（甘いモノが嫌いな筈のザキ拓なのに、何故かこっちも物凄く甘い話になりました・・・orz本当は、屋根裏行のSSです（・∀・）ノ原作の単行本の裏表紙の女の子たちの免許設定で考えると、拓ちゃん達は1975年生まれ。んで、『JYOKER』が廃止になったのは2001年だから・・・このお話の二人は26歳設定です＜（TДT；）＞ゥワォ！16歳で出会ってから10年・・・同棲して３年目というのは、捏造設定ｗ拓ちゃんは幾つになっても可愛いんじゃぁあああ！！というドリーマーの妄想万歳で書いてますので、ザキの方が違和感あるかもしれません。）　

紫煙。

はぁ。
珍しく深い溜め息が紫煙と共に毀れる。
後悔先に立たずとはよく言ったものだが、ガンガンに突き進むタイプだった自分は殆ど後悔なんてした事が無かった。
あいつと出会うまでは・・・。
なのに、最初の出会いから失敗してる所為で、何時まで経ってもどう扱っていいのか解らなくて、イライラする。
真っ直ぐな強い瞳は、他人の為には酷く煌めく癖に、いざ本人の意思を知りたい時には逸らされてしまう事が多いのも苛立つ原因だったりする。
思ってもみなかった目の前の光景に、先にブチ切れたのは自分の方だ。
拳が出なかったのは、昔の自分よりは少しは大人に変わったからだろうか。
それでも、我慢できなかった。
泣きそうな顔で名を呼んでいたのに、その声を振り切って出てきてしまった。
真冬の非常階段は暖かな部屋の中と違って、凍てつく寒さを齎した。
無意識に着込んできた上着のポケットに入っていたまだ馴染まない煙草に、逃げてしまうほど、後悔ばかりが心を軋ませているのに。
新築マンションの７階から見える景色は、他に余り高い建物の無いこの土地では明かりも疎らで。
昼間なら、遠くに海が見える景色も、今は漆黒の闇に閉ざされたまま。
階段の手すりに寄り掛かりながら、上を眺めれば、幾つかの星が疎らに煌めいていて冬の夜空を飾っている。
こんな筈じゃなかった。
一緒に暮らし始めて・・・最初はぎこちなくて。
それでも、徐々に馴染むように二人でいる時間が濃密になって、互いの事を知って。
手に入れたと・・・全部、自分の物だと―――思い込んで。
苦い紫煙が、肺を蝕む。
長年愛用してきた煙草が廃番になってしまったのは思いもよらなくて。
今更禁煙する事も出来ないから、新しい銘柄を探すけれど・・・気に入った馴染の味には到底及ばない。
その所為で、最近は特にイライラしていた。
気が付かない内に、八つ当たりのような態度を取っていたのかもしれない。
それでも・・・。
まさか、自分に隠れてこそこそと逢引をするような真似をするなんて、考えても居なかったから、最初は自分の目を疑った。
脳裏に焼き付いて神経を痛みつける光景を握り潰す様に拳を握りしめて、怒りのままに手すりを殴りつけた。
ガコンという大きな音が、夜の静寂をも壊した。

カツン、カツン。―――カチャ。
近付いてくる足音と共に非常口が開かれる。

「あぁ。居た。」

顕れたのは、緋咲が一番会いたくなかった相手だ。
自分がしでかした事をおくびにも出さずに、飄々とした態度で傍に寄ってくる。

「・・・テメェ・・・。何しにきやがった・・・」

ギロリと睨みつけても、全く動じない。

「何の言い訳も聞かずに手放すんなら、オレが貰おうと思って。」
「―――っ？！」

少しも悪びれずに、笑って言い放つ言葉に、緋咲の中で殺意が沸き起こる。
思わず振り上げた拳は、簡単に躱されてしまった。
そのまま、一歩だけ下がって、少しだけ肩を竦めている。

