Bitter×Sweet
「どうぞー♪」
目の前に差し出された物に、固まっている緋咲に、拓は少しだけ苦笑する。
休日の買い物途中。
デカデカと掲げられたキャンペーン中の張り紙と、赤い可愛い格好のキャンペーンガールのお姉さんは、多分誰よりも彼が目立っているからこそ声を掛けたのかもしれないけれど、ある意味強者かもしれない。
どうせ配るのなら、もっと需要のある子供とかにすれば良いのに、完璧ともいえるスマイルは緋咲の気を引きたかったらしい事も丸わかりで。
チラリと見上げると、珍しく狼狽えた表情のままの相手と目線が合った。
「くれるって。」
「・・・いや・・・俺は。」
「甘いのが嫌でしたら、おつまみ用にプリッツは如何ですか？」
あくまでも緋咲に渡したいお姉さんは、拓にはサンプルを差し出さない。
ちょっとだけ寂しい気もしたけれど、緋咲と一緒にいると日常茶飯事なので、拓も今ではすっかり諦めている。
身長１８０㎝越えで、すらりとしたモデル体型の身体。
紫の髪に、独特なファッションセンス。
砕けた格好よりも、スーツ系を好んで着てる緋咲は一見すると芸能系かホストに見える。
男である拓が好きになってしまう位格好良いのだから、女性から見たら相当なのだろうとも思う。
実際、拓の友達で、緋咲の親友でもある時貞と並んで立つ様は、向かうところ敵無しと言った状態らしい。
時貞の彼女である優理が何度も愚痴を零しているのを、拓も聞いて納得したものだ。
「―――拓？」
「へ？・・・えっと、何？」
「だから・・・やる。」
いつの間にか思考の中に入り込んでしまったようだ。
名を呼ばれて慌てて意識を元に戻すと、緋咲の目線とぶち当たる。
キョトンと小首を傾げて拓が尋ね返すと、緋咲はお姉さんが寄越したサンプルを受け取ってそのまま拓に手渡した。
途端に、お姉さんの表情が微妙に変化した気もしたけれど、今更返す事も出来ない。
「あ・・・ありがと。」
小さく礼を告げるのが拓に出来る精一杯だった。
チラリと視線を流して、垂れ幕を見上げると、デカデカと日付が入っている。
[１１月１１日はポッキー＆プリッツの日♪]
どんな語呂合わせなのか理解らなかったけれど、初めて知ったそれは、甘い物大好きな真里が大喜びしそうな文句だなぁ・・・と拓は素直に思った。
そうして、手の中のサンプルを見る。
色々な味のポッキーやプリッツが４・５本入った小さなビニール袋が、５袋。
サンプルにしては結構な量だ。
甘いポッキーは拓が食べるけれど・・・甘くないプリッツなら緋咲も食べるかもしれない。
夕飯の準備の前に、腹ごなしで食べるのも悪くないだろう。
さっさと歩き出す緋咲の後を追いながら、お菓子が嫌いではない拓は少しだけ微笑った。
店内から屋上にある駐車場に出た途端に、冷たい風が身に染みた。
先月まではまだまだ暑い日もあって、観測史上初の月の高い平均気温を叩き出して、何時になったら秋になるのだろうとお天気お姉さんがテレビで喋っていた位なのに、今月に入った途端に一気に寒くなったのだ。
秋を通り越して冬が来てしまったかのような体感は、気温の変化についていけなくて悲鳴を上げる。
「・・・さむ。」
特に寒さに余り強くない拓には切実な問題だ。
未だに日中は２０度以上あるので、親が衣類の入れ替えをしてくれないのだが、流石に日が落ちかけてくると寒くなってくるので、バイク乗りの身としては暖かい格好が必需品なのだ。
尤も、今日みたいな買い物の日は、緋咲のバイクの後ろに乗せてもらえるので、広くて大きな背中にくっ付いているだけで暖かかったりするのだが・・・。
「―――緋咲、さん！」
突然の声にドキリと身を竦ませる。
バイクを止めてある場所に向かう途中で掛けられた声に、拓は慌てて緋咲の傍から離れた。
「緋咲さんも、買い物っスか？珍しいっすね。」
「・・・あぁ。」
少し離れた柱の陰でそっと見ると、遠くから緋咲の元チームメイトらしい格好の人物が近付いてきた。
どうやら拓には気付かなかったらしい相手は、笑顔で緋咲に話しかけている。
打って変わって、緋咲からは表情が消える。
感情を無くしたまま、相対して何かを喋っている。
胸ポケットから煙草を取り出すと、慣れたように相手が火を点けた。
だが、緋咲が煙草を口にするのは、喋りたくない時だと知っている拓は、緋咲の機嫌が良くないのだと気付いた。
それでも、昔の仲間だから我慢しているのだろうか？
話しかける相手に、相槌を打っている緋咲の様子に、話が長くなりそうだと思った拓は柱の陰でしゃがみ込んだ。
「・・・はぁ・・・」
小さく溜め息を零して、寒さに少し震える。
少しだけ唇を噛み締めて、拓は後ろの壁に寄り掛かる。
拓と緋咲がそういう関係なのだという事は、今でも殆どの者が知らない。
