＜第三章・前編＞

 

何処までも続く花と緑の光景。
草原を風が渡っていく。
横浜を出て２日目。
タク達はヨコハマの西地区に広がる＜大草原地帯＞へと足を踏み入れていた。
そこは四季によって色彩が変化するという非常に珍しい場所でもある。
一説によると、＜カナガワ帝国＞の未開の地に匹敵する『謎』が隠されているという噂もあるのだが・・・。
春は花の絨毯。
夏は翠の絨毯。
秋は黄金の絨毯。
冬は白銀の絨毯。
季節毎に彩りを変える大地は、他の場所よりも自然に酷く敏感であり、精霊達の棲家とも言われ、畏敬の念を込めてこうも呼ばれている。
＜瞑想の大地＞―――と。

「うわぁ！」
初めて見る花や緑の洪水に、タクは感嘆の声を上げる。
地平線の果てまで続いているような初夏の“大地”は、見る者を圧倒させる何かがあった。
「草原ですか・・・。」
「嫌な場所だな。」
ぼそぼそと呟く連れのメンバーの言葉に、タクは疑問符を浮かべたままの表情で振り返った。
髪を擽る風に、悪意は全く感じられないのだ。
それなのに、深刻な顔をしている理由が掴めなくて。
「―――敵に襲われた時に、逃げ場がねぇ。」
「・・・身を隠す場所も無ければ、攻撃を避ける盾となるべき物が何も無いという事です。」
仏頂面で言うヒザキの言葉に、タイジュが付け足す。
そうして、初めてその事に気付いたタクも表情を曇らせた。
確かに、これだけ見晴らしが良い場所で魔物に襲われでもしたら、大変な事だ。
「そっか・・・。」
「んー、でも、仕方ないじゃん！このルートが一番近道なんだから。ガンガン行っちゃおうっ！！」
新しく手に入れた羊皮紙の地図を広げて見ていたマサトが顔を上げて笑う。
「取り敢えず、＜十宝＞の内の３本がこの先の湘南地区にあるんだから、その連中とも話さなきゃ駄目だろ。怖気付いたんなら、さっさと自分のウチに帰れば？！」
挑戦的なその物言いに、ヒザキとタイジュの表情が変る。
「テメー、ケンカ売ってんのか？！」
「俺は＜神子＞に仕える為にここに居る。＜神子＞をなるべく危険に晒したくないので、口にしたまでの事。」
いきり立つヒザキと対象に、タイジュは静かにそう告げた。
何だか、一触即発なその雰囲気に、タクは気が気ではなくなってしまう。
人数が増えたのは心強いが、どうにも我が強い者ばかりなので、何かある毎にこうやってぶつかってしまうのだ。
「あ・・・あの・・・」
仲良くして欲しいと、タクは思っているのだが・・・。
『何処から敵が来るのか理解るから、良い。』
風に身を任せていたトキサダが小さく呟いた。
『この地はまだそんなに汚れていない。大気が精霊の力で満ちている。』
ゆったりと唄うように言うトキサダは、風と遊んでいるようだ。
逆立った銀の髪が、ゆらゆらと風に吹かれて波を打つ。
「ま、それも陽光がある間だけだ。闇が支配する前に、次の町へ行かないと。それを考えると、やっぱここを通るのが一番近いんだよね。」
「ふん！好きにしろ。」
「どうしますか、＜神子＞？」
皆の視線が一斉に集まって、拓はドキッとした。
「え？・・・えーと・・・行こう。」
逡巡の後、タクはそう答えていた。
それが、何よりの鶴の一声だから、反対する者は勿論いない。
途端に動き出す一行を、草原の風が笑いながら招き入れた。