「あそこで、お前が帰って来るとは思ってなかった・・・とは言わないけど。フェアじゃないから、これだけは教えてやるよ。オレは、拓ちゃんの弱みに付け込んだだけだ。それでも信じられないんなら、まだ泣いてる拓ちゃんを慰めて、本気でオレのモノにする。」

暗闇に、ギラリと紅に染まる瞳が煌めく。
強いその眼差しは、何処までも本気の想いを映し出す。
『親友（ダチ）』だと思っていた。
近くにいなくても、理解り合える相手だと。
なのに、同じ者を愛した故に、恋敵になった。
互いに相手の力量を嫌と言うほど知っているから・・・あいつが自分を選んでくれた時は本当に嬉しかった。

「―――弱み？」
「・・・知りたかったら、本人の口からちゃんと聞け。本当は、こんな損な役回りもやりたくないが・・・あんなに拓ちゃんに泣かれるとは思ってなかった・・・」
「あいつ・・・」
「尤も、キスの一つや二つでグラつく様な関係なら、まだまだオレにも付け入る隙はあるって事だ。なんなら、正々堂々と口説いても良いか？」

ニィッと微笑って言い切るヤツの口を引き裂いてやりたい衝動に駆られながら、意識は泣いているという姿に捕らわれる。
思った以上に泣き虫なあいつは、昔っから何かある度にでっかい瞳から涙を零す。
それなのに、自分が苛められたり傷付いたり追いつめられる時には、必死に泣かないように我慢する。

「フザケンナ！」
「オレはいつだって、本気だよ。緋咲。あの存在が手に入るのなら・・・。」

少しだけ陶然と言い放つ眼の色が変化する。
強い紅から、穏やかな緋へ。
“龍神”と呼ばれた男が欲しがったたった一つの宝玉。
それは、今自分の手元に在る。

「誰がやるか。」

ボソリと呟くと、キラリと目線が細くなる。

「やっぱ帰んなくて良いよ、オマエ。」

急に掌を返したような言葉に、一瞬不意を付かれる。

「あぁ！？」
「緋咲だけ良い目を見るのもズルいし、悔しい。」

真面目な顔で続けられた台詞に、湧き上がるのはどうしようもない脱力感。
昔から目の前の男は自分以上に自分勝手で好き勝手で・・・他人の事などお構いなしに生きているような男だった。
あいつと出会って少しは変わったかと思ったが。
―――本質は全く変わっていないらしい。
余りにも馬鹿らしくて、浮かぶのは苦笑。
本気で振り回されて、怒って泣かせて・・・一番みっとも無いのは、それでも手放せないという現実。

「テメーが地団太踏んで悔しがる魂かよ？」
「お前の『親友』だからってだけで頼られて、あんまりにも悔しいからお礼代わりにキス奪っちゃう位には、歯ぎしりしてるさ。」
「だから何で、俺じゃなくてお前に頼るんだ？」
「内緒だから、教えない。」
「おいっ！」
「お前、ほんとにバカなのか？あー、もう拓ちゃん、何で緋咲の方が良いんだろう？オレの方が良い男だし金持ちだし、一杯甘やかして愛して可愛がって一生幸せにするのに。」

本気で溜め息を吐いて肩を竦める仕草に、物凄い殺意が湧き上がる。
だが、ここで釣られては負けだと何処かで警鐘が鳴っている。
無視するのが一番だと、本能が告げた。
これ以上付き合っているのも馬鹿馬鹿しくて、黙ったままその脇を通り過ぎる。

「―――」

互いに告げなくても、相手の気持ちは理解る。
ふざけた物言いで、でも緋咲が帰りやすいようにここまで来たのは、言葉裏に隠された謝罪。
何時だって拓の為にしか動かないから。
本当なら、ここに態々言いに来る前に、言葉通りに泣いているあいつを慰めて手に入れる事も出来た筈だ。
それをしなかったのは―――。
同じ相手を選ぶほど、似通った性格だから良く理解る。
どっちも―――天邪鬼だから。

