|
雪花紅玉
チラチラと空から白い塊が落ちてくる。
思わず手を差し出して受け止めると、それはあっという間に消えてしまう。
一面の白い―――『空間』。
初めて見る世界に、魅入られるように瞬きが出来ない。
吐く息は目の前で白く染まり・・・景色に吸い込まれていく。
何処まで行っても・・・遠くを見渡しても・・・白い空間が変る事は無くて・・・。
自分の足跡だけが、点々と続いている。
「・・・サフィ・・・？・・・ジス・・・？・・・ドコ・・・」
身体に突き刺さるような痛みは、決して消えることはない。
どんどん全身から力が抜けていく。
胸がギュッと締め付けられる。
息も苦しくなってきた。
―――コワイ・・・コワイ・・・ここには誰も・・・イナイ・・・―――
紅玉の瞳が細められる。
もう、目も開けていられない・・・。
膝をついたら・・・それが限界だった。
そのまま、全身から力が抜けていく。
白い世界は、思った以上に優しく身体を包み込む。
薄れていく意識の中・・・風の音に混じって・・・遥か遠くから何かか聞こえてきたような・・・そんなおぼろげな感覚だけが残った。
ちらちらと・・・舞い落ちる・・・白い結晶・・・。
白い・・・“モノ”。
静かに降り積もり―――小さな身体と・・・儚い命を覆っていく。
うっすらと覆われていく・・・白い『世界』に・・・。
何処までも広がる白い大地の上―――その緋色の髪だけが鮮やかに色を放っていた。
「―――ウオンッ！！」
「アオオォンッ！！」
「・・・アービィ・・・ルーファス―――？どうした・・・？・・・一体、何が・・・！！」
白いだけの世界に、風以外の声が響き渡る。
「・・・これは・・・？」
力強い腕が、雪の中から小さな身体を掬い上げる。
顔を覆う雪をそっと払うと・・・思った以上に幼げな顔が見えた。
血の気の失せたその表情は、一瞬死んでいるのかと思ったが・・・翳した手のひらに微かに呼吸を捕らえて抱え上げる。
「―――軽い・・・！―――雪の精霊なのか？・・・なら、こんな風に倒れてる訳ないか。じゃあ、妖精？寒さにやられてしまったのかな・・・？どう思う？“兄弟”？」
傍らに佇んで、大人しくしている二頭のボルゾイ犬に尋ねる。
「・・・これ・・・髪の毛じゃ・・・ないよなぁ・・・多分・・・」
緋色の髪の中・・・一部分が白く長く垂れている。
そっと持ち上げると・・・柔らかな感触が返ってくる。
その姿は、雪原に咲いた一輪の花のように、儚げで・・・美しかった。
「・・・連れて帰ったら・・・消えてしまうかな・・・？」
抱き上げようとして、躊躇する。
「―――ォンッ！！」
動いたのは、二頭の方が早かった。
アービィはズボンの裾を噛んで、帰るように促す。
ルーファスは鼻面を押し付けて、グイグイ押してきた。
その姿はまるで、「早く連れて行け」と言っているようで・・・苦笑が漏れる。
「理解った・・・理解った・・・お前達がそう言うなら・・・大丈夫だよな。―――おいおい、まだ抱えてないんだから、そんなに強く引っ張るなよ・・・」
雪の上の儚い『存在』をそっと抱き上げる。
小さなその身体は本当に軽くて、信じられないほど柔らかかった。
くにゃりと崩れてしまいそうで、慌てて両手で包み込むように抱え直す。
家に連れて戻っても、消えませんように―――。
脳裏に浮かんだのは、そんな儚い望み。
それでも・・・そう思わずにはいられないほど・・・その存在は今にも溶けてしまいそうな気がしたのだ。
連れて帰って、灯りの下で改めて見たら・・・妖精は思った以上に人間くさかった。
取り敢えず、毛布に包み込んで、ソファーに座らせると、暖炉に薪をくべた。
冷えてしまった自分の身体を温めて・・・漸く一息つくと、アービィとルーファスはその存在が気になって仕方ないように、ウロウロとその周りを回っていた。
「どうした？・・・そんなに、気になるのか？」
彼らには、人には理解らない感覚があるのだ。
この部屋の中で突然に外に向かって吼えはじめた二頭が、ドアを開けた瞬間外に飛び出していった時には酷く驚いた。
そうして、慌てて外套を着込んで、後を追いかけた先で・・・見つけた『存在』。
部屋の中が温まっても、溶けることはなかったが・・・その目は堅く綴じられたままだ。
「・・・ふ・・ぅ・・・」
