真里がその事に気付いたのは、秋生の家で皆で一緒に年越し蕎麦を食べていた時だった。
夕方から始まった６代目時代の元爆音小僧メンバーによる忘年会は、いつの間にか紛れ込んだ酒によって、収集のつかない状態になっていた。
解散した後も、ざっくばらんに付き合う彼等の絆が羨ましいと思いつつ、今は亡き彼の人を偲んでいたら、不意に脳裏に思い浮かんだのだ。
まさかと思いつつ、試しに掛けた電話先に、相手がいない事を理解った途端、夏生たちに挨拶をして工場を飛び出していた。
先輩に絡まれていた秋生が何か言いたそうだったけど、逸る気持ちは抑えられなかった。
バイクに乗って最初に向かったのは、ベイブリッジ。
何度も何度も足を運んでいる事を、知っていたから。
なのに、大晦日のベイブリッジは、交通規制が厳しくて、流石に降りる事もできなくて・・・。
そこに目当ての姿も見つける事はできなかった。
真里がこの場所を思い出したのは、悲しみに包まれた拓の【泣き顔】を脳裏に思い浮かべたからだ。
クリスマスの日に、初めて足を運んだ・・・と、辛そうに微笑ったその顔が、忘れられなかったから。
気付いた時には、墓地の入り口に辿り着いていた。
暗闇の中、一番奥まった場所に、うっすらと見える明かり。
それだけで、そこに『居る』と確信した。
安堵と同時に、邪魔をしては駄目だという感情が心を軋ませた。
自分も拓と出会うまで、その想いにずっと捕らわれていたから・・・その気持ちが痛い程よく理解できるから。
だから、真里は待つしかできない。
不意に、長い汽笛の音が耳に響く。
港から聞こえてくるそれは、年が明けた事を示すこの街独自の風習。
幼い頃から馴染んだその響きを、耳にしながら視線を流す。
小さな明かりは動かない。
浮かぶのは自嘲。
今すぐに飛んで行って、抱き締めたい衝動に駆られる。
あの温かい温もりを感じたいけれど・・・拓が選んだのが他の誰でもなく『彼』だったから、真里はもうちょっとだけ我慢する事に決めた。
足元から這い上がる様な冷気が寒くて仕方なかったけれど、この冷気さえ感じてないだろう拓を最初に温めるのが自分だったら良い―――と思いながら。
街中では新しい年明けを喜んで、大騒ぎしているだろうけど、その喧騒はここまで届かない。
去年、同じように誠を失った場所で自分たちが年を越した時は、確かに真里は一人ではなかった。
夏生も秋生も晶も一緒に居て、一緒にその時間を共有して、辛さを乗り越えたのだ。
だから、本当は拓も一人でいて欲しくはない。
数える程しか会っていなかったと、後で真里は聞いた。
それなのに、もっと一杯話して理解り合いたかった―――と、泣きながら告げた拓の心を、未だに支配している相手。
確かにその風貌も行動も物凄く目立ってカッコ良い奴だったけれど・・・拓の心を掴んだのはそれだけじゃなかったらしい。
それを、悔しいと感じる程、真里は拓が大事だった。
仲の良い友達と言うだけでは表せない程、複雑な気持ちが育ってしまっている。
転校してきた拓と知り合って、もうすぐ一年。
共に過ごす時間が増えれば増える程、真里の中で誠よりもずっと拓の存在が大きくなってしまった。
誠への淡い想いを、忘れる事は一生できないけれど。
だからこそ、一緒に居て、辛い時はその心を慰められれば良い。
今はまだ、自分が出来る事はそれぐらいしかないだろうから・・・。

どれ程の時間が経ったのか理解らない。
３０分なのか、一時間なのか。
それでも、闇の中にポツリと浮かんだ明かりが、動いてゆっくりと近付いてきた。
一度大きく息を吐き出して、寒さに固まってしまった身体を慎重に動かす。
墓地に入る出入り口で待っていた真里は、入り口傍にあった電灯の明かりで、その姿を確認して口端を持ち上げた。

「・・・こんばんは。拓ちゃん。」

上着のポケットから手を出して、ヒラヒラ振りながら声を掛けると、暗闇を慎重に歩いてきた足がビクッと止まって、向けられた表情はちょっと笑っちゃうぐらい間抜けだった。

「―――っ、マー坊くん？！」

大きな瞳が、これでもかと言うぐらい見開かれて、今にも顔から零れ落ちそうだ。

「うん、俺。」
「え？どうして、ここに？・・・って、他の人は？秋生くんとか・・・」

にっこり笑って真里が腰かけていたガードレールから降りて近付くと、拓は驚いた顔のまま矢継ぎ早に質問した。
真里は笑顔でその質問全部を無視した。

「俺、寒くて凍え死んじゃいそうだから、早く行こっ！うわぁ、拓ちゃんの手も凄く冷たいねぇ・・・」

拓の氷のように冷たい手をギュッと掴んで、バイクに向かって歩き出す。

「ちょっ・・・マー坊くん？！行くって・・・？何処に・・・」
「どこでも良いよ。温かいとこなら！」

慌てたように聞いてくる拓に向かって、真里は明るくそう答えた。
そうして、有無を言わせない状態で拓をバイクの後ろに乗っけると、街中に向かって走り出した。

二人が暖を求めたのは、深夜でもやっていたコンビニ。
本当はファミレスにでも入りたかったのに、流石に大晦日と言う事で、軒並み早く終わってしまったのだ。
温かい飲み物と、肉まんを買って、店内の小さなイートインスペースに並んで座り込む。