暖かな陽射しと少し強い風は緑の香りがした。
それは、リラックスするのに最適な空間だった。
旅人が疲れを癒す宿のよりも、旅を続けながら体力が回復しているような、そんな効果があるようだった。
緑の絨毯の上を歩いている感覚が、休息の魔法を掛けて貰っているようで・・・。
それ程疲れる事も無く、危惧していた魔物に出会う事もなく、彼等は目的の町まで辿り着こうとしていた。
草原の中にある、小さな町。
辺境の地にある割には、屈強な造りではないのは、ここが護られた大地だからでもある。
遠くに町の姿が見えてきて、漸く休めるとホッとしたタク達だったが、近付くにつれて嫌な予感に襲われた。
特にタクは、何か目に見えない壁に押し戻されるような感覚を覚えて、立ち止まってしまう。
「―――タクちゃん？！」
タクの変化に気付いたマサトが問い掛ける。
だが、タクの意識を捉えていたのは、耳元で囁く警告の声だけだ。
ずっと優しい気を伝えていた風が、旋風となって駆け抜けた。
『風が変った。』
タクを襲おうとした突風を、トキサダが腕を振り払って消し去る。
「いえ、大地は拒否しているのではなく、＜神子＞を護ろうとしています。あの町に近付いてはいけない―――と。」
“ディトナ”を掲げて大気の声を聞いていたタイジュが、そう告げた。
「ヤベェぞ。嫌な匂いがプンプンしやがる。死人・・・か？」
ヒザキが、鼻を鳴らして顔を顰めた。
半獣人の彼等の言葉に、タクはビクッと全身を震わせた。
「―――あっ・・・」
光景が目の前に飛んでくる。
見えない筈の＜残留思念＞がタクを捉えたのだ。
ありえない映像。
―――信じられない・・・イメージ。
漠然としたものの筈なのに、それはタクに絶望を与えた。
「嘘だ・・・そんな・・・」
ガクガクと膝が震える。
『―――タクちゃんっ！！』
慌てて腕を差し出したトキサダにしがみ付きながら、タクは大きく頭を振る。
「―――ヒデトくん・・・が・・・」
呟きと共に零れ落ちた涙が、大地に吸い込まれた途端、カクリとタクの意識は途切れた。

「タクちゃん？！」
「＜神子＞！！」
驚いて駆け寄る彼等の誰も、タクの溢した涙の理由は理解らなかった・・・。

闇の中をタクは必死に走っていた。
息が上がり、足が縺れる。
―――逃げているのだ。
タクを追ってくるのは＜恐怖＞だった。
『悪夢』かもしれない。
信じられないし・・・信じたくも無い。」
絶対にありえない筈の光景。
だが、目に焼きついて、脳裏から離れない惨状。
暗黒の剣を頭上に翳して。
【魑魅魍魎】共が町の者達を襲うのを見ていた者。
―――指揮していたその姿。
それは紛れも無く・・・ヒデトだった。

嘘だ嘘だ嘘だ―――っっ！！
悲鳴がタクの口から飛び出す。
優しくて強くてカッコ良いヒデトが、そんな事をする筈が無いと、タクは断言できる。
なのに・・・。

“―――それが、ヒデトである事もタクは識っているのだ。”
だからこそ、葛藤の狭間でタクの心が張り裂けそうだった。
ヒデトがそんな酷い事をしたなんて信じられなくて・・・。
その反面、生きていた事を嬉しく思う心が―――あって。

しかし、＜神子＞であるタクは、それを受け入れる訳にはいかない。
だから、魂が悲鳴を上げていた。
意識を失ってしまう程、精神を使い果たしてしまったのだった。

タクが意識を失ったのは、実際にはほんの数分の事だった。
ふと目を開けると、そこは意識を失う前と変らず・・・ただ心配そうな顔をした仲間がいただけで・・・。
「・・・あ・・・ボ・・・ボク・・・」
慌てて支えてくれていたトキサダの腕から身体を起こす。
耳障りな音はすっかり止んでいた。
「大丈夫？！」
不安そうに尋ねてくるマサトに、タクは瞳を向けた。
一瞬の躊躇。
言葉を紡ごうとして、声が出なかった。
―――体験した『映像』が余りにも衝撃的だったので、何と説明すれば良いのかも理解らなくて。
「―――うん。」
だから、タクは言葉を濁した。
どんなに残像が訴えようとも、＜真実＞は自分の目で確かめなければ信じられない。
間違った情報は、自分の気持ちを弱くするだけだから。
タクは大きく深呼吸した。
「・・・大丈夫。」
今度はちゃんと笑ってそう、告げた。

