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嵐の予感（先生の拓・第３話）
漸く拓が、学校に戻ってこれたのは、結局十日たってからであった。
「しっかし、神経性胃炎とはなぁ・・・。」
「ハハハ・・・・」
まさか、ライブハウスで強い酒を飲んでぶっ倒れた――とは言えまい。
本当の事が言えない拓は、何も言わずにただ困ったように乾いた笑いを浮かべた。
「まぁ・・・一応、皆で待ってたぜ。」
「おかえり。」
「これからは、余りいじめないようにするからよ。」
クラスに入った途端に、生徒達から次々と言われて・・・しかも退院祝いの花束まで貰ってしまって・・・。
拓は、零れてしまいそうな涙を必死で花束で隠した。
「・・・あっ・・・ありがと・・・」
掠れてしまう声で、漸く声を出す。
そうして、次の瞬間、強い視線に捕らわれた。
教室の端・・・窓の側から睨み付けられるような――"強烈な視線"。
生徒達の輪の中に包まれている拓に向かって、それは注がれている。
逃れられない――"眼差し"故に。
「こら、お前等！授業開始の鐘はとっくに鳴り終わったぞ！」
金縛りになりそうな状態から、不意に解き放たれる。
耳に響く、優しく低いその声によって。
「え！？あっ、ごめんなさい？！」
一番最初に謝っていたのは、拓だった。
途端に、回りの輪の中から爆笑が上がる。
「拓・・・・早く、行かないと二年の鮎川が迎えに来ちまうぞ。」
「う・・うん・」
出席簿を持っていた手でで、拓の頭を軽く叩く秀人に、拓は真っ赤になってそれでもいつもの笑みを浮かべた。
瞬間、秀人は自分を見つめる突き刺さるような視線を感じた。
拓の頭に軽く触れた瞬間に、気付いたそれは、一瞬の事で・・・直ぐに消えてしまったけれど。
それでも、秀人はそれが誰の物なのか、知っていた。
憎む事で自分を正当化しながら、強く相手に存在を示そうとする――ガキの独占欲まるだしの・・・だが、それだけに激しく一途な"想い"。
同じ相手に対する"想い"なだけに、気付くのなどたやすい事だった。
花束を持って教室を出ていく拓の後ろ姿を、無視しきれないで・・・窓の外を見ている癖に、意識している。
そんな様子が、ありありと理解って、秀人は口元にほんの少しだけ苦笑を刻んだ。
――さて、大したライバルだな・・・・
拓がわざわざ秀人に相談する程の相手。
それ程、拓の意識の中に緋咲の存在があるという事。
秀人が、拓に惹かれたように、その魅力に気付いた時に、憎悪は簡単に"恋心"に変わるだろう。
好意にしろ、憎悪にしろ・・・それだけ相手の存在を無視できないから起こる"想い"なのだから。
伊達メガネの奥の瞳を細める。
"渡しはしないさ・・・あいつは、俺のだからな。"
心の中で、呟く秀人にしても、実際には自信など、少しもなかったりする。
それでも、拓は秀人のようになりたいと言ったのだ。
そうして、秀人と同じ教師になって、この学校まで追いかけてきた。
そんな拓を、秀人が手放せる筈もない。
ただ、それだけの事・・・。
『・・・鳴神先輩・・・』
柔らかな微笑と、優しい声。
それは、もう秀人にとっても失えない"存在"になっていたのだ。
「・・・浅川。」
家に帰ろうとした途端に急に声を掛けられて、一瞬拓はビクッとした。
「あっ・・・緋咲・・・くん！？何・・・。」
振り返って、校門の影にいたその人物に、戸惑いながらも笑みを返す。
「――付いてこい。」
だが、そんな拓に向かって緋咲は有無を言わさないような口調でそう告げた。
力強い腕が、拓の腕を掴んだ。
「緋咲・・・くん・・・？」
緋咲の真意が、理解らなくて、拓は引かれるままについていく。
端から見たら可笑しい光景だったかも知れない。
教師の拓が、生徒の緋咲に腕を掴まれて連れられているのだ。
