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ＭＯＯＮ ＢＡＢＹ （後編） ６
月齢――――１８日。
満ちた月が欠けはじめ・・・月の魔力が弱まっていく。 夜空に浮かぶ白銀の月の輝きが、全てを優しく照らしだす――深夜。
ボーンボーンボーン・・・
階段途中にある古いアンティーク調の柱時計が、時を告げた。
長針と短針が重なり合う時刻―――日にちの移り変わる瞬間の境目。
ベットで眠りについていた筈の、小さな身体が、突然起き上がった。
それは、拓実だった。
途端に、閉じられていたカーテンが何もしないのにサァーッと動いて・・・音もなく窓が開かれた。
そうして、差し込んでくる月光がその身体を包み込み・・・キラキラとした光の粒となって弾けた。
そんな妖しくて美しい現象にも、拓実は恐れるでもなく、喜ぶ事もなく・・・ただ悲しみを湛えた表情で、その大きな瞳に涙を滲ませている。
「ダディ・・・」
想いが口許から零れ落ちた途端に、盛り上がった透明な雫がポロポロと溢れ出る。
「―――タクミ・・・」
同じように起き上がった、もう一人の子供が、緋い瞳を向けながら・・・拓実の零れ落ちた涙を手で拭ってやっていた。
「マァム・・・」
時夜もまた、眠りについている拓の寝顔をジッと見つめた後で、少しだけ寂しそうに呟く。
余程深い眠りなのか、それとも"ナニ"かの力が作用しているのか・・・月の光によって室内がかなり明るくなっているにも係わらず、拓が目覚める気配はない。
「―――モウ、イカナクテハ・・・」
時夜の唇から、微妙なアクセントが零れる。
その言葉に、拓実はイヤイヤをしながら、やはり眠りの国にいるであろう時貞にしがみつく。
決して、その身体を離しはしないという風に・・・。
「デモ・・・モウ、コノ"セカイ"ニハ、イラレナイ・・・」
そんな拓実の様子を、辛そうに見つめてから、時夜は視線を月へと向けた。
「アソコヘ・・・カエラナクチャ・・・」
続けられたセリフに、拓実もゆっくりと顔を上げて、それを見つめる。
白銀に輝く月光・・夜空を支配する優しい女神・・・。
夜の女王―――それは、母なる源でもある。
「―――タクミ・・・」
「うん・・・」
手を差し出して、呼ぶ時夜に、拓実は漸く諦めたように時貞の身体から離れようとした。
が、途端に強い力で引き戻されてしまう。
一瞬、ビクッと身体を竦ませた拓実は、自分を引き止めたのが眠りについている筈の時貞の腕だと気づいて、泣きそうな表情となる。
「・・・行くのか？」
小さな吐息のような言葉と共に、ゆっくりと時貞の瞳が開かれる。
途端に、現れる緋色の瞳。
優しく暖かな―――＜彩＞。
「ダディ？」
時夜の唇から疑問が零れる。
何故なら、月の女神の魔法によって、人は眠りについている筈なのだ。
―――今のこの瞬間は・・・。
「―――気付かない振りをしようかとも思った。でも、お前たちはオレの子供だから・・・ひと言だけ言わせてくれ・・・」
上半身だけ起き上がった時貞は、時夜も手招きで呼び寄せると、そのまま二人一緒に抱きしめる。
「覚えておけ・・・例え何処にいようとも・・・お前たちは、オレと拓ちゃんの大切な子供だから・・・」
そうして、きつい程の・・・"想い"の全てを込めた・・・『抱擁』。
本当ならば、決して手放したくなどない・・・。
やっと手に入れた温もりなのだ。
だが・・・このまま手元に置いたとしても、やがて失う事になるのならば・・・仕方がないと思うしかないから・・・。
「―――伝えておくれ。・・＜見果てぬ夢＞を見せてくれて・・・ありがとう・・・と。」
抱きしめた子供たちに、言い聞かせるように、ゆっくりと告げる。
この温もりを決して忘れないように・・・。
「愛しているよ・・・どんな時も・・・」
それぞれの顔中に、何度も何度も慈しみのキスの雨を振らす。
