？！」
ヒロシの視線は、拓が連れてきた二人組に向けられていた。
「・・・理解んない・・・・ヒロシちゃんを助けてって言ったら・・・一緒に来てくれたから・・・」
ヒロシの問いに、困ったように答える拓に、殴られたせいではない頭痛がするヒロシだった。
人を疑う事を知らない拓にとっては、他人は皆良い人になってしまう。
基本的に他人を嫌わない拓だからこそ、いじめられるのだ。
また、そんな拓だからこそ自分が側にいて守ってやらなくてはという保護欲が沸き上がるのだが・・・。
そうして、ヒロシは注意深く初めて見る二人組を見つめた。
弟の前でみっともない恰好を見せたくない彼は、必死だった。
弱い者をいたぶるのは、楽しいが・・・自分がその対象になるのは我慢ができないタイプらしい。
血管を浮き立たせて、殴りかかってくる相手に、誠は嫌いなタイプの人間だと感じた。
尤も、最初に見た瞬間から、その感情はあったのだ。
だから、いつもなら、見ててもかかわり合いにならない場面なのに、放って置かなかった。
どう見ても暴力など似合わない小さな少年が、倒れていた少年を護る為に身を呈したのを見た時から、誠は怒っていたのである。
普段、滅多な事では怒りという感情を面に出さない親友が、本気で怒っている事に気付いた夏生も、正直言って驚いていた。
「“ナッ”ちゃあーーんっ！オレ、喧嘩は苦手だから、バトンタッチ、ネ♪」
にっこり笑顔で言う誠は、自分が手加減できない事に気付いてしまったのだ。
だから、そういう事の処理に長けているだろう夏生に厄介事を渡してしまう。
「オイオイ・・・オレは後始末係かよ・・・・」
言われながらも、一歩前に出た夏生は、この馬鹿馬鹿しい喧嘩にケリをつける為に相手を強烈な睨みで見据えた。
「兄ちゃんっ！あんな奴らやっつけちゃえよっ！」
弟に取って、強い兄はヒーローである。
喩え、どんなに卑怯者であろうとも、だ。
本来なら、間違った弟の行動を諌めるべきなのに、それを間違った方法のまま増長させてしまった事は許し難い事だったが・・・。
同じように弟を持っている夏生は、はっきり言って誠よりもずっと優しかった。
「テメェよぉ・・・本気でオレ等を“敵”に回したいんなら、掛かってこい。“根性”見せろヤ。」
夏生の一言一言が、重圧となって相手を威圧する。
戦えば一発で終わるのに、戦わずして逃がしてやろうと思っている夏生に、誠は苦笑う。
夏生らしい・・・・と。
頭に血が昇っていた相手も、夏生の格の違いに気付いたらしく・・・少し冷静になったらしい。
そうして、夏生の事を値踏みするように眺めた後で、いきなり青ざめた。
「赤い“特攻服”・・・？まさか・・・」
見る見る内に血の気が失せていく顔と、茫然とした相手の口調に、夏生はこの喧嘩が終わった事を知った。
「―――この“特攻服”にケンカ売りたいなら、オレは買うぞ。チームの、ケンカとしてな。」
ゆっくりと言う夏生に、相手はがっくりとうなだれる。
「何だよ、兄ちゃんは強ェんだぞっ！オマエ等なんかに負けるもんかっ！」
本当の兄の姿を知らない弟は、やはり頼る事しか知らないのだ。
「黙ってろっ！」
兄にきつく言われて、泣きべそをかいている。
シュッと動いた夏生の拳が、強烈な破壊力を持って相手の身体を吹き飛ばした。
「・・・“一発”で許してやる。二度と“子供(ガキ)”の領分に手出しすんじゃねーゾ。」
言い捨てて、夏生はクルリと振り返る。
目が合った途端に、困ったように微笑った誠に、照れたようにそっぽを向いた。
「“ナッ”ちゃんらしいネ。」
「ふん・・・。オマエだったら、半殺しの目に合ってただろうな・・・あいつ。」
「えぇ？！オレ、平和主義者だもんっ！」
