＜第四章・後編＞

 

―――雨が降っていた。
天を覆う幾重にも張り巡らされた黒く厚い雲から、人々の嘆きのように雨は降り続けた。
既に世界は『魑魅魍魎』に支配され、生きている“ヒト”も明日を知れぬ身の上を嘆きながら、隠れるかのように身を寄せ合って過ごしていた。
殺戮と惨劇は、国中のあらゆる場所で起こっていた。
秩序も混沌の中に吸い込まれて、世界が破滅へと向かっていた―――。

神殿の奥深く・・・祭壇の上にタクは横たわっていた。
最後の言葉を口にした後、そのまま気を失ったタクは、深い眠りに付いていた。
前王であるナツオの『巫女』だったキヨミは、＜暗黒神＞の封印が解かれた反動を、その身に受けた為にタクの意識が飛んだのだと言った。
その意識が何時戻るのかは・・・誰にも判らなくて―――。
その身を護る筈の＜十宝＞でさえ、沈黙したままだった。
「・・・タクちゃん・・・」
そっと、声をかけるが、返事はない。
身体が消滅しなかっただけマシだよ―――と、マコトはマサトにそう告げた。
１００年前の内戦の時は、＜十宝＞同士の戦いの中で、＜神子＞が自らの『命』をかけて＜暗黒神＞の封印をかけ直したらしい。
そうして、＜神子＞を失った＜十宝＞の喪失感は凄まじく・・・その為に、＜神子＞は最後の『力』を、最後まで“ヒト”を護る為に戦った戦士の＜武器＞に与えた。
それが、ナツオの持っていた＜アール・スペシャル＞だったのだ―――と。
＜神子＞が選んだ相手なので、他の＜十宝＞も守護人も抵抗する事無く・・・ナツオを覇王と認め、内乱は収まったのだ。
それから１００年・・・ナツオが王座を退くまで、＜十宝＞の均衡は保たれていたのだが・・・。
「じゃあ・・・ナツオさんが王座を下りてワニブチに譲ったから、また＜十宝＞が内乱を起こしたのか・・・？」
呆然と口にしたマサトに、マコトは困ったように笑った。
「そうじゃない・・・上手く言えないけど・・・眠りに付いていた筈の＜十宝＞の意思が目覚めたのは・・・＜神子＞が生まれたからなんだ。正確には、＜神子＞の魂が転生して新しい肉体を持って現世に復活したから―――といった方が正しいか・・・。」
「・・・え？」
「―――世界が混沌に覆われる時、天は＜神子＞を遣わして、“ヒト”を導く・・・筈なんだけど・・・何故か何時も＜暗黒神＞に好かれるんだよ・・・」
更に困ったように、マコトは言葉を続けた。
「＜神子＞が誰よりも神様に愛されている存在だからかもしれないけど・・・その度に、＜暗黒神＞の眠りを解く鍵に＜十宝＞が使われるんだ。だから、神殿の祭壇の上に忽然と赤ん坊が現れた１８年前のあの時に、オレ達は、この結果をもっと早く考えるべきだったんだ。」
言いながら、マコトは遠くを見つめる。
その瞳は遥か彼方を見つめていた。
やりきれない想いが込められたその視線の先は・・・彼らが必死で培ってきた筈の王国の目も当てられない惨状で・・・。
その背中に、抑え込むような無言の怒りが見えた気がした。
「オレは・・・。」
マサトは唇を噛み締めた。
＜十宝＞と呼ばれる最強の＜武器＞を持ちながら・・・側にいながら・・・いつもいつも目の前で、タクを助ける事が出来なかった。
何か起こった後に、ああすれば良かったとか・・・こうすれば良かった―――と、後悔するばかりで・・・。
「・・・強くなりたい。もっと・・・もっと・・・。」
ギリッと噛み締めた途端、鉄錆の味がした。
「―――タクちゃんを護りたい・・・」
言いながら、涙が落ちた。
「・・・マサト・・・」
「・・・＜神子＞じゃなくても良いから・・・力なんかいらないから・・・笑ってくれるだけで良いから・・・一緒に・・・側にいたい・・・から・・・」
強く強く言い切ると、大きな手がゆっくりとマサトを引き寄せてその頭を撫でた。
「―――大丈夫。きっと、想いは通じる筈だから・・・」
ずっと憧れていた師匠の胸の中で、マサトの脳裏にはタクの姿しか見えていなかった。