玄関に靴はあった。
鍵を持ってないからか、ドアは開いたままで、そっちの方が腹が立った。
何かあったらどうするんだ―――と思いながら、部屋の中に入ると、無意識に探していた姿を直ぐに視界が捉える。
リビングのソファーにその姿はあった。
想像外の姿に、緊張が一気に解れる。
そっと傍に近付くと、無防備な寝顔があって、その頬に残るまだ乾ききらない痛々しい涙の痕が、泣き疲れて寝てしまった事を緋咲に伝えた。
しかも、その両手でしがみ付くように抱き締めているのは、見間違いでなければ自分のシャツで・・・。
ずっとイライラしていた気持ちも焦燥感も、全部が愛しさに塗り替わる。
身体の奥底から叫びだしたいような衝動と、違う意味でやり切れない照れ臭さが、居た堪れない。
思わず口を抑えて、視界から無理やりその姿を剥がして、中空を睨んで気持ちを落ち着けなければ、どうにかなってしまいそうだ。
暫く気持ちを落ち着けて、漸く平常心を取り戻してから、緋咲はそっと頬の涙を指先で拭った。

「・・・ん・・・」

触れる感触に、気付いたらしくフルフルと震えた睫毛がゆっくりと開かれていく。
ぼんやりと空を漂っていた視線が、緋咲の姿を捉えた途端に瞳が見開かれる。

「―――ぁ」

途端に浮かんだのは悲痛な表情で。
それだけで、緋咲の胸に痛みが走った。

「・・・拓。」

その名を呼ぶと、ガバッと起き上った小さな身体が縋りつくように抱き付いてくる。

「―――ごめんなさいっ、薫！ごめんなさい・・・ごめん、・・・なさ・・・っ！」

何度も何度も掠れた声で謝り続ける拓に、我慢できなくなったのは緋咲の方だ。
縋りついてくる身体をきつく抱き締めて、懇願するように謝り続ける唇を奪った。
あの時、目の前で奪われたモノを取り戻すかのように、口唇を深く併せて貪った。
ビクッと身を竦ませるように固くなった身体が、キスの合間にゆっくりと解けるように弛緩していく。
角度を変えて舌で唇を突けば、素直に開いた口内までも、余す所なく舌を這わせて互いの唾液を混ぜ合わせる。
絡め取った舌が、ビクビクと震えながら、応じていく。
ギュッと縋りついていた腕が、いつの間にか離れないという風に首に巻かれ、身を任せてくる。
十分堪能した緋咲がゆっくりと顔を上げると、頬を染め上げた拓が扇情的な色を表情に滲ませてうっとりとしている。
だけどそれは一瞬の事で、直ぐに顔色を変えて怯えたように俯いてしまう。

「―――セロニアスが、わざわざ迎えに来た。」

静かにそう告げると、ビクンッと動揺したように拓の身体が震えた。

「言いたい事があったら、直接俺に言え。他の奴なんかに頼るな。」

更に俯きそうな顔を上げさせて、言い聞かせるように告げると、いつまでも変わらない大きな瞳が驚いたように見開かれて、数回瞬きした。

「え？・・・あの・・・」
「俺に隠れてこそこそしようとするから、猶更腹が立つ。」
「・・・怒ってないの？」
「―――腸が捩じ切れそうな位、怒ってる。けど、お前を手放すのは嫌だ。」
「ぁ・・・」

気持ちを口にしたら、目の前の宝石のような瞳が見る見るうちに潤んでいく。

「泣くな。もう、１０代のガキじゃねぇんだから・・・」

その雫となって零れ落ちそうなそれを指先で拭ってやると、途端に強張っていた表情が柔らかくなった。
浮かんだのは何処までも幸せそうな『微笑（なきがお）』。
引き出したのは、自分の言葉だ。