こんな事ぐらいでは、決して思いの全てを伝えきる事など出来はしないけれど・・・。
そうして、ゆっくりと腕の中の温もりを手放す。
その瞬間の時貞の表情は、切なくなるような微笑を浮かべていた。
「ダディ・・・！」
堪えきれなくなった拓実が、泣きわめくように手を差し伸べる。
だが、時貞はゆっくりと首を横に振った。
「拓ちゃんにも、お別れのキスをして・・・」
静かに告げる言葉は、残酷な響きすら持っているようで・・・。
ひと言ひと言が、心を切り裂いていく。
時貞に言われた通りに、子供たちは、涙に濡れた顔のまま、眠りについたままの拓の頬にお別れのキスをする。
「大丈夫だよ・・・拓ちゃんには、オレがいるから。お前たちの分まで、愛しているから・・・」
そうフワリと微笑すると、時貞は拓の身体を両腕の中にしっかりと捕まえた。
「オレの一番の宝物だから・・・」
きっぱりと告げる時貞に、漸く子供たちは安心したように頷くと、そのままベットから降りて窓際へと向かう。
しっかりと手を繋いだまま、二人は時貞と拓を振り返った。
「マァム・・・ダイスキ・・・」
フンワリと浮かべた時夜の笑顔が、月光に照らされる。
「・・・ずっと、おぼえてる・・・ダデイ・・・ありがとう・・・」
泣き笑いの表情を浮かべた拓実の身体にも、銀の雨が降り注ぐ。
黙ったまま、身じろぎもせず・・・瞬きをする事も止めて・・・ジッと時貞はその瞬間を見つめ続けた。
何か一言でも口にしたならば・・・自分は全てを呪う言葉しか言えない事を知っていたから。
せめて、黙ったまま、見送る事しかできないから。
喩え、それが身体を切り裂かれそうな痛みを伴った行為だとしても・・・。
天空の輝きが一瞬、世界を覆い尽くす。
視界の全てが、銀の閃光に包み込まれた次の瞬間・・・子供達の姿は何処にも存在していなかった。
そうして、何処からともなくはらはらと落ちてくる白い羽根が、ベットの上に積もっていった。
もしも、腕の中に拓がいなければ・・・拓を抱いていなければ・・・時貞は狂っていたかもしれない。
失われた愛を探し求めて・・・夜の世界を彷徨い続ける放浪者になっていたかもしれない。
だが、いつも・・・いつの時も拓の存在が、時貞を救うのだ。
「・・・んっ・・・」
小さく身じろぎをして、拓が眠りの淵から目覚める。
「・・・時貞くん？」
気を抜くと閉じてしまいそうな瞼を、手でこすりながら・・・ふと傍らの温もりを探そうとした拓は愕然とした。
「―――拓実？時夜！！」
ある筈の姿がなくて、驚いたように時貞を振り返った拓は、"深紅"の瞳に見つめられてドキッとした。
「・・・時貞・・・くん？」
今にも暗闇の中に溶け込んでしまいそうなその姿に、拓は何故か胸が痛むような気がした。
「―――夢を・・・見ていたんだ・・・。」
ポツリと呟いた途端に、時貞のその"瞳"から透明な雫が滴り落ちる。
だが、時貞は微笑っていた。
切なくなるような、物悲しい微笑で。
ズキリと胸が痛んで、拓は時貞を見つめる。
「全てが、夢だったって・・・？そうなの？本当に・・・？」
フルフルと首を振って、その言葉を否定しようとする拓も、本当は夢であった方がずっと良かったと思っていたのに・・・。
いざ、それを告げられた瞬間に、それがとても嫌な事だと理解った。
「嘘だよっ！だって・・・ずっと一緒にいるって・・・二人で育てていこうって・・・！」
震える声で、時貞に食ってかかる。
「・・・拓ちゃん？」
そんな拓の様子に、逆に時貞の方が驚いてしまう。
「だって・・・時貞くんあんなに嬉しそうだったのに・・・いきなり消えちゃったの？どうして？ボクまだ・・・何も知らないのに・・・」
「―――月へ帰ったんだ・・・。満月の間だけの夢だから・・・」
半泣きで告げる拓に、時貞はボソリと真実を告げる。
