砂漠に夕陽が沈むと、辺りは直ぐに闇に包まれる。

松明を模した照明が、炎の灯りを点し・・・水の宮殿は昼間とはまた違う、幻想的な雰囲気を醸し出した。

マサトがトキサダを案内したのは、近寄らないで欲しいと言っていた離宮だった。

そこは、湖のような場所の中央に、建っていた神殿のように見えた。

ただ一つ真っ直ぐに伸びている細い道は、湖の上に敷かれたガラスの橋だった。

一見すると、何も無い水の上を歩いているように思える程だ。

「・・・水の門よ。神殿の番人よ。海神である“マサト”が命ずる。―――その封印を解放し、我らを通せ。」

青い扉の前でマサトが手を翳してそう唱えると、目の前の扉がゆっくりと外側に開かれていく。

と、同時に開かれた青い扉が、見る見る内に形を崩して、水になっていった。

「―――！！―――」

目の前で起こった信じられない出来事に、トキサダは“緋”い瞳を見開いた。

「こっちだ。」

驚きに、足を止めてしまったトキサダを促して、マサトが神殿の奥に入っていく。

中は丸い部屋のようになっており、何処から発光しているのか理解らない青い光が充満している。

中央に一段高い祭壇があり、その前には神話の海の神を模した彫像が置かれていた。

祭壇の周りには、色々な果物が置かれ・・・色取り取りの花が飾られている。

しかも祭壇は、ぐるりと周りを水で囲まれていた。

腰まで漬かりそうな深さが、刻まれた階段が漬かる水の高さで理解った。

マサトの隣にいたマリンが、水中に潜って、軽やかに泳ぐと・・・そのまま祭壇に近付く。

「―――ルビィ・・・ルビィ・・・。あなたのずっと待っていたトキサダが来たよ。」

優しく話しかけるその姿に、引き寄せられるように視線を移して・・・トキサダは鼓動を止めかけた。

そこには、ずっと・・・幾度も夢に見た存在が変わらない姿で在ったからだ。

祭壇の上には、柔らかそうな布が何枚も引かれて、その上にルビィが眠っていた。

身体を丸めて、両足を抱えて・・・縮こまる様なその姿に、封印していた筈の“想い”が溢れ出してくる。

“緋”い髪も変わらない。

薄く色づく長い耳も、きっと柔らかくて。

「ねぇ・・・起きて。目を覚まして・・・。」

懇願するようなマリンの台詞に、思考を中断する。

「―――ルビィはここに連れてきた時からずっと、眠り続けたままだ。唯一反応があったのは、貴方の音楽を流した時だけ。一瞬、本当に一瞬だけ覚醒して・・・泣きながらまた眠りについてしまった。サフィは、それだけ貴方を失った衝撃が強かったのだ―――と。ヒロシは、無理やりにでも一緒に連れ出せばよかったと酷く後悔していた。“眠り姫”を預かってから、マリンはずっとルビィの為に『力』を使っている。だから、俺も出来ることをしようと思った。貴方をこの宮殿に招待して、演奏して欲しかったのは、本当の『音』で、ルビィの覚醒を促して・・・マリンの負担を無くしたかった為だ。」

「・・・そんな・・・。」

マリンを見つめながら、マサトはそうきっぱりと言い切った。

告げられた言葉に、トキサダは打ちのめされたような気分を受けた。

力の無い自分が傍に居ても、仕方ないと思ったから離れたというのに・・・幸せになって欲しかった相手をそんなに悲しませていたのが、他ならぬ自分なのだと知って・・・息苦しくなる。