「―――ごめん。・・・止まんない・・・」

ほんの少しだけ困ったように告げる響きが甘くて、引き寄せられるように緋咲はその唇を捉えた。

「―――んで、原因は何だ？」

ベッドの中、蒸し返すのもどうかと思ったが、このままではしこりとして何時までも残ってしまいそうなので、甘い余韻に浸っている小さな身体を抱き寄せて、その触り心地の良い肌を愛撫しながら問い掛ける。
ここまできて、まだはぐらかす様なら全部白状させるまで容赦はしないと密かに決意しながら、肌を辿る。

「・・・ん・・・それ・・は・・・」
「―――ん？」
「だから・・・ぁ・・・ちょっ・・・んんっ・・・」

弱い所を愛撫されて、拓が口を開いても出てくるのは甘い声だけだ。

「こ・・・こんな・・・ぁ・・んじゃ・・・言え、、、ないっ！」

泣きそうな声で懇願されて、漸く緋咲の指先が悪戯を止める。

「―――もうっ。」
「・・・拓。」

プーッと膨れた頬を突いて、そこにキスすると漸く瞳が緋咲を見詰めた。
真っ直ぐに向けられる視線に向き合って、抱き締めたまま言葉を待つ。

「あの・・・最近ずっとイライラしてるのって、煙草変えたからだよね？僕は吸わないからよく理解らないんだけど・・・でも、皆が皆同じ物を吸ってる訳じゃないから、好みがあるんでしょう？」
「―――ああ。」

小さな声で、ゆっくりと喋りながら問い掛けるように小首を傾げた仕草に同意する。

「うん。だから、どうして変えたのかなって思って・・・それで、最初はjyokerを探したんだけど、廃止になったって知って。もう何処にも売ってないんだって思ったら、凄く悲しかったんだ・・・」
「・・・拓？」
「だって、僕たちが知り合った時には既に吸ってた訳で・・・もう１０年以上も吸ってて、あるのが当たり前だと思ってたのが、無くなっちゃうなんて苛々するのも仕方ないよね。」

緋咲を見ながら、悲しげに言葉を繋いで、息を吐きだす。
全く想像もしていなかった拓の言葉に、緋咲の思考回路は停止する。
物凄く嫌な予感がひしひしと漂う展開に、拓の口を奪い取ってキスしたい気分だったが、固まってしまった思考の所為で身体も動かない。

「だから、少しでも力になれたらなぁって・・・でも、僕は煙草吸わないし・・・どれが美味しいのかも理解らないから・・・一杯色んな種類の煙草を扱ってる問屋さんに行ってみたんだ。時貞くんとは煙草を探してる最中に会って・・・それで、力になってくれるからって・・・」

困ったように、言い難そうに告げる拓に、緋咲はガンガンと頭痛がするのを止められない。
元を正せば、原因は自分なのだ。
拓にそこまで心配させてしまうほど、ここ最近の自分の態度を棚に上げて、勝手に浮気されたのではないかと嫉妬した事に対する羞恥に、眩暈がしそうだった。

「・・・・・・」
「―――まさか、お礼にキスしてなんて言われるなんて思わなかったから。で・・・でも、僕はほっぺにしたんだよ？あの時は、時貞くんが急に顔を近付けて来て・・・それで・・・。でも・・・ごめんなさい・・・」

しゅんと項垂れながら目線を逸らして申し訳なさそうに告げる拓に、漸く緋咲の金縛りも解ける。
目の前で見せ付けるかのようにキスを交わす二人の姿に、愕然としたのは自分だけだと思っていたのだが、拓にとっても不意打ちだったのだと理解れば、逆に助ける事もせずに切り捨てるように離れたりした自分の方が完全に悪者ではないか。

