|
記憶の海３
赤い風が吹き荒れていた。
火星の赤い土を含んだ砂嵐は、この時期は太陽からの影響をもろに受けるので、惑星間の航行にまで支障をきたしていた。
空港で、星間連絡船の出港停止のアナウンスを聞きながら、ドームの外に広がる荒涼とした風景を眺める。
『楽園』から見上げた夜空に浮かんでいた火星は、確かに赤い星だったけれど、遠くから見えたそれはもっと綺麗だと思っていたのに・・・。
「ここにいたの・・・？」
背後から掛けられた柔らかな声に、振り返る。
この惑星の持つ<彩>を身に纏った、この星の最高責任者であるキヨミ＝ワニブチがゆっくりと歩いて近づいてきた。
そうして、隣に並んで外に広がる砂嵐を見やった。
背後には、彼女を守るかのように特殊部隊が待機している。
「・・・今回の砂嵐は特に酷いわね。本当に、早く貴方をマコちゃんの元に帰してあげたいんだけど・・・ごめんなさいね。」
柔らかな口調に、ゆっくりと首を横に振る。
帰りたいのは山々なのだが、この星から離れたくないと思っているのもまた確かな事だったから・・・。
少し俯いて、ゆっくりと睫毛を伏せる。
隠れた黒曜石の瞳には、未だに紫の残像が残る。
短い間しか一緒にいられなかったのに、不思議なほど強く引き付けられた《ヒト》。
もう二度と会えないのだと、思う傍から胸が苦しくて・・・。
意識を振り切るように、顔をあげて視線を外に向ける。
相変わらず、巻き上がる赤い砂がドームの外を覆っていた。
『生物化学生体研究所・地下実験室』。
地球に於ける亜熱帯ジャングルのような環境の中、降り注ぐ霧雨のようなシャワーを浴びて長身の白衣の男が立っていた。
全身がしっとりと濡れていくのも気に留めず、そこで成長している樹木の様子を丹念に調べては、持っている端末に状態を伝えていく。
「―――アルファ１から１７まで、生育順調。ベータ６に関して、少し葉の表面に付着物あり。サンプルを送るので、検査してくれ。」
「・・・了解。」
一通りの調査を終えて、通信を切ると、ゆっくりと息を吐き出す。
濡れてへばり付いた前髪を掻き上げて、掛けていた眼鏡を外すと、青紫の瞳が現れた。
明るい光の下、霧雨に全身濡れそぼった姿が、やけに印象的に映える。
強い印象的な瞳をゆっくりと閉じて、上を向く。
脳裏に浮かぶのは、見える筈のない《宇宙》と―――。
不意に、頬に何かが当たる。
ゆっくりと瞳を開けると、すぐ傍にあった樹木の蔓が、労わるように彼の頬を撫でていた。
それにそっと手を当てて、彼は苦笑する。
「・・・理解るのか？」
勿論、返事はないけれど・・・ゆっくりとざわめく木々たちの姿が、何よりも顕著に物語っていた。
彼の様子が普段と違う事に・・・。
「―――そうだな。」
次々と延ばされる木々たちの蔓に、身を任せながら・・・彼は自嘲気味に呟いた。
幹に手を当てれば、木々たちの包み込むような感覚が全身に広がった。
幼い頃から、総てを諦めなければならなかった。
力も知識も人一倍あったけれど・・・本当に欲しかったのは、もっと違った物で。
どんなに望んでも、決して手に入らないだろうと思っていたのに・・・。
不意に空から落ちてきた<ソレ>は、彼に夢を見せるだけ見せて、掌の中から零れ落ちてしまったから、どうしても心が落ち着かないのだ。
彼の思念を読み取ったのか、何本もの蔓が纏まって、一つの形を形成する。
それを見た瞬間、彼の身体の内側から動揺したような波動が漏れた。
小さな人の姿。
だが、人ではない証拠に、耳と尻尾がついている。
「・・・ちび・・・」
ゆっくりと吐き出される想いが、彼の心情を物語る。
忘れようにも、忘れられない・・・その姿。
思わず、目の前の幻影に触れようと、彼が足を前に踏み出そうとした途端、それは崩れ落ちた。
木々のざわめきが、激しくなり・・・彼も瞬時に異変を察知した。
低く、響く振動は確かに感じられて・・・地下にあるここまで響くという事は、地表では相当な大きさだと気付いた。
