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新婚物語（蜜月旅行編）
――幸せだよ・・・拓ちゃん・・・今まで生きてきて、こんなに幸せな気分になったのは、初めてだ・・・――
感情が高ぶった時に顕れる“紅”い瞳が柔らかく細められて・・・至福の笑みを浮かべた『彼』が、囁きかける。
触れるか触れないかの位置で、吐息が耳を擽る。
見た目よりもずっと広い腕の中・・・抵抗など、もうする気もおきない。
捕らわれている・・・だけど、それは束縛ではなく・・・無理強いではなく・・・結果的には自分が選んだ事なのだ。
あの時、『彼』はその心の奥を垣間見せて・・・その余りにも頼り無げな姿が、心に痛みをもたらした瞬間・・・その手を取ってしまった。
巧妙に張り巡らされた罠に嵌まってしまったのだと気付いた時は、既に手遅れ状態で・・・。
――現在の状況に陥っている。?
「拓・・ちゃん・・・寒くない？」
掠れた声で尋ねられて、思わず身体が強張る。
逃れられないように幾分きつく抱き締められた腕の中は、『彼』の体温の上昇と自分の鼓動の響きに当てられて、暑いぐらいなのだ。
しかもこれから先の事を考えると、脳貧血さえ起こしそうな気がする。
「――何、考えてるの？ヒロシやキヨシたちの事？」
拓の気が漫ろなのを感じて、『彼』は少し声のトーンを落とした。
「それとも・・・“あいつ”の事？」
途端にズキリと胸に痛みが走った。
ずっと押さえていた感情が、その名を捕らえた途端に溢れ出す。
脳裏に浮かぶのは、怒っていた――眼差し。
「・・・っ・・・」
キリキリと刺すような痛みが、止まらない。
透明な雫が、拓の瞳から零れ落ちた。
何も言い訳しなかった。
拓は、ただ『彼』の腕の中でオロオロとしていただけなのだ。
あれから、まだ半日しかたっていない。
追いかけてきた彼等を、『彼』がどうやって撒いたのかは理解らないが・・・結局、今こうして二人っきりになってしまっている。
不意に空気が動いて、目尻に温もりを感じる。
『彼』が、唇で拓の涙を拭ったのだ。
今度はドキリと胸が鳴った。
その・・・真摯なまでの“紅”い瞳が、真っ直ぐに自分の姿を捕らえている。
魂までも虜まれてしまいそうで・・・拓は反射的にギュッと瞳を綴じた。
途端に、グイッと顎を持ち上げられて・・・ハッとして逃れようとする前に、唇を征服されていた。
「・・・ゃ・・・んっ・・・！」
必死に抵抗を試みても、その束縛から逃れる術はない。
何故・・・？
そんな想いが、拓の瞳から涙となって『彼』を責める。
こんな状態になってまで、まだ拓は理解らなかった。
−何故、『時貞』が自分を選んだのか−を。
感情を凍結させたような『緋』い瞳に射抜かれた、身体に力が入らなくなる。
それは、獲物を捕らえた『龍神』の瞳。
全てを奪われて暴かれて・・・拓の『心』を翻弄する。
拓は、時貞を好きだ。
それは、間違いない事だ。
だけど・・・同じぐらいの『好き』で、他の皆も好きだった。
皆、大切な『友達』で・・・。
たった三日間で、それらは全て粉々に砕け散った。
冗談だと思ったのだ。
まさか、本気でそんな事を考えるなど、一体、どうして信じられるというのだろう。
なのに、『天羽時貞』という人物は、拓の損像を遙かに越えた精神構造をしていたらしい・・・。
この三日間で、拓は人生の矛盾を悟ってしまった。
どんな常識も『不運』と踊っている拓には、救いの手を差し伸ばしてはくれないのだ・・・と。
天羽の手が、拓の素肌に直に触れてくる。
奇妙な感触に拓は、全身をゾクリと奮わせた。
「――拓・・ちゃんは『オレ』のものだよ。誰にも・・・渡さないっ！！」
少し苛立ったような言葉が、天羽の口元から漏れる。
不意に、足元を掬われたような気がした。
きつく抱き締めてくる天羽の腕さえ、拓の心を留める事はできない。
天羽の幸せそうな『表情』を見られる事が嬉しかった。
それが、自分が側にいね事ならば、少しぐらいなら・・・とも思った。