フラフラと力ない足取りで、歩く。

目の前にいる・・・逢いたくて逢いたくて仕方なかった相手。

「ルビィ・・・ルビィ・・・」

衣服が水を吸って重くなっても、トキサダは気にせずに近付いていく。

―――祭壇に向かって。

一歩一歩近付く度に、歩みは早くなる。

その存在を感じたくて・・・触れたくて。

たった一週間で、自分の魂を持っていってしまったルビィに・・・。

愛しい者に―――触れたくて。

腰まで水に漬かって、トキサダは祭壇の上で眠っているルビィの直ぐ傍に立った。

よく見て見ると、その姿はまるで神に捧げられた供物のように瞳に映った。

―――誰にも渡せる筈もないのに・・・。

失える筈がなかったのに。

今更ながらの悔恨が、全身を苛む。

「あぁ。やっと・・・見つけた。俺の・・・可愛い『妖精』さん・・・。」

指を伸ばして、髪に触れ・・・そのまま、やはり柔らかな耳を擽る。

ここに触れる度に、ルビィはくすぐったいと笑っては腕の中で身じろいでいた。

それでも、今は何の反応も返らなくて、トキサダは哀しみに包まれた。

「―――ねぇ、目を開けて。あの素敵に・・・キラキラした《紅玉》の瞳を俺に見せて・・・。」

祈るように、何度も耳元に顔を近付けて囁くと、柔らかな耳が一瞬ピクンと反応を返した。

「―――ルビィっ？！」

息を詰めたような表情で見つめていたマリンの唇から、驚いたような声が上がる。

トキサダは尚も言葉を続ける。

優しく言い聞かせるかのように・・・。

「・・・あの時は、俺にはキミを護るだけの力が無かった。でも、今は違う。俺はキミを護れるだけの力も地位も手に入れた。―――キミが帰るまで・・・皆と一緒に『楽園』に戻れるまで、俺が傍にいる。もう、決して離れない。―――だから、迎えに着たんだ。俺と同じ“緋”い髪のウサギさん・・・俺の一番大切な―――ルビィ・・・。」

沈めていた“想い”を唇に乗せて、トキサダは唄うようにそう告げた。

すると、その声に反応するように、硬く閉じられたままだった瞳がフルフルと震えた。

零れ落ちたのは、透明な雫だった。

「・・・ごめんよ・・・離れて・・・これからは、ずっとルビィの傍にいるから・・・」

誓いのように呟いて、トキサダはルビィの耳にそっとキスをした。

今まで止まっていた鼓動が、物凄い勢いで身体全体に巡っていくように、青白かった頬に・・・身体に血の気が戻っていく。

全身が、ほんのりと桜色に染まっていくようだ。

同時に、ゆっくりと長く縁取られた睫が開いていくと、その奥に隠され続けていた《紅玉》の瞳が、現れた。

パチパチと二・三度瞬きをしたあとで、人形のような“眠り姫”は息を吹き返した。

そうして、その美しい赤い瞳が、トキサダを映し出して・・・見る見る内に透明に包まれた。

「―――っ・・・トキサダっっ！！」

ポロポロと零れ落ちる涙をそのままに、焦がれるように両腕を差し出してくる。

首に回された両手が、離れまいとするかのように強くて・・・トキサダは泣きたくなった。

「うん・・・。そうだよ・・・ルビィ・・・。」

「―――起きたら居ないから・・・何処にも居ないから・・・ビックリして・・・もう、二度と会えないと・・・そう言われたから・・・哀しくて・・・胸が苦しくて・・・息ができなくって・・・」

泣きじゃくりながら、ルビィが辛かった想いを吐き出す。

そんなルビィを抱き上げて両腕で包み込むように抱きしめると、トキサダはその髪や耳に何度も口付ける。

「・・・ごめん・・・ごめんよ。ルビィに会うのが・・・さよならを言われるのが辛くて・・・俺から離れてしまった。ルビィは『楽園』に帰ってしまうのに・・・一緒にいられないのだと・・・知ってしまったから・・・」

「―――いや・・・トキサダと離れるのはいやなの。・・・帰りたいけど・・・みんなと一緒に戻るのがずっと願いだったのに・・・トキサダがいないって思ったら・・・何も考えられなくて・・・」

「・・・ルビィ・・・ルビィ・・・」

「白い『世界』で待ってたら、またトキサダが来てくれると思ったから・・・助けてくれるって・・・会えるって・・・だから・・・だから・・・」

切ない声が、零れ落ちる。

小さな身体全身を震わせて、身を擦り付けてくるルビィを、トキサダは優しく抱き締める事しかできなくて・・・。

「―――ルビィ・・・。」

掠れる声が、耳に届く。

視線を向けると、ルビィの涙に触発されたように、マリンも泣いていた。

その身体を、マサトが優しく抱き寄せて慰めていたけれど・・・。

「・・・マリン・・・。ごめんね・・・ずっと、心配してくれてたの・・・理解ってた。でも、身体が言う事を利かなかったの。心が壊れちゃわないように、ずっと抱え込むしかなかったから・・・。どうしたら、この悲しみが消えるのか・・・全然理解らなくて。」

「うん。良いの・・・。サフィも・・・理解ってた。身体中の生命維持を放棄していたのに・・・耳だけは、ずっと生きてた。探していたんでしょう？どんな音の中からも、探せるように・・・トキサダを見つけられるように・・・。」

言いながら、マリンも透明な雫を溢す。

「理解るもの・・・その気持ち。今なら・・・マサト王子がいなくなったら・・・離れなきゃいけなくなったら・・・考えただけで、手足が冷たくなる・・・から・・・」

泣きながら、ギュッと傍のマサトにすがり付くマリンを、愛しげに見つめてマサトはその涙を唇で拭ってやった。

「『楽園』にいた時は、あそこだけが私たちの世界で、仲間と博士が全てだった。でも、私たちは、怖い思いをして連れ出されて・・・傷付いて・・・そうして、出会ってしまったから。大切な人を見つけてしまったから。もう、離れる事はできないの・・・」