空から降りしきる雨を睨むようにして、マサトは土砂降りの中に立っていた。
手には＜レッド・フォア＞を握り締めたまま・・・。
王宮の奥深くにある『聖殿』の中は、前と変らずに闇に支配されてはいない。
眠りに付いたタクの意識は、あの時から一度も目覚める事無く眠りに付いたままだ。
あの時、世界が闇に包まれた途端に、一番先に動いたのはマコトだった。
光を失ったタクの身体を抱えて、＜十宝＞の力を使う事無く、術を繰り出して・・・そこにいた全員をこの王宮へと瞬間移動させたのだ。
そうして、そこに居たナツオとマコトが会話した途端に、全てが崩壊して・・・結界を張っていた筈の＜ヨコハマ＞までも暗黒の渦の中に飲み込まれてしまった。
それから・・・一ヶ月。
世界が闇に染まったのと同時に、地中から一斉に這い出してきた魑魅魍魎の数は、今までの比ではなかった。
正しく、世界が＜暗黒神＞に支配されたと言っても過言ではないだろう。
王宮付きの騎士や魔導師や僧侶が民を護る為に必死でこの＜ヨコハマ＞を護っているが、
＜十宝＞を持ってしてやっと場を安定させているのだから、＜ヨコハマ＞以外の都市は全滅に近い打撃を与えられているだろう。
仲間が心配だ・・・と呟いてカマクラヘ戻ったヒザキからの連絡も途絶えたまま・・・。
ギリッとマサトは唇を噛み締めた。
自分は何も出来ないのだ―――。
何も・・・。
悔しくて悲しくて・・・心が破れそうだ。
全身ずぶ濡れになりながら、マサトは泣いた。
「・・・できないのか？俺は・・・何も・・・？じゃあ・・・何の為に、何で・・・。なぁ、神様！そこから、見てるんだろ？何で何にもしないんだよ・・・タクちゃん・・・＜神子＞は目ェ覚まさないし・・・トキサダが・・・＜暗黒神＞だって言うし・・・何で・・・何でなんだよぉ・・・」
泣きながら、マサトは空を仰ぎ見続ける。
「・・・＜神子＞だからじゃなくて・・・＜十宝＞の守護人だからじゃなくて・・・オレは・・・タクちゃんだから・・・だから、好きになったのに・・・。側にいたかったのに・・・。どうして・・・―――どうしてッッ！！」
＜レッド・フォア＞を抱えて慟哭する。
“想”いが弾ける。
アカデミーを卒業して、まだ半年も経っていないのだ。
トレジャーハンターになって、世界中の宝を手に入れようと、三人で誓ったあの日から・・・随分と道が違ってしまったような気がした。
「・・・何処で間違えたんだろう・・・」
泣きながら、マサトの瞳は真っ直ぐに天空を見据えていた。
グッと杖を握り直して、マサトは一歩を踏み出した。
もう一度、あの時間を取り戻す為に・・・。
自分が恋敵だと認めた相手の“想い”が本物だった―――と、確かめる為に。
それが、正しい方法じゃなくても・・・何もしないままタクを失うのは・・・それだけは嫌だから―――。

「・・・タクちゃん・・・オレさ・・・未熟者だし・・・何が正しくて何が間違っているかなんて難しいコト考えんの嫌いだから・・・だから、良いよね。このまま全てが終りに向かうって言うのなら・・・最後に、トキサダを殴りに言っても。―――ついでに、タクちゃんを一杯泣かせたヒデトって奴もぶん殴ってくるから・・・。」
＜レッド・フォア＞を掲げて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
それは、騎士の誓い。
＜十宝＞の守護人としてではなく、大好きな者を・・・誰よりも大切な者の為に囁かれた“想い”。
そっと祭壇に横たわっているタクの側に跪く。
「大好きだよ・・・一緒に、居られるだけで・・・幸せだったから・・・」
小さく告げると、マサトはそっとタクに口付けた。
ひんやりとしたタクの唇は、それでも想像していたとおりに柔らかくて。
「また―――ね。」
笑顔でそう言うと、マサトは＜レッド・フォア＞を持ち直す。
立ち上がった、マサトの顔は凛とした決意の込められた厳かなものだった。
神殿を出て、歩き出す。
向かう先は・・・遥か彼方の＜逢う魔ヶ森＞にあるだろう、＜暗黒神＞の住処。
そこが、自分にとって全ての力をかけて戦う相手のいる場所だから・・・。
―――もう振り返る事はない。
涙も見せない。
出会えた事を無にしない為に・・・。
好きになった事をもう二度と後悔しない為に―――。
マサトは、最後の一瞬までタクの為に戦う事を決めたのだった。