なのに・・・なのに、天羽の『想い』は要求するだけで・・・拓の『想い』を受け止めはしないのだ。
拓は天羽の『願い』を受け止めた。
他の者たちの『想い』を切り捨てて・・・。
ならば、拓の『気持ち』はどうなるのだろう？
こんなにもあやふやな状態で、今度は『繋がり』まで求めてくる。
半ば強引に、人生の伴侶を決められ・・・まだティーンエイジャーで男のくせに、“夫”を持つ事になってしまった拓が、どんな想いでいるのかを、天羽は知らないのだ。
自分が幸福だから・・・。
「・・・て・・・」
掠れた声が拓の唇を奮わせる。
「・・・拓・・・ちゃん・・・？」
「・・・どうして・・・？時貞・・くん・・・・」
辛そうに眉を寄せて、“哀”しみの中に全身を震わせる拓が、天羽の腕の中にいた。
その問い掛けは、天羽の意識を捕らえた。
「拓ちゃん・・・何を・・・？」
泣きながら訴えるような拓の真意が、何処にあるのかが計り知れなくて・・・。
「・・・僕は・・・僕は時貞くんの『何』？」
「何・・・って・・・『奥さん』だろ☆」
余りにも、蕩けそうな笑顔で言われたので一瞬、釣られて頷きそうになってしまって慌てて気を取り直す。
今までも、そうだった。
いつの間にか天羽のペースに嵌まっていたので、こんな風になってしまったのだ。
「そっ・・・そうじゃなくて・・・」
「―――『拓』ちゃんっ！」
いきなり、強い口調で天羽が叫ぶ。
拓を見つめる瞳が、深い『緋』を彩る。
何と言えばよいのだろうか？
どう言う風に言えば、この傷つき易い“魂”を傷つける事なく、自分の『想い』を理解ってもらえるのだろう。
その方法を考えるだけで、拓は途方に暮れてしまう。
嫌なら、さっさと見切りを付けてしまえば良いのに・・・それだけはしたくなかったし、できなかったのだ。
「『時貞』くんが欲しかったのは、いつも一緒に居てくれる存在？『時貞』くんの側に居て、何でもかんでも言う事を聞いてくれる人？・・・それなら、『ボク』の“気持ち”は『時貞』くんにはいらないもので・・・でも、そんなの・・・そんなのは『ボク』じゃないっ！！」
最後は悲鳴だった。
理解って欲しくて・・・認めて欲しくて。
同等の位置にいるのだという事を。
互いの存在を、許容できる程の『関係』でなくては、いつかどちらかが壊れてしまうのだと。
天羽への『想い』と秀人たちへの『想い』。
どちらも強くて、それが拓の心を引き裂いて・・・とても苦しい。
「・・・拓・・・ちゃ・・・ん・・・・」
涸れた声が、拓の耳を捕らえる。
強く引き寄せられて、拓は天羽の腕の中に柔らかく包み込まれた。
「・・ゴ・・メン・・・ゴメ・・・。『オレ』・・・そんなつもりじゃ・・・こんな風に“拓”ちゃんを泣かせるなんて・・・」
拓の右肩に顔を埋めて、天羽が『想い』を絞り出す。
密かに伝わる震えが、天羽の心情を拓に示していた。
「『時貞』・・・くん・・・」
胸がズキリと痛む。
追い詰めるつもりはないのに、上手く言い表す事ができないのが悔しくて。
「『拓』ちゃんは・・・こんなオレは嫌い・・・？」
ルビーが艶やかに輝く。
吸い込まれそうなそれが、濡れるとこんなにも純粋な輝きになる事を、拓は初めて知った。
何の汚れもないような―――『眼差し』。
あの瞬間、拓に答えを問い掛けた時と同じ・・・双眸。
胸が締め付けられる程に“哀しい”。
小さく、息を吐く。
「嫌いじゃない。・・・好きだよ。―――好きだから、『友達』だから、ここまで・・・」
「違うっ！“オレ”が欲しいのは『友達』なんかじゃないっ！！」
いつの間にか会話が堂々巡りをしている事に気付いて、拓は今度こそ深いため息をついた。
「駄目なんだ・・・拓ちゃんじやなきゃ、駄目だっ！オレが見つけた“唯一”じゃなきゃ・・・」
それは確かに告白だった。
今までの曖昧な言葉ではなく、ちゃんとした天羽の『想い』。
ここまで想われたら本望だ・・・なんて事は絶対にない。
嬉しくないと言えば、それは嘘だが・・・それでもやっぱり拓はノーマルなのだ。