不意に、唇から吐息が漏れて・・・閉ざされた筈の目から雫が流れ落ちる。
それが、涙なのだと・・・泣いているのだと気付いて・・・心臓に衝撃が走る。
その余りにも痛ましい姿に、思わず腕を差し伸べてしまう。
指先で、流れ落ちる雫を拭ってやると、触れた箇所に擦り寄るような動きが起こる。
そっと毛布ごと、慎重に抱き締めると・・・温もりを求めるように身体を動かしたので・・・眩暈を起こしかけた。
氷のように冷たい身体が、熱で溶けるのではなく・・・失ってしまった熱を求めているのだ―――そう、認識した。
身体を覆うモノが、余りも薄く・・・人間ならこの場所ではありえない姿だったので、その考えに至らなかった自分に、思わず苦渋の表情が浮かぶ。
軽い身体を抱き上げたまま、暖炉の前に座り込む。
色の抜け落ちた白い肌が、体温を失った所為ならば・・・取り戻さなければならないと思って。
「・・・気付かなくて・・・ごめんよ・・・。ここには・・・医者はいないんだ・・・どうやって、暖めよう・・・」
必死に考えを張り巡らせて、記憶を辿る。
人から離れたくて、誰もいない静かな・・・雪で隔離されたこの場所に、唯一の家族と呼べる二頭と共に引き篭もっているのだ。
誰とも合いたくないから、設備も最小限で・・・生活用品を持ってくる者は、次に来るのは一週間後になってしまう。
「取り敢えず・・・濡れた服は脱がせないと・・・これ・・・服だよな・・・？」
見たことの無い衣装は、一枚の布を身体の間接部分で細い金属のような装飾品で留めてあるだけの物だった。
凍り付いていたそれが、部屋の中の温度で水分を含み・・・薄く透けて肌にへばり付いてしまっている。
止め具を外して・・・布を脱がせると・・・その下には何も付けていなかった。
慌てて、目線を逸らしたが・・・真っ白な綺麗な裸体が脳裏に焼きついた。
「・・・っっ・・・」
目を閉じて頭を振って、意識を吹き飛ばす。
―――そんな場合じゃないのだから。
だが、毛布に包みなおして、暖炉の前で抱き締めても・・・一向に身体の冷たさは戻らない。
一瞬、暖かい飲み物でも・・・と思ったが・・・実際何を飲ませればよいのか想像もつかなくて・・・。
戸惑っていると、アービィが眠れない夜に寝酒にしている酒のビンを口に咥えて寄越した。
それを目にして、考えが纏まった。
「あぁ・・・そうか。俺が飲めばよいのか・・・それで、俺の熱を分ければ・・・」
躊躇せず、ビンを開けてラッパ飲みする。
アルコール度数の高い酒に、少しクラッとするが・・・思惑通りに身体の中に熱が点る。
上着を総て脱いで上半身裸になって、毛布の中の冷たい身体を直に抱き締めると・・・小さな身体は、擦り寄るように身じろいだ。
柔らかな髪先が思った以上にくすぐったかったが、我慢した。
途中から、小刻みに震えだした身体が・・・ゆっくりと熱を帯びていく。
何度も酒を飲んだ為に、大分酔いが回ってしまったが・・・不思議と眠くはならなかった。
それだけ、緊張していたのかもしれない。
青白い顔に、ほんのりと赤みが差し・・・透明な作り物のような姿が―――腕の中で、生まれ変わる。
そうして、やはり人間ではない生き物なのだと理解した。
白かった頭の部分が、熱を帯びて緋色の髪よりも薄いピンク色に染まる。
抱き締めた小さな身体の腰の下・・・お尻から生えているのは、小さな毛玉。
触れてしまった途端に、動いたのに気付いて・・・それが、本物なのだと知った。
――――恐らく、尻尾と呼ぶもの。
アービィとルーファスにはあるが・・・人間にはありえないもの。
だから、本当に妖精なのかもしれない。
もう、絵本の中でしか見られなくなってしまった・・・“ウサギ”の姿をした『不思議な生き物』。
「・・・キミは・・・何処からきたの？」
どんなに問い掛けても、堅く閉ざされたままの瞳が開くことはなくて・・・。
明け方になって漸く身体の震えが納まって・・・寝顔が穏やかになったのを確認してから・・・一緒にベッドに入り込んだ。
緊張の糸が切れた途端に、忘れていた眠気が襲ってきたからだ。
「・・・おやすみ・・・妖精さん・・・」
怖い夢を見ないお呪いをしてから、瞳を綴じる。
柔らかな腕の中の温もりが・・・優しい夢を見せてくれるような―――そんな気が、した。