前をズカズカと歩く緋咲の足は早い。
ずっと、拓を待っていたのだろうか？
一体、何の為に・・・？
不意に、この前に告げられた言葉が蘇って、拓は不安になる。
受験生のクラスを受け持つ秀人は、他の三学年の先生達と一緒に会議に入ってしまったので、今日は先に出てきてしまったのだが、それをほんの少しだけ後悔した。
「乗れ。」
学校から少し離れた駐輪場で、緋咲は一台の単車を持ってきた。
バックシートにくくり付けてあった、予備のヘルメットを拓に渡すと、低く命令する。
「・・・・・・・」
ますます不安が高まっていく拓は、何とかしてご遠慮したいのだが・・・断るには状況が不味過ぎた。
手渡されたヘルメットを被って、そのまま言われた通りにバックシートに座る。
「しっかり捕まってろ。落ちたら、それまでだ。」
"ひいぃ・・・？！"
緋咲の脅しに、拓は素直に怖がった。
そうして、前に座る緋咲にギュッとしがみつく。
その瞬間・・・確かに緋咲の口元が密かに上がっていた事を拓は知らなかった。
そうして、緋咲もまた自分の"想い"に気付いていなかった。
風のように町並みを通り過ぎたバイクが、不意にその振動を止めた。
怖くてずっと緋咲の背中にしがみついていた拓は、漸く恐怖の時間が終わった事に、ホッとため息をつく。
「あれ・・・？ここって・・・？！」
ヘルメットを外した途端に、バイクが止まった場所を確認して、拓は目を丸くした。
地下に通じる階段・・・そこは、夏生の店の前だった。 「どうして・・・！？」
まさかという考えが、一瞬拓の脳裏に浮かぶ。
入院する羽目になったあの日の事を、緋咲が知っているのではないか・・・と。
準備中のドア掛けが付いているドアを、緋咲は躊躇する事なく開く。
「ナツオ。」
そうして、カゥンターの中で仕事の用意をしていた夏生に向かって、声を掛ける。
「まぁた、来やがったのかよ、緋咲。何度来たって、ムダだ。」
振り向きもせずに、告げる夏生の冷たい声を、拓は初めて聞いた。
怖い程のそれに、驚く暇もなく緋咲が拓の身体を店の中に引きずり込んだ。
「なら、理由を教えてくれ。こいつの前で。」
「・・あっ・・何？！」
突然の事で態勢を崩した身体が、緋咲の腕に捕まる。
「拓ッ！！」
拓の声にバッと振り返った夏生の顔が驚愕の色を浮かべる。
「ハン。やっぱ、こいつか。こいつが、あんたに頼んだのかよ？それとも、あいつに・・・」
「・・・え！？」
怒りとも苛立ちともとれる表情の緋咲が、顔を歪めている。
何がどうなっているのか理解らない拓は、緋咲の腕に痛い程捕まえられて、身動きさえとれないのだ。
「止めろ、緋咲！拓はカンケーねェっ！だからこれ以上、誠の怒りを買うようなマネは止めとけ！」
「な・・・夏生・・さん・・・？」
その名に反応して、バッと突き飛ばすように拓を離した緋咲は、きつく握り拳を作る。
「――あんたも、結局汚ェ大人になっちまったんだなっ！！」
吐き捨てるように叫ぶと、緋咲はそのまま店を飛び出して行ってしまった。
「――どういう、事？」
自分の知らない所で、自分に関係する事が起こったのだという事に拓は気付いた。
ジッと大きな瞳で夏生を見つめると、夏生は胸ポケットの中から煙草を取り出して、口にくわえた。
そうして、テーブルの上のマッチで火を点ける。
フゥッと吐かれた煙が、部屋の中に漂う。
「夏生さんっ！」
焦れた拓が、もう一度問う。
知らないで済む事ではないのだ。
最後の緋咲の言葉は、そのまま拓にも当てはまるのだと、言われたようなものなのだ。
それ程・・・緋咲の心を傷つけた事を、知らないで済ます訳にはいかなかった。
「誠がな・・・」
「誠兄さん・・・？」
渋々と言った風に、話だそうとした夏生の表情が次の瞬間固まった。
その視線が、拓を通り越して後ろを見ている事に気付いた拓も振り返る。