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「やれやれ・・・」
「だから、ガキだってンだよ・・・」
溜め息を零した隣で、苛付いた声が上がる。
一部始終を＜視＞ていたタイジュとヒザキだ。
「・・・どうするんだ？」
「あぁ？ほっとけよ・・・。」
タイジュの問いに、ヒザキはにべも無くそう告げた。
「また、心にも無い事を・・・」
眉を顰めてタイジュは、言い返す。
「じゃあ、どうしろってんだ？＜十宝＞の内、半分はあの『龍神』だか＜暗黒神＞だかよくわかんねぇトキサダの方に付いてて、オマケにこっちの切り札の＜神子＞は意識不明のまんまときてる。これで、“ニンゲン”が生き残る勝算があるってんなら、聞くがな。」
尤もな事を、ヒザキは苦く言い捨てる。
戻った＜カマクラ＞の悲惨な惨状を目の当たりにして・・・大事な部下や孤児たちを助けられなかった負い目が、ヒザキの胸を蝕んでいたのだ。
「―――」
タイジュも言葉を失って、押し黙る。
どんな言葉も口にするにはそれに対して責任を負わなければならない。
気休めにしかならない慰めは、空しいだけだから・・・。
「このまま、何もしないまま混沌に飲み込まれる為に、吾は長い時間＜デイトナ＞を護ってきた訳ではないのですが・・・」
言って、タイジュは“デイトナ”を見た。
万能の杖と呼ばれた自分の杖の『力』を、タイジュは全て引き出せない。
それは、以前＜神子＞であるタクが目の前で繰り広げた奇跡を、自分では行った事がないからだ。
“魂”の『輪廻』を弄るのは、神以外には行ってはならない―――そう、教えられてきたから。
だが、この瞬間・・・確かにここに自分が存在する事は、古より定められた事だったのだとしたら・・・？
タイジュは、見えない瞳で“デイトナ”を＜視＞た。
薄緑のオーラを纏った＜十宝＞は確かに、その力を解放する時を望んでいる。
「・・・では、こうしましょう。もし吾が＜神子＞の魂を目覚めさせる事が出来たなら・・・その時は、＜神子＞を連れて、マサト殿を追って下さい。」
そう言うと、タイジュは何かを決心したように、タクの横たわっている祭壇へと姿を飛ばした。
「おいっ！」
只ならぬ雰囲気に、慌ててヒザキが同じように近付こうとするが、いつの間にか大きく描かれた円陣の結界に邪魔をされて、外から見ているしか出来なかった。
「これは吾等『森の民』に古より伝わる『術』です。・・・が、余りにも巨大な力を使うので、術者の『命』を使わなければなりません。“デイトナ”の力を解放しますので、＜神子＞の意識が戻るまでは円陣に近付かないで下さい・・・。」
ヒザキに向かってそう言うと、タイジュは円陣の中央にある祭壇の上に寝ているタクの身体の上に、“デイトナ”をそっと置いた。
『―――『生命』を司る樹霊の神よ。太古より、地に根付き、敬愛なる大地の女神より『力』を分け与えられし万能の使いよ・・・彷徨える清らかな魂を・・・吾『生命』を代償とし・・・ここに眠る＜神子＞の身体に引き戻し給え・・・』
独特な印を結びながら、術を唱えていくタイジュの身体から、萌葱色の光が溢れ出し・・・“デイトナ”に吸い込まれていく。
その度に、タイジュの顔が苦痛に歪み・・・術を唱える声が震えていく。
目の前の儀式の物凄さに、ヒザキは動けなかった。
正しく、タイジュは命懸けでタクの意識を呼び戻そうとしているのだ。
『・・・汝の加護を・・・女神の慈悲を・・・この者に与えたまえ・・・』
最後の呪文と共に、グラリとタイジュの身体が傾く。
『・・・＜神子＞を・・・吾等の主神の愛児を・・・護り給え・・・！！』
祭壇に寄りかかるようにして、膝を付き、最後の力を振り絞って、タイジュはそう唱えた。
途端にタクの身体から凄まじいまでの閃光が飛び出し・・・神殿全体を覆い尽くした。
それは、暖かな光り。
生きとし生けるもの全てを慈しむ陽光のような柔らかくて懐かしい『光』だった。
その光りは神殿だけでなく、更に広がって＜ヨコハマ＞の街を覆っていた闇をも切り裂いていく。
突然の光りの渦に、我が物顔で闊歩していた『魑魅魍魎』たちが浄化されていく。
眩い閃光は、ゆっくりと光りの強さを鎮めていき・・・明るさに漸く慣れたヒザキの目の前で、奇跡が起きた。
今まで横たわっていたタクの右腕が、確かに“デイトナ”を掴んでいたのだ。
ヒザキの腰にある“ピンク・ルビー”も共鳴していた。
長い時間が通り過ぎたような感覚の中で、タクは静かに黒曜石の瞳を開けた。
途端に、その瞳から涙が零れ落ちる。
零れる涙をそのままに、タクは身体を起こすと傍らでうつ伏せていたタイジュを見つめた。
その身体を抱き込むように、腕に包む。
「・・・ありがとう・・・タイジュくん・・・もう、逃げないから・・・」
そう言うと、タクは“デイトナ”をタイジュに翳した。
すると、先程タイジュの身体から出た萌葱色の光りが、今度は“デイトナ”から溢れ出してタイジュの身体の中へと戻っていった。
暫くすると、意識を取り戻したタイジュが、大きく瞳を見開いた。
「・・・＜神子＞・・・？！吾は・・・何故・・・？」
命を捧げた筈なのに、生き残った事に驚きを隠せないタイジュに、タクは悲しい笑みを浮かべた。
「誰かを犠牲にする『力』なんて・・・そんなのは本当の『力』なんかじゃない。大丈夫・・・ボクを戻してくれたのは、皆の“想い”だから。」
そう言って、視線を少しだけ伏せる。
「・・・戦いたくなかったんだ。識ってしまったから・・・。―――皆、誰かを深く愛する事で傷付いたんだって事に・・・。でも、これ以上悲しい想いをさせない為に・・・歪みを正す為に・・・行かなくちゃいけないから。」
濡れた黒曜石が、キラリと光りを反射させた。
「―――これで、終りにしよう。」
顔を上げたタクは、もう泣いていなかった。

