心拍数


真夜中に、不意に目が覚めた。
部屋の中に浸透する闇に、ゾクリと背筋が震えた。
深淵の暗闇の中で、息を潜めて存在するナニかが居るようで・・・。
凍えそうな感覚に身じろぎした途端、触れた感触に鼓動が跳ねた。
腕の中に在る、小さな温もり。
瞬時で、全身に広がるのは暖かな血潮。
自分が、生きている証。
「・・・ん・・・」
そっと抱き込むと、柔らかな髪先が擦りつくように、動いた。
穏やかな眠りに就いているその寝顔に、不意に胸が苦しくなった。
「―――拓・・・ちゃん・・」
そっと、起こさないように包み込んで、その名を呟く。
零れ落ちるのは、掠れる声。
狂っていた自分の感情を、小さな身体で受け止めて・・・壊れる事無く、真っ直ぐに返してくれる“唯一”の存在。
狂気でしかない暴走した自分を、瞳を逸らさずに、認めてくれたのは拓だけだった。
だから、欲した。
―――請い願った。
壊れた自分に縋り付き、『死んでいないっ！』と泣き叫んだ、【悲鳴（こえ）】が自分を生き返らせた。
その傍で、生きる為に―――その為だけに、俺は生きている。
だから・・・。
「愛してる・・・」
柔らかな頬にキスをして、想いを告げる。
何度も肌を重ねて・・・鼓動も重ねて。
生きている証の【鼓動（おと）】は、そのまま拓への愛の響きでもあるから。
この存在を失ったら・・・愛を無くしたら・・・。
―――俺は、生きていられないから・・・―――
「―――時貞・・・くん？」
眠たげな声が響く。
少し掠れているのは、眠る前に自分が散々啼かせたからだ。
「どうしたの？・・・眠れない・・・の？」
二・三度瞬きした黒曜石のような瞳が、真っ直ぐに向けられる。
同時に、伸びた指先が、自分の頬を辿る。
眦まで辿り着いた途端に、少し悲しげな色を秘めた。
「・・・泣かないで・・・」
差し出された両腕と、小さな身体が、全身で縋り付いてくる。
「拓・・・ちゃん・・・？」
「―――ずっと、時貞くんの傍に居るから。・・・僕が・・・時貞くんの・・・帰る場所になるから・・・」
キュッと抱き締められて、告げられた言葉に、全身の血が逆流する。
どうして・・・どうして、この存在は・・・。
いつも、いつも欲しい言葉をくれるのだろう？
胸が一杯になって、溢れ出るのは氷っていた感情から解けた雫だけ。
「―――た・・・く、ちゃん・・・っ・・・！」
しがみ付いて、縋り付いて・・・感情が昂ぶっていく。
「・・・うん。だから、一緒に・・・」
＜生きていこうね＞
掠れて言葉にならない想いの全てを、受け止める。
それは、自分の都合の良い幻聴だったのかもしれない。
それでも・・・拓ならば、そう言う事を自分は識っているのだ。
帰り道を無くして、記憶の中で迷子になった子供の自分が、泣きながら走っていく。
何処までも続く暗闇に、差し込まれた一条の光は、やはり“救い”なのだろうか？
止まっていた時間が動き出していくかのような感覚。
ずっと過去に囚われていた感情が、初めて解放された気がした。
「・・・キスしたい・・・」
「え？」
「抱き締めて・・・全部、俺の物だって・・・感じたい。」
「・・・ちょっ、あれだけ散々・・・」
言いながら、大きく見開かれた瞳のまま・・・目の前で見事に紅潮した頬に触れる。
でも、全然足りない。
「もっと・・・愛したい。」
思ったままに告げたら、本当に綺麗に顔中が赤く染まった。
目線が、右に行って左に行って・・・戻ってきた。
「・・・き・・・キスだけ・・・なら・・・」
消え入りそうな声で許可されて・・・許されて。
ドキドキとなる鼓動が、五月蝿いぐらい生きている事を叫ぶ。
顔を近付けたら、綺麗な瞳がゆっくりと閉じられた。
それは、ちょっと残念な気がしたけれど、重なった唇の甘さを感じたら、もう他の事はどうでも良くなった。
キスしながら、抱き締めた身体のきめ細かな素肌を辿ったら、首に回された腕が、ギュッと締まった。
「・・・だ・・・だめっ・・・んぅ・・・」
逃れるようにずれた唇を追って、言葉を封じ込める。
キスだけじゃ、止まらない。
「―――俺の帰る場所になってくれるって言った。」
だから、確認する。
その全部を・・・確かに自分の物なのだと主張できるように、手に入れる。
「・・・そ・・・それ・・は・・・ぁあ・・・」
昨夜、散々付けた刻印の上に唇を滑らせると、甘い旋律のような吐息が零れ落ちていく。
理解っている。
これは、ただの我が侭だ。
何処まで許されるのか―――試す事でしか、満たされない自分は、絶望に慣れすぎてしまったから。
もう、手放す事すら、ありえない事なのに。
その傍に居る為に生き返ったのだから、拓の傍に居られなければ―――自分の鼓動も止まる。
訪れるのは、静謐な【死（おわり）】。
死ぬのは怖くない。
本当に怖いのは―――。
「・・・拓ちゃん・・・拓・・・」
君の名前を呼べなくなる事。
君を抱き締められなくなる事。
「―――愛してる。」
君に愛を、伝えられなくなる事。
こんなにも愛しい相手を、残して“逝”く―――事。
身体を重ねて、鼓動を併せて・・・。
あぁ、あと何回繰り返せば、同じ【刻（じかん）】をどれだけ長く共有できるのだろう。
「・・・ときさだ・・くん・・・ときさだ、くんっ・・・！」
何度も零れ落ちる自分の名前。
透明な雫が頬を伝って・・・自分の激情を、小さな身体で精一杯受け止める君は、なんて・・・なんて―――愛おしい。

愛してる・・・愛してる・・・愛してる・・・
響く鼓動が、叫んでいる。
君が返してくれる想いが、俺を生かし続ける。
君の愛だけが・・・。

―――俺の生き続ける【意味（りゆう）】。