「―――悪かった・・・。」

全部自分の所為だと理解したので、謝罪は呆気なく唇から零れ落ちた。
もう少しでとんでもない間違いを犯す所だったのだと漸く思い知って・・・それでもこんな薄情な恋人を想ってくれる拓が腕の中にいてくれる事が何よりも胸を締め付けて。

「・・・っ・・・」

弾かれたように、拓が息を詰める。
そんな拓を猶更きつく抱き締めて、緋咲は肩口に顔を埋める。

「・・・ありがと、・・・な。」

面と向かって言うのは物凄く照れ臭いから、くぐもった声でそう告げた。

目の前に置かれたのは、綺麗にラッピングされた幾つかの包み。

「この・・・こっちの小さいのは僕が見つけたjyokerの後継って言われてる煙草なんだけど。」

渡された包みを解くと、中から出て来たのはアーク・ロイヤル・ワイルドカードだった。

「でも、多分時貞くんが探し出してくれたこれの方が、喜んで貰えると思って・・・だから・・・」

言葉を濁すのは、これを手に入れる為にああなってしまったのだと言えないからだ。
だから握り潰したいのを我慢して、その大きな包みを開いたら、中から出てきたのは信じられない物だった。
散々探して、廃止になる前に出来るだけ買い込んで、それでももう半年たった今では手に入らなくなったjyokerの１カートン。
見た瞬間に、記憶が揺すぶられて、懐かしい香りを思い起こした。

「―――良かった。」

安堵したような拓の声に、緋咲は信じられない思いで拓を見詰めた。

「うん。きっと喜んでくれると思った。」

はにかむように微笑う目の前の恋人が、何よりも愛しかった。
だから、抱き締めて掻き抱く。

「・・・言えなかったのは、ちゃんと力になってあげられるか理解らなかったし、薫をがっかりさせたくなかったんだ。」

小さく息を吐いて告げられる告白に、全身が奮える。
どうして、こんなにも無償の愛を捧げてくれる相手がこの世に存在しているのだろうか？
時貞がどんな思いで自分の居場所にやってきたのか、今度こそ思い知らされて。
言葉にならない位、胸が苦しくなった。

「だから、時貞くんの事も・・・」

―――許してあげて・・・。
言外に含まれる想いにも、今更、嫉妬なんかできない。
もっと恩着せがましくして、自分から拓を奪うことだって、本気でやろうと思えば簡単にできるのに、誰よりも愛する拓の為に、キスだけで願いを叶える時貞の懐の深さが、悔しい程だ。
自分だったら、出来ない。
それが理解っているから、拓に救われている。

「拓・・・たく・・・愛してる。」

狂おしい程の想いで、腕の力を強める事しか出来なくて。

「・・・僕も。薫を・・・あ、・・・愛して・・・る」

恥ずかしそうに目元を染める拓に、等々我慢できなくなって緋咲はその身体を押し倒す様にシーツの海に倒れ込んだ。
後はもう、言葉はいらない。

―――互いの熱い肌と、絡まる吐息に、甘い時間が刻まれていった。

　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


「なんだ、これ？」

ベッドの下に転がっていた包み。
そう言えば、中身を開けなかったが、確かにこれもあったと記憶を辿って。
ベッドを見れば、中身を知っている筈の拓は未だに眠ったままだ。
結局、明け方まで愛し合った所為で、目が覚めても今日一日は満足に動けないだろう。

「・・・ったく、どれだけ探したんだ？」

口元が緩むのを抑えきれない事を自覚しながら、勝手に包みを開けていく。
持った感触からして、間違いなくこれも煙草だろうと理解ったからだ。

「・・・“BLACK　 DEVIL”？」

見た事の無いパッケージは、初めて知る銘柄だった。
昨夜開けたもう一つのアーク・ロイヤルの方は、拓が言うまでも無くとっくに知ってて試したこともある物だったのだが、これはまだ吸った事が無い。
気持ちの上では早くjyokerの紫煙を味わいたかったのだが、折角拓が用意してくれた煙草なので、試しに吸ってみる事にした。