「どうした？何が、あった！」
蔓が全身から離れたのを確認した彼は、慌てて通信スイッチを入れて問いかけた。
「大変です。ヒザキさん・・・中央管理局ドームの空港内で、爆発炎上が起きました。同時に中央への通信も全く不通です。」
返ってきたきた切羽詰まった声に、全身総毛立つ。
―――酷く、嫌な予感がした。
項の辺りがピリピリとして、気付いたら転送装置を使う事無く、管理室までテレポートしていた。
「ヒザキさんっ？！」
突如現れた彼に、ツチヤは驚いた表情で座っていた椅子から立ち上がったが、それを彼は無視した。
素早い動作で、コントロールパネルの前に座り込み、キーを打ち込んでいく。
中央からの送電が切れたとしても、ここは何とか自家発電で補えるが・・・他の居住区では、そこまでの設備は完備されていないので、中央の被害の余波を受けて不味い事になっているかもしれないのだ。
最悪、火星にあるドームの内、半分が壊滅する。
ものの１分もしない内に映し出された画面には、赤く点滅している箇所がいくつも点在していて、その多さに彼は舌打ちした。
その中には、彼の生まれたドームも含まれていた。
「・・・っ・・・！」
また別の画面を見ていた彼は、今回の原因も瞬時に理解して、怒りに目の前が真っ赤になった。
画面には、所属不明の船が、火星の砂嵐に巻き込まれて舵を失い、中央空港に突っ込んでいく映像が映し出されていたからだ。
ゆっくりとした船体が封鎖されているゲートに触れて、爆発する様子が音もなく展開していく。
探査衛星の映し出したそれは、ありえない光景だった。
正規の船ならば、火星の砂嵐の時期の空港からの航行不可の判断で、こんな大惨事を引き起こす筈もない。
「馬鹿が・・・っ！」
低く呟きながらも、彼の指は全く止まることなく、常人の数倍のスピードでコンピューターを支配していく。
眼前の画面には先ほどまで赤く点滅していた箇所が次々と消えて、黄色の点へと変化していく様が見て取れた。
各ドームへの、送電の様子が、青いラインによって示される度に、赤い点滅から黄色の点へと変わっていく。
本来ならば、青い点にならなければ完全な状態とは言えないのだが、この研究所の原子力発電では、火星全部のドームの活動電力を補うにはどうしても無理だった。
それでも、ぎりぎりの状態で、生命維持できる状態までは何とか繋ぎ留めたようだ。
あとは、各ドーム内の非常電源でやっていけるだろう。
次々と入り込む小さな画面では、それぞれの地区の長が、感謝の言葉を告げていく。
一通りの作業が終了すると、彼は椅子から立ち上がった。
「ヒザキさん？！」
自分の作業に没頭していたアイガが気付いて声を掛ける。
「出かけてくる。」
「外は、まだ嵐ですよ・・・それに、中央へは・・・」
言い掛けて、言葉を失う。
全身をオーラで包み込んだ彼は、完全に臨戦態勢に入っていたからだ。
激しい赤紫のオーラに包まれたヒザキには、何を言っても無駄だと知っている彼らは、黙って見送る事しかできなかった。
普段物静かな彼が、物凄く怒っているのだと―――気付いてしまったから。
各ドームを繋ぐ転送装置が作動しないので、ヒザキはドームの外に続く格納庫へと向かった。
眼鏡を外して、特殊なゴーグルを掛ける。
白衣を脱いで、対赤砂用のマントを被ると、暫く使っていなかった愛車へ近づく。
緋炎の模様が描かれた特殊なエアバイク。
ヒザキ以外の誰も扱えないジャジャ馬は、鈍く銀色に光っていた。
跨って、エンジンを掛ける。
ハッチを開けると、途端に赤い風がヒザキを襲ったが、彼を覆いつくすことは出来なかった。
只人なら、数分で命を落とす火星の砂嵐の中を、ヒザキが乗ったエアバイクは疾駆していく。
猛威を奮う赤い空間を、紫の光の矢が切り裂くように突き進んでいく様は、言葉を失う程衝撃的な光景でもあった。
だからこそ彼は、『火星の齎した〈新人類〉』と呼ばれているのだ。
