天空に輝く黄金の月よ・・・。
　その光の中で夢見た事が、永遠を齎すと言うのならば―――何よりも手に入れたい者と月光を浴びよう。
　静寂を支配する『月の女神』の祝福を受ける為に・・・。
　

　
　　ＭＯＯＮ　　　
　
　
　年末の騒がしさが、街に溢れだす。
　最後のお祭りとも言える、クリスマスを控えた街並みは、鮮やかに色付けされていた。
　宗教的な事は一切関係なく、何処となく商売的な大袈裟な広告が、何枚も貼られていく。
　それでも、やはり土地柄で、クリスマスは特別な意味を持つイベントでもあった。
　ベイブリッヂも、イブにはライトアップされ、恋人同士の甘い夜を演出していく。
　そんな、特別な夜だというのに、何故自分はこんな場所にいるのだろうか？
　深く考えると悲しくなってしまうが・・・呼び出しを断われる程の勇気がないのも確かだった。
　それに・・・呼び出された時の電話の口調が、いつもと違うような気がして・・・。
　それが、一番の墓穴堀りだという事に、拓はまだ気が付かなかった。
　
　
　「オレだけじゃ、つまんないかい？―――拓ちゃん？」
　二人っきりの部屋の中で、居心地が悪くて戸惑っていると・・・突然前に座っていた人物が立ち上がる。
　その動作に、ビクリと身を竦ませる拓を見て、彼はほんの少しだけ自嘲気味な笑みを浮かべた。
　「そんなに怯えなくっても・・・とって食べたりしないのに・・・」
　小さく笑いながら、彼は拓の隣に座り込んでしまう。
　二人の間を作ってくれていたテーブルも今では何の役にも立たない。
　「拓ちゃん・・・♪」
　「あっ・・・あの・・・・」
　ニッコリと笑う笑顔が、発作の前兆のような気がして、どうしても緊張が解けない。
　これでも、少しはマシになった方なのだ。
　初めて出会った頃は、口を聞くのも怖くて仕方がなかったのだから。
　それが、いつからだろう・・・こんな風に一緒にいても、恐怖を感じなくなったのは。
　それと同時に見え始めた・・・彼の隠されていた・・・『素顔』。
　「うわっ！！なっ・・・何？！」
　突然にドサリと重みを感じて、拓の瞳が驚きに丸くなる。
　そうして、自分の腿の上に乗っかっている銀髪に、酷く動揺した。
　「どっ・・・どうしたの？何処か・・・具合でも・・・・」
　驚きの表情のまま問いかける拓に、彼は答える代わりに腰に手を回す。
　「―――時貞・・・くんっ？！」
　真っ赤になった拓が、声を上げる。
　そんな拓の様子に、彼は上を向いてクスクスと微笑を浮かべた。
　「あぁ・・・『拓ちゃん』・・・の匂いがする・・・」
　「えっ・・にっ・・・匂いって・・・ボク、ちゃんとお風呂入ってるし・・・」
　ドギマギしながら、耳まで赤くして拓がそう答えると彼−天羽時貞−は更に笑みを深めた。
　「違うよ・・・。そうじゃなくて・・・とても・・・」
　いつものキツイ『緋』い瞳を閉じて、時貞は吐息を吐き出すようにゆっくりと全身の力を抜いていく。
　「・・・時貞・・・くん・・・？」
　違和感に気付いた拓が、声を掛けた時には、既に時貞は夢の中の住人と化していた。
　余りの事に一瞬茫然とした拓は、それでも覗き込んだ時貞の寝顔に、小さな困ったような笑みを浮かばせた。
　突然の行為はいつもの事なので・・・もう今更驚く事もない。
　ふぅ・・・っと一つ溜め息を零すと、拓は時貞の髪に指を搦める。
　それは拓が思っていたよりもずっと柔らかく拓の指先に絡みついた。
　＜クーン・・・＞
　時貞が、この国で唯一心を開いている『兄弟』たちが、それぞれに近づいてくる。
　「しー・・・起こさないようにね・・・」
　唇に人指し指を当てて、静かにするように伝えると、彼等はちゃんとそれを理解したように、時貞の足元に座り込んで、主人を護るように蹲まった。
　拓の笑みが柔らかくなる。
　こうして眠っている時貞は、普段からは想像もできない程、穏やかな表情だった。
　長い睫毛が閉じられ・・・ハーフの時貞の容貌を、更に引き立たせていた。
　時貞の寝顔を見ながら、拓は初めて出会った時の事を思い出していた。
　それは、本当に偶然で・・・。
　拓が思いがけない『恐怖』と向かい合っていた時に、声を掛けてきたのが、時貞だったのだ。
　その時は、時貞の事を何も知らなくて・・・。
　二度目に会った時は、幼馴染みのヒロシから、近付くなと言われた直後だったので、怖さばかりが、先に立っていた。
