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バレンタイン物語・秀人編
その日、『外道』の秀人は浮かれていた。
横浜最強と噂も高い、暴走族チーム『外道』の“頭”を、ここまで喜ばせる出来事とは一体何なのであろうか？
彼の仲間は、その様子を、まるで奇異な者を見るかのようにただ見つめていた。
別に最初は見ていただけではない。
その原因を追求しようとした幹部たちが、声をかけた途端に思いっきり不機嫌な顔つきとなったので、誰も近づけなくなっただけなのだ。
どうやら、本人に自覚はないらしい。
それでも、テーブルに肘をついて、その上に顎を乗せたまま・・・口笛なんか吹いている秀人の姿は、どう見てもおかしいとしか言いようがない。
これが、お調子者の吉岡とかだったら、誰も気になどしなかったのだろうが・・・。
「どうしちゃったんだかなぁ、秀ちゃんは・・・・」
昔からの仲間うちの一人が、ボソリと呟く。
「うーん・・・まだ吉岡も来てねぇし・・・」
「あーあ・・見てみろよ。あんな秀ちゃん見た事ねぇやつらの脅えよう・・・(-_-;)」
「全く、自分が回りにどれだけ影響を与えてんだか、ちっとは自覚して欲しいよなぁ」
一人の呟きが、そのテーブルについていた者たちの思いを吐き出させるきっかけとなった。
「―――女でも・・・できたんかね？」
「秀人にか？でもなぁ・・・それだけで、ここまで浮かれるか？あの秀人が・・・」
聞き用によっては、酷い言われようである。
だが、付き合いの長い幹部連は誰もその言葉を否定しなかった。
それこそ、深く頷く事はあっても・・・だ。
「オッくん・・・さっき、声掛けた時、何て言われたんだよ？」
「えぇ？だからさぁ、秀ちゃんに、何か“イ”い事でもあったんか？・・・って聞いたのよぉ・・・」
それから、ハーッと溜め息を一つつく。
「そしたら、いきなし、『ガン』つけられちったわ(-_-;)」
その時を思い出して、オッくんは困ったように肩を竦めた。
回りの連中も、肩を落として溜め息を零す。
「なんだかなぁ・・・・」
「ジャマすんなってぇ事か？」
「秀ちゃんのワガママッ！」
それぞれに言いたい事を言っているが、それでも彼等は心底秀人を崇拝してたりするのだ。
だからこそ、気になるだけなのだが・・・。
「ウーッス・・・」
キィッとドアを開けて、今までいなかった吉岡が、溜まり場に現れた。
その手に何か包みを持っている。
「オッスッ、先輩ッ！！」
下っぱ連中の中から、声が掛かる。
それに軽く腕を上げて応えてから、吉岡は幹部連のテーブルへと近寄ってきた。
「どうしたどうした、なーに、シケたツラしてやがんだぁ？」
呑気に、聞いてくる吉岡に、更にその場の空気が澱む。
ウッと気押された吉岡が、トレードマークのサングラスを落としかける。
「何なんだぁ？！秀ちゃん、どーしたんよぉ？」
そのただならぬ雰囲気に、思わず“頭”の秀人に救いを求めようとした吉岡は、視線を流した途端に、コケた。
「ひっ・・・秀ちゃん・・・？・」
だが、吉岡の弱々しい言葉など、少しも耳に入っていないように、秀人は楽しそうに口笛を吹きながら、手元のメモ帳に何かを書き込んでいるようだった。
その姿に、思いっきり脱力しながら、フロアーを這うように吉岡は秀人に近づく。
その店の中の誰もが、口には出さなかったが、吉岡に頑張って欲しいと心の中でエールを贈っていた。
「秀人ぉ・・・？」
近づいて、そーっと声を掛けるが、勿論返事はない。
完全に入っちゃってる状態に、吉岡は、目眩を感じた。
＜マジかよ・・おい・・・＞
クラクラとしてくる頭を必死に押さえながら、秀人の様子をさりげなく観察する。