ドーム間の転送装置なら、１０分程度で移動できる距離を、それでも小型船波の速度で走ったヒザキは、目的の場所へ近づくにつれ、表情を歪めた。
砂嵐の所為で、爆発により起こった延焼は随分と鎮火していたが、そこは惨憺たる有様だった。
強烈な風に掻き消えない程の、匂いが酷く鼻に付いた。
壊れた船や建物の残骸を避けて、エアバイクを止めたヒザキは、そのまま中空から飛び降りて空港内を探索していく。
『何処だ・・・？』
ずっと、心に引っかかっている疑問を、オーラと共に広げていく。
あの、密かな振動を地下室で感じた時に、確かにヒザキは聞こえたのだ。
それは、恐怖に怯えた悲鳴。
微かな・・・本当に消え入りそうなそれが、誰が発したものなのかも―――。
絆は途切れた筈だった。
もう二度と会うこともないだろうと・・・会えないだろうと、思っていた。
それ程、二人の住む世界は違っていたのだ。
諦めを知っている筈のヒザキが、諦めきれないほどの想いを抱えていながら・・・手放さなければならなかった相手だっただけに・・・。
そうしなければ、良かったと、今更ながらに後悔した。
こんな形で失うぐらいなら、総てを敵に回したとしても・・・自分が反逆者になったとしても、手を放すべきではなかった―――と。
唇を噛みしめて、惨状の空港内を駆け巡る。
あちらこちらに転がっている様々なモノを、なるべく見ないようにしながら・・・薄暗い中を走り・・・階段を駆け上がっていく。
身体の奥底から、力が溢れ出てくる。
階が上がるにつれ、被害の度合いも軽くなっていくようで・・・それでも、火星の赤い砂が入り込んだ空間は生身の身体には毒以外の何物でもなく、倒れ込んでいる者は皆絶命していた。
「何処だっ・・・！！―――ちびっ！！」
全身に広がる焦燥が酷くなっていき、焦りは悲鳴となって口から飛び出していく。
まさに地獄のようだった。
全く生命が感じられない、死の空間。
そんな中で行動できる自分が、他人に〝悪魔の子〟と罵られていた事は、間違いではないのかもしれないと少しだけ頭をよぎった。
―――こんな絶望的な状況の中で生きている筈も、無い。
そう理性では、理解しているが、感情がそれを拒否していた。
生まれて初めて持った感情。
ずっと望んでいた夢が、手に届くかもしれないと・・・一度は思わせてくれた相手。
掌から零れ落ちてしまったけれど、死神に連れて行かれるとは、思わなかったし・・・認めたくはないのだ。
その『存在』が永遠に失われてしまったなどとは―――。
「・・・・っ・・・！！」
ビクッと動揺して、足を止める。
空港ロビー最上階。
流石に、ここでは赤い砂の影響は大分薄まっていた。
それでも、爆発の影響をモロに食らったのか様々なものが、瓦礫と化して足の踏み場もない中で、密かな音が聞こえた。
慌てて、音がした方に意識を集中させると、瓦礫に埋まった状態で生命反応が見て取れた。
上に覆いかぶさっていた柱を、手を使わずに念力で移動させると・・・瓦礫の中から現れたのは、中央管理局の長官を腕に庇ったあのワニブチとかいう男だった。
「・・・お前か・・・助かった。礼を言う。」
残っていた瓦礫を片手で払いのけたワニブチが、気絶しているらしい長官を抱えて瓦礫の中から出てきた。
「―――ヤバいと気付いた時には、手遅れだった。まさか、砂嵐の中を、ゴースト装置を搭載した密航船が空港に突っ込んでくるとは・・・」
全身で長官を庇った事は、一瞬で見て取れた。
特殊部隊専用のスーツは裂けてボロボロだし、全身傷だらけのその姿は、生きているのが不思議な程だった。
「・・・あんた・・・アンドロイドだったのか・・・？」
ヒザキの口から、呆然とした声が漏れる。
「あぁ・・・昔、ちょっとした事で、事故にあって・・・な。元は人間だったが・・・今は脳以外は全身造り物だ。」