微かに、音が聞こえる。
寄せては返す波のように、規則正しい・・・心音。
柔らかな素肌の感触。
温もりに、安心したように身をすり寄せ様として・・・それが、いつもの相手ではない事に気付いて慌てて目を開けた。
そうして、物凄く近くにいた見ず知らずの相手に驚いて、ガバッと起き上がる。
「・・・・っ！！」
思わず叫びそうになってしまって、慌てて口を両手で塞ぐ。
自分の心臓が早鐘のようにドキドキと鳴り響いて・・・耳に痛い程だ。
しかも自分が何も身に着けていない事に今更ながらに気付いて、愕然とした。
「・・・う・・・ん・・・」
何か身を隠すものが無いか探そうと、身じろぎした途端・・・相手が寝返りを打ったので、思わず視線を向けて―――強く意識が奪われた。
シーツに漂う波打つ髪色が、銀色だったからだ。
一瞬、仲間のダイヤを思い出したが、その相貌は自分の認識している物ではなかった。
彫りの深い端正な顔立ちは、今まで見た誰よりも綺麗だったし・・・褐色の肌は初めて見るものだった。
ついつい見惚れてしまってから、そんな場合じゃなかったと気を取り直す。
辺りをキョロキョロと見回すと、自分の着ていた物が床に落ちていたので、ソーッと動いてそれを取ろうと手を伸ばした。
だが、体重を反対の腕にかけた途端、急に腕から力が抜けてしまい・・・ガクリと体勢が崩れる。
床にぶつかると、ギュッと目を瞑るが、何時まで経っても衝撃も痛みもやってこない。
気付けば腰に回された腕が、自分の身体を捕らえて落下するのを防いでくれていた。
「―――危な・・い・・・なぁ・・・」
ファーアと大きな欠伸をしながら、呟かれた声に、心臓が跳ね上がる。
いつの間にか起き上がっていた人物は、片手で軽々と自分の身体を持ち上げて、ベッドの上に戻してくれた。
「・・・やっぱり、軽いなぁ。」
少し驚いたように呟かれて、またしてもドキドキとしてしまう。
自分だけでなく、相手も何も身に着けていない事に気付いて・・・あたふたとベッドの上を後ずさる。
離れた筈なのに、相手は一瞬で距離を戻す。
物凄く顔を近付けられて、真正面から見据えられて・・・その緋色の瞳に気付いて、自分の髪色と同じだと思った。
「・・・あぁ・・・瞳も紅玉色なんだ・・・随分と綺麗な瞳をしてる・・・」
柔らかく浮かんだ相手の微笑に、目が離せない。
「・・・ぁ・・・」
伸びた指先が、優しく髪に触れ・・・垂れた耳を擽る。
思わず身を捩って逃げようとするが、いつの間にか回された反対の手によって、捉まってしまう。
腕の中に捉えられて・・・互いの素肌の熱にクラクラする。
「ねぇ・・・これって・・・本物？後ろの尻尾も・・・」
持ち上げられた耳にビクビクしながら、続けられた台詞に思わず手を動かしてそれを隠そうとした。
「―――ふーん・・・やっぱり、本物なんだ・・・キミって・・・妖精？・・・ねぇ、俺の言っている事、理解る？」
「―――やっ・・・！！」
敏感な耳に息を吹きかけられて、思わず声が上がる。
プルプルと首を横に振ると、息苦しいほどの束縛から逃れようと抵抗する。
相手の意図が理解らなくて・・・湧き上がる不安が心臓を鷲掴みにする。
「―――雪原のど真ん中にいたから、思わず『妖精』かと思ったら・・・こんな不思議な生き物なんだものなぁ・・・。」
ゆっくりと夢見るように告げられる言葉に、一気に血の気が引いていく。
―――不思議な生き物―――
それは、『楽園』に突然現れて自分たちを攫った者たちが口にしていた言葉だったからだ。
自分の知っている優しい人は、自分たちの事をそんな風には決して言わなかった。
“大切な『ムーン・チルドレン』・・・愛しているよ・・・”
いつも優しく慈しむ様に接してくれた・・・大切な―――博士。
燃え盛る炎の中・・・崩れ落ちたいつもは真っ白い白衣が赤く染まっていて・・・。
幾つもの悲鳴と―――何かを壊すような・・・『コワイ』音。
ガタガタと身体が震える。
「―――えっ？！」
突然に蒼褪めて、空を見つめたまま、小さな身体をガクガクと震わせ始めた存在に、驚いたような声が上がる。
「・・・あぁ・・・サフィ・・・ジス・・・どこ・・・？・・・帰りたい―――・・・」
中空に両腕を伸ばして・・・赤い瞳からポロポロと雫が零れ落ちる。