そういえば、こんな秀人の様子を前にも見たような気がする・・・などど思いながら。
そうして、その手元のノートに視線を移した吉岡は今度こそ、その書かれている文字に絶句した。
「・・た・・・・拓・・・？！」
思わず漏らしてしまった呟きに、秀人の眉がピクリと上がる。
しまった？！と吉岡が気付いた時には手遅れでもあった。
「呼び捨てにすんじゃねぇっっ！！」
物凄い殺気だった秀人の拳が、避ける間もなく吉岡の右頬に炸裂する。
勢いがついた吉岡の身体が吹っ飛ぶ。
「・・・ひっ・・・秀ちゃん・・・？！」
余りの事に、その場にいたメンバー全員が腰を抜かしかけた。
だが、それは本当に一瞬の事で、ハッと正気に戻った秀人が目を見開く。
「・・・よっ・・吉岡？！」
そうして、今の行為が秀人の無意識の動作だったのだと気付いた幹部連が、自分らがああ成らなくて良かった・・・と胸を撫で降ろしていたりする。
「ひでぇよ・・・秀ちゃん・・・」
「・・わりぃ・・・」
頬を押さえながら、漸く衝撃から立ち直った吉岡が、訴えるように呟く。
それに、秀人は素直に謝罪の言葉を告げた。
「・・・ちっと、オレ、出てくるわ。」
少し気まずそうにそう告げると、秀人はそのまま手元の紙をグシャグシャッと丸めて、席を立つ。
表情を引き締めていながらも、その歩き方は軽い。
そのままスキップでもしそうな勢いは、周りの連中を恐慌に陥らせるのに十分な威力を持っていた。
そうして、その最高に不運だったのは、ドアの近くに座っていた為に、秀人の為にドアを開けた人物であった。
店を出る瞬間の、秀人の本当に嬉しそうな笑顔を見てしまったから。
「・・・ヒィッ・・・？！」
秀人の単車の音が、完全に聞こえなくなってから、ヘナヘナとその場に座り込む。
「ひっ・・・秀人さんが・・・微笑って・・・こっ・・・怖ぇよぉ・・・・」
本人が聞いたら、気を害するような事を、本気で脅えながら呟く。
「秀ちゃんが、微笑った？！」
不思議そうな顔をしたのは、オッくんである。
「おめーら・・・知ってやがったな・・・」
赤く腫れてしまった頬を摩りながら、茫然としていた吉岡が幹部連のテーブルの自分の席に座る。
「しょーがねーだろ、オレだって、睨まれちまったんだからよぉ・・・」
ブツクサ言う吉岡に、オッくんは引かれそうになった意識を戻して、そう告げた。
「それにしても、ありゃ、ビョーキだな。」
「ビョーキ？！」
きつく眉を寄せて、苦々しく呟く吉岡に、他の者の視線が集まる。
「何かよぉ・・・ノートに一杯書いてあったぜ。」
「何を？」
問いかける連中に罪はない。
だが、言いにくいことは誰にでもあるのだ。
何が哀しくて、自分が説明しなければならないのかを、吉岡は呪った。
「だからよぉ・・・その・・・何だ・・・あいつの名前だよ。」
どうしてもトラウマで、言葉にできない吉岡が、口ごもる。
途端にピーンときたオッくんが、ハアァッ・・・と深い溜め息をつく。
「又かよ・・・ほんっと、秀ちゃんも入れ込んじまったよなぁ・・・」
吐息と共に、思いを吐き出す。
それでも、本の少し安心したのは、秀人の浮かれていた原因が理解ったから。
「何をトチ狂ったんだか・・・。」
「でも、オレ・・・秀ちゃんの気持ちも理解るな。」
呆れたように言う吉岡に、オッくんが少しだけ呟く。
「何でよっ！！」
途端に上がる反発の声に、困ったように笑う。
「・・・んー、何となくさ。あんなチビでさ・・・すっげぇ弱そうじゃん、だけど・・・それでも、秀ちゃんと一緒に、『九尾猫』の坂田に向かってったり・・・何でもあの、緋咲の野郎と戦ったって話しも聞いたぜ。」
「マジかよ、それっ！」