以前、研究所で軍用の特殊ゴーグルを外さなかったのは、そういう事だったのかと、漸く納得しながらも、その傍に探していた者の姿を見て取れなくて、愕然とする。
「―――あいつは・・・？」
震える声は、思った以上に掠れて出た。
「・・・オニキスは、長官の傍にいたが・・・間に合わなかった。」
それは、死刑宣告のように、ヒザキの全身を打ち据えた。
届いた恐怖と・・・微かな悲鳴。
ならば、あれはやはり幻聴ではなく・・・。
ヒザキの全身を、絶望が覆い尽くす。
燃えるようなオーラが全身から噴き出して、気付いたらワニブチを殴っていた。
「ふざけるなっ！！」
「・・・っ！」
避ける動作もせずに、ヒザキの拳を受けたワニブチは吹き飛んで、壁に衝突した。
殴られる事が、贖罪だとでもいう様に、ワニブチはそのまま動かずに殴られた頬の傷を拭った。
それが、単なる八つ当たりだとはヒザキは気付いていた。
それでも・・・それでも、感情が収まらなかった。
失ってしまったモノの大きさに心が壊れてしまいそうだった。
激しい慟哭に、堪えきれなくて・・・総ての感情を爆発させようとしていたヒザキは、不意に届いた<音>に気付いた。
それは、本当に微かに空気を震わせるような小さな波長だったが、恐ろしくヒザキの心を捉えたのだ。
爆発寸前だった気持ちが、ストンと凪ぐ。
酷く微かなその波長を、ゆっくりと辿って・・・瓦礫の中を歩きだす。
今にも途切れてしまいそうなそれを確認し続けるために、全能力を費やしながら、ヒザキは慎重に近づいていく。
幾重にも重なった柱の、更に奥にその存在はあった。
小さく輝く『黒い宝石』。
それを見つけた瞬間、ヒザキは呼吸が止まった気がした。
そっと触れて、ゆっくりと持ち上げると、それは微かな波動を返してきた。
今にも消えてしまいそうな、柔らかな波動。
それが、何を意味しているのか・・・ヒザキは気付かされた。
「そうか・・・お前が、《チビ》なんだな・・・」
黒い宝石は、確かに黒曜石の瞳の輝きと同じだったから・・・。
優しく撫でると、小さな傷があった。
それが、爆風による衝撃によってついたものなのかは理解らなかったが、酷く痛々しくて見えて・・・堪らなかった。
傷をなぞりながら、全身にオーラを高めていく。
自分にどれだけの力があるのか理解らないが、出来ることなら傷を治してやりたくて・・・あの元の姿を見たくて―――。
黒い瞳に、黒い髪。
柔らかな耳と尻尾。
小さくて軽くて保護意欲を掻き立てられる、希少ペットと間違えた〝合成獣人〟。
全身のオーラを最高潮まで高めた状態で、ヒザキは両手に包んだ『宝石』に、自分の力を注ぎこむように想いを込めてキスをした。
途端に、凝縮された力が爆発したかのように、軽い衝撃が起こり、次の瞬間には黒い宝石は耳と尻尾を持った小さな男の子の姿になった。
大きな黒い瞳が、真ん丸に見開かれて・・・その中にヒザキの姿を映した。
すると、見る見る内に盛り上がった涙が、次から次へとポロポロと頬を零れ落ちていく。
その姿を確認したヒザキは、口端を持ち上げて・・・酷く見惚れてしまいそうな微笑を浮かべた。
そうして、幻影ではないその姿をきつく両腕で抱きしめた。
「う・・・・ふぅえっ・・・」
ヒザキの腕の中で、嗚咽が響く。
垂れてしまっている耳に柔らかくキスをしながら、ヒザキは満たされていた。
ギュっとしがみ付いてくる温もり。
暖かくて柔らかな・・・むず痒いような感情。
それでも、それがこんなにも心地良いものだとは、知らなかったから。
「・・ちび・・・」
愛しい想いのままに呼び掛けると、涙に濡れた綺麗な瞳がヒザキを見つめた。
誘われるように口付けたが、しがみ付いた指先が震える事はあっても、拒絶は全くなかったので、ヒザキの心は決まった。
例えどんな事があろうとも、この存在は二度と手元から離さない―――と。
『・・・お前は俺のものだ！』
激しい感情のままに、ヒザキは小さな身体をきつく掻き抱いた。
「・・・生きて・・・いたのか？」
