ドキドキ・バレンタイン


「―――拓ちゃーーーんっ！！こっち、こっち！！」
ニコニコ笑顔で片手で手招きしている時貞に、拓はダッシュでその場から逃げ出したくなった。
怖い・・・。
半端ではない寒気が全身に襲い掛かってきたような錯覚に見舞われ、鳥肌が立った。
しかし、呼んでいるのはあの時貞なのだ。
譬え、その笑顔の裏に何を企んでいようとも、とても拓が太刀打ちできる筈も無い。
「・・・何？」
恐る恐る、拓は時貞の傍へと近付いた。
「良いモノあげる。」
鮮やかな微笑で告げられて、思わずドキッとしてしまってから、拓はブンブンと首を横に振った。
この笑顔が曲者なのだ。
拓の思考を奪ってしまいそうな時貞の微笑みの所為で、拓は取り返しのつかない事を何度も経験してしまい・・・いつも後悔するばかりなのである。
「・・・良いモノ・・・って・・・？」
「はい、あーーーん☆」
戸惑う拓に、間髪居れずに時貞が口を開ける仕草をする。
思わずつられてしまった拓は、時貞に何かを口に入れられて、大きく瞳を見開いた。
＜なに、これ？・・・！！＞
そう思ったのもつかの間で、口の中に広がったのは予想に反して甘い味だった。
「―――これ・・・チョコレート・・・？」
唖然と呟く拓に対して、時貞はニコニコと笑みを絶やさない。
拓の中で危険を知らせるシグナルが鳴り響く。
「拓ちゃん、好きだろ？」
どうしても見惚れてしまう笑顔で、優しく言われてしまえば、頷く事以外できなくて・・・。
その理由すら、どうでも良くなってしまう。
「まだ、あるよ。拓ちゃんに、あげる。」
そう言って、時貞が取り出したのは綺麗にラッピングされた袋の山だった。
「・・・ありがと・・・でも、これどうしたの？」
甘いものが嫌いな時貞が、わざわざチョコを買ってくるとは思えなかったので、拓は疑問を口にした。
「しらねー・・・。毎年、この時期になるとこーゆーのが増えるんだよ。俺、食えないのに・・・」
時貞の言葉に、拓は漸く納得がいった。
―――今日は２月１４日である。
２月１４日のチョコレートと言えば、バレンタインしかないだろう。
「今までは、捨ててたんだけど・・・拓ちゃん好きだから・・・持ってきた。」
平然と言う時貞には、全く悪気はない。
しかし、綺麗にラッピングされた袋に詰められた想いを考えると、貰っても良いモノか拓は迷ってしまった。
「・・・拓ちゃん？」
困ったように袋を見ている拓に、時貞の顔から笑みが消える。
「あの・・・時貞くん・・・バレンタインって知ってる？」
―――突然の拓の言葉に、時貞は不思議そうに首を傾げる。
それだけで、知らないのだと拓は理解した。
そうして、がっくりと肩を落とす。
拓がどんなに望んでも手に入らないモノをあっさりと手にしてしまう癖に、時貞は常識と無縁である。
「何？」
「えっと・・・だから・・・今日は、女の子が好きな男の子にチョコを贈る日で・・・」
真っ直ぐな"緋"の瞳で逆に問い掛けられて、拓はしどろもどろ返答する。
「ふーーーん・・・。」
だが、時貞は興味無さそうに頷いただけだった。
そんな時貞の様子に、拓は驚く。
「―――嬉しくないの？！」
「別に。自分が好きなヤツからだったら・・・嬉しいけど・・・」
ジーーーッと真摯な眼差しで見つめてくる時貞に、拓は逃げ腰となる。
「きょ・・・今日は女の子の大切な日で・・・。」
呼び出されたのは、人気の無い屋上。
勿論、周りには誰もいなくて・・・。
「そっか。じゃあ、全部捨てる。」
そう言って、時貞が取り出したのは、紙袋５つ。
中身が全部チョコだと知って、拓は目を丸くした。
確かに、時貞の日本人離れした容姿はモデル並である。
銀の髪に褐色の肌・・・"緋色"の瞳。
女の子が憧れるのもムリはないだろう。
その性格を知らなければ。
尤も、知っていてもそこが良いと言う女性も多いのだが・・・。
「す・・・捨てる・・・て？！」
「ここから、ぶちまけたら面白いかな。」
浮かぶのは綺麗で冷たい笑み。
絶対実行するだろうと踏んだ拓は、慌ててその腕を掴んだ。
「だ・・・ダメだよ・・・っ！！」
半泣きになってしまうのは、そんな時貞を止められるのも自分しかいないのだと理解っているから。
「―――でも、俺、食えないし、拓ちゃんがいらないって言うんなら仕方ないだろ？」
「食べるからっ！！ちゃんとっ！！」
思わず言ってしまってから、ハッと気付く。
目の前の、見惚れる程の微笑に。
嵌められたと拓が思うのも、いつも後の祭りで・・・。
「じゃあ、あげる。」
にっこりと言われて、拓はがくぅっと肩を落とした。