「誠兄さん？！」
ドアの所に立っていた人物に、拓も目を丸くする。
「まだ、病み上がりなのに、真っ直ぐ帰ってこなきゃ、駄目だろ、拓。」
スッと歩み寄った誠に、拓は困ったような表情を浮かべながらも、覚悟を決めた。
夏生が喋らないのなら、直接誠に聞くべきだ―と。
「緋咲くんに、何をしたの？」
「拓には、関係のない事だ。」
「嘘だっ！」
「・・・拓ちゃん？」
きっぱり違うと言い切る拓の拒絶に、誠の瞳が驚きに見開かれる。
「だって、本当に関係ないなら、ボクをここまで連れてきたりしないもの・・・。」
真っ直ぐな瞳が、誠に向けられる。
途端に、誠は顔を歪める事で、拓の言葉を肯定した。
「オレは、拓ちゃんの事を思って・・・」
噛みしめられる唇から、発せられるのは誠の"想い"。 「拓ちゃんの様子が可笑しくなったのが、あの音を聞いたからだと思って・・・だから・・・。」
うなだれる誠の肩を慰めるように叩いてから、側にきた夏生が拓に頷く。
「――ウチへの出入りを止めさせたんだ。」
続けられた夏生の台詞に、拓は瞳を見開く。
出入りを止めさせたという事は、ステージを取り上げたという事なのだ。
唄っている時の緋咲の姿を思い出した拓は、緋咲の怒りや苛立ちの正体を理解ったような気がした。
あそこが、緋咲の"存在"場所だった。
ライトの中で、叫ぶように唄う事によって自分をさらけ出していた緋咲が、その場所を失ったのだ。
「そんな・・・事ッ・・・！」
その哀しみを思いやって、拓の目に涙が浮かぶ。
だが、誰に対してその想いを告げれば良いのか、拓には理解らなかった。
結局は、自分があの時に倒れた事が全ての"原因"なら、その言葉を夏生にも誠にもぶつける事はできなかった。 それでも、どんな想いで緋咲が拓をここに連れてきたのか・・・そうして、どれ程絶望したのかを考えると胸が張り裂けてしまいそうな気がした。
クルリと踵を返すと、拓は走りだした。
「拓！？」
「―拓ちゃんっ！」
二人の呼び止める声が、聞こえたが・・・拓の足は止まらなかった。
店を飛び出して、階段を上って・・・外に出る。
繁華街は既にネオンが輝いていて、すっかり夜の町並みと変化していた。
キョロキヨロと辺りを見回した拓は、緋咲の単車がまだ置いてある事を見つけて・・・そう遠くに行ってはいないという事を確認した。
「・・緋咲・・くん・・・？」
焦燥のような呟きが、漏れる。
探さなければならない・・・と思った。
捜し出して、伝えなくてはならない・・・と。
だが、何を？という考えも同じように沸き上がる。
この想いをどう伝えれば、上手く伝わるのかも理解らないまま・・・拓は緋咲を探していた。
捜し出した瞬間に、また戸惑ってしまう事も予感しながら・・・。
店を飛び出した緋咲は、闇雲に走り続けた。
夏生の言葉が、引き金だった。
あの夜も、近づくなと"彼"は言ったのだ。
ステージの上で唄っていた緋咲に向かって・・・"拓には近づくな・・・"と。
何を寝惚けた事を・・・と、その時は鼻にもかけなかったのだが・・・その後で夏生に今日で最後にしてくれと言われた時には、耳を疑ったものだ。
しかも何の理由もなく、一方的なその言葉に、呆れたジョークだと思いたかった。
だが、夏生は本気だった。
そうして、緋咲は"彼"の言った言葉を思い知らされたのである。
――まさに、裏切られた気分だった。
どれだけ走ったのかも理解らなくなった頃、緋咲は漸く走る事を止めた。
次の瞬間には、泣きたいような笑いだしたいような狂気に虜まれてしまう。
だが、そんな感情を、緋咲はグッと拳を握り締める事で耐え抜いた。
顔を上げた緋咲の瞳は、傷ついた獣のように鋭いものと化して・・・空を睨んだ。
見える筈のない"宇宙"を。
暫くそのままでいた緋咲は、やがて漸く歩きだした。