「んで、どうすんだ？」
少し離れた場所で周りを伺っていたヒザキが、声を掛ける。
大地の声はもう聞こえないし、タクを引き止める壁も消えている。
その地で何が行われたのか、タクは既に“視”てしまったのだが・・・それでも、避けて通れる道ではない。
戦うとは・・・そう言う事だ。
敵とは―――。
だからこそ、タクは護る事を選んだのだ。
これ以上、犠牲が増える事を止める為にも、タクは先に進まなければならなかった。
『タクちゃん・・・』
トキサダが、眉を顰める。
哀し気な表情はタクを気遣ってのものだろう。
「―――このまま町に行っても、旅に必要な物は・・・多分・・・手に入らないと思う。」
「そっか。・・・じゃあ迂回して行った方が良いね。少し回り道になるかもしれないけど、平地で夜を過ごすぐらいなら、岩場で洞窟とかを見付けて休んだ方が良い。」
「そうだな・・・あの町の中心部には大地のオーラが感じられない。まるで、何かに町ごと抉られたような感じだ。」
不思議な虹彩の瞳を細めて、タイジュがそう答える。
「移動すんなら、早くするんだな。あっちの方から、“悪意”がビリビリ感じてきやがる。」
ヒザキが指を差すのは、町の中央だ。
トキサダも項の毛を逆立てて、威嚇している。
タクに至っては、気持ちが悪くなるに充分な＜悪意＞の塊に感じられた。
『行くよ、タクちゃん・・・』
「―――え？！」
ガバッとタクを抱え上げると、トキサダは飛翔した。
「あ、待てよ！」
マサトが慌てて呪文を唱えながら走り出す。
その動きに、タイジュとヒザキも同調した。
一刻も早くこの場所から離れる。
―――それが、彼等が選んだ答えだった。