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＜逢う魔ヶ森＞の奥深く・・・。
連なる山峰の中腹に開いた魔界へと続く巨大な虎穴にも、変化は現れていた。
封印されたいた『龍神』の記憶の開放と共に、魔界より送られた負のエネルギーを使って造られた＜暗黒神＞を称える＜闇の神殿＞の中にいた＜十宝＞とその守護人たちは、眼前に広がっていく光りの渦を何処か冷めた目で見続けていた。
「・・・＜神子＞が『穢れ無き力』を発動させた。」
地上の魔の力が薄れていくのを感じながら、タケマルが呟く。
「もう少しで強大な『力』を手に入れられたものを・・・」
忌々しげに呟くのはクルスだ。
＜神子＞の真の覚醒と共に溢れ出た光りが、＜カナガワ帝国＞全土を浄化していくのは時間の問題だった。
「＜十宝＞の力を使って、“ヒト”を滅ぼしたら、どれ程天界が泡を食うのか見て見たかったなぁ・・・」
クツリと妖艶な笑みを浮かべながら、チフユが爪を弾く。
「―――『龍神』が＜暗黒神＞の『力』の開放の鍵であり、また＜神子＞が封印の役目を担う・・・それ程、『主神』というのはエゴイストな存在なのだ。創り損なった『土塊』である『魑魅魍魎』を、簡単に切り捨ててしまう程・・・。」
静かに言ったのはヤヒロだった。
＜十宝＞の守護人でありながら、最初に＜暗黒神＞の強大な『力』に魅入られた者だ。
全ての力を手に入れて、＜世界＞の覇王になるのが望みだった。
それは、過去の『亡霊』。
内乱を起こして、惨めに敗れ去った者たちの＜妄執＞。
それに取り付かれた一族の末裔。
惨めに討ち捨てられた一族の姿が脳裏から消えなくて、天界から追いやられた＜暗黒神＞の『力』を追い求めたのかもしれない。
それが、儚い“一夜の夢”であったとしても・・・。
彼等の背後には、巨大な龍の姿を取り戻したトキサダがいた。
原始の『龍神』。
精霊界の異端児であり・・・＜暗黒神＞の『神の力』の具現ともいえる存在。
『創世記』は必ずしも真実が書かれているのではなく・・・そこには後世の者が自分たちの都合の良いように書き換えた物語がある。
全ての封印が解けて、全ての記憶を取り戻したトキサダは、絶望の闇に囚われていた。

