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幸福空間
幸せというものは、本当に些細な所から始まるのかもしれない。
腕の中で眠りについている小さな愛しい“存在”を見やってから、彼はそれをつくづくと実感していた。
思い起こせば・・・出会いは三年前の秋であった。
族同士の抗争の結果、転校せざるを得なかった先の学校で、二人は運命的な出会いをしたのだ。
他人を寄せつけずに一匹狼を気取っていた彼に対して、しつこいぐらいに付きまとってきた時は、煩わしいとしか思わなくて・・・。
それでも、誰もが避ける中で後をついてくる“存在”が気になって。
いじめられっ子だったので、後ろ楯が欲しいのかと問うた彼に向かって、涙で潤んだ真っ直ぐな瞳で返ってきた答え。
『・・・君のように強くなりたいんだ・・・』
それが、どれ程強く彼の意識を捕らえた台詞だったのかを、相手は知らない。
そうして、どれだけ彼の心を掴んだのかと言う事も。
その時からずっと、彼は腕の中の“存在”に参ってしまっているのだ。
横浜最強の族である『外道』の頭を張っている彼−鳴神秀人−を落としたのは、小さくて頼り無くて・・・でも強い意志を秘めた真っ直ぐな瞳を持つ浅川拓という少年であった。
尤も、最初はそんな気もなくて・・・『親友』としての位置づけのまま、また、今度は二人とも別々の所に転校する羽目になってしまったのだ。
やがて年月は立ち・・・二人が再会したのは、別々のチームの抗争中の事であった。
敵対する事となってしまった中で、拓は秀人の前に泣きそうな表情で立ち塞がっていた。
『―――ごめん・・・秀人くん・・・こんな形で再会するなんて・・・』
悲痛な声が耳に届いたが、殴りかかってくる事もなくただ突っ立っている拓に秀人はその訳を問う。
『・・・沢山の“友達”ができて、その“友達”の為にここにいるんだ・・・だから、この場所から逃げる事はしたくない。だけど・・・秀人くんを殴る事なんて、ボクにはできないっ！！』
泣きながらそう告げた拓の言葉に、秀人の腹は一瞬で決まった。
チームも抗争もライバルも何もかもが、意識から失われ・・・目の前の拓の姿しか頭になかった。
そうして次の瞬間、秀人の身体は動いた。
―――争いを止めさせる為に・・・。
泣きながらも、男を見せる拓の姿に、自分が教えた事を守っているのだと知って嬉しくて。
それに、秀人もまた、拓を殴る事などできる筈もなかったのだ。
『お前は、俺の大事な“ダチ”だ。だから、俺はチームと対立しても、お前を選ぶ。』
そう告げると、クルリと振り返って拓を庇う位置へと動いた。
『秀人くんっ！』
『こいつに指一本触れる奴は、この“外道”の秀人を敵に回すと思えっ！！』
驚いた拓の言葉に答えるように、そう秀人は咆哮を上げた。
それは、本心からの気持ち。
半端なものではなく・・・真剣な程の“想い”。
大切な・・・誰よりも大切な者の為に、秀人は統べてを敵に回しても構わないと思ったのだ。−あの時は。
そうして、全てのケリがついた時に、拓は秀人の腕の中にいた。
―――その時からずっと。―――今も・・・。
「・・・ん・・・」
腕の中で眠りについていた拓が、漸く眠りの国から目覚める。
閉じられていた瞼がフルフルと震え、やがてその中から黒耀石の瞳が顕れる。
二・三度瞬くと、拓は秀人が見つめている事に気付いて真っ赤になった。
「・・・おはよ・・・。」
布団で顔の半分を隠しながら、照れた顔のまま拓は小さな声でそう告げる。
そんな拓の仕種がとても可愛いくて、秀人は微笑を浮かべた。
「―――拓。」
そうして、甘く囁くと布団から出ている拓の額にそっと口付けた。
途端にボッと紅潮した拓が、両手で顔を覆って起き上がろうとする。
そんな拓の動作を見抜いていた秀人は、両手でその身体を押さえ込んでしまう。
「・・・秀人クン？！」
「逃がさない。」
困惑の声を出す拓に、秀人はきっぱりと告げる。
力で秀人に勝てる筈がないと知っている拓は、少しだけ困った表情を浮かべたが、そのまま秀人に腕の中でおとなしくしていた。
全身の力を抜いて、身を預けている拓に、秀人は表情には出さなかったが、感動していた。
“愛してる”なんて言葉は照れくさいし・・・気のきいた愛の言葉なんて歯痒過ぎて・・・ガラじゃない。
囁きを否定する訳ではないけれど、“想い”を伝える手段は、言葉じゃ物足りない。
言葉になんてできない程・・・言い表せない程に愛しい『相手』。
実際、ここまで捕らわれてしまうなんて、思いもしなかったのに。
今では、誰にも渡したくない程に、“独占欲”に支配されてしまっている。
それが、可笑しくて・・・だが、とても幸せなのだ。
裏切られたあの頃は、誰もが信じられなくて・・・戦いばかりで、いつも神経を張り巡らせていた。
苛立ちと焦りで、“独り”で居る事を望んでいた時には、こんな“安らぎ”が手に入るなんて思いもしなくて・・・。
尤も、同性にそういう感情を持つとは思いもしなかったが・・・今となっては、相手が拓で良かったと思う。
否、拓だからこそ、“安らぎ”と成りえたのかもしれない。
実際、離れていた間に、拓の周りには信じられない程の『強者』ばかりが集まって、拓の存在を求めていた。
そんな中で、拓が自分を選んでくれた事が、秀人は何よりも嬉しかったのだ。
たった一人の相手として、選ばれた事が、誇りであり・・・強い“自信”となる。
「・・・秀人くん・・・」
見つめてくる大きな瞳が、真っ直ぐに秀人の眼差しを捕らえる。
小さくて、愛しくて、目が離せない―――“存在”。
秀人がゆっくりと顔を近づけると、拓は赤い顔のままそっと瞼を閉じる。
少し震える顎を持ち上げて、拓の柔らかな唇に秀人はそっと触れるだけのキスをした。
唇から、頬へ・・・頬から・・・喉元へ、と。
ピクンと震えた拓は、だが秀人の行動を否定する事はない。
どんなに震えても、必死に身体の力を抜いて、秀人に全てを任せる。
そんな拓の様子がまた、いじらしくて、秀人はついつい止められなくなってしまうのだ。
愛しくて堪らなくて・・・全てが欲しくなる。
それが、泣かせてしまう行為になってしまう事を知っていながら・・・。
「―――拓・・・拓・・・。」
言葉にして囁くのは、名前だけ。
それ以上に、愛を伝える手段を持っているから。
肌を重ねて・・・全身で“想い”を伝える術を、言葉よりも重い『形』を知っているから・・・。
零れ落ちる涙はキスで受け止めて・・・溢れる吐息は指先に絡めて・・・二人でシーツの海に漂う。
二人の鼓動が、同じ時を刻んでいる事を感じられるように・・・。
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