譬え、結婚式を挙げてしまっても、誓いの言葉を交わしてしまったとしても・・・今がハネムーンだとしても、絶対に貞操だけは譲れない。
まだ女の子とも付き合った事もなければ、キスなんて夢のようなものだった。
それをファーストもセカンドも剰え、サード・キスまで男に奪われてしまった自分が、このままでは余りにも哀し過ぎた。
やはり男として生まれてきたのだから、そういう行為はやはり女の子との方が良い。
絶対良いに決まっているのだ。
童貞でバックバージンを失うなんて、人生終わったも同じなような気がする・・・。
譬え、天羽の腕の中が思ったよりも居心地が良くても、感情を晒け出す天羽を『切なく』思ったとしても・・・流されてはいけないと、思う。
「拓ちゃん・・・オレの本気を教えてあげるよ。」
言葉と同時に、スルリと衣服が肩を滑り落ちる。
一体、いつの間にっ？！―――という素早さで、上着が脱がされていた。
「とっ・・・『時貞』くんっ？！」
そんなの知りたくないという風に、拓はブンブンと首を振りながら、天羽の腕から逃れようと身じろぐ。
「オレ以外、誰も見えなくなる程、オレに夢中にさせて見せるよ♪」
明るい天羽なんか、見たくない。
そういう時に限って、事態が更にややこしくこんがらがる事を知っている拓は、切実にそう感じた。
「ちょっ・・・時貞くんっ！何処触って・・・やっ・・やだってば・・・んっ！」
抗議の声も、深い口付けによってあっさりと封じ込められてしまう。
流れるように肌を滑る天羽の指が、難なく拓の感じる部分を探り当てる。
その度に、拓の身体がビクリと跳ね上がる。
それは手慣れた愛撫だった。
初心者の拓など、抵抗する隙もない程に、天羽の思ったよりも細長い指先は拓を翻弄してゆく。
擽ったく、むず痒いような感覚と、天羽に触れられているという恥ずかしさで、カアァッと顔面が紅潮してくる。
「・・・フゥッ・・ぁんっ・・・！」
口付けから漸く解放されて、息を付いた途端に、敏感な部分を撫でられ、思わず挙げてしまった甘ったるい嬌声に、拓は顔から火が出るかと思った。
慌ててギュッと目を瞑って、首を振って感覚を追いやり、唇を噛み締める。
そんな拓を見て、天羽はゆったりと微笑した。
「・・・素敵だよ・・拓ちゃん・・・我慢しちゃ駄目だよ・・・オレにすべてを任せて・・・」
耳元で何度も何度も、柔らかく囁く。
流されてしまう・・・そう拓はぼんやりと考えていた。
このままでは、天羽の想いのままだ・・・と。
それでも、既に抵抗できるだけの力も残ってはいない。
『ヒロシちゃん・・キヨシくん・・・マー坊くん・・・アキオくん・・・リョーくん・・・カズくん・・・皆来てくれたのに・・・ごめん・・・ごめんね―――秀人くん・・・僕、強くなるって言ったのに・・・『約束』したのに・・・ハチマキと手帳まで貰ったのに・・・ごめん・・・』
綴じられた拓の目尻から、涙が零れてシーツに吸い込まれていく。
「――優しくするよ・・・拓・・・」
腕の中でおとなしくなった拓に、穏やかな笑みを浮かべて天羽は、そう告げた。
これから訪れるだろう二人っきりの甘く切ない想いを交わす時間を夢見て・・・天羽は幸福を感じる。
やっと手にいれられたのだ。
ずっと探し求めていた―――安らぎ、を。
「拓ちゃん・・・オレの・・・」
―――しかし、拓の『不運』は生半可なものではなかった。
運命に弄ばれていると言っても過言ではない拓の『不運』さは、拓が腹を括った途端に、『幸運』へと変化したようである。
ひょっとすると、この場合、拓の『不運』に天羽が見初められただけかもしれないが・・・。
真夜中を、屁とも思わない足音が響き渡る。
それも一人や二人のものではなく・・・。
しかも、その足音が、間違いなく近づいてくるのを感じた途端に、拓はギュッと瞑っていた瞳をパッチリと開いた。
「チッ・・・もう見つかったかっ！」
これからが良いところなのに・・・チッ!?と舌打ちをしながら、天羽が人とは思えない程の立ち直りの早さで、身支度を整えると、まだ乱れている拓の身体をそのままシーツにくるんでしまう。
