私立聖蘭高等学校―――通称“乱”校。
そこは、横浜内の・・・問題児ばかりが集う学校だ。
港が丘高校から、ある事件を切っ掛けに転校してきた拓は、転校初日から絡まれたり、殴られたりと散々な目にあった事もあったが（今でもたまに絡まれるが）・・・取り敢えず、二ヶ月経った最近は、漸く学校生活にも慣れてきた。
誰もいない屋上で日向ぼっこをしながら、拓は今までの出来事を思い出していた。
本当に、目まぐるしい位に、毎日が戦場みたいだった。
今まで平凡に生きてきた自分には、本当にありえない程の時間の進み具合だった。
３月半ば・・・最上級生であった３年生たちが卒業を迎える。
しがらみを残した者たちが、色々な場所で暴れているのも、慣れたくはないけれど、見慣れてしまった。
来月になれば、また新しい問題児がやってくる。
自分は、もう昔には戻れないのだ―――と改めて思う。
「・・・やっぱ、ここにいたんだ・・・」
掛けられた声に振り返ると、真里がにこやかな笑顔で立っていた。
「マー坊くん・・・。」
苦笑しながら、拓は寄りかかっていたフェンスから離れた。
「何処にもいないから、探しちゃったよぉ・・・。特に今は、祭りみたいに浮かれたバカな奴等が一杯いるから―――心配した。」
「―――ごめんね・・・。」
近付いてきた真里に、ギュッと抱き込まれて、拓は更に苦笑する。
初めて路上で出会った時から、真里はずっと拓を気遣ってくれる。
それは、今も変わらない。
『爆音小僧』という大きな暴走族の頭を張っているとはとても思えない程の・・・拓とそう変わらない可愛い容姿の真里は、その中身は“漢”だった。
にこにこ笑顔で、相手をぶちのめす事など朝飯前の―――強者。
何処にそんな力が秘められているのか、拓には全く理解らないのに・・・。
それでも、真里の性格はとても優しくて。
仲間内には、本当に頼りにされている存在だから。
「・・・んー♪」
チュッ。
自分の頬に触れた感触に、拓は思考から慌てて戻ってくる。
「―――何、考えてたの？拓ちゃん」
思わず、視線を向けると、拓の頬にキスをかました真里が、ニコニコと問い掛けてくる。
真里のスキンシップは、信じられないぐらい過激だ。
ベタベタと触れるだけではなく・・・平気でこんな風にキスしてくる事も多々ある。
一度、どうしてこんな風に触るのか聞いたら・・・触り心地が良いからと笑顔で返されて撃沈した事がある。
今では、仲間内にもそれが当たり前の光景として浸透してしまって・・・真里の暴走も酷くなっていく一方だ。
「あ・・・あの・・・うん。」
真っ赤になった拓が、ちょっと身体を離し気味に応える。
べったりくっついている真里から、今更離れられる筈もないのだが・・・。
「―――もう、３月なんだなぁ・・・って思って・・・。」
そうして、心は、過去に飛翔する。
様々な事・・・幾つもの新しい出会いと―――“別れ”。
上手くいった事も・・・心が壊れそうな悲しい出来事も・・・。
すべて、過去の事になってしまった。
それでも・・・想い浮かぶのは―――。
「そっか。」
何かを感じ取ったのか、真里も笑顔を消して・・・真面目な表情となる。
「まだ、ボクがここに来て、２ヶ月しか経っていないのに・・・ね。ほんと・・・色々な事があったなぁ・・・って。」
そう言うと、拓は困ったように、視線を屋上のコンクリートの床に落とした。
思い出される数々の・・・出来事。
その総てが、拓を変えた。
まだまだ、喧嘩とか・・・強い相手に勝てるとは思えないけれど・・・それでも、確実に強くはなっていると思う。
秀人が教えてくれた―――逃げない、『強さ』。
少しは、実践できるようになれただろうか・・・？
自然と口元に浮かぶのは微笑。
彼とは、敵対する事になってしまったけれど・・・変わらない真っ直ぐな性格は、変わらずに拓を“友”と呼んでくれる―――大切な友達。
不意に、グィッと腕を掴まれて、拓はまたしても意識を戻される。