だが、そんな事は全然しらない拓は、更に激しく首を横に振り続けた。
「じゃあ、次の満月はっ！！また、戻ってくるのっ！！」
しがみつくように叫ぶ拓に、時貞は視線を逸らして・・・天空に輝く月を見つめた。
「・・・理解らないけど・・・多分もう・・・」
続けられた言葉に、拓はついに我慢できなくなってボロボロと泣き始めた。
「拓ちゃん？」
どうして、拓がこんなにも泣いているのかが理解らない時貞は、不思議そうな表情を浮かべる。
家族が欲しかったのは、時貞のわがままだったのだ。
最初っから、拓はずっと困っていた筈だった。
だから、子供たちがいなくなって、拓はホッと安堵するに違いないと時貞は思っていた。
「・・・酷いよ・・・黙っていなくなっちゃうなんて・・・」
泣きじゃくる拓を、宥めるように抱き寄せる。
「ちゃんと、オレが見送ったから・・・。」
静かに言い聞かせるように言っても、拓の嘆きは鎮まらない。
「だったら、どうしてっ！・・・起こしてくれたって・・・！」
衝撃のまま、顔を上げて時貞を責めようとした拓は、次の瞬間、"緋"い瞳が苦しげに揺らめいているのに気付いた。
そうして、その辛さを感じ取った。
あれだけ、嬉しそうにしていた時貞が、黙って二人を見送ったというのだ。
それがどれ程辛くて哀しい事だったのか、拓には理解できた。
そうして、自分が起きていたとしても・・・きっと止められはしなかったのだろう・・・と。
それでも・・・感情が納まる事はない。
「ボ・・・ボクだって・・ちゃんと家族になりたかったんだ・・・それなのに、勝手に決めちゃうなんて・・・酷いよ・・・」
涙が止まらないのは、行ってしまった二人に対しての"想い"が泣いているから。
傷ついただろう時貞の痛みを感じる"心"が、泣いているから・・・。
だから、止めない。
・・・気が狂うような"想い"を抱えたまま、泣かない時貞の為に、拓が泣くのだ。
「拓ちゃん・・・。」
腕の中で泣き続ける拓を、キュッと抱きしめる。
時貞の想い人は、こんなにも優しい。
だから、時貞は救われる。
失ってしまった温もりは戻ってこない。
唯一の肉親は、温もりの代わりに冷たい視線を投げつけただけだった。
出会った者も、全て媚びへつらうか、敵対し・・・"兄弟"と思ったヒロシとキヨシとも・・・同じ"魂"を感じた緋咲とも、馴れ合う事はなかった。
その温もりを感じた事など・・・。
だが、拓だけが違ったのだ。
拓だけが・・・時貞の全てを受け入れた。
哀しみも喜びも怒りも・・・嘆きまでも。
そうして、たどたどしい"接触"で、全ての感情を浄化させていった。
荒々しい全てが消え失せた時、最後に残ったのは・・・無垢な"愛"という名の『魂』だけだった。
どんなに傷ついても、突き放されても、酷い事をされても・・・拓はいつも何時のときも、真っ直ぐな視線を変える事はなかった。
深い深い・・・観てくれでは信じられないような、包容力。
それが、拓の"力"なのだと気付いた時には、既に時貞は全身全霊を込めて拓を求めていた。
その存在を・・・その身体も・・・心も・・・。
全てを渇望して、羨望して・・・。
半ば無理やりだったと言っても、嘘じゃない。
拓の優しさに付け込んだだけかもしれない・・・。
それでも、今、ここにこうして、この温もりがある。
それが、時貞にとっての"真実"ならば・・・他の事などどうだって良いのだ。
拓さえいれば・・・。
拓だけがいてくれたなら・・・。
―――他には何もいらない程。
「・・・嬉しいよ、拓ちゃん。」
拓が、どうして泣いているのかに気付いた時貞が、うっとりと呟く。
拓は『家族』として・・・と言ったのだ。
それは、ちゃんと時貞の"願い"を受け止めてくれていたのだという事。
そうして、時貞が喜んでいたのに、いなくなった事に対して・・・同じように悲しんでくれている。
不謹慎な事かもしれないが、それは時貞にとって幸せ以外の何でもなかった。
