聖蘭高校―――通称“乱校”。
そこは、横浜の問題児ばかりを集めているのではないかという学校であったが、特に保健室は禁断の魔窟でもあった。
保健室の主である女帝は、『爆音小僧６代目』である、真嶋夏生の元彼女であり、尚且つ現『夜叉神』の総代である鰐淵春樹の姉だからだ。
本人自身も非常に強者であったので、どんな問題児も彼女には頭が上がらなかったりする。
「・・・あ・・・あの・・・ちょ・・・」
治療用の椅子にチョコンと座っていた拓の口から、困ったような声が上がる。
階段でこけてしまって、擦りむいてしまった膝の手当てをして貰いにきた筈なのに、何故学生服のボタンを外さないといけないのだろうか？
椅子から乗り出すように姿勢を変えた
清美の指先が、慣れた手つきであっという間に拓の学ランを奪ってしまう。
そのままシャツの前も肌蹴られてしまい・・・何だか酷くヤバイ状態にクラクラしてしまう。
「ふーん・・・やっぱ、細いわねぇ。」
まじまじと見られて、赤い唇が綺麗なカーブを作る。
「ちょっと、この細い腰！・・・女の子じゃないんだから・・・」
「・・・んっ！！」
わき腹を綺麗な赤い爪の指先が辿って、思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
「あら？・・・感じちゃった？」
クスッと笑われて、拓はカアァッと全身を染め上げた。
「・・・もぅ・・・許して下さい・・・先生・・・」
涙目で上目遣いのまま、肌蹴たシャツを掻き合わせて懇願する。
その妙な色っぽさに、清美は思わず一瞬固まってしまう。
＜ちょ・・・ほんとに、何なのこの小動物的な可愛さはっっ！！＞
脳内では、物凄い勢いでアドレナリンが放出されていく。
拓にしてみれば、からかわれている事が恥ずかしくて居た堪れなくて、一刻も早くこの場所から逃げ出してしまいたいところなのだが・・・目の前でワキワキしている清美の指が怖くて動けない。
キューッと縮こまったままどうする事もできない拓を見て、清美の理性が壊れかける。
＜あー、なんなのぉ？この子・・・マジで可愛い可愛い可愛い・・・＞
普段、可愛げのない連中ばかり見ているので、こーゆう母性本能を擽るタイプには本当に弱いのだ。
キラーンと、眼鏡の奥の瞳が煌く。
それは、獲物を見つけた愉悦の輝きだ。
＜―――悪戯したい・・・＞
何だか、いけない妄想まで浮かんでくる。
「そう言えば、転校してきてから、身体検査してなかったわよ・・・ね。」
にーーっこりと笑って告げられた清美の言葉は、悪魔の囁きのように拓を凍りつかせた。
「―――身長155㎝・体重４６㎏・座高８５㎝・・・って・・・・・・」
「・・・ぅううっ・・・」
二の句が継げない清美の眼鏡の奥が、可哀想な子を見る目になっている。
微妙な口調から、総てを悟った拓は、今更ながらに突き付けられたコンプレックスに、半泣きとなった。
「そ・・・そんなに気にする事ないわよ、うん！男の子はまだまだこれから伸びる時期だからねっ！」
流石に罪悪感を感じて清美が保険医として、一般常識を口にする。
中学までに殆ど身長が止まってしまう女の子と違って、男子は中・高時代が一番伸びるのだ。
下手をすると、膝や踵の関節が成長痛で痛くなるほど短期間で伸びる事もあるのだ。
「―――本当？」
涙に潤んだ瞳のまま、問い掛ける拓の表情を見てたら、このままでも良いのではないかと思ってしまった事は内緒だ。
ちょっとだけ、胸がキュウンとしてしまった。
見た目が可愛いというのなら、真里の方がよっぽど可愛い顔をしているのだが・・・拓はこの学校では余りにも珍しい程、仕草が秀逸だった。
何でこんな学校に来ちゃったの？と清美の方が心配になってしまう程に。
母性本能で守ってあげたいという気持ちと、同じ位の大きさで弄り倒したいという気持ちが、心の中で犇めき合う。