どんなに強く願っても・・・望んでも・・・。
『力』の無い自分にはもう、何もできない事を―――知っていたから・・・。
プツンと糸が切れたように、そこで意識が途切れた。
柔らかくて暖かな光。
澄んだ空気。
草花の絨毯・・・果実のなる樹木。
流れる水は小川を作り・・・池となって・・・。
博士が作り上げた『楽園』。
自分たちが、“創造”られた生き物だと言う事も知っている。
たった十人の―――仲間。
それでも、自分たちは幸せだったのだ。
―――満ち足りていたのだ。
・・・何故、壊れてしまったのだろう？
―――何がいけなかったのだろう・・・。
最初は、どうなるか理解らなくて・・・ただ押し込められた空間の中で皆で、震えていただけだった。
隣にはサフィがいて・・・怖くて一緒に抱き合っていた。
暫く経って・・・オニキスが・・・黒いのは不吉だからって・・・売れないからって・・・。
一人だけ連れて行かれたから・・・気になって・・・“耳”で探ったら・・・。
あぁ・・・どうして・・・・聞いてしまったんだろう・・・。
あんな、魂が壊れそうな悲鳴を―――。
“視”ていたらしいジスも、衝撃に言葉を無くして・・・辛そうに目を伏せた。
急いで耳を閉じたけど・・・オニキスの悲鳴は何時までも消えなかった。
エメは・・・そうだ・・・あの時・・・突然、部屋を飛び出して・・・。
物凄い衝撃の後で・・・船の動きが止まった。
プラチナは水がなくて動けないマリンを抱えていたし・・・ボクとサフィは怖くて動けなくて・・・。
いつの間にかトパーズとラズリは部屋の中からいなくなってた。
残っていたのは、５人だけで・・・。
『―――このままでは・・・ボクらはみんなバラバラにされてしまう。』
呟いたのは、ジス。
『・・・どうするの？』
プラチナが震える声で、尋ね返した。
腕の中のマリンは、ぐったりとしたままで・・・。
『―――全員の『力』を併せて“逃”げるしかない。』
『でも、そんな事・・・無理だよぉ・・・』
ジスの言葉に、サフィがフルフルと首を振っている。
ボクも言葉もなく震えている事しかできなかった。
『ダイヤが居てくれたら、もっと強い力も使えたかもしれないけど・・・でも、エメとオニキスは“跳”んだ。トパーズとラズリも・・・一緒に・・・。』
『ジス？！・・・“視”えたの？』
『・・・何処に行ったのかまでは理解らなかった・・・でも、もうこの船の中にはいない。それに・・・この船は、さっきの衝撃で航行力を失ってどんどん青い星に引き寄せられているんだ。このまま堕ちたら、ボクらはきっと死んじゃうから・・・。』
そっと耳を澄ますと・・・遠くで喚き散らすような声が響く。
切羽詰った響きは、確かに只事ではない出来事が起こっている事を示していた。
『うん・・・。大気圏・・・とか・・・脱出の用意とか・・・。大変だ・・・ボクたちを連れて来いって・・・』
声と同時に、足音が迫ってくるような感覚に身を竦める。
『どうやって、“跳”ぶの？―――マリンはこんな状態で大丈夫なのっ！？』
プラチナの悲鳴に、ジスは一瞬困ったように目を伏せる。
淡く光り輝いていた紫の瞳が、翳って見えた。
『マリンは・・・理解らない・・・よ。でも・・・』
『―――良いよ・・・足手まといになるなら・・・置いていって・・・』
小さく呟くジスに、今まで辛そうに瞳を閉じていたマリンが掠れた声で呟く。
『置いていける訳、無いでしょう？―――理解った・・・ワタシが、マリンの分も頑張るから。』
プラチナの銀灰色の瞳が見開かれて、次の瞬間それは強く煌いた。
『―――ボクが“視”る青い星を映像でみんなに送る。そこに、飛び込むイメージを作って―――時間が無い、行くよっっ！！』
気付けば、“耳”を使わなくても複数の足音が部屋の直ぐ側まで聞こえていた。
ボクはサフィと抱き合ったまま・・・ジスから送られてきた青い・・・何処までも蒼い世界に向かって意識を飛ばした。
そうして、気付いた時には、周り中白い世界だった。
蒼い世界に飛び込んだ筈なのに・・・。
抱き合っていた筈のサフィは何処にも居なくて。
―――一人ぼっち。
何も無い空間。
白い・・・白い世界。
―――自分は、一体何処へ堕ちてしまったのだろうか・・・？
続く。 ／ 戻る |