言い切る誠に、夏生はがっくりと肩を落とした。
この幼馴染みには、きっと一生勝てない事をしみじみと思いながら・・・。
そうして、自分達を凝視していた二人の子供の側に近づいた。
「大丈夫かい？」
誠の言葉に、拓はコクリと頷く。
「別に、助けてくれなくても良かったのに・・・だけど・・・拓ちゃんまで巻き込まれなくて済んだから・・・一応、礼言っとくゼ。」
ボロボロの身体の何処にそんな強がりが言えるのか理解らないが、仏頂面のまま告げるヒロシに、誠は困ったような笑みを浮かべる。
「ヒロシちゃんっ！そんな事言っちゃ駄目だよ・・！？・・・あの・・・ヒロシちゃんを助けて頂いて・・・本当にありがとうございました。」
ペコリと深く頭を下げる拓に、夏生も苦笑する。
この全く性格の正反対な子供は、それでもお互いを本当に大切に思っているのだという事が理解って。
自分たちもこんな時代があったなぁ・・・と過去を振り返って漏れた苦笑いだった。
歩くのも辛そうなヒロシを、小さな身体で精一杯の力を使って拓が支える。
そんな二人を見送った夏生と誠は、自分たちの愛車の元へと戻ってきた。
「可愛かったなぁ・・・あの子。」
ボソリと呟く誠に、夏生はくわえて火を点けようとしていた煙草を吹き出した。
「・・・ゲホッ・・・誠？」
「あんな可愛い子だったら、弟に欲しいなぁ・・・。」
くすくすと笑いながら告げる誠に、夏生は憮然とする。
「オマエには、妹の“アキラ”ちゃんがいるだろ。それに、もういるじゃねぇかよ。いっつもひっついてくる奴がよ・・・？」
「えっ？！あぁ・・・マー坊の事か。うーん・・・でも、オレ・・・あの子が良いなぁ・・・」
珍しく引っ掛かっているらしい誠の様子に、夏生もその姿を思い出す。
真っ直ぐに見つめてくる大きな瞳と、小さな身体がやけに印象的な子供。
「―――随分、気に入ったんだな。」
「まぁね・・・。」
誠自身、どうしてこんなに気になるのか理解らない。
だが、確かに何かが誠の感情を揺さぶるのだ。
それは、余り他人に依存する事がない誠にとって、本当に不思議な事でもあった。
「帰ろうか？」
「あぁ。」
想いを断ち切るかのように告げた誠に、夏生も頷く。
吸いなおした煙草をもみ消して、夏生が単車に跨がる。
誠も、自分の愛車である“フォア”のエンジンをふかした。
「“ナッ”ちゃんっ！」
走り出して直ぐに、隣に並んだ誠が夏生を呼びかける。
「何だっ？」
最高速度を維持したままの夏生が答える。
排気量が違うマシンで、キチンとその“速度”を出せる誠はやはり走りの『領域』が違うのかもしれない。
「あの子と、また会うような気がするっ！」
にっこりと“未来”を告げる誠の台詞に、夏生は黙ったまま口端を持ち上げる。
「あーっ、笑ったなぁ？！だけど・・・強くなるよ・・・きっと。何しろ、オレと“ナッ”ちゃんの目を真っ直ぐに見て・・・ちゃんと頭を下げる事も知ってた・・・。喧嘩とか、そーゆうんじゃなくて・・・強い子だよネー☆」
ワクワクしたような笑みを浮かべる誠に、夏生は肩を竦める。
両手放しで褒めたたえる親友の台詞が、どの口から発せられたものなのかと呆れながら・・・。
「―――楽しみだなぁ・・・」
夢見るように呟く誠は、すっかり自分の世界に入っていて・・・夏生の事など眼中にない。
「・・・何年後の話やら・・・・」
ソッと呟く夏生のぼやきは、スピードによって作られた風に乗って遠くに流れていった。
―――それは、“疾風”のように駆け抜けた彼等の伝説が崩壊する前の・・・今は昔の物語であった・・・。
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