それでも・・・単車に戻る事もできなくて・・・町中を漂っていた。
「・・・緋咲薫、だな。」
当てもなくふらついていた緋咲は、いつの間にか囲まれてしまっていた。
回りに何人も侍らせて、目の前に現れた人物を、緋咲は一瞥してから顔を歪めた。
つい先日に、ボコボコに殴った奴まで、その後ろに見てしまったのだ。
どうやら、そのお礼参りらしい。
「だったら、どうする。」
技と相手を挑発するのかのように、緋咲は鼻で笑う。
何人いるのかは理解らないが、メチャメチャに暴れたい気分だったのだ。
「しれた事よ。」
お決まりの言葉を告げた相手が、腕を上げる動作をすると、回りの連中が喧嘩の態勢に入る。
「面白ェ・・・束になってかかってきやがれっ！！」
「いけっ！」
叫ぶと同時に、緋咲もまた戦闘態勢に入った。
合図と同時に襲ってきた奴の胸倉を掴むと、そのまま拳を顔にぶち込んだ。
鼻血を出しながら、そいつは吹っ飛んだ。
その、喧嘩慣れした手際の良さに、一瞬敵の動作が鈍り緊張が流れる。
「ビビッてんじゃねぇっ！相手は一人なんだぞっ！？」
お山の大将を気取っている奴が、叫ぶ。
次の奴が飛び込んでくるのを、今度は回し蹴りの要領でなぎ倒していく。
手加減などしないし・・・考えた事もない。
刃向かってくる奴は全て敵であり・・・敵は倒すだけだった。
それが、今までの緋咲の生き方だったし・・・それを変える気もなかったりする。
その上、今の緋咲の機嫌は最悪でもあった。
半ばうさ晴らしと化していたが、それを止める気は全くないのだ。
「死にたい奴だけかかってこい。」
低く、脅すようにそう言う緋咲の視線は本気だった。
その全身を覆う闘気もハンパなものではなく、言葉通りの実力を秘めている事を、彼らに示していた。
それが、恐怖となって刻まれるのは・・・時間の問題であった。
拓が、その場所を捜し出したのは、随分と立ってからの事だった。
緋咲を探して店を飛び出した拓は、暫くしてから路地裏で喧嘩をしているというのを聞いて、まさかと思いながらもその場所に向かって走ったのである。
そうして、探していた人物がその真ん中で仁王立ちしている姿を見て、腰を抜かしそうになった。
「ひ・・・緋咲・・くん・・・」
情けないため息が、拓の唇から零れた。
目の前の緋咲は、そんな拓に気付く事もなくまだ残っている者たちに憎悪のような怒りの視線を送っている。
その瞬間、拓の目には緋咲が全身で何かを訴えかけているような気がした。
―――全ての"モノ"に対して、苛立ち・・・そのもどかしさを発散する何かを、必死で求めているみたいな・・・そんな感じがした。
血気が有り余っていると言えば、簡単だが・・・それだけではない、"エネルギー"を持て余しているようだ。
恐らく、それを発散していたのが・・・緋咲にとっては、『音楽』だったのではないか？
そんな想いまで沸き上がってきて、拓はまた胸が苦しくなった。
そうして、目の前の緋咲の姿が哀しくなった。
違うのだ。
きっと・・・違う。
それが、彼の・・・緋咲の本当の姿ではない筈なのだ。 そう信じたかったし、誰かがそれを信じなければ・・・ずっと緋咲が世間から意識を背け続けてしまうのではないか・・・と。
かつての、自分がそうであったように・・・。
口元を歪めて、相手を殴り続ける緋咲の姿が、とても可哀相で・・・拓は視界が霞む。
「・・・駄目・・だよ・・・緋咲・・・クン・・・」
殴られるのを覚悟で、拓は喧嘩を止めよう思った。
そうして中に入ろうとした途端に、見てしまったのだ。 緋咲の後ろ・・・死角になる位置から、ナイフを取り出した姿を・・・。
「"イ"っちまえっ！！」
「ナニッ！？」
「緋咲くんっ！？あぶないっ・・・！」
気付いた緋咲が、避ける間もなくナイフが光を弾く。