「『時貞』くんっ？！」
「誰にも渡さないって言っただろ。」
余りの恰好に恥ずかしがって拓が暴れるのを、天羽はものともしないで担ぎ上げる。
バタンッ！！
「拓っ！！」
「――拓ちゃんっ！！」
ドアを蹴破るようにして入ってきた彼等は、その瞬間窓枠に立っている天羽の姿を捕らえた。
一言断っておくが、ここは二階である。
「――時貞っ！！」
「てめー、飛び降りるんなら、拓ちゃん巻き込むんじゃねーっ！！」
天羽の意図を瞬時に悟ったヒロシとキヨシが叫ぶ。
「駄目だよ『兄弟』。いくら拓ちゃんが可愛いからって、ハネムーンまで邪魔しちゃ・・・あとちょっとで拓ちゃんの全てが手に入ったのに・・・」
そうして、飛び込んできた連中に向けた天羽の瞳は『顎の時貞』と呼ばれていた頃の冷たいものだった。
拓に向けられる事は決してない――他人を拒絶する『眼差し』。
「譬え世界の果てまで追いかけてきても・・・『拓』ちゃんは渡さないよ。」
クツリと壮絶な微笑を浮かべると、天羽はそのまま“跳”んだ。
“空”へと。
「――時貞っ！」
「・・・『拓』ちゃんっ！」
息を飲むような一瞬の静寂。
ヒロシの呼び声と真里の叫びが夜の静寂を引き裂く。
「ハネムーン・・・だと？！」
「手に入れる―――だぁ？！」
キヨシと秀人の額に、ピキマークが浮かび上がる。
「・・・ふざけんじゃねぇっ！！」
そうして、またしても聞こえたのは夜空に響く『ＳＲ』の轟音。
「行ってやろーじゃねぇか・・・」
「地の果てでも・・・地獄の底だろうが・・・」
「絶対、拓（ちゃん）を取り戻してやるっ！！」
それは、そこにいた全員の誓い。
半分は意地かもしれない。
それでも・・・天羽に取って拓の存在が救いなら、それは彼等にとっても同じ事なのだ。
あるがままの自分を、真っ直ぐな瞳で見つめてくれる“唯一”。
そんな『安らぎ』を独り占めする事など、譬え『運命』が認めていようとも、自分たちは認めたりはしない。
拓の口から、決定打を聞いた訳ではないのだから・・・。
「・・・そう言えば、日本の諺にあったよね。」
『ＳＲ』で疾走しながら、ふと思い出したように天羽はクスリと笑った。
「・・・諺？」
嫌な予感がしながらも、一応聞いてみる律儀な性格が、墓穴を掘っている事に拓は気付く筈もない。
「ん？〔障害が多い程、愛は燃え上がるものだ〕・・・ってね☆」
したり顔で言う天羽に、拓はもう何も言う気力もなくなってしまった。
『時貞くん・・・そんなの諺じゃないよ・・・どうして、そういう事ばっかり知ってるの・・・？』
気怠い疲れと、脱力が睡魔を引き起こす。
緊張の連続と高ぶりで、精神的にも参っていたのかもしれない。
いつしか、『ＳＲ』の後ろで、天羽の背に凭れるように意識を微睡みに捕らわれていった。
「『拓』ちゃん・・・？眠っちゃった？」
返事はなく、背中に伝わる温もりがそれを示している。
最初は気まぐれだった。
自分の全ての『感情』を受け止められる『モノ』など何処にも存在する筈がないと思っていた。
なのに・・・なのに、この小さな『存在』が、闇の中の“光り”となったのだ。
気まぐれが興味へと変わり、いつしかとても惹かれていた。
こんなにも欲してしまう程に。
失うものなど、何もないと思っていた自分が、ここまで捕らわれてしまった。
ベイブリッジで事故った時も、天羽の心をこの世界に引き留めたのは、拓の姿だった。
「もう・・・離せないよ。」
失えば、自分が破滅するだろう。
安らぎを覚えてしまった今、知らなかった頃に戻れる筈もない。
「・・・拓・・・」
甘く切ない響きが、狂おしい程の胸の疼きとなった。
不意に眼前に広がった景色の中に、蒼天に輝く満月が輝いていた。
「―――『蜜月旅行』・・・か。何処までいこうか？拓ちゃん・・・」
クスクスという天羽の楽しげな問い掛けが、『ＳＲ』の駆動に拍車をかけているようだった――――。
あぁ、終わってないけど終わる（汗） / 戻る |