「あの緋咲とかぁ？！」
「ガセじゃねぇのかよ？」
その強さを知っている連中が、信じられないというように声を上げる。
話題の緋咲とは横須賀のチーム『麓沙亜鵺』の“頭”である。
『外道』とは、天敵であり、更に“頭”同士のタイマンの時に秀人に拳を潰されてから、因縁の間がらにもなっていた。
勿論、強さの方も、秀人と互角であり・・・必然的に、ここにいる誰よりも強いという事になる。
そんな相手と、自分らでも戦えば勝てる事が用意に理解る『あの者』が戦った事があるなどど、どうして信じられるだろうか？
「・・・まぁ、噂だからドコまでホントかなんてオレが知っかよ。だけど、オレらだって・・・ちゃんと見た事実があっだろ。『夜叉神ライブ』の時・・・」
「あぁ！あれなっ！秀ちゃんが、帰った後で本と良かったよなぁ・・・」
ふと思い出したように、吉岡は身を震わせる。
『顎の時貞』とか、『龍神』と呼ばれている者が、行ったパフォーマンスは、そこにいた誰もを、驚かせ・・・特に、吉岡たちを驚かせたのであった。
「秀ちゃんが、急用で本とオレら助かったようなものだよな。【横浜】中の族を敵に回したって、あの場に秀ちゃんがいたら、行動に移してたぜ。」
「秀人の性格を考えただけで、恐ろしいわな。」
「まぁ、あの『龍神』にああ言う事をさせられるってぇだけでも、凄ぇ奴かもしんねー。」
それぞれに、納得が言った所で、一息をつく。
「あぁ、そういや吉岡ぁ、何、その袋？」
「んぁ？あぁ・・・これかよ、何かさっき通りでいきなり手渡されてよお・・・」
「んー？何だよぉ、女ぁ？開けて見ちまえ。」
その言葉に促されるように、吉岡は包みを開けた。
「おぉっ！」
開かれた中身を確認して、驚きの声が上がる。
「チョコレート・・・おっ、なんか書いてあるぜ。」
「ばっ・・・馬鹿野郎っ！！見んじゃねぇっ！！」
真っ赤になった吉岡が、添えられていた手紙をダッシュで取り返してダーッとトイレに駆け込んだ。
「おーおー、春だねぇ・・・。」
「ずりぃ・・・なーんで、吉岡だけ・・・」
「そういや、今日って、バレンタインだっけか。」
幹部たちの揶揄するような口調に、オッくんの瞳が見開かれる。
「あっ・・・アーーーーーッ！！」
突然、声を上げたオッくんに、全身の視線が集まる。
「どうした？！」
何事かと、トイレに駆け込んだ筈の吉岡も飛び出してくる。
だが、そんな連中の事をお構いなしに、オッくんはワナワナと身体を震わせた。
「チックショー・・・」
きつく眉を寄せて、絞り出すように呟く彼に、周りの連中が息を詰める。
「・・・楽しみ逃しちまった・・・」
心底残念そうに呟いたその言葉に、緊張が一気に解けて脱力してしまう。
「なっ・・・何なんだよ・・・いってぇ・・・」
死屍累々の中で、辛うじて立ち残っていた吉岡が、その訳を尋ねる。
「秀ちゃん・・・きっと会いに行ったんだぜ。」
ボソリと告げるオッくんに、吉岡も思い当たった。
「あぁっ！！」
両手で頭を押さえて、声を上げる。
「当分遊べそうなネタを逃しちまったっ！！」
オッくんの言葉に、同意する。
想像すると少し怖いが、何よりも甘い物が嫌いな秀人が、一体どんな表情でそれを受け取るのかを、見られないのが悔しいのだ。
吉岡たちは、確かに秀人の親衛隊でもあるが、他のチームのそれとはちょっと違う意味を持っているのかもしれない・・・。
さて、『外道』の仲間たちがそんな事を思っている間に、秀人は待ち合わせの場所に辿り着いてしまった。
約束の時間まで、まだ三十分程早かったりする。
「ちっ・・・ちっと、早かったか・・・。」
小さく呟くと、単車から下りる。
胸ポケットから煙草を取り出して、火を点ける。