部屋の中に、甘い香りが漂う。
匂いに刺激されて眠りの国から舞い戻ってきた拓の瞳がゆっくりと開いていく。
ぼんやりとしながら、傍らの温もりを探そうとして、冷たいシーツの感触だけだったので、慌てて覚醒する。
起き上がろうとして、腰に響いた痛みに悶絶して、シーツに沈む。
途端に、昨夜の情景を思い出して、真っ赤になった。

「・・・チョコ？」

顔を覆って恥ずかしがっていたが、鼻孔を擽る様な匂いに意識を取り戻す。
部屋の中に漂っていたのは、紛れもなく甘いチョコレートの香り。
甘いモノが苦手な緋咲が、こんなに匂いが充満するほどチョコレートを食べるとは思えないので、慌てて視線を巡らせると、サイドテーブルに肘をついた状態で、頭を抱え込んでいる緋咲の姿が目に入った。

「―――薫？！」

びっくりして声を掛けると、眉間に皺を寄せた緋咲が拓を振り返った。
その目が据わっている事に気付いた拓は、一瞬後ずさってしまった。

「・・・甘ぇ・・・」

こめかみを抑えながら告げられた台詞に、漸く緋咲が煙草を吸っていた事に気付く。
そうして、思い当たるのは、昨夜開けなかった筈の包みで。

「あー。そうなんだ。」

困ったように、拓は苦笑いを浮かべた。
確かにこれだけの甘ったるい紫煙なら、本体もそれ相当の甘さだと思うから。

「―――おい。」

苦虫を噛み潰したような顔付きで、理由を問われる。
一瞬躊躇して、それから拓はちょっと困ったように目線を逸らした。

「えーと・・・」

言葉を探すかのような煮え切らない態度に、我慢しきれなくなった緋咲は一口で挫折した煙草を灰皿に押し付けると、ユラリと立ち上がった。

「・・・拓・・・」
「うん。一口でも吸ってくれたから・・・もう良いよ。」

ジリジリと壁際に追いつめられて、等々壁に背を付けて緋咲の腕の中に囚われた状態で、拓は綺麗に頬を染め上げてそう告げた。

「―――拓？」
「だ・・・だから、昨日は・・・その・・・」

必死に目線を泳がせて、シーツを指先で弄りながら、言い難そうに唇を開く。

「―――バレンタイン、だったから・・・」

プシューと、湯気が立ちそうな真っ赤な顔でそう言った拓に、緋咲が瞳を見開く。
本気で驚いている様子に、拓は目線を落とした。

「まさか、本当のチョコみたいに甘いなんて思わなかったから、これなら良いかなぁって・・・」

ちょっと震える声で告げる拓に、緋咲は眩暈がした。
一緒に居るのが当たり前になると、どうしてもイベント事などは忘れがちだ。
想いを伝えるのなら、ベッドで抱き合えば良いとしか思わなくなっている自分の思考の偏りを、粉々に粉砕された様な衝撃を受けた。
同じ年な筈なのに、どうして拓の思考はこんなにも甘いのか？
気持ちも心も身体も・・・存在総てが緋咲にとっては甘過ぎる。
何だか気分まで甘ったるくなってしまって、緋咲はがっくりと肩を落とした。

「―――この、ばか。甘すぎンだよ・・・」

もう、口にする響きも甘くなる。
フイルターに付いていた甘い成分の所為で、どれ位辟易したのか思い知らせてやりたくなって、唇を重ねる。
舌に残る甘さを分け合うように口付けると、腕の中の拓は大人しくそれを受け入れた。

「・・・甘く、ない・・・よ・・・？」
「あぁ。お前の方が・・・ずっと甘い、な。」

唇を離した途端に、ポツリと零れ落ちた響きに苦笑しながら、緋咲は口直しするようにもう一度キスした。

　　　　　おしまい。 　　　／　　　　戻る