尋常ではない速さで＜大地＞を駆け抜けた彼等は、岩肌が夕日に染まる山岳地帯までやってきた。
「ええと・・・この辺に・・・。」
旅の必需品である地図を頼りに、マサトが現在地を確認する。
そうして、自分達が何処にいるのかを確認して、顔を顰めた。
「―――あちゃ・・・。」
「・・・マー坊くん？」
額に手を当てて、困った顔をするマサトに、漸くトキサダに解放してもらったタクが近付く。
「ここ・・・＜風の谷＞だ。」
「風の谷？！」
「そ。―――王宮付きの精霊使い達が卸しきれなかった＜風神＞と＜雷神＞のいる―――。」
と、マサトが説明した途端に、物凄い突風が吹き抜けた。
「―――いた、らしいね。」
にっこり笑って、頷くマサトも相当煮詰まっているのかもしれない。
笑顔がとっても恐いのだ。
「あ・・・あの・・・できれば、穏便に・・・」
突風から庇ってくれたトキサダの腕の中で、タクは困ったようにそう言った。
『オウオウ、テメー等！ココがドコだか理解って来たんだろーなッ！』
威圧的な口調と共に、風の渦が集まり、強面の漢が現れる。
そこら中で渦を伴っているのを見ると、恐らく『風神』なのだろう。
物凄く、粗暴の悪そうな風体ではあるが・・・。
＜・・・なんで、精霊なのにサングラス掛けてんの・・・？！＞
クラクラしながらタクは溜め息を吐いた。
周りの連中は完全に臨戦態勢に入っているし・・・何を言っても無駄だろうとは思って声を出すのを諦めたのだが―――。
『・・・“精霊使い”のニオイがプンプンしやがるナ。』
突然の名指しに、心臓が跳ねる。
アワアワと周りを見ると、トキサダがズッと前に出てタクを隠した。
『オレの“契約者”だ。ジロジロ見るな。』
更に居丈高に告げるトキサダに、相手のオーラの色が燃え上がる。
『あぁ？ケンカ売ってんのか？！ワレェ！！』
竜巻が起こる。
だが、その風がトキサダに触れる事は無い。
勿論、タクにもだ。
他の連中は、舞い上がる土埃に顔を顰めていたりするのだが・・・。
「バカヤロ！！相手を態々挑発すんな！！」
ヒザキが眉を顰めて悪態を付く。
マサトは“レッド・フォア”を前に突き立てて、印を結ぶ。
同じようにタイジュも“ディトナ”を使って、防御の盾を張り巡らせた。
そんな彼等の様子に、『風神』は益々攻撃の勢いを強めた。
「・・・流石、＜神＞クラスの精霊だな・・・」
「これじゃ、王宮付きの大魔導師が卸せなかったのも仕方ないかもね。」
「んな、悠長な事言ってる場合かよ？！」
タイジュとマサトがのんびりした口調で話しているのを、ヒザキが突っ込む。
「―――トキサダ・・・くん・・・？」
タクは自分を護っているトキサダを見た。
それから、『風神』を見る。
同じ精霊で、本当にトキサダが＜神＞クラスと言われるドラゴン族だと言うならば、力は互角かもしれない。
だが、トキサダに戦って欲しいとは、タクはどうしても言えなかった。
何だか言ってはいけない気がしたのだ。
『んな、レベルの低そうなチビに仕えてる“ヤツ”なんかが、デケェ口叩くんじゃねぇ！！』
防御一点張りで、攻撃を返さないトキサダを見ながら、『風神』は勝ち誇ったように嘲りの言葉を投げ付けた。
途端に、タクの身体がビクリと震える。
トキサダの身体を覆っていたオーラの色が、“深紅”に輝いたからだ。
その輝きに反応するかのように、タクの全身が熱くなっていく。
「・・・あ・・・」
ダイレクトに、トキサダの“怒り”が感じ取れた。
―――それは、激しい灼熱の＜塊＞。
マグマの焔。
「―――駄目っ！！殺さないでっ！！・・・トキサダくんっ！！」
刹那、タクは叫んでいた。
時間にすれば、本当に瞬きの間だろう。
それでも、それは確かに間に合ったのだ。
「・・・・・・」
時が止まった。
全員の視線が、信じられない光景を焼き付けた。
緋い閃光が走った途端、『風神』のサングラスが吹き飛んだのだ。
そうして、その額から流れる“翠の血”。
何事が起こったのか理解できなかったのは、『風神』一緒だった。
まさか、一撃で自分を傷付ける事のできる者がいるとは思ってもいなかったのだ。
『―――タクちゃんが止めなきゃ、オマエ消滅してたな。』
しれっと言い切ったトキサダは、口角を持ち上げて人の悪い笑みを浮かべた。