「はい。」
「あ、ありがと・・・。あの、後でお金返すね。」

真里の差し出した物を、拓はおずおずと受け取って、困ったようにそう言った。

「んーん？」

パクンと大きな口を開けて肉まんに被りついた真里が、キョトンと拓を見返す。
それから、破顔した。

「―――気に、しなくて良いから・・・温かい、、、内に・・・食べちゃ、お・・・」

モグモグ口を動かしながら、途切れ途切れ言って、拓を促す。
言われるままに持っていた肉まんに口を付けた拓は、次の瞬間小さく微笑った。

「・・・温か、い・・・」

ポロリと毀れ落ちた言葉を隠すかのように、拓も肉まんを口にして、静かな沈黙が落ちる。
黙ったまま、並んで二人で肉まんを食べて、温かい飲み物で一息ついて。
ほんの少し俯き加減で食べている拓の指先が、寒さの所為ではなく震えているから、気付かないふりして、真里は店内に視線を向けたままだ。

「・・・ありが、と・・・マー坊・・・くん・・・」

触れ合う肩に少しだけ重みを感じたと思ったら、聞こえるか聞こえないかの小さな声が真里の耳に届いた。

「―――うん。」

満足したように、真里は笑った。

コンビニを出て、二人で向かったのは帰る途中で見つけた小さな神社。
名のある有名な寺院なら、今頃物凄い人でごった返しているし、色々な出店も一杯あるのだが、小さな神社は流石に多少の人気はあったものの、騒がしさとはかけ離れていた。

「折角だから、お参りしてこうか。」
「・・・う、うん。」

無宗教で、自分の家が何処に付いているのかなんて全く知らないし、興味も無いから本当は、形だけの参拝だけど、少しでも拓と一緒に居たい真里の言葉に、拓はこっくりと頷く。
何人かの参拝客の後で、並んで賽銭箱の前に立つ。

「えーっと、こーゆーのってお金入れるんだっけ？」
「・・・五円で良いのか、僕も理解んない・・・」
「まぁ、良いや。んじゃ、二人分で１０円ね。」

ポケットの中から目当ての小銭を取り出して、軽く放る様に賽銭箱に入れる。
そうして、一緒に手を合わせた。
やり方なんか全く理解らないから、ただ祈るだけ。
真里は、隣で静かに目を閉じて一心に願っている拓の姿を横目でチラリと見てから、目線を前に向けた。
願う事なんて、ただ一つ。
今の自分にとって、一番大事な事。
でもそれは、自分の力や行動で行わなければならない事であって、神仏に叶えてもらう事ではないとも思う。

「よしっ！」

パンと手を叩いて、気合だけ入れ直す。
そんな真里をキョトンと見つめて、拓はおかしそうにクスクスと笑った。
拓が何を願ったのか、真里は知らないし、尋ねる事も無い。

「あー、そう言えば、まだ新年の挨拶もしてなかったっけ？明けまして、おめでと、拓ちゃん。今年も宜しくね。」
「あ、うん。明けまして、おめでとう。マー坊くん。こちらこそ、今年も宜しく。」

階段を下りながら、真里が今更思い出したかのように告げると、拓は破顔した。
つられるように、真里も笑顔を浮かべる。
嬉しくて、拓の手を掴んでキュッと握ると、途端に照れたように顔を赤くした拓だったけれど。
それでも、小さく握り返された。
それだけで、真里の鼓動はドキンと跳ね上がる。
同時に湧き上がるのは、もう大丈夫と言う安堵。
先程までの泣き顔の名残は、もう何処にも無いから。
涙に濡れていた赤い頬や鼻も、今は違う意味で赤くなっている事が理解るから。

「―――帰ろう、か？それとも、俺と一緒に初日の出も見てくれる？」
「・・・もう。何処でも、付き合うから・・・良いよ。」

バイクに跨って柔らかな声で悪戯っぽく告げる真里に、拓は少しだけ困ったように苦笑してから、真里の提案を受け入れた。

行先、変更。
目指すのは、朝日の見える海岸。
湘南の海は邪魔な連中が一杯いるだろうから・・・と、軽く頭の中で人気のなさそうな場所を記憶の中から探し出す。
背中に感じる温もりが、今の真里の一番大事なモノ。

＜・・・ねぇ、拓ちゃん。忘れなくても良いよ。＞

あいつを忘れなくても、あいつを想い続ける君ごと、俺は君を大切に想うから。
だから、ほんの少しでも良いから。
俺がここに居る事を忘れないで。
いつも傍に居て、君の涙を受け止められるなら・・・。
―――その役を俺は誰にも渡さないから。

現在の横浜で、誰よりも速さを誇る真里の【愛車（マシン）】は、街中の喧騒を離れて、踊る様に海に向かって軌跡を描いていった。