「清美、先生？・・・ボク、どうしたら、もっと大きくなれますか？」
＜だから、どうしてこんなにこの子可愛いのよぉ？！＞
更に小首を傾げて上目使いで縋る様な瞳で見つめられて、清美の葛藤が激しくなる。
「そ・・・そうね。一杯食べて、一杯運動して・・・ちゃんと、寝なきゃ駄目よ！」
最後の言葉はちょっと強く告げる。
流石に転校してきたばかりなので、拓がどのチームに所属しているのかまでは理解らなかったのだが、いつも一緒につるんでいるメンバーの面子を思い浮かべると、どう考えても睡眠不足は否めない。
「―――は・・・はい。」
拓もそれは自覚しているのか、縋るようだった視線が困ったように伏せられた。
「他の夜遊びしてる連中と違って、ちゃんと学校に来てるし、授業中も寝ないで受けてるみたいじゃない。」
「そ・・・それは・・・一応、学生として・・・」
その真面目な態度を笑顔で告げれば、ほんの少しはにかむ姿もいじらしい。
「だったら、夜はちゃんと寝ないと。因みに、昨夜の睡眠時間は？」
保健医師として問い掛けた清美に、拓は一瞬考え込むように口を噤んだ。
「えっと・・・５・・・６？・・・時間くらい・・・？」
少しの逡巡の後で、答えた拓の言葉に、清美の眉が微妙に吊り上る。
「一昨日は？」
「・・・同じです・・・」
「―――完全な睡眠不足ね。それでよく昼間眠くならないわね？」
「えっと・・・眠い時もありますけど・・・さっきもそれでぼーっとしちゃって、飛びついてきたマー坊君を支えきれなくて・・・転んじゃいましたし・・・」
遠くへ視線を流しながら、拓が沈んだ声を出す。
それだけで、拓の怪我の原因を理解した清美は、しゅーんとしている拓の頭をヨシヨシと撫でてやった。
「清美先生？」
「取りあえず、今の拓ちゃんに必要なのは寝る事ね。」
「はぁ・・・。」
「お昼は食べた？」
「え？は・・・はい、食べました。」
「ならこのまま寝ちゃっても構わないわね。」
「あの・・・でも、午後も授業が・・・」
にーっこりと微笑むと、清美はキョトンとしている拓をそのままベッドに連れて行く。
「拓ちゃんには睡眠が必要とアタシが決めたのよ。誰にも文句は言わせないわ。」
「でも・・・―――っ！！」
まだ何か言おうとする拓の身体を、簡単に足払いしてベッドに沈める。
何が起こったのか全く理解らないという風に、拓はシーツの海の中で大きく瞳を見開いている。
「あら？そんな可愛い貌されちゃったら困っちゃうわね。」
ほんの少しだけ眉を潜めて、清美は唇を持ち上げる。
そうして、驚愕に固まっている拓の頬に軽くキスをした。
「―――！！！―――」
拓の瞳がこれでもかと言う位に更に見開かれて、一瞬後に沸騰したように顔中が真っ赤になってしまう。
その余りの驚き様に、清美の方が苦笑してしまう。
「ふふ。ほんとに食べちゃいたい位に可愛いわ。」
「あ、あああああ・・・あの・・・・・・」
見事に真っ赤になったまま、拓は清美を凝視してくる。
その葛藤が全部丸わかりの表情に、清美は心の中で悶絶した。
＜あー、マジで駄目だわ、この子。本当に、何でこんなに可愛いのっ？！アタシ、ショタじゃなかったのにぃ・・・＞
年下の癖にその風貌も行動も大人っぽくて男らしいからこそ、夏生と付き合っていたのに。いくら別れたとはいえ、好みも変わるとは思ってもいなかった。
一生懸命に不良っぽくしようとしている髪型も、拓の大きな瞳では余り似合っていない。
無理して背伸びしているような風貌が、却ってアンバランスな事に、拓は気付いていないようで、だからこそ、その幼さに母性本能が刺激されるだけなのかもしれないけれど。
「大きく、なりたいの？それとも・・・大人に、なりたいの？」
真っ赤な唇を綺麗にカーブさせて清美は艶然と微笑う。