顔を上げると、不機嫌そうな真里がいた。
「マー坊くん？」
「・・・今は、秀人の事、考えてただろ。」
ずばりと言い当てられて、瞬時に顔が赤くなってしまう・
「ど・・・ど・・・ど・・・」
余りの動揺ぶりに拓は口をパクパクと開けたまま、言葉もなくプシュウと萎んだ。
真里は、本当にいつも拓の思考を読み取るのが上手い。
隠し事なんか、全部ばれてしまうんじゃないかと思うぐらい的確に当ててくる。
「やっぱり・・・。ほんと、拓ちゃんて理解りやすいよなぁ・・・。全部、顔に出ちゃってるし・・・」
「そ・・・そんな事・・・！！」
苦笑しながら真里が言った言葉に、拓は赤くなったまま言い返す。
大体、いくら密着しているからといって、下を向いていた拓の表情をそんな正確に言い当ててしまう真里のほうが問題がある気がした。
一瞬、超能力者なのかと思ってしまう程。
「まぁ、良いや。秀人なら・・・」
だが、続けられた真里の言葉に、拓は？マークを顔に貼り付けた。
「・・・まだ、マシ。」
溜め息のように、呟かれた真里の真意が理解らなくて、拓の表情はますます困った顔となる。
それでも、それ以上真里が言葉を続ける様子はない。
３月半ばとはいえ、まだまだ寒い。
屋上に吹く風は、冷たくて・・・。
「くしゅっ・・・」
拓がクシャミを零す。
「だ・・・大丈夫？！拓ちゃんっ！」
一瞬で表情を変えた真里が、問い詰める。
「う・・うん。もう、下に戻ろうか・・・」
鼻をずずっと啜りながら、拓は真里に向かって安心させるように笑ってみせた。

真里が、その事に気付いたのは、偶然だった。
拓の姿を捜して、見えない事に浮かんだのは―――強い“不安”。
「―――あれ？拓ちゃん、居ないの？」
休み時間にトイレに行った帰り、ウザイ３年の殴りこみを、僅か一発で叩きのめして教室に戻ってきた真里は、そこに拓がいなかった事にがっかりして、思わず声に出してしまった。
「あぁ？さっきまで、そこに居たんだけど・・・。」
「あいつ、最近ちょくちょく居なくなるんだよなぁ・・・。」
教室でトトカルチョをやっていたカズと良が、真里を見ないでそう答えた。
「―――何か、用なのか？マー坊、みんなで、探すか？」
椅子から立ち上がったのは、秋生だった。
「ううん。居ないんなら、別に良いや。もうすぐ授業始まるし。俺は、ちょっと一人で外の空気吸ってくるねぇ。」
そう言って、真里はそのまま教室を出た。
―――そうして、走り始める。
最近の拓は、時折酷く切羽詰った顔をするからだ。
本人には、あまり自覚はないらしいが・・・。
あの事件から、まだ一ヶ月も経っていない。
一年以上経った自分が、まだ引き摺っているのだから・・・そう簡単に傷が癒える筈もない。
拓が行きそうな場所を探す。
今の乱校内の一触即発の状態の中で、拓の存在は、起爆剤になってしまうから。
只でさえ、目の上のタンコブだった鰐淵が、卒業するのだ。
この学校は更に混沌とするだろう。
〈――拓ちゃん・・・！！〉
初めて拓と出会った時は、その困ったような笑顔が酷く誠に似ていたから気になったと言っても過言ではない。
それでも、一緒に居て・・・中身は全く違うのだと知って・・・。
なのに、追悼集会で、完全に捕まってしまった。
スピードの出しすぎで、事故ってしまった自分を・・・中空に飛んだ身体を、あの小さな身体で掴んでくれた『拓』。
大好きだった誠と同じ領域には辿り着けなかったけれど、真里は代わりの者を見つけたのだ。
だから、ずっと傍にいたかった。
あの時、自分には力が無くて誠を失ってしまった。
今度こそ、失うわけにはいかないから。
相変わらず、虫みたいに湧いてくる五月蝿い連中を蹴散らしながら、真里は屋上を目指した。
バイク置き場に、まだ拓の単車が置いてあったので、学校内にいるのは間違いない。
誰もいない場所を探すのなら、屋上しかないと思い直して・・・。
階段を一段飛ばしで、駆け上がる。
外に続くドアを開けた、先に想像通り拓の姿を見つけて―――真里は漸く息を吐き出した。

