澱んだ色をした空からは、今にも雨粒が落ちてきそうだ。

天気が悪くなるに連れて、今まで受けていた風が冷たくなり始めた。

ちらりと後ろに視線を流すと、先程の信号で捕まった単車の姿はまだ見えない。

ほんの少しだけ溜め息を吐くと、秀人はゆっくりとスピードを緩めて、路肩にバイクを止めた。

そうして跨ったまま、ポケットから取り出した煙草に火を点ける。

ふー、と息を吐き出すと、白い煙が風に攫われていく。

車の流れは止まる事無く、変わらない景色のように秀人の横を通り過ぎていく。

いつもなら、こんな場所で立ち止まることは無い。

勝手気ままに走り続けて、気が済めば家に戻るだけ。

“走る”事に酔いしれる為に、単車を駆るのだが・・・。

遠くから、聞きなれた排気音が近付いて来る。

秀人が自分の流儀を変えてまで、共にありたいと願った存在が使う“単車”の音だ。

「秀人くーーーん・・・」

排気音に紛れて小さな声も届いた。

「おう。」

気付いた事を示すように、秀人はゆっくりと片手を持ち上げてやる。

漸く姿を見せた単車は、見る見る内に側に来て、やっと秀人と同じ位置に辿り着いた。

「―――ごめん。信号に捕まっちゃって・・・」

ヘルメットを外すと、想いのほか幼い顔立ちの少年が秀人に困ったような顔で謝る。

対する秀人は気にするなという風に、その髪をくしゃっと撫でて、咥えていた煙草を足元に落として火を消した。

その情景だけを見ていたら、とても二人が同じ年とは思えないだろう。

だが、二人ともれっきとした高校生なのだ。

横浜最強と噂も高い暴走族“外道”の看板を背負った秀人に対して、極々普通に接してきたある意味強者だった拓との関係は、色々あったがより強固なものとして築かれた。

こうして、二人っきりでツーリングをしてしまう程には。

散々囃し立てるチームメイト達を、秀人が睨み一つで黙らせたのは、拓には内緒であるが・・・。

どんな風に思われようが、構わない。

後ろ指を差されても、変わらない。

拓の傍に居る―――それは、秀人が決めた事だから。

『君のように強くなりたいんだ・・・。』

強く心に響いた詞。

最初に聞いた時は、欺瞞の方が強かったが・・・今となってはそれが、秀人の誇りでもある。

心を許せる相手。

暴力だけが全てで、力の強い者が総てを支配する夜の街の中で・・・それでも変わらない態度を取れる者が存在する事の―――。

「―――秀人くん？」

キョトンとした表情と問い掛けで、我に返る。

目の前の飾らない姿が、幻ではないことを秀人に認識させる。

「あ・・あぁ。行くか。」

我知らず歯切れが悪くなるのは、想いの外深く思考に沈んでしまった事に対する動揺からだった。

「うん。」

それでも、素直に頷く拓の表情が秀人を奮い立たせる。

“一緒に居る。”

それは、秀人が決めた事。

“一緒に走る。”