　なのに、その時に不意に見せられた驚いたような笑顔に惹かれ・・・心に残ったのも事実だった。
　その後、まるで運命のように何度も何度も出会い、傷付け合い・・・そうして、失くしそうな出来事を乗り越えて・・・今は友達としてここにこうしている。
　本当に色々な事があったけれど、その度に少しずつ理解り合ってきたような気がした。　
（もう・・・友達だよね　ボクたち・・・ね、時貞くん・・・）
　やがて、静かな部屋の空気に誘われるように・・・いつしか時貞に膝枕をしていた拓もソファーに身体を預けるように、微睡みの中に飲み込まれていった。
　
　
　身体に感じる浮遊感で、拓は眠りの淵から呼び戻された。
　そうして、ゆっくりと開けた瞳に、突然に紅い瞳が飛び込んできて、もう少しで今度は永遠の眠りに就く所であった。
　「あっ、起きた？拓ちゃん・・・」
　「とっとっとっ・・・」
　余りの驚きに、声も出ない。
　それよりも何よりも恥ずかしいのは、時貞に炊き抱えられているという事に気付いてしまったからだったりする。
　不覚にもあのまま眠ってしまったのだという事に、拓は泣きたくなった。
　だが、時貞はそんな拓の気持ちを少しも気付かずにそのまま歩いて、ある部屋に足を踏み入れた。
　「今夜は泊まってくよね・・・？」
　「えっ・・・でも・・・」
　「・・・帰さないよ・・・拓ちゃん。」
　ベットの上に降ろされて、時貞に真面目な顔で半ば脅かされて・・・拓に“ノー”と言える筈もない。
　真っ赤になったまま、泣きそうな表情で困ったように眉を寄せる。
　そんな拓の髪をクシャッと撫でつけると、時貞は壁際に立てかけてあったギターを、手に取った。
　慣らすように二・三度弦を弾くと、そのまま滑らかな動作でギターを弾き始めた。
　初めて時貞の家に連れ込まれた時に、聞いた音よりも、『夜叉神ライブ』の時に聞いた音よりも・・・静かな旋律が部屋に満たされる。
　そうして、その旋律に絡むように『詞』が響いた。
　甘く柔らかな『声音』が、拓の耳を捕らえる。
　初めて聞いた時貞の唄声は、想像以上に拓の意識を奪い取った。
　外国語で歌っているので、その意味は拓には理解らなかったが・・・とても優しい感じがした。
　ずっと聴き続けていたいような・・・そんなメロディーだった。
　何度か同じフレーズが続いて、時貞の唇が綴じられ・・・演奏も終わる。
　曲が終わった後も、拓はその余韻の中にいた。
　不意に顔を上げた時貞が、そのままギターを置いて立ち上がり・・・窓を開けてバルコニーへと出ていってしまう。
　「・・・時貞・・・くん・・・？」
　漸く音の呪縛から解かれた拓が、問いかけるが、時貞は戻ってこない。
　「―――おいでよ、拓ちゃん。」
　逆に呼ばれてしまって、拓は仕方なくゆっくりと立ち上がった。
　呼ばれるままに窓からバルコニーへと出た拓は、一瞬吹き抜けた風に身を竦ませた。
　だが、次の瞬間・・・その寒さも忘れる程魅入られた。
　「うわぁ・・・」
　思わず簡単の声が上がってしまう。
　「―――凄いだろ。」
　夜空から、視線を拓に移した時貞が、微笑った。
　「・・・うん・・・」
　その言葉に、拓も素直に頷く。
　夜空の真ん中に、浮かんでいる黄金に輝く―――『満月』。
　それはイブの夜を飾るには、素晴らしいものだった。
　よく、ホワイト・クリスマスと言って、雪が降っている方が、ロマンチックだと言われているが・・・。
　―――こっちの方がずっと素敵な気がした。
　「綺麗だね・・・。」
　拓の唇から吐息が零れ落ちる。
　それが妙に瞳に焼きついて、時貞は目を細める。
　「・・・スキ・・だよ、拓ちゃん・・・」
　掠れた呟きが、時貞の唇を形作る。
　「えっ？」
　言葉を聞き落とした拓を、時貞の腕が捕まえた。
　「とっ・・・時貞くん・・・・」
　驚きの声が上がる。
　「しっ・・・黙って・・・このまま・・・暫くだけ・・・」
　哀願するような口調に、拓の抵抗が封じられてしまう。
　どうせ抵抗しても、力でかなう筈がないと理解っている拓は、おとなしく時貞の腕の中に収まった。
　「―――拓ちゃん・・・オレを好き？」
　純粋な『哀しい』までの瞳で覗かれて、拓は胸が締めつけられる感じがした。
　それは今まで見たどんな時貞よりも、孤独に包まれているような気がして・・・。