＜暗黒神＞となった神が真に望んだのは、＜万物の創造主＞である主神の『愛』。
“ヒト”に向けられるその愛情を、全て手に入れたかっただけなのに・・・。
だから、主神の慈しみを一身に受けている“ヒト”を無くせば、また昔のように自分にもにも慈愛に溢れた瞳を向けてくれるのではないか・・・と。
だが―――それは、許されざる行為として、罰せられた。
その考えが、歪んでいるなら―――愛されたいと願う事すら、罪だと言うのか？
魔王となった＜暗黒神＞が、最後に地上に落とした『力』は、長い間大地に転がっていた。
光から姿を隠すかのように珠となって、長い眠りに付いていた。
それを、呼び起こしたのは―――懐かしい匂いのする“ヒト”だった。
彼の意識が敬愛して止まない主神の慈愛を受けて地上に降りた『天の使い』。
＜神子＞と呼ばれた者は、主神から受けられなかった愛を、惜しみなくその『珠』に注いだ。
そうして・・・その愛が、神が最後に落とした涙を『龍神』へと生まれ変わらせたのだ。
『龍神』は＜神子＞の為に『神の力』を解放した。
その想いのままに、一心に恋焦がれた。
報われなかった主神への想いを昇華させようと・・・。
＜神子＞も『龍神』の“想い”に十分に応えた。
だが、悲劇の輪廻は嘲笑うかのように、＜神子＞の魂を“ヒト”への憎しみに変貌した＜暗黒神＞の封印へと定めた。
それが、調和をもたらす為に主神が与えた『使命』でもあるかのように・・・。
己が天界から与えられた『使命』と、『龍神』への愛の狭間で・・・＜神子＞の魂は真っ二つに引き裂かれた。
傷付いた魂は、長い時を掛けなければ癒されないと悟った主神は、＜神子＞の魂を救い上げて・・・『龍神』から取り上げた。
またしても渇望する“想い”を・・・“愛”を奪われた『龍神』は嘆きの余りに全てを滅ぼそうとして・・・＜破壊神＞となった。
『神の力』を持った『龍神』を、主神は天界からの一撃で捕らえ・・・地上にあった＜十宝＞の『力』の鎖でその記憶を封じ込めた。
やがて、転生するであろう＜神子＞の魂と共に・・・。
そうして・・・長い年月を経て、“ヒト”の心に歪みが生じ・・・世界が『混沌』に包まれた時・・・＜神子＞の魂は、転生した。
―――その魂が、“ヒト”への無償の愛でできている故に。
１００年前・・・奢った“ヒト”の魂は主神への敬愛の心を無くしてしまっていた。
そこに、＜魔王＞の負のオーラを受け入れたのだ。
弱まった信仰心の所為で、＜十宝＞すら負のエネルギーに捕らわれて・・・その『役目』を放棄してしまった。
そうしてやっと転生した＜神子＞の愛を求めた『龍神』は、その＜神子＞が自分を愛した記憶を無くしている事に、絶望した。
その瞳の中には、自分の姿が“ヒト”を滅ぼす為にいる『悪しき力』としてしか映っていなかったから・・・。
そうして、対峙した瞬間に、『龍神』は神の作った『理』を理解したのだ。
それは、『善悪の教え』。
歪みを生じた“ヒト”の魂に刻み込んだ―――均衡。
対極に位置するものとして、＜暗黒神＞を示し・・・“ヒト”が魂を穢す度に、神への敬愛を思い出させる為の・・・“戒”め。
それに気付いて・・・『龍神』は涙した。
自分に背いた神に・・・地に堕ちた＜暗黒神＞に・・・主神は救いの手を差し伸べることは決して無いのだ―――と。
再び、記憶を『封印』される直前、『龍神』は最後の力を振り絞って、『力』の欠片を解放した。
それは、ドラゴンとなり“ヒト”の世界とは別の場所へと飛び立った。
やがてそのドラゴンは仲間を増やし・・・精霊界の中で強大な力を持つ事になった。
その一族の中で、トキサダは生まれたのだ。
誰よりも濃く・・・『龍神』の力を受け継ぐ者として―――。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

「―――来たか・・・。」
最初に呟いたのは誰だったのか・・・。
玉座に座っていたヤヒロが、立ち上がる。
飛び込んできた光の道の上、＜神子＞と共に残りの＜十宝＞と守護人が立っていた。
「・・・これはこれは・・・お揃いで・・・」
揶揄するかのように、呟いたのはクルスだ。
「・・・これで、全ての＜十宝＞が揃った・・・」
“ブルー・フォア”を持って、ヤヒロは静かに言った。
その声は何処か虚ろ気だった。
タクは、悲しみに満ちた瞳を、ヤヒロへ向けた。
「どうして、こんな事を・・・貴方も・・・人間なのに・・・」
震える声で、真意を問う。
その問いに、ヤヒロは黙ったまま“ブルー・フォア”をタクに向けた。
途端に、黒い靄のようなものが“ブルー・フォア”から溢れ出し、タクに向かって触手を伸ばす。
「・・・タクちゃん、危ないっ！」
寸での処で、その触手を振り払ったのは、マサトだ。
ここに来る途中・・・目覚めたタクと共に後から光の道を作ってやってきた＜十宝＞たちと合流して、喜びを分かち合ったばかりだった。
“レッド・フォア”を持ち直して、ヤヒロと対峙する。
同時に、それぞれの＜十宝＞も対極に分かれた。

『・・・何時までも＜オンソク＞が上だとは言わせない・・・』
『この前は結界を破られたが・・・今度は止める。』
“ジェイソン”を構えたハルキ王が、タケマルの強烈な“インパルス”の一撃を受け止めた。
互いの力がぶつかった箇所で、業火が湧き上がった。
破壊神の異名を持つ第四騎士団の隊長であるタケマルの持つ“インパルス”は、何時の時も負の波動に侵されやすい。
その＜意思＞が、堕ちた神に属するものであったが故。
何故、主神がそのような＜十宝＞を地上へと遣したのかは―――長い間謎だったのだが・・・。