どんな攻撃が繰り出されたのか理解らない程の速さだったのだ。
タクが止められたのも、奇跡だと言っても過言ではない。
『・・・オレの負けだ。―――好きにしろ。』
黙ったままだった『風神』が、腕組みをしたままどっかりと座り込む。
『テメー、強ぇーな。まさか“精霊使い”に仕えてるヤツで俺を倒せるヤツがいるとは思わなかったゾ。ナマエは何てーんだ？』
『―――ドラゴン族のトキサダ。』
すっかり口調を変えて言う『風神』に、トキサダも満更でも無さそうに答えている。
途端に、『風神』の顔付きが変わる。
それも、青褪める―――という感じだ。
『―――トキサダ？！オメーがあの？！オイオイ、何だってテメーが“精霊使い”なんかと一緒に居んだよ？突然消えちまったと思ったら、ズイブン変っちまって・・・ホントにオマエがあの“龍神”なのか？』
ジロジロと見る『風神』の言葉に、タクの方が驚く。
こんな場所でトキサダの知り合いに出会うとは思わなかったのだ。
『“龍神”？何の事だ？！オレはドラゴン族の・・・』
『あぁ？いくら寝ぼすけでも幼馴染みの面忘れるなんざヒデェな。オレとキヨシとオマエの三人で、よくつるんで遊んだじゃねーかよ！！オマエがトキサダって言うんなら間違いねぇだろ？それとも、その“精霊使い”がナニかしたんじゃねーだろうなぁ・・・』
ギトッと睨み付けられて、タクたブンブンと首を横に振る。
「―――そんな！？何かされたっていうのの間違・・・・」
慌てて、自分の口を塞ぐ。
首まで真っ赤になっているタクを見て、『風神』はハーーァと深い溜め息を付いた。
『また、テメエの悪い癖が出たな。昔っから、一目惚れしちゃあチョッカイ掛けて・・・いい加減、“ニンゲン”にか係わんの止せってっ！！そうしちゃあ、のめり込んで後で落ち込むんだからよぉ。』
「昔っからって、オマエ、タクちゃん以外にもいたんじゃねーか！！この浮気者っ！！」
「あ・・・あの・・・マー坊・・くん？」
突如トキサダに食って掛かるマサトに、タクの目が点になる。
『―――ちょっと、待て。オレは・・・』
「じゃあ、俺がタクちゃんにアタックしたって全然問題無いじゃんかよ。何がタクちゃんとオレは固い絆で結ばれているだぁ？！今からでも遅くないから、こいつと一緒に行っちまえよ！！」
『ああ？！何で一々、オマエに言われないといけないんだ？』
「これからは俺がタクちゃん護っから。」
「―――ちょっと、待て。＜神子＞を護るのは＜守護人＞である俺も同じ。マサト殿の言葉は聞き捨てなりません。」
「どうでも、良いからさっさとこの後どうするか決めろ！！」
ギャイギャイ言い争いを始める連中に、タクは思いっきり脱力した。
先程までの緊張感は一体ドコへ消えてしまったのか・・・。
―――何だか、眩暈まで起きそうである。
『・・・ハァ・・・』
溜め息はタクの口ではなく『風神』の口から漏れた。
不思議そうにタクは『風神』を見た。
「・・・傷・・・痛むの？」
そっと手を翳すと、タクは覚えている“治癒”の魔法で『風神』の傷の手当をする。
「・・・完全に治す事は出来ないけど・・・応急処置ぐらいには・・・」
『変なヤツだな・・・オマエ・・・。』
言われて、苦笑する。
『あぁ。“ニンゲン”にこんな風に触られるのは久しぶりだ・・・。―――この手。』　
タクの手を取って、何かを考え込んだ『風神』は突然驚いた顔をする。
『ひょっとして・・・オメー・・・アカデミーにいた・・・“チビスケ”か？！』
「え？！」
『覚えてねっかよ？俺だよ！ヒロシだよ！！』
「・・・ヒロシちゃんって・・・昔遊んでくれたお兄ちゃん？え？！でも・・・」
＜・・・全然、違うんですけどぉ・・・＞
記憶に浮かんだのは、優しい面影だ。
ずっとアカデミー育ちのタクにとって、友達というのは殆ど居らず、いつも一人でいたのだが、ある日突然現れたその者が一緒に何度か遊んでくれた記憶が残っている。
確かに名はヒロシなのだが・・・。
こんな強面の『風神』が同一人物だとは信じられないタクだった。
『そっかぁ・・・あのチビスケが“精霊”使いになってるなんてなぁ。―――って、懐かしがってん場合じゃねぇ！！＜神子＞だとか言ってたけど、ホントかよ？！』
「え？！・・・う・・・うん・・・多分・・・・・・」