だが、緋咲に向かって繰り出されたそれは、緋咲を突き飛ばすかのように全身で間に割り込んできた拓の腕を切り刻んだ。
グラリと傾く拓の身体を片手で支える恰好になりながら・・・緋咲はナイフを突き出した男を蹴り飛ばした。
「テメェッ！！なんで・・・！？」
衝撃が、緋咲の全身を覆う。
身代わりとなってまで、緋咲を庇った拓の行動が信じられなくて・・・。
「あっ・・・ケガ・・・ない・・・？」
「バッ・・・バカ野郎っ！！怪我してんのは、テメェだっ！！」
右肩の下・・・切り裂かれた服までが、血で染まる。
そうして、初めてネオンの明かりの下の拓の顔色が異様に悪い事に緋咲は気付いた。
――病み上がりだったという事に。
熱があるのか、触れた身体も熱い。
「―――へ・・・き・・・」
全然そうじゃない口調で言う拓に、緋咲は苛立つ。
いつもヘラヘラ笑って、難癖を吹っ掛けるとただ困ったようにしているだけで・・・うざったい程、気になる存在だからこそ―――腹が立つ。
「・・・何処へ行くつもりだ？」
意識を失ってしまった拓を、抱え上げてこの場から離れようとする緋咲に向かって、喧嘩相手が卑屈な笑みを浮かべながら、回りを囲む。
「・・・失せろ。」
物凄い迫力が、緋咲の全身に漲る。
その威圧感に、前を塞いでいた者達が、思わず囲いを崩してしまう程の・・・怒り。
触れてはいけない領域を、確かに彼らは感じていた。
ただ拓を抱えて歩く緋咲に対して、結局指一本動かせなくなる程、硬直しまう程に・・・。
―――緋咲の中で、何かが変わろうとしていた。
その後、結局拓のお願いで、"ローエングリン"は夏生の店で演奏を続ける事ができるようになった。
何しろ、自分の所為で彼らを止めさせるというのなら、二度と店にはいかないから・・・と拓が言ったものだから・・・夏生が誠に泣きついたようなものだ。
拓との時間が少なくなってしまうと考えた誠もまた・・渋々ではあるが、それを認めざるをえなかったのである。 一応、未成年である緋咲の保護者として、緋咲がステージをする夜は、絶対に遊びにいくからとの言葉には、夏生も誠も大喜びしたのは言うまでもない。
緋咲は、相変わらず一匹狼を気取って、クラスの中に溶け込む事はなかったが・・・取り合えず、拓の言葉は言う事を聞くようだ。
―――勿論、他の先生に対しては、最初から相手にしていなかったりするが・・・。
緋咲を庇った時の傷は、名誉の負傷として残ってしまう事になってしまったが・・・拓は、緋咲の苛立ったようなな張り詰めた雰囲気が消えた事の方が嬉しかった。
少しは、憧れの秀人のように生徒の気持ちが理解るような先生に近づけたかもしれない・・・と。
だが、優柔不断な優しさが、多大なる誤解を招く事になろうとはこの時の拓は全く気付いていなかった。
自分が世の中を上手く渡っていける程、楽観的な性格をしていない事を拓は知っていた。
だから、一杯悩んで、傷ついて・・・そうして、生徒たちと一緒に思い出を作っていけるような、そんな先生になれたらそれで良いのだ。
なのに、それだけでは済まされない事件が、拓を待っていた。
「―――好きだ・・・。」
きつく・・・きつく抱き込まれて、息もできない程激しい口付けと共に、耳許で囁かれた――"想い"。
抵抗も感情も全て奪ってしまう程の・・・声。
急に開放された瞬間、その背中が走って行くのを・・・拓はただぼんやりと見ている事しかできなかった。
思考回路がショートしてしまったかのように、何も考える事ができなくて。
誰もいない放課後の教室で・・・窓から差し込む夕日が・・・唖然とした拓の横顔を照らしだしていた。
・・・不意に、投げ込まられた小石のように、拓の心の中に波紋が広がっていくようだった・・・。
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