「また、射抜いてやろうか？」
「笑止。今度は、切る！」
笑いながらクルスの“イエロー・マッパ”から繰り出された黄金の矢を、射抜きの速さでリューヤの持つ“ニンジャ”が切り落としていく。
前の内戦後、それぞれの＜十宝＞は新しい守護人を選んだ。
＜神子＞の魂そのものを『封印』としなければならない程、己が間違いを犯してしまった事を嘆いて・・・。
その歪みがいつしか“イエロー・マッパ”に二面性を生み出した。
一つの身体の中に＜クルス＞と＜ナオミ＞という二つの人格が、現れた。
それは、一つの魂が分かれたもの。
天界に属する心と、負に惹きつけられる心として・・・。
そうして、己の間違いを正して、＜神の使い手＞となったナツオの元に跪いた“ニンジャ”とは対称的な存在となったのだ。

「何故・・・＜神子＞を護る＜十宝＞が争わなくてはならないのだ？それが、主神の意志ではないはず・・・」
「誰かに敷かれたレールの上を生きてくだけじゃ、美しくない・・・」
呟いたタイジュの “デイトナ”に、長い鞭が絡まる。
チフユが“ファット・ボーイ”で攻撃したからだ。
タイジュもチフユも同じ半妖だ。
自然の大気より生まれ出でる妖精ともまた違う種族なのだ。
人にも妖精にもなれないが・・・それ故に、両方の心を持つものとして、大地の恵みを受けているタイジュにとっては、チフユの考えは余りにも理解できない事だった。
「・・・それが、本当の姿ではない。醜い姿を隠しても、滲み出る醜さは消せない！」
強く言い切るタイジュの見えない視界には、負のオーラによってどす黒く変貌した魂の濁りが見えていた。
「―――ダマレッッ！！」
カットなったチフユの長い鞭が、生き物のように動いてタイジュに襲い掛かった。

そんな連中から、いつもの癖で一歩下がっていたヒザキは、横でユラリと動いた影に舌打ちした。
「やれやれ・・・そういや、もう一人いたんだな・・・」
＜暗黒の剣＞を抜いたヒデトが、そこにいた。
＜十宝＞の守護人でありながら、最初に標的にされた・・・＜神子＞に一番近かった『者』。
タクが、ずっと探し求めていた相手。
「―――テメエがもっとしっかりしてりゃ、こんな事には為らなかったんだ・・・。メンドクセェ、戦いも・・・あのチビが苦しむ事も・・・」
無言で振り翳された切っ先を、ヒザキは“ピンク・ルビー”で受け流した。
長剣と短剣では、短剣の方が分が悪い。
しかも、相手は腐っても正規の修行を積んだ騎士だ。
盗賊上がりのヒザキが相手をして勝てる勝算は少ない。
それでも、ヒザキは“ピンク・ルビー”を握り締めた。
最後にはばっくれるだけの体力を残す事は・・・既に考えていなかった。
脳裏に浮かんだのはただ一人の―――泣き顔。
「―――せめて一発ぐらい、殴らせろっっ！」
そう言って、ヒザキはきつく握り締めた左拳を突き出した。