何処までも・・・何処までも。

――――――二人の単車の軌跡が重なっていく。

横浜に戻ってくる途中で、不機嫌だった空はとうとう泣き出した。

大粒の雨が、あられのように落ちてくる。

アスファルトに創られた模様が、どんどん変化していき、終には全てが雨に染まった。

バイクで走っている二人にも、雨粒は容赦なく降り注ぎ、視界も徐々に狭くなってくる程だった。

このままでは、横浜の街中に戻る前にずぶ濡れになってしまうと考えた秀人は、少しだけ思考を巡らせてから、急遽Uターンする。

そうして、後ろから付いてきた拓に向かって手で合図をした後で、ある建物の地下の駐車場へとバイクを動かした。

何台もの車が止まっている中を過ぎて、空いている場所へバイクを止める。

ヘルメットを外して、バイクから降りた秀人に、拓も同じ行動を取った。

「―――少し休んでくか。」

「うん。」

秀人の言葉に、拓は何の躊躇も無く頷いた。

そうして、二人して駐車場から入れるドアを開いた。

入り口から中に入ると、そこには好きな部屋を選べるボードがあって・・・更に使用中のランプまで点いている。

「どれでも良いか・・・。」

ランプが点灯していない部屋のボタンを押すと、横から部屋の鍵が出てきた。

そんな秀人の様子を見ていた拓は、漸くここが何処なのか理解したようだ。

「ひ・・・ひ・・・ひ・・・」

顔を真っ赤にしたまま、口をパクパクさせている。

「あぁ？」

怪しげな声に振り向いた秀人は、拓を見て吹き出した。

「―――オメー、その顔・・・スゲーぞ・・・。」

笑う秀人に、拓は今度は泣きそうな顔になる。

更に秀人の笑みがシニカルになった。

拓の態度で、初めてだと気付いたからだ。

「こ・・・ここって・・・」

「ラブホだ。」

恐々と聞いた拓に、秀人はしれっと答える。

男二人でラブホテルに入ってしまう羞恥よりも、ここが何をする所なのかを認識してしまった方が、拓には衝撃的だったようだ。

「―――――――――――――」

肩を落としてダーーーッと涙を溢している。

「・・・は・・・初めてなのに・・・」

ボソボソ呟く拓の気持ちは理解らない訳ではない。

「あ？俺以外の誰かと行く予定なのかよ？！」

「そ・・・そうじゃなくて！！」

静かな迫力を付けて言う秀人に、拓はブンブンと首を横に振った。

そうして、秀人が満足したように笑ったのを見た瞬間に、嵌められたのだと気付いて拓は情けない顔をした。

「・・・どうせ・・・ボクは秀人くんみたいに経験者じゃないし・・・」

何が何だか理解らない内に、別の意味での初体験はしてしまったのだが・・・やはり男として女の子との体験は憧れなのだ。

秀人とそーゆー関係になってしまった今では、本当に今更なのだが・・・。

「後悔してんのか？」

秀人の声に、それでも拓は首を横に振った。

「ううん。」

そうして、拓は綺麗な微笑を浮かべた。

途端に、秀人は拓を抱え上げる。

「―――秀人くん？」

「オメー・・・可愛過ぎ！」

驚いた拓の声に、秀人は憮然とそう言い切った。

　　　　　　　　　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

扉を開けるとそこは別世界―――という事は決してなく。

ショッキングピンクの世界・・・という訳でもない。

極々普通の・・・まぁ、ちょっとばかりベッドサイズが大きいかなという部屋だった。

抱えられたまま部屋の中に入るという、少しばかり恥ずかしい体験をしてしまった今では、これ以上の怖い事などないと腹を括った拓だったが、いきなりベッドに押し倒されるのだけは勘弁してほしかった。