一息吸ってから・・・ゆっくりと煙を吐き出す。
山下公園の入口・・・煙草を燻らせる秀人の姿に、気付いた者たちは、そのまま避けるように歩いていく。
その身体から発せられる気が、普通の者とは違うのだ。
誰も近寄らせない雰囲気が、秀人の全身を覆っている。
その気に少しでも触れたら、どんな目に合わされるかという事を、その道の者たちは知っていた。
『外道』の“頭”というのは、伊達ではないのだ。
最強無敵の・・・と形容詞が付くのは、その強さも半端ではない為。
その気になれば、前の時代の『爆音小僧』の六代目にも匹敵するだろうと、良く耳にする。
だが、そんな事は秀人にはどうでも良い事であった。
自分が走れれば、他に望みなどないのだ。
【横浜】中の族を纏める事なんか、考えた事もない。
逆に、向かってくる奴らを蹴散らして走る方が、楽しいとも思っているのだ。
他人の事まで構うようなそんな面倒くさい事など、したいとも思わなかった。
自分の思うままに、走り行動する。
それが、過去の秀人の姿だった。
他人と接触するのが、酷く煩わしくて・・・。
それは、一度裏切られた経験からくるものだった。
チームの奴は、別としても・・・それ以外の奴なんかに、心を許す事もないと。
なのに、裏切られて転校する羽目になった、先の学校で・・・秀人は出会った。
―――その者に。
秀人の意識を大きく揺すぶるような・・・《運命の相手》と。
その相手の名は、浅川拓。
最初は、余りにもうるさく付き纏とってくるので、秀人も苛立っていたのだ。
どういうつもりだ・・・と屋上まで付いてきた拓に脅すように尋ねると、拓は怖がって泣きそうになりながらも・・・秀人のようになりたい・・・とそう告げた。
秀人のように、強くなりたい・・・と。
その純粋な心に触れて、秀人の中で印象が変わった。
今までの奴のように、秀人の後ろ楯が欲しくて、近寄ってきたのではないかという考えが、一掃されて・・・もっと知りたくなった。
ほんの気まぐれのつもりで、夜に呼び出して単車を変えてドライブを始める。
そんな気になったのは、初めてだった。
チームの中の誰にも、自分の単車を貸した事もなかったし、触らせるのも嫌がっていたというのに・・・それを、それ以外の奴に乗らせてしまう自分に、少しだけ驚きながら・・・それでも、試して見たかったのだ。
いつまで立っても、付いてこない拓に気になって戻って見ると・・・驚いた事に拓は、他のチームの奴等に絡まれていた。
不器用なライディングのまま、それでも、秀人の単車に傷がつかないように、その身を縦にして庇っている拓の姿に、秀人は強く惹かれた。
拓は秀人に、守ってくれなくてもいい・・・と告げたが、秀人は無意識の内に、動いていた。
―――拓を助ける為に。
思えば、それが始まりだったのかもしれない。
クルクルと変わる表情の中で、ただ拓の瞳だけはいつも真っ直ぐに秀人を見る。
チームの者たちとも・・・敵対する奴らとも違う眼差しで秀人を見つめるのだ。
純粋な・・・怖い程真っ直ぐな−−『瞳』。
それに、強く惹かれ・・・初めてキスをした時の事を思い出してしまって・・・秀人は少し顔を赤らめた。
「秀人くーーーんっ！」
途端に、待ちわびていた者の声が聞こえて秀人はその方向に視線を向ける。
変わらない柔らかな笑顔が、そこにあった。
「拓・・・。」
秀人の表情が、穏やかなものとなる。
そのまま走ってくる拓を受け入れるかのように、強かった気が和らぐ。
「・・・ごめーん、待たせちゃった？」
問いかけるように、首を傾げる拓に、秀人は薄く笑う。
同時に、拓の頬に朱が走る。
秀人の足元に散らばる吸殻に、困ったような顔となる拓を、秀人はゆっくりと引き寄せた。