小さく答える。
自分が＜神子＞だと自信を持って言える程、タクは自分を理解していなかった。
途端に眉を寄せて、辛そうな顔をする『風神』にタクは驚く。
『そっか・・・。』
呟いて、『風神』は胸に掛けていた勾玉の飾りを外すと、それをタクに手渡した。
「・・・これは・・・？」
『ああ。この先で相棒がお前達の前に立ち塞がるさろうから、御守りみてーなもんだ。あの馬鹿野郎、ちょっと今ヤベー状態だから・・・。』
沈んだ声で言う『風神』に、タクは何だか胸が痛んだ。
「・・・どうしたの？」
『―――妖術使いに操られちまって・・・人の意見も聞きやしねぇ。』
憮然と答える『風神』に、タクはゾクリと背筋を震わせた。
他人を平気で操れる者が存在するのだ。
不意に蘇ったのは、殺戮を繰り返す魑魅魍魎と・・・。
ブンブンとタクは首を大きく横に振った。
引き込まれてはならない―――心のどこかが壊れそうな想いを押し込めて、タクは貰った勾玉を握り締めた。
「これ、大事に持っているね。」
『ああ。頼むな。』
笑ってタクがそう告げると、『風神』は照れ臭そうにそう告げた。
途端に浮かんだ苦笑は、確かに昔の“ヒロシお兄ちゃん”と同じ顔だ。
「うん。分かった。」
言外に含まれる＜真意＞を捉えて、タクは真っ直ぐな瞳を向けてしっかりと頷いた。
「コホンッ！」
小さな咳払いに振り返ると、いつの間にか言い争いを止めていた仲間が回りに集まっている。
何だかタクと『風神』の会話を邪魔してはいけない雰囲気に声を掛けられなかっただけなのだが・・・。
『浮気したら・・・泣くぞ。』
縋り付くように言うトキサダに、タクは困ったように笑う。
『やれやれ、あのトキサダが、形無しだな・・・』
『風神』も口端を持ち上げた。
『今夜はオレのトコにくれば良いぜ。チビスケとトキサダの仲間なら、オレのダチだ。但し、大した持て成しはできねぇがな。』
「何で、アンタもタクちゃん知ってんだ？！タクちゃんが＜神子＞だからか？」
マサトが納得できないと口を尖らせる。
ここにきて、＜十宝＞の＜守護人＞以外にもライバルが現れるとは思っても見なかったのだ。
それ程、＜神子＞というのは出会う者全てを魅了してしまうのか・・・と。
『あぁ？んなの、カンケーねぇべ！こいつは兄弟分みたいなもんだし・・・チビスケは、オレの最初の“ニンゲン”のダチだ。』
「うん。昔・・・まだボクが小さかった頃、一緒に遊んでくれた“ヒロシお兄ちゃん”なんだ。まさか、『風神』だったなんて夢にも思ってなかったけど・・・」
言い切る『風神』に、タクも微笑う。
その笑みが余りにも柔らかかったので、マサトはますますムーと口を曲げた。
つまり、＜神子＞など関係なくても、ライバルは多いのか・・・と。
何とも前途多難な恋である。
まぁ、それで諦められる程、やわい“想い”でもなかったりするのだが。
「ふーーん・・・。宜しく“ヒロシお兄ちゃん”。」
『でも、タクちゃんはオレのだかんな。』
宣戦布告のような響きで言うマサトに、トキサダも加わる。
「だー、いつからテメーのモノになったんだ？！フザケンナ！！」
『―――初めて会った時から。』
怒髪天を突くの勢いで怒るマサトの怒りも何のそのと言った感じで、トキサダはしれっとそう答える。
『顔は可愛いのに、性格きついなぁ・・・彼女・・・アチッ！』
ボソッと『風神』が溢すと、途端にドカンと火花が散った。
あうーとタクが顔を覆う。
『テメー、いきなりナニしやがる！！』
いきり立つ『風神』は次の瞬間、背筋を凍らせた。
絶対零度のオーラを纏ったマサトが、物凄い形相で睨んだからだ。
「誰が、彼女だってぇ？！」
地獄の底から響いてくるような声で、低く問い質すマサトに、『風神』は取り返しのつかない事を言ったのだと漸く理解したが、後の祭りだった。
「オレは男だ―――――――――――――っっ！！」
チュドーーーーーンッッ！！
叫びと共に、マサトの必殺技が炸裂した。
自分の容姿に何故かコンプレックスを持っているマサトは、アカデミーにいる時から、女の子に間違えられたり可愛いとか言われる度に、凄まじい破壊力を引き起こしていたのを、長い付き合いのタクは何度も目撃していたのだ。
最近は、余りにも衝撃な出