下に向かおうと、背を向けた拓を、真里は背後から抱き締めた。
驚いたように、拓が足を止める。
「・・・マー坊・・・く・・・」
振り返ろうとした拓の動きを制して、そのまま肩口に顔を埋める。
「―――俺は、拓ちゃんを置いていかないよ。」
想いを口にすると、拓の身体がビクッと震えた。
理解っているのに、真里は感情を抑え切れなかった。
見ていただけだった・・・。
いつの間にか、酷く親しい関係になっていた二人を。
―――死神に時貞を連れて行かれてしまって・・・ボロボロになってしまった拓を、真里は護りたいのだ。
拓の気持ちが変わらなくても・・・慰めたい。
「―――っ」
拓の身体が・・・小刻みに震える。
屋上に上がって、最初に拓の姿を見た時から・・・真里はずっと辛くて仕方なかった。
何処か遠くを見ている瞳を、自分に振り向かせたくて。
だから声を掛けて・・・抱き締めた。
気を抜くと思考の壁の中に入り込んでしまう拓の気を引きたくて・・・キスもした。
拓にとっては、過剰なスキンシップだとしか思われなくても―――。
傍に自分がいる事を、思い出して欲しかったから。
「・・・ふ・・・ぅ・・・」
見なくても、真里には理解る。
拓の瞳から、涙が零れ落ちている事。
抱き締めている腕に力を込める。
このまま、腕の中に包み込んで、想いを総て伝えてしまいたい。
そんな、激しい感情が、全身を襲う。
悲しみに暮れている拓を、慰めるという口実で、手に入れたい。
自分は、酷い人間だ。
―――嫌な感情に飲み込まれてしまう前に、真里は拓の身体を振り向かせて、前から抱きしめた。
「・・・一人で、泣かないでよ。拓ちゃん。俺が、傍にいるから・・・ね。」
出来る限り、優しい声で、そう伝える。
時貞の為に泣く拓の姿は、とても心に痛くて・・・儚く見えた。
「辛い時は、いつでも俺が慰めてあげるから・・・拓ちゃん。」
そっと想いを伝える。
真里の気持ちに気付かない拓は、友達としてしか見てくれないけれど。
―――真里にとっては、本気の『恋』。
それでも、今の拓の心を占めているのは・・・その想いを総て抱えたまま持って逝ってしまった―――たった一人だけだから。
零れ落ちた涙が、あんまり綺麗だったから、真里は思わずそれを舐めてしまった。
途端に、拓はびっくりした顔となって、涙を止めた。
「・・・！！」
「あれ？飴玉みたいにキラキラしてたから甘いかと思ったら・・・しょっぱい・・・。」
舌を出したまま、真里は苦笑する。
拓は、耳まで赤くして・・・フィッと横を向いてしまう。
こんな所が可愛くて仕方ないのだが、拓は全く自覚がなくて。
―――だからこそ、あっという間に、あいつに捕まっちゃったんだろうなぁ・・・―――
心中で、真里はそう考えて、ちょっとムッとした。
まぁでも、死んじゃった奴に負けるのも・・・悔し過ぎるから。
先に居なくなる者たちが、想いを残していかなかったとは思わない。
突然に奪われてしまった『生』を嘆いて、悔しがっている者もいるだろう。
それでも・・・。
「・・・な・・・涙が甘い訳・・・」
ボソボソと呟く拓の言葉に、真里の笑みが深くなる。
「うーん、残念。じゃあ、本物の甘い物でも食べにいこっ！！」
笑顔でそう言うと、拓の身体を離して真里は歩き出した。
「・・・ま・・・マー坊くん・・？」
いきなりな真里の行動に、拓はあたふたとしながらも付いてくる。
真里がその手を繋いだままなのだから、付いてくるしかないのだが・・・。
ニコニコ笑顔の真里に引き摺られるように、拓は屋上から離れた。

もうすぐ、季節が変わる。
冷たい冬から・・・暖かい春へ。
数々の別れと―――新しい出会い。
寿命が縮むような毎日は、変わらずにこれからも続いていく。
それでも・・・。
沢山の経験が、拓を成長させていく。

―――一年後、拓が完全に族の中で伝説になる頃・・・その横には、いつも変わらずに赤い特攻服があったという。