「ちょ・・・ちょっと・・・待って・・・！！」

なし崩し的な行為の先が何処に繋がっているのかを知っている拓にしてみれば、心の準備というものが必要なのだ。

最終的には思考回路など、何の役にも立たなくなってしまうとしても。

「――――ん？」

拓の服を脱がす事に専念していた秀人が、切羽詰った拓の声に顔を上げる。

視線の先には、真っ赤な顔をした拓が困った顔をしている。

その顔に、秀人は弱かった。

はぁ・・・と息を吐いて、耳を傾ける。

秀人だとて、無理強いをしてまで想いを遂げるつもりは無いのだ。

初めての時に、酷く拓を傷付けてしまった負い目もあったりする。

できるだけ、拓の意思を尊重してやりたいとも思う。

――――如何せん、若い身体は暴走しがちなのだが・・・。

「・・・嫌なのか？」

ボソリと聞くと、拓は潤みきった瞳で秀人を見た。

「あ・・・その・・・汗かいてて・・・それに雨にも当たったし・・・」

今更な事なのだが、二人とも濡れている。

確かにこんな状態でベッドを使えば、気持ち悪い事この上ない。

「あ・・・あぁ。」

漸く状況に気付いて秀人はガシガシと頭を掻いた。

どうにも拓に関すると周りの状況が見えなくなっちまうなぁ・・・と。

「先に、風呂だな。」

言って、渋々拓を腕の中から解放する。

途端に、拓はバッと起き上がってシャワー室へと駆け込んでいく。

暫くすると、水の流れる音が聞こえてきた。

やれやれという風に、秀人は濡れた服を脱いで上半身裸のまま冷蔵庫を漁った。

中に入っていた缶ビールを見つけて、取り出すと一気に煽った。

冷たい感触が、逆上せ上がった身体と意識を冷ましていく。

ほんの少し自嘲が、口端に浮かぶ。

外道の看板まで背負っている男が、情けないことだ―――と。

たった一人に振り回されて・・・それが思った以上に心地良い場所だと知ってしまった。

過去の人間不信に陥っていた自分からは、到底信じられないような快挙だとも思うが・・・。

そんな事を思いながら、秀人が最後の一滴までビールを飲み干した瞬間、オズオズと拓が戻ってきた。

入れ替わりで、今度は秀人がシャワー室へと向かう。

「――――消えるなよ。」

すれ違いざまに、拓の耳元でそう呟きながら。

　　　　　　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

シャワーを浴びて戻ってくると、拓はベッドの上に正座していた。

その姿に、秀人は思わず苦笑いが込みあがる。

ギシッと音を立てて秀人がベッドに上がると、拓が振り返った。

「――――おかえり♪」

陽気な声だったが・・・目が、据わっている。

「拓？」

「んｰｰｰｰ？」

絡むような口調に、ハッと気付いた秀人はテーブルを振り返った。

「酒、飲んだのか？」

「うんにゃ？ジュース・・・ジュース・・・」

ケラケラと笑う拓は、完全に酔っ払いの症状だ。

「ジュース・・・な・・・」

確かに自分の飲んだビール缶の横にはカクテル酒の缶が転がっていた。

フルーツの絵が描かれている缶を見て、ジュースだと思ったのかもしれない。

がっくりと、秀人は肩を落とした。

「えへへ・・・秀人くーーーん・・・」

ニコニコしながら、拓が擦り寄ってくる。

「大好きぃーーーー♪」

身構える間もなく、ガバッと拓が抱きついてくる。

素面の時には恥ずかしがって絶対にしない行動も、あっさりとさせてしまう所がアルコールの怖いところだ。

拓に押し倒されて、真っ白になっている秀人に向かって拓は酷く艶やかに笑った。

「――――しよ。」

お誘いの言葉が耳に届いた瞬間、固まっていた秀人の何かが壊れたようだ。

何処かで、ブチンと切れた音が――――した。

絡み合う吐息が、空間を支配する。

部屋の温度は上昇する一方だ。

大き目のベッドの上、絡み合う肢体がシーツの波を激しくする。

「・・・ん・・・や・・・ぁ・・・」

ポロポロと大粒の涙を溢しながら、拓は哀願の言葉を口にする。

それ以上に身体は誘い続けているのだが・・・。

「秀人くん・・・ひでと・・・く・・・ん・・・」

うわ言のように、何度も何度も自分を支配する者の名を口にする。

その“声音”の響きに導かれながら、秀人は拓の身体を蹂躙していく。

アルコールによって羞恥心の壁が最初から無くなっている拓は、素直に感覚だけに身を任せている。

縋り付くように回された腕が求めるままに抱き締めて、秀人は深い口付けを与えてやる。

幾度も繰り返される行為。

それだけが、互いの“想い”の丈を相手に伝える為の手段のように・・・。

「――――拓。」

秀人が呼びかけると、涙に濡れた綺麗な瞳が開いた。

真っ直ぐに向けられる思慕の眼差し。

密かに顰められるのは、打ち込まれた楔による痛みの所為かもしれない。

動く度にそれは、拓の中の秀人の存在を知らしめている。

「・・・っ・・・」

「･･･拓。」

狭い故のきつさに耐えながら、秀人は拓に呼びかける。

それが、秀人の拓への“想い”の証でもあるかのようだ。

「秀人くん・・・」

漸く、拓も認識する。

自分が、誰を選んだかという事を。

「―――好き・・・大好き・・・」

夢見るように応えた拓の言葉に、秀人の中で更に深い感情が生れ落ちる。

――――戦慄さえ覚える程の・・・『愛情』。

「お前を抱くのは、この俺だけだ・・・忘れるな――――」

強く抱き締めると、秀人は拓の身体に自分を刻み込むかのように深く自身を打ち込んだ。

「・・・アー・・・ッッ！！」

掠れた悲鳴が、拓の喉を震わす。

そこに所有印を付けるかの如く、秀人は強く口付けて――――自身の昂ぶりも解放した。

　　　　　　　　　　　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

しくしくしく・・・。

枕を湿らせて、訴えかけるように涙する拓に、秀人は頭を掻いた。

延長時間も決められている・・・いっその事、泊まっちまうか？―――と聞いた秀人に、拓の手元にあった枕が直撃した。

「・・・どうしろっつうんだ・・・」

イライラするのを、グッと堪えて深呼吸。

随分丸くなっちまったもんだと―――思う間も無く、時は過ぎていく。

「うううぅ・・・」

恨めしそうに見られても、ヤっちまったもんは元には戻らないのだ。

初めてじゃないし、慣れるのかどうかは理解らないが、バックバージンの時よりも痛くなさそうだったし・・・。

まぁ、好い気になってやり過ぎてしまったのは、秀人の所為かもしれないが・・・。

それでも、最初に大胆なお誘いをしてきたのは拓の方なのだから。

――――この場合、酒が入っていた上での暴言であったとしても、秀人に非があったとは思えない。

『据え膳食わぬは男の恥』とも言うではないか。

結果、拓の腰が立たなくなって、帰れなくなってしまったのは予想外の範疇という訳で。

椅子に掛けてあった上着のポケットからタバコを取り出して、火を点ける。

フーッと息を吐き出して、一呼吸。

「ま・・・責任は取ってやるよ。」

「え？」

「――――一生・・・な。」

笑いながら告げる秀人に、拓は目を丸くする。

１･･･２･･･３秒――――ボンッ！

意味を把握した拓が、沸騰した。

そのまま、ベッドにうつ伏している。

「――――イヤ、なんかよ？」

少し本気で尋ね返すと、拓は顔だけを秀人に向けた。

「・・・本気？」

「俺が、オメーに嘘言ってどうする？」

秀人がきっぱりと言うと、拓はポロポロと泣き出した。

「―――おいっ？！」

泣く程嫌だったんか？！――――と秀人が焦ってタバコを揉み消すと、拓は小さく唇を動かした。

「・・・ん？」

耳を欹てた秀人に届いた“詞”。

――――それが、決定打。

“―――嬉しい・・・けど、もう少し優しくしてね・・・。”

小さな・・・それが、拓の優しい“想い”。

消えそうな声は、確かに秀人の意識を虜にした。

『絶対ェ、幸せにしてやるっ！！』

秀人が強く心に誓ったのは言うまでも無い――――――。