２月１４日の放課後の屋上。
何が楽しくて、他の男が貰ったバレンタインチョコを食べなくてはならないのか・・・。
青春真っ只中の男子高校生として、何だか理不尽を感じていたが、拓は仕方なくラッピングを外して手作りだろうチョコレートを食べ始めた。
これが、自分宛ての可愛い女の子からの物だったら、今頃天にも昇る幸福だっただろうに。
そんな事を考えながら食べていた拓は、時貞がじっと見ているのに、気付いた。
「・・・何・・・？」
顎を掬われて、不思議そうに見返す。
と、同時にキスされてしまった。
抱えていた紙袋がドサッと落ちる。
大きく見開かれた拓の瞳が、時貞の舌が歯列を潜って侵入してきた時にはギュッと閉じられた。
口内を蹂躙する舌に、思考が捕らわれて。
「・・・ん・・・ぁ・・・」
結べなくなった口元から、甘ったるい吐息が零れた。
息苦しくって、涙が零れ落ちる。
身体に力が入らなくなり、押しのけようとした指先は、縋るように服を掴んだ。
もう少しで意識が飛んでしまいそうになって、やっと時貞は口付けから拓を解放した。
「・・・甘い・・・。」
そうして、密かに眉を潜める。
「・・・ぁ・・・？」
呆然としていた拓が、漸く意識を戻す。
そうして、自分の置かれている状況に狼狽した。
慌てて時貞の腕の中から逃げ出そうとするが、強い力はビクともしない。
「離して・・・っ！！」
紅潮した頬で、強く言う。
そうでもしなければ、自分がどうにかなってしまいそうで・・・。
その言葉にすんなり離れた腕が、淋しいなんて自分がオカシイ証拠だ・・・と。
「ど・・・どうして・・・」
自分ばっかりからかうのだろうか？
感情が溢れて・・・涙が溢れて・・・。
「ボクばっかり・・・」
いつもいつも・・・その度にドキドキしたりハラハラしたり・・・。
からかっているのだと、見え見えの態度だと理解っている筈なのに。
ポタポタと屋上のコンクリに染みが広がる。
「―――逃げる・・・だろ？」
低く言われて、涙が止まる。
「本気で迫ったら・・・傍に居てくれなくなる。」
不機嫌そうな声は・・・いつものからかう口調ではなく。
「―――時貞・・・くん・・・？」
顔を上げた拓は、恐い程端正な顔を凝視することしかできなかった。
「・・・好きだ・・・って言っても、良いのか？」
そっと抱き締められて、耳元で囁かれる―――＜声音＞。
初めて聞くような美声に、拓は腰を抜かしかける。
思ってもいなかった事だったから・・・頭が真っ白になっていく。
余りの衝撃に、頭が考えることを拒否したのかもしれない。
「―――もう、止まんない。」
ふわりと浮かんだ極上の笑顔のままで、軽くキスされて・・・。

―――――拓は、気絶した。


「３月１４日が、楽しみだな♪」
翌日。
何事もなかったかのようにいつもの態度に戻った時貞がそう言った時、拓は思わず人生を儚んでしまった。
それでも、嫌いになれないのはどうしてなのか？
その答えに拓が気付くのは、そう遠くない未来かも知れない―――。


ｔｈｅ　ＥＮＤ。　　　　／　　　戻る
（蛇足：拓と時貞は同級生です。因みに年は時貞が一つ上。共学の筈なんですが・・・女の子の扱いはぞんざいでしょう（苦笑）すみません、普通（？）のボーイズ・ラブみたいな話を書いてみたかっただけなんです。）