「そんなに待ってねぇ。」
安心させるように、そう告げる。
秀人の言葉を、受け入れた拓が、ホッとしたように吐息を漏らす。
それから、引き寄せた秀人の腕の中で、フワリと微笑んだ。
「・・・久しぶり・・・だね。」
擦り寄るように、頬を付けてくる拓に、秀人は愛しくてきつく抱き締めてしまいたくなる。
離れていた一ヵ月分の想いが、溢れだしてしまいそうで・・・。
「そうだな・・・。」
だが、それを必死の思いで振り切ると、秀人は腕の中の拓を離した。
「歩くか・・・？」
「うん。」
秀人の問い掛けに、拓は嬉しそうに頷く。
寄り添うように歩き始めた二人は、その後を付いてくる者がいるとは思いもしなかった。
その者が、その場面を見たのは、本当に偶然だった。
配達の仕事が終わったので、家に戻ろうと車を走らせていた彼は、見慣れたバイクが走っていくのを、確認した。
だが、声を掛けようとした彼の脇を通り抜けて・・・嬉しそうに走っていくその姿に、一瞬の違和感を感じて・・・。
それが、髪形の所為だと気付くまでに、暫く掛かった。
いつものパーマを落として、真っ直ぐな髪となっている拓に、つい気になって、そのまま後を付けてしまったのだが。
山下公園の駐車場で、バイクを下りた拓は、そのまま歩きだす。
自分でも何をやっているんだろう・・・と思いながらも車を下りてその後を付いていく。
やがて、拓が目指しているのが別の入口なのだと気付いた。
急に走り始めた拓に、何事かと思った瞬間に、嬉しそうな声が聞こえ・・・誰かと待ち合わせをしていたのだという事が理解った。
その相手を見てから戻ろうと、視線を向けた彼は、次の瞬間絶句ものであった。
拓が抱きつくようにして、その腕の中に飛び込んだ相手を、確認して。
それが、よく知っている『爆音小僧』のメンバーのうちの誰かであったなら、これ程衝撃を受ける事もなかっただろう。
スラリとした・・・それでいて、その半端じゃない気がここまで漂ってくるような、者。
昔の感覚が蘇ってきて、彼はゾクリと身を奮わせた。
強い・・・一目見ただけで、その事が理解る。
驚く程、拓とその者の関係が理解らない。
一緒に並び立つと、その体躯の差が伺える。
一瞬、脅されてるのかもという考えは、だが、受け止めた瞬間に相手が見せた笑みで消え去った。
柔らかな―――微笑。
それと同時に、周りを覆っていた気が薄らぐ。
相手が拓を受け止めた瞬間、それが、思ったよりも似合っている事に、心の中で何かが沸き上がる。
抱き寄せる動作・・・それに素直に身を寄せる所から、互いにそうとう親しい間柄だとも、理解った。
歩き始めた二人に、自然と足が動きだす。
帰る気など、その時点で失われていた。
彼−真嶋夏生は、何処までも保護者タイプであった。
「・・・なんか、こうして歩いてるのが、夢みたいだ。」
ふんわりと言う拓に、秀人は苦笑する。
さっきから、何回同じ言葉を拓は口にしただろう。
それでも、それが、拓の想いだと知っているから、秀人は黙って聞いている。
山下公園をただ歩いて、疲れた頃に見つけたベンチに二人は座った。
他にもアベックみたいなのは、大勢いたが、それこそ他人になど構っているような者はいない。
勿論、すれ違う瞬間に一瞬疑問に思う事もあるだろうが・・・それをわざわざ指摘するような暇人や、怖いもの知らずもおるまい。
だから、当然のように秀人は拓を抱き寄せ・・・拓は甘えて擦り寄る。
はっきり言っておくが、拓は男である。
例え、顔が可愛いかろうが、それだけならば、もっと女の子っぽい顔だちの者もいたりする。
秀人に至っては、男の中の男というイメージが強い。