すっかり成熟した大人な女教師のいけない保健体育の授業でも始まりそうな雰囲気で、艶っぽく告げる清美に、拓は言葉も無く固まったまま瞳だけを大きく見開いている。
そのまだ大人になりきらない拓の細い喉元が、こくりと唾を嚥下したかのように動くのが見えた。
張り詰めた甘い空気が漂うが、それは不意に破られた。
「清美さーーんっ！頭痛薬ちょーだい！あら、いないの？」
ガラッと保健室のドアが開かれて、一人の女性徒が入ってくる。
その聞き覚えのある声に、清美はお楽しみの時間が終わってしまった事を悟った。
「ふふ。残念、時間切れ。」
きめ細かそうな肌に爪が触れるか触れないかの状態で、清美は悪戯っぽく眼鏡の奥の瞳を細めてそう告げた。
そうして、何事も無かったかのようにベッドから離れる。
「こっちよ。萌子。頭痛薬ってどうしたの？」
「え？あ、先客だった・・・って、拓ちゃん？」
仕切りのカーテンを開けて出ると、覗き込むように視線を向けた女生徒の表情が驚きに変わる。
３年の久須美萌子は、この学校で拓の知る数少ない女生徒の内の一人で、可愛がってくれる先輩だ。
「も・・・萌子・・・せんぱぃ・・・」
ベッドの中で、乱れた衣服のまま何だか泣きそうな表情で、蚊の鳴く様な声を出す拓の姿に、萌子の顔付が変わる。
「えっと・・・もしかして、お楽しみ中だった？」
「寝不足くんに、個人指導してたのよ。はい、これ。」
微妙に目を細めて問い掛ける萌子に、苦笑しながら清美は薬を差し出す。
「あ、ありがと。ふーん・・・寝不足かぁ。じゃあ、ベッドの許可出したんだ。良いなぁ・・・拓ちゃん。」
「良いなぁ・・・って。余程の事じゃなかったら、具合が悪かったらさっさと帰っちゃう連中ばっかりだから使わないだけでしょ？」
「春樹くんに目を付けられたくないから―――の間違いじゃないの？」
「・・・って、萌子？なんでベッドに潜り込もうとしてんの。」
「んー、折角だから、ここで、一緒に寝てこうかなぁって。」
ベッドの上で固まったまま身動きできない拓の存在を余所に、どんどん会話が進んでいく。
清美が棚に薬の瓶を戻している間に、薬を飲んだ萌子が上履きを脱いでベッドに上がっていた。
「ね、拓ちゃん。」
にっこり笑って告げるこの学校一の美少女で、男子生徒の憧れの的である萌子の言葉に、拓はボンッと爆ぜたように硬直して真っ赤になった。
「も、も、も、・・・萌子先輩ぃぃいいい・・・？！」
情けない声を上げて、拓はガバッと起き上る。
そうして、慌てて外れていたシャツの前を掻き合わせると、反対側から転げ落ちるようにベッドから逃れた。
「逃げられたわよ。」
「えー？アタシと一緒じゃ嫌なの、拓ちゃん？」
揶揄する清美に、萌子は唇を尖らせる。
「え、ぇえっ？・・・い・・・嫌とかじゃ！？あの、先輩綺麗だし・・・凄い良い匂いするし・・・って、・・・」
プシュウと縮こまる拓の姿に、二人は表情をガラリと変えて目を細めた。
「ぼ・・・ぼく、もう教室に・・・」
そのまま保健室から逃げ出そうとした拓を捕まえたのは清美だ。
「逃がさないわよ。」
「え？あの・・・」
「言う事聞かない子にはお仕置きするわよ？」
にーっこりと告げる清美に、拓の顔色が変わる。
「お・・・お仕置き・・・って？」
「ふふ。清美さんのお仕置きが嫌だったら、戻ってきてね、“ここ”に。」
ベッドの上で手招きしながら萌子が微笑う。
どっちを選んでも―――他の男子生徒だったら垂涎物だが。
だが、拓にとっては『前門の虎に後門の狼』なのは間違いない。
《―――か、か、帰らせてくださいーーーっっ！》
涙交じりの声にならない悲痛な叫びが、保健室の中に響いた。
その後、いつまでたっても教室に戻ってこない拓を心配した真里や秋生が迎えに来るまで、拓は二人に玩具にされ続けていた。
そうして、保健室の伝説がまた一つ・・・。
終わり。