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周りで＜十宝＞同士の戦いが始まっている。
動かない『龍神』に、タクはゆっくりと自分から近付いた。
その歩みに迷いは全く無い。
「―――トキサダ・・・くん・・・」
泣き笑いの表情で、タクは静かに声を掛けた。
ピクリと動いた『龍神』の銀の鱗がざわめく。
その“緋”い瞳が、タクの姿を捉えた。
途端に、『龍神』は拒絶―――した。
大きな牙をむき出して、タクが近付くのを牽制したのだ。
強い風圧にタクの身体がよろける。
足が竦んでしまう程の負のオーラが、『龍神』から吹き付ける。
挫けそうになる心を抱えて、タクは無意識に胸元へ手を当てた。
そこに確かにある物・・・。
それが、タクに勇気と力をくれる。
「・・・ボクは・・・戦う為に来たんじゃない。」
顔を上げて言うタクの瞳が煌く。
その姿が、神々しい光に包まれる。
「自分が＜神子＞だと分かって・・・ずっと不安だった。自分に何ができるんだろう・・・って思って・・・」
ゆっくりと、タクは“想い”を口にする。
「何をしたら良いんだろう―――って。」
そう言って、タクは真っ直ぐな瞳でトキサダを捕らえる。
その心に訴えかけるように言葉を捜す。
「・・・でも・・・それは間違ってた。」
零れ落ちた『詞』に、『龍神』を覆っていた負のオーラが薄れる。
そんな『龍神』の傍らへと進んだタクは、首からかけていた＜三鬼龍＞の護りを両手で持って外した。
そうして、それを『龍神』の首へと掛けなおしたのだ。
「―――トキサダくんが・・・教えてくれた。」
闇に穢れた身体を、小さな腕が包み込む。
そこから伝わる波動は、慈愛に満ちていて・・・『龍神』の全身が震えた。
「―――今度は・・・間違えない・・・絶対、忘れないから・・・ずっと、一緒にいるから・・・」
醜い姿の『龍神』に、タクはそっとキスをした。
途端に、眩い光が溢れ出して・・・『龍神』とタクの姿を覆い尽くした。
ゴオオオオオオオォォォォォ。
地鳴りと共に地面が揺れ動き、全てを地中に飲み込もうと裂けていく。
そこから負のオーラが黒い触手のように湧き出して、大地の全てを浚っていこうと揺らめく。
「・・・タクちゃんっっ！！」
ヤヒロとの死闘の中で、視線を向けたマサトは、悲鳴を上げた。
『魔界』の闇が、光の珠となった『龍神』とタクの姿を取り込もうとしていた。
「ハハハハハハ・・・全て『混沌』に飲み込まれるが良い・・・！！」
勝ち誇ったように笑うヤヒロの狂気に、マサトは唇を噛み締める。
「・・・神様・・・オレは全ての“ヒト”を救うなんてそんな『力』は無い・・・全てを統べる『力』を欲しいとも思わない・・・。それでも・・・もし・・・もしも、強い『力』があるのなら、愛する者を護りたい・・・タクちゃんを・・・護る『力』を与えてくれ・・・！！“レッド・フォア”！！」
それは、強い―――『願い』。
その“想”いに導かれるかのように、天界から伸びた至高の光が、真っ直ぐに“レッド・フォア”に注がれて、その『力』が解放された。
深紅の光の渦が“レッド・フォア”を伝って、マサトの全身に力を与える。
“レッド・フォア”の持っていた過去の記憶が、走馬灯のようにマサトの意識を巡っていった。
そうして、マサトもまた思い出す。
自分もまた、『創世の時代』に神々と共に戦った戦士だったと言う事に。
そうして、『龍神』と＜神子＞に与えられた悲しい『運命』も。
「無駄だ！！信仰心を忘れた“ヒト”に、救いなどあるものか・・・！」
言い捨てるヤヒロの身体を覆い尽くしていた“虚無”のオーラを、マサトは一閃で吹き飛ばした。
そうして、『魔界』に飲み込まれようとしていた光の元へと、飛び込む。
「・・・タクちゃん！！目を覚ませ！！―――諦めちゃ駄目だ！！世界の均衡を保つ為に、自分を犠牲にするなんて・・・そんなの今までの『運命』と一緒じゃないかっっ！！何の為に、神は二人の記憶を封印したまま転生させたと思うんだ？！・・・もう一度・・・やり直す為に・・・魂を浄化したんだよ！！」
叫びながら、一緒に堕ちていく。
心が、押し潰されそうだった。
それでも、マサトはタクへの“想い”故に、力を振り絞った。
「・・・間違えたなら、やり直せば良いんだ・・・最初から・・・幾度でも・・・何時の転生でも！！だって、タクちゃんは・・・＜神子＞は主神が与えた・・・＜暗黒神＞への“慈愛”であり《救い》なのだから・・・」
泣きながら、マサトは記憶の中に残っている『御詞』を祈りのように口にした。
その声が、闇の世界に響いた次の瞬間・・・『珠』は黄金の＜光渦＞となり、飲み込もうとしていた『魔界』の隅々まで照らし尽くした。
その瞬間―――『魔界』は消滅した。