それでも、二人は『想い』合っていた。
拓にすれば、秀人は初めての憧れの人であり、こうして一緒にいられる事が何よりの幸せで・・・秀人はもう、周りの連中に“ビョーキ”とまで言われている程の溺愛ぶりである。
そんな二人が一緒にいて、周りを気づかう筈もあるまい。
伺い見ていた夏生の方が、恥ずかしくなったり、目眩を起こしたりしそうな程の熱々振りである。
「―――拓・・・。」
そっと伺うように問いかける秀人は、拓がしきりと持ってきたバックを気にしている事に気付いていた。
バック自体ではなく・・・その中身に、気を捕らわれているようだ。
会話が途切れてしまった事に、拓は困ったように・・・秀人を上目遣いに見つめる。
「・・・秀人くん・・・甘いもの・・・嫌いだよ・・・ね・・・・」
小さく告げる拓に、秀人は「ん？」と気付かない振りをして言葉を促す。
「ボ・・・ボク・・・チョコレート・・・持ってきた・・・ん・・だけど・・・」
耳まで真っ赤に染めて、バックの中から包みを取り出す拓に、秀人は幸せそうな笑みを浮かべる。
震える手を握るようにして、その包みを受け取ると、秀人はゆっくりと拓の耳元に唇を寄せる。
「・・・サンキュ」
囁くように告げて、そこにキスをする。
擽ぐったくて、首を竦めた拓は、そのまま抱き締める秀人の腕の中にいた。
「・・・秀人・・・くん？」
「お前が、くれるものなら・・・譬え毒だって食ってやるよ。」
問うように、瞳を向ける拓に、秀人は強気な笑みを見せる。
クスクスっと拓は可笑しそうに微笑った。
「あっ、疑ってるな、お前・・・」
少し眉を寄せて、秀人は呟きながら、手の中の包装紙を剥がしていく。
箱を開けると、綺麗に並んだチョコレートが幾つかあった。
「・・・少しでも、食べてくれるかなって・・・お酒が入ってるのを選んだんだ・・・。」
頬を染めて言う拓に、秀人はそのままその内の一つを摘んで口に入れた。
途端に、口の中に広がる甘み・・・。
甘いものがとことん駄目な秀人にとっては、飲み込むのも拷問のようなものだったが・・・それを少しも表情に出さずに、そのまま飲み込んでしまう。
喉越しの甘さは、含まれる酒の苦みで少しだけ和らいでいた。
何よりも食べた瞬間の、拓の嬉しそうな表情が、秀人の意識を捕らえていたので・・・余り感じなかったのも事実であった。
「ありがとう・・・秀人くん♪」
本当に嬉しいと言った風に、秀人の首に抱きつく拓を秀人は片手で支える。
もしも、秀人の事を良く知っている『外道』の皆さんが見たら、阿鼻叫喚だったかもしれない。
秀人の甘いものが駄目なのは、チーム内の公然の秘密だったのだ。
バレンタインの時も、貰ったチョコレートは必然的に、チームの連中が片づける事になっていたし・・・今まで秀人が付き合ってきたどんな女からの物でも、秀人は一つも口にした事が無かったというのに・・。
吉岡やオッくんが見てたら、拍手の一つでも贈っていただろう。
だが、見ていたのは夏生であった。
余りの展開に、一瞬硬直状態に陥っていた。
すっかり気分のよくなった秀人は、二つ目のチョコを摘んだ。
「もっと、美味い方法で食いたい。」
「秀人・・・くん？」
拓を見ながら悪戯っぽく言う秀人に、疑問符を投げかける。
そのまま口元に持ってこられたチョコを、拓は素直に唇を開いて受け入れる。
秀人の指が離れた瞬間、グイッと身体を引き寄せられ・・・・拓は秀人からの口付けを受けていた。
大きく見開かれた拓の瞳が、秀人の舌が忍び込んできた瞬間にきつく綴じられ・・・小刻みに震える指先が秀人の服を掴んだ。
「・・・フッ・・・ゥッ・・・」
拓の口の中で溶けたチョコを、秀人の舌が搦め取って行く。