背後から掛けられた声に、腕の中の存在がびくりと動揺する。
それに気付きながら、ヒザキは庇うようにして相手と対峙した。
「あぁ・・・。これは、俺が見つけた。一度は手放したが・・・もう返さない。」
挑むような視線で、相手を睨みつける。
「それが、通用するとでも？・・・相手は、こんな非常識で危険な事をしでかす連中ばかりなんだぞ。」
低く諭すような声に、腕の中の震えがどんどん酷くなっていくのを感じる。
それでも、ヒザキはきつく抱き締めたまま、頭を振った。
「―――こいつを失ったと思った時、自分の心臓も止まるかと思った。・・・理屈なんかじゃない―――命懸けだって良い・・・もう、手放せない。」
ヒザキの告白に、瞳が大きく見開かれたのは一瞬で・・・次の瞬間には全身を真っ赤に染めた小さな存在が腕の中にあった。
「・・・―――・・・」
口をパクパクさせて、それから深呼吸をした後で、空気が震えた。
刹那、何が起こったのかと頭が真っ白になったが・・・後から耳に届いた響きに、ヒザキは瞠目した。
「・・・ぼ・・くも・・・。―――あっ・・・！」
片言の消え入りそうな声が、確かに腕の中の存在から発せられたのだと知って、言葉に詰まる。
声を出した本人さえも驚いた様子で、口元を両手で覆っている。
「・・・声が・・・出る・・・？！」
本当に嬉しそうにヒザキを見つめて言う姿に、ヒザキも抱く腕に力を込めた。
「―――もっと・・・もっと喋ってくれ・・・。声が・・・聴きたい・・・」
耳元に唇を寄せて囁くと、擽ったそうにした後で、細い腕がヒザキの首に回された。
「・・・ぼくも・・・貴方の傍にいたい・・・。『楽園』じゃなくても構わない。もう二度と仲間に会えなくても・・・―――ヒザキの傍にいたい・・・」
ギュっとしがみ付いて、鈴の音のような声で綴られた想いに、ヒザキの感情が爆発した。
触れた場所から伝わってくる気持ちが、互いの重なった同じ想いなら、もう何も怖いものなど無かった。
首にしがみ付いたそのままに、小さな身体を抱き上げると、ヒザキはクルリと踵を返した。
「何処に行く？」
背中を向けたヒザキに、ワニブチが問いかけるが、それは制止の言葉ではなかった。
「―――帰るだけだ。この惑星上で、俺に勝てる奴などいない。」
背中を向けたままそう言い切ると、振り返る事無くヒザキは歩き出した。
狂ったように舞っていた、風の音も止んでいた。
あれほど猛威を奮っていた砂嵐も、漸く収まったようだ。
腰に付けていた端末で愛車を呼び出すと、何処からともなく二人の前に現れた。
「・・・これは・・？」
初めて見る物体に、黒い瞳がキラリと輝いて、尻尾が揺れた。
どうやら、すこぶる気に入って貰えたようだ。
バックシートに座らせて、自分は運転席に乗る。
「一応、口元まで覆っとけ。砂が口に入るとじゃりじゃりするから・・・。」
自分が付けてきたマントを頭から被せると、ヒザキはそう告げた。
本当は、赤い砂は人にとっては毒そのものなのだが・・・相手の様子が全く変わらないのを見て、ヒザキも考えを改めた。
つまり、自分と同じように赤い砂に耐性を持っているのだと。
まっすぐに見つめてくる瞳を見ながら、ヒザキは先ほどの事を思い出していた。
転がっていた、小さな黒い宝石。
あれが、ちびの本当の姿なのだろう。
認識するより先に、感覚でそう識った時は驚いたが、同時に納得もしたのだ。
だから、誰にも渡したくなかったし・・・手放せなくなった。
ヒザキが見つけた―――〝至上の宝物〟。
人でありながら、人と見られなかったヒザキが手に入れたのは・・・人ではないけれど、人以上に愛しくて大切な《存在》だった。
何処までも赤い砂漠が広がっていく。
更に、地表の色よりも遥かに強烈な<彩>を放つ太陽が、容赦なく照りつけてくる
そんな中をエアバイクで疾走しながら、ヒザキは背中に柔らかな温もりを感じて―――密かに微笑を浮かべていた。
ＥＮＤ． ／ 戻る |