拓実と時夜の事を考えると、胸を突くものがこみ上げてくるが・・・それでも・・・。
四人で過ごした二日間は、決して忘れない程、深く魂に刻みつけてあるから・・・。
「・・・時貞くん？」
腕の中に包まれたまま、ドサッとベットに倒された拓が、不思議そうに問いかける。
「行っちゃったのが哀しいなら、二度といなくならないようにすれば、良いのサ♪」
ニイッと微笑う時貞の、機嫌の良さに拓の背筋に嫌な予感が走る。
それは、悪寒といっても嘘じゃない。
「―――時貞・・・くん？」
「今度はちゃんと、作ろう☆」
身の危険を感じた拓が、逃れようとするのを許さずに、そのままシーツに沈めてしまう。
そうして、宣った台詞に、拓は瞳をまん丸く見開いてしまう。
「えっ？」
とんでもない事を聞いたような気がするのは、空耳だろうか？
べいびー
「だから、子供。」
にっこりと笑いながら告げる時貞の手は、いつの間にか拓の素肌を探り始めていたりして・・・・
「ちょっ・・・ちょっと待ってっ！ボッ・・ボク・・・男だから・・・そんなの無理・・・っ？！」
必死に、その手から逃れようとしながら、違う意味で泣きが入る拓に、時貞の攻撃は止まらない。
「出来るか出来ないか、試してみようよ・・・」
耳許で囁き攻撃のまま、耳たぶを甘噛みする。
途端にビクッと身を震わせた拓の抵抗を、被いかぶさった全身で封じ込めてしまう。
「―――出来る訳ないってばぁ！！」
拓にしてみれば、冗談じゃない！という想いで一杯である。
先程までのしんみりとした雰囲気は一体何処へ消えてしまったんだぁ・・・と嘆きながも、時貞の侵略を止める術はない。
「じゃあ・・・」
ポツリと行った途端に、時貞が手を止めたので、諦めてくれたのかも・・・とホッとしたのが甘かった。
「―――出来るまで頑張ってみよう！オレたちが、初めてになるってのも、凄いかもね♪」
ヒーーーーッッと悲鳴を上げる暇もなく、ガバッと着ていたものを奪われてしまう。
「しっ・・・死んじゃうよぉぉぉーーーっ？！」
凄まじく身の危険を感じた拓が、泣き叫ぶが、所詮"龍神"は人ではない。
そんな事で、理解してくれるなら、今頃こんな状態になどなっている筈もない。
貪欲な肉食獣に狙われた獲物のように、ベットの上での戯れの後で・・・文字通り"食われて"しまうのである・・・。
本気の時貞は、やっぱり何処まで行ってもゴーイング・マィウェイくんなのかもしれない。
「・・・んっ・・・やぁ・・・っっ！」
激しい程の時貞の"情愛"を、拓は泣きじゃくりながらも受け止める。
腕の中の拓に、濃厚な口付けを贈りながら・・・時貞は深い微笑を浮かべた。
いつもいつも抱きしめる度に、いつか本当に"食"らってしまうのではないかと、"想い"ながら・・・。
「―――愛してるよ・・・拓ちゃん・・・」
意識を失った拓を抱きしめながら・・・『このまま永遠に時が止まってしまえば良いのに』・・・と、いつも"願"っていた。
満月は、いつでも夜空を照らす。
"夢魔"に虜まれてしまった"ヒト"が、街中に彷徨い出てしまった時に、帰り道を示すように・・・。
そうして、満月は＜魔法＞を秘める。
強い"願い"を持つ者の心を映し出す。
ムーンライト・ドリーム・・・月の女神の祝福。
喩えそれが、短い間の＜ドリーム＞であり、儚いものだとしても・・・。
"ヒト"は、満月に安らぎを求める事を止めはしない。
それが、太古からの・・・"祈り"のように。
―――夜の世界の事ならば、"天の月"は何でも知っている・・・。
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―――蛇足。
だが、時貞の"本気"がどれ程のものだったのかは・・・翌日から３日間も、ベットの上から起き上がれなかった拓だけが知っている・・・（合掌） |