緋咲は、誰が相手でも関係ないし、隠さなくても良いと言うけれど・・・拓にはそこまでの意気地がない。
世間一般に認められない関係が、何処で自分たちの身を危うくするのかをどうしても考えてしまう拓は、臆病者だ。
でも、擦れ違いから酷く傷付いた過去の記憶が、どうしても拓の行動を慎重にしてしまう。
不意に吹き抜けた風が冷たくて、思わずポケットに手を突っ込んだ拓は、そこに入っていた物に気付いた。
クニャッという密かなビニールの感触と共に出てきたのは、先ほど貰ったポッキーのサンプルで。
それを見た途端に、食べたくなった。
“甘い物は、人を幸せにするんだよ・・・”
もっと小さな子供の頃に、泣いている自分に飴玉をくれた近所のお兄さんが教えてくれた台詞が蘇る。
甘い物を食べれば、この苦い気分も和らぐかもしれないから。
ピッと袋を破ってポッキーを取り出す。
普通のチョコは食べた事があるから味も知っているが、こんなに可愛らしいピンク色は初めてだ。
色からするとイチゴ味なのだろうか？
そんな事を思いながら口に運んでポリポリと食べる。
想像通りに、イチゴチョコの味が口内に広がる。
舌に染みる甘さに、漸く心が休まる。
無心に一袋分食べてしまった。
次に目に付いたのは、緑色のチョコが付いたポッキーで。
これは本当に初めて見る色だった。
興味が勝って、指が動いた。
新しい袋から取り出した緑のポッキーを口にして。
ぽりぽり、ぽり。
抹茶味だった。
甘さの中に、ほんの少し・・・微妙な苦みが混じる。
拓的には、さっきのイチゴの方が好きかもしれない。
しゃがみ込んだまま拓は、そんな事を思う。
それでも開けてしまったので、２本目を口に咥える。
「―――何、してるんだ？」
低い声にハッとして顔を上げると、何時の間にか傍に居た緋咲が呆れたように拓を見下ろしている。
慌てて拓が立ち上がろうとする前に、緋咲は拓の両脇に腕を差し込んで、そのまま持ち上げた状態で壁に押し付けた。
「なっ、・・・んっ！！」
驚いた拓の口元から、咥えていたポッキーが零れ落ちた。
それを目線で追おうとした拓は、次の瞬間緋咲に口付けられていた。
「・・ぅむ？！」
驚愕に反射的に逃げる意識が強まった拓が身を捩るが、更に強く背を押し付けられて、拘束される。
余りにも突然なのと、場所を考えてパニックになっている拓の気も知らずに、緋咲は口付けを深くしてくる。
息ができなくて喘ぐようにうっすらと開かれた唇の隙間から侵入してきた舌が、飲み込みきれなくて口内に残っていたポッキーの粉をザラリと拭う。
「・・・っっ！！」
ゾクリとする感触に、無意識に相手を押し退けようとした右手を掴まれて、そのまま身体と同じように壁に押さえつけられてしまう。
片手が無くなった分、緋咲の身体が更に密着する。
求められ、追いつめられる感覚に、拓の頭が痺れてくる。
絡め取られる舌と同じように、総てを持っていかれそうで・・・全身から力が抜けてしまう。
いつの間にか握りしめていた左手が解けて・・・持っていたサンプルの袋が中身を散らして、下に落ちた。
散々、貪られるようにキスされた拓が、漸く解放された時には、拓は息も絶え絶えに緋咲に全身を預ける格好になって、ぐったりと凭れ掛かった。
甘く痺れてしまった思考では、自分がどれだけ恥ずかしい格好をしているのかまでは認識できなくて。
「―――甘い・・・な。」
少し掠れた声で、耳元でそう囁かれて、ゾクゾクと身体が震える。
空を掻いていた筈の拓の左手は、いつの間にか緋咲の背中に縋るようにしがみ付いていて。
耳朶に吹きかかる位の吐息が毀れて、フッと笑われたような気がして拓は心臓が破裂するかと思った。
カアァッと頬や耳が熱くなって、目の前が真っ赤になる。
のぼせ上がる直前の状態に、くらくらしながら・・・拓は観念したように緋咲の肩に顔を埋めた。
「・・・拓？」
名を呼ばれても、恥ずかし過ぎて顔を上げられない。
甘い物が嫌いな筈の緋咲は、拓に対しては誰よりも甘い。
惚れた弱みで、勝手にそう思い込んでいるだけなのかもしれないが・・・。
敵であった時は、あれほど怖くて仕方なかった緋咲なのに、その懐に入れてもらった時からずっと優しくしてもらえて嬉しいのも嘘じゃないから。
「―――たく？」
もう一度、甘く名を呼ばれてしまえば、拓に抵抗できる筈もない。
真っ赤な顔のまま熱い顔を上げて見つめると、緋咲の顔がまた近付いてくる。
先ほどの襲われるような感覚とは違う、優しいキスが降ってくる。
目を閉じて、緋咲からのキスを受け止めた拓は―――何処までも甘いキスの味に、不意に無性に泣きたくなった。
甘い物が嫌いな筈なのに、緋咲から齎されるのは何処までも甘いキス。
拓の恋人は、誰よりも甘い行動で拓を包み込んで、幸せにしてくれる―――甘い人。