　拓はとても切なくなってしまう。
　「―――スキって・・・言ってほしい・・・」
　それが、時貞の−『望み』。
　漆黒の闇の中で、輝く月光を浴びた時貞の姿は、いっそ幻想的で怖い程の美しさを秘めていた。
　拓の意識が奪われてしまう程に。
　「時貞くん・・・」
　「・・・今夜だけでも、構わない・・・から・・・特別な夜だから・・・」
　泣いているような気がする。
　何処かで、子供が一人ぽっちで・・・。
　今はもう、拓の中から時貞への恐怖は消えていた。
　駄々っ子のように告げる時貞に、拓はその腕の中で困ったような笑みを浮かべる。
　「・・・スキ・・だよ、ボクも時貞くんの事・・・でも、特別ってクリスマスの事？時貞くんてクリスチャンなの？」
　少し赤くなりながら、拓が尋ねると、時貞は幸せそうな笑みを浮かべてから、首を横に振った。
　「オレねぇ・・・神様と一緒なんだよ・・・でも、オレを祝福してくれる人はもういないと・・・そうずっと思っていたよ・・・」
　「・・・時貞くん？」
　あの淋しそうな表情が現れて、拓はドキンとした。
　そうして、時貞の言葉に・・・その言葉の中に包まれている『想い』に気付いた。
　「でも、今年は違う・・・こうして、拓ちゃんに言ってもらえた・・・」
　綺麗な笑顔が、浮かぶ。
　それに、拓はどうしようもなく哀しくなった。
　「・・・拓ちゃん・・・寒いのかい？」
　腕の中で震える拓に、時貞は心配そうに問いかける。
　「・・・がう・・・違うよ・・・」
　「拓ちゃん？」
　目尻に涙を浮かべる拓に、時貞が瞳を見開く。
　「『スキ』って言葉は、確かにとっても嬉しいけど・・・でも、違うよ。だって・・・この日は・・・誕生日は、一年に一度しかないもの・・・だから・・・」
　ギュッと拳を握り締めてから、拓は顔を上げた。
　「―――拓ちゃん・・・」
　「・・・ハッピィバースディ・・・時貞くん・・・」
　フワリと微笑ったまま、拓は柔らかな口調でそう告げた。
　途端に時貞の笑顔が崩れ・・・その笑顔の裏に隠され続けてきた素顔が顕れる。
　『緋』い瞳から、零れ落ちた雫が、月光に弾ける。
　「・・・時貞くんっ？！」
　焦った拓が問いかけるよりも早く、その腕がきつく拓を抱き締めた。
　「―――――――」
　耳元で囁かれた、掠れた言葉を・・・時貞の『想い』を、拓もまた泣きそうな『想い』で受け止めた。
　月光に包まれた中で、拓はまた一つ時貞の事を理解ったような気がした。
　だが、心が暖まるような状況でも、やはり時貞は時貞であった。
　生きてくる中で学んだ事は、とことん身についてしまっているのだ。
　どんなチャンスも決して逃がさない・・・それは、時貞の中に流れる天羽家の血筋でもあった。
　何よりも、時貞にはこの手の中の想い人を手放す気など、出会った時からさらさらないのだから・・・。
　「ダディとマムがいなくなってから・・・こんな風に抱き締めてくれたのは・・・拓ちゃんだけだよ・・・。」
　慰めるように添えられた拓の手に、縋るような瞳を向ける。
　それが、時貞の策略だと拓が気付いた時には、既に事態は思わぬ方向へと転がり始めていた。
　「・・・嬉しいよ、拓ちゃん♪」
　セリフと同時に、アッと言う間に拓は唇を奪われていた。
　余りの場面の急展開に追いつけなかった拓は、抵抗する事も忘れて硬直してしまう。
　自分の身に、一体何が起こったのか、考えるのがとっても怖すぎて・・・。
　ゆっくりと、名残惜しそうに顔を離した時貞が、至福の笑みを浮かべる。
　ハッと正気に返って、抗議しようとした拓は、思わずその会心の笑顔に見ほれてしまった。
　疑問や問い掛けは、山のようにあるのだが・・・それを口にするのが躊躇われる程の―――『笑顔』。
　言葉を発する代わりに、拓はただ困ったようにいつもの笑みを浮かべた。
　
　〜〜サンキュー・・・拓ちゃん・・・〜〜
　掠れた声で、呟いた時貞の囁きが、ずっと耳に残っていて、胸に刻み込まれていた。
　
　
　月光の黄金の輝きの中で、愛しい者を腕に抱き締めて・・・時貞は満たされていた。
　それは、時貞が求めて“渇望”していた『幸福』に他ならない。
　この時が、永遠に続くように・・・と夢を見るように願っていた・・・。
　

　
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