『世界』に静寂が戻っていく。
＜十宝＞が“使命”を終えて、深い眠りに付こうとしていた。
歪みから生じた『魑魅魍魎』たちは、浄化の光によって『輪廻』の中に戻された。
やがて、新しい魂となって、地上に生まれてくるに違いない。
次々と天界へ還っていく光を見ながら、マサトは＜逢う魔ヶ森＞と呼ばれていた森の中で、立ち尽くしていた。
裂けた大地は、まるで何事もなかったかのように元の姿を取り戻していた。
意思を失った＜十宝＞の側に、死闘を繰り広げたそれぞれの守護人が倒れている。
＜暗黒剣＞を持っていたヒデトは、ヒザキとの戦いの最中に、飛び込んできた“シルバー・ホワイト”によって身体を貫かれた。
そのまま消滅しなかったのは、その魂が完全に滅んではいなかったからだろう。
「う・・・」
短く呻いて、最初に気付いたのはヒザキだ。
次いで他の者たちが次々と、意識を取り戻す。
負のオーラに取り込まれていた守護人たちは、まるで憑き物が落ちたかのように、それまでの記憶をすっぱり無くしていた。
そんな光景を気にする事無く、マサトは立っていた。
“レッド・フォア”からの波動はもう感じられない。
あれ程、全身に漲っていた力も、今は感じられなくて・・・。
清廉な空気を纏った風を身に受けて・・・マサトは大地の気を感じていた。
ゆっくりと、その気配を追いかける。
忘れる筈も・・・見失う筈も―――決して、無い。
『闇の神殿』があった場所に、忽然と現れた・・・それ。
天界まで届くかと思われるな巨大樹の太い幹が光っていた。
「・・・『世界樹』・・・。」
小さく呟いて、マサトはそこに歩み寄った。
そうして・・・視線を止めて、静かに涙を流した。
次から次へと溢れ出る涙が、マサトの頬を伝って大地へと吸い込まれていく。
視線を止めたマサトの前には、柔らかな光の中に寄り添うように蹲る、トキサダとタクの姿があった。
あぁ・・・。
深い息を、吐き出す。
―――“赦”されたのだ・・・。
愛するが故に、歪みを生じ続け、絶望を生み出してしまった『運命』という名の“輪廻”の巡りを・・・悲劇を、主神は止めてくれたのだ・・・と。
「・・・タクちゃん・・・起きて・・・」
マサトは、呼び掛けた。
彼が一番大事な・・・大切な“名前”を。
護り通せた愛すべき者の名を、“想い”を込めて―――。
その声に反応するかのように、タクはゆっくりと目を覚ました。
震えた睫毛の奥に、黒曜石の瞳が現れる。
光が反射して、それは地上で一番綺麗な“宝石”に見えた。
目を覚ましたタクは、傍らにトキサダがいて・・・その姿が自分の知るものだと理解って、とても幸せそうに微笑った。
それは、至福の微笑みだった。
そうして、差し出したマサトの手をしっかりと掴んだ。
「・・・ありがとう・・・。もう少しで、ボクはまた間違えるトコだった・・・。」
小さく『告白』する。
そんなタクに、マサトは大きく首を横に振った。
そうして、ギュッとタクの身体を抱き締めた。
失わずに済んだ―――愛しい者を。
涙が、止まらなかった。
とめど無く溢れ出る“想い”が、きらきらと辺りに飛び散る。

『・・・ずっと・・・ずっと、一緒にいようね・・・』
寄せては返す波の調べのように・・・マサトは己の魂に刻まれていた“誓い”を口にした。
それは、天界から＜神子＞を慕って付いてきた“レッド・フォア”の想い。
＜・・・誰を選んでも良いから・・・“ヒト”に慈愛を注いでも構わないから・・・だから側にいて・・・笑顔を魅せて・・・＞
それは、無償の愛。
見返りを求める事無く、純粋に生まれた『感情』。
清らかな―――“思慕”。
ささやかな―――『願い』は、やっと叶えられた。
「―――もう、何処にもいかない・・・から。」
そっと囁くタクの優しい声に、マサトは漸く全てが終わったのだ―――と確信した。

やがて、気付いたトキサダも光の中からゆっくりと身を起こした。
その胸には、タクが掛けた＜三鬼龍＞の護りが揺れていた。
「・・・トキサダくん・・・」
気付いたタクが、嬉しそうに手を差し伸べる。
オズオズと、トキサダはその手を取った。
暖かな温もりが、トキサダの身体を包み込む。
「側に居ても・・・良いのか？穢れ・・・ないのか？」
小さく問うトキサダの言葉に、タクは黙って微笑った。
「―――もう一度、最初から・・・。ううん、一緒に過ごした時間を忘れたくないから・・・悲しみも苦しみも痛みもあって良いんだ。それも全部“愛”の形だから。・・・全部ひっくるめて・・・それでも一緒にいたいから。」
そうして、一言一言慎重に言葉を紡ぎだしていく。
「タクちゃん・・・」
「＜神子＞も・・・前世の時も・・・ずっと・・ずっと・・・ボクは、トキサダくんを探していたんだ・・・。主である絶対神の愛情を渇望して・・・その想いの深さ故に歪みを生じて天界より堕ちた神の嘆きを、知っていたから・・・」
真っ直ぐに見つめる瞳が、トキサダを写す。
それは、まだ＜暗黒神＞になる前の神の姿。
神々の羨望を一身に集めていた、主神に次ぐ至高の輝き。
いつから、自分は愛されていないと・・・そんな愚かな想いに捕らわれてしまったのか。
―――魂が、震えた。
「・・・森羅万象・・・生ある全ての愛し児を・・・『主』は平等に“想”っているから・・・。それを、伝えたかったんだ・・・」
響くような＜声＞が、脳裏の中の主の姿を呼び起こし・・・懐かしく優しい波動がトキサダの心を満たした。
凍り付いて、寒さに震えていた『感情』が、揺り動かされる。

『―――望めば、神の加護は絶えず魂と共にある・・・。』
そんな、当たり前の事を・・・余りにも当たり前過ぎて・・・忘却の彼方へ置き忘れてしまったというのか・・・。
「・・・『主』よ・・・」
トキサダは、天を仰いで『涙』する。
天を見上げて涙を零すトキサダの姿を、『主』は祝福するかのように陽光で照らし出していた――――。

　


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