「大切な人・・・？」

「そうよ。ずっと傍に居たい・・・その人が傍に居れば良い・・・そう思える相手。ルビィも、そう思ったんでしょう？」

そうマリンに言われて、ルビィはキラキラした瞳でトキサダを見つめる。

「―――うん。ボクはトキサダの傍に・・・ずっと居たいの。一緒にいないと、ここが苦しくて・・・とっても、“痛”い・・・の。」

胸を抑えて、吐息を吐き出す。

「ねぇ、トキサダは・・・ボクを大切だと、そう思ってくれる？一緒にいたいって・・・」

切ない瞳で、そう問い掛けられて・・・トキサダは我慢できなかった。

―――今なら、秘めた“想い”を曝け出しても、罪にならないと・・・ルビィに受け入れられるのだ・・・と、理解ったから。

「・・・出来る事なら『楽園』に帰したくない。ずっと、俺の傍に居て欲しい。それが、自分のエゴだと理解ってても―――もう、離したくない！」

吐き捨てるようにそう言うと、トキサダはルビィをきつく抱き締めた。

「・・・我慢なんか、もうしない。ルビィが俺を選んでくれるなら、俺は全てを敵に回したって―――大嫌いな争いの中に身を投じても・・・それが罪だといわれたら、俺は地獄に落ちたって構わないっ！」

溢れ出る激情のままに、トキサダは心情を暴露した。

大きく見開かれたルビィの瞳が、うっとりと細められる。

「うん・・・。・・・嬉しい・・・トキサダ・・・」

痛いほどの抱擁が、逆に離さないと態度で伝えてくれる。

全身に満たされていく、歓喜の“波動”。

激しくて・・・でも、優しくて暖かな「声」。

それは、白い世界で閉ざしていたルビィの心をあっという間に掬い上げた。

トキサダの背中に両手を回して抱きつきながら、ルビィは安心したように身を任せた。

真夜中・・・。

窓から差し込む月の明かりが、部屋を思った以上に明るく映し出す。

キングサイズのベッドの上で、トキサダは腕の中のルビィを愛しげに見遣った。

あれから、ルビィを抱えたまま神殿を出て・・・濡れてしまった服を着替えるついでに泳げそうな程巨大な浴槽で、身体を清めさせて貰った。

ルビィが離れるのを嫌がったので、一緒に入ったのだが・・・思った以上に白く滑らかな裸体はトキサダにとって眼の毒以外のなんでもなくて・・・。

自分たちは、いつも一緒に入っていると平然と言い切ったマサトに、何処で驚いて良いやら理解らなくて、ただ唖然としてしまった。

綺麗な身体に欲情しなかったと言ったら嘘になる。

それでも、純粋で無垢なルビィの心は、肉体的な繋がりを求めるには、まだ幼すぎる気がするから・・・。

―――大切にしたいのだ・・・本当に。

優しく・・・壊さないように、そっと想いを育んで。

身も心も繋げられる様に・・・いつか・・・。

それまで、自分の自制心が何処まで続くのかが、トキサダには大問題なのだが・・・。

『・・・早く“大人”になって・・・俺の可愛いウサギさん。』

ルビィの眠りを妨げないように、両手で抱え込むように体勢を変えると、トキサダは祈るようにそっと柔らかな唇に口付けを落とした。

それから、悪夢を見ないように“お呪”いのキスを、額へと・・・。

この先に、何が待っているのか全く想像も出来ない。

それでも、トキサダは構わないと思った。

腕の中の『存在』を―――大切な《紅玉》を護るためなら、これから先自分はどんな事でも出来ると、そう確信していたから。

不意に、ルビィがトキサダに擦り寄ってくる。

その変わらない無意識の仕草に、“緋”い瞳は、柔らかくなる。

そうして浮かぶのは、暫く忘れていた微笑。

感情のままに心を解放できる喜びに、トキサダは満たされていた。

今なら、思い浮かぶのは・・・幸せな《愛の歌》。

激しい《感情》の音も・・・切ない《心情》の音も・・・。

全てが昇華されて―――『魂』の旋律を生み出していく。

思わず、口から流れた旋律は・・・優しい響きとなって、ルビィの夢に届いた。

耳を擽るような・・・胸が温かくなるような・・・そんな《音》。

それが、誰の『声』なのか、ルビィは知っていた。

だから、身体全体を“耳”にして、それを受け止める。

全身に満たされていく―――。

―――降り積もっていく『音色』。

トキサダの腕の中に包み込まれて・・・暖かな胸に身をすり寄せて・・・ルビィは眠りながら幸せそうな笑みを浮かべていた。

　　　　
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