逃げようとする拓の舌を、逃さないように秀人の舌が追う。
甘い・・・蕩けそうな感覚が、拓の全身を包み込む。
ボウッとしたまま、拓は身体中の力を抜いていた。
意識が吹き飛びそうな程の・・・ディープ・キス。
しっかり堪能した秀人が、漸く拓の唇を解放してくれた時には、拓の身体は秀人の支えがなければ自分で座っている事もできない状態になっていた。
四肢にまだ痺れが残っているような・・・。
「・・・甘い・・・な・・・やっぱり・・・」
ペロッと拓の口元を嘗めながら、秀人はボソリと呟いて・・・そのまま拓を腕の中に包み込む。
「・・・・・」
沸騰しそうな頭では、何も考える事はできない。
黙ったままの拓を、キュッと抱き締めたまま秀人は愛しそうにその髪先に口付けた。
「・・・拓・・・拓・・・」
何度も何度も・・・その名を呼ぶ。
まるで他に言葉を持たないかのように・・・。
睦言のような、囁きに拓は微笑を浮かべる。
秀人の腕の中・・・抱き締められる感触が何よりも嬉しくて・・・。
強くて・・・雄々しくて・・・拓が憧れる総てを備えている秀人の側にいられる事が幸せだった。
その側にいられる為にも、拓は強くなりたかった。
秀人の親友として・・・譬えそう思っているのが、自分一人だと思っていても・・・。
それが、相応しいと言われるような存在になれれば、側にいても誰にも何も言われないだろうと。
だが、拓のそんな気持ちを知ってか知らずか、逆に秀人の方が拓に近づいてきた。
強くなる為には、根性と気力とコツに他ならない。
相手を調べる事もまた兵法の一つでもあると思っている秀人は、自分の知っているあらゆる事をメモにして、拓に渡したのだ。
その心が嬉しくて、拓は精一杯それを実行しようと努力してきた。
勿論、失敗も沢山あったが・・・。
いや、実際は失敗の方が多かったかもしれない。
それでも、拓は秀人から貰ったハチマキが支えにもなっていた。
『外道』の刺繍が入った、秀人のものだった−それ。
それが、拓と秀人の絆を深く結ぶものでもあったから。
秀人も、最初は自分の側にいても自分の身を守れるぐらい強くなってほしいと思っていた。
だから、会えなくても我慢してきたのだ。
だが、偶然という方法では、決して会えない二人の運命に、ついに我慢できなくなっていた。
『麓沙亜鵺』との抗争があった時にも、緋咲の口から拓の名が出て、感情の歯止めが聞かなくなってしまった事もあった。
もう、自分の知らない所で、拓が巻き込まれるぐらいなら傍にいて自分が護る方がずっとマシな気がした。
だから・・・自分の想いを隠すのを、秀人は止めたのだった。
小さくて柔らかな拓の身体が、腕の中にある。
それに、自分が満たされている事を再確認して・・・秀人はこの存在を離さない事を堅く心に誓った。
もう・・・離せない事も事実なのだが・・・。
「・・・拓・・・もう一つ、チョコ食べても良い・・・か？」
腕の中の拓に、尋ねるように問いかける。
その食べ方が、先程のあれだと気付いた拓は、頬を紅潮させて・・・秀人の視線から逃れるように小さくなりながら・・・それでもゆっくりと頷いた。
震えながら、顔を上げて・・・真っ直ぐな瞳を静かに綴じて・・・唇を少し開く。
そのままキスしたい衝動を押さえながら、秀人はチョコを摘んでまた拓の口の中に入れた。
「・・・拓・・・・」
うっとりするように囁かれた秀人の呟きは、拓の吐息と絡まって・・・口付けの中に消えていった。
―――その頃、近くの茂みの中から一部始終を見せつけられた夏生は、真っ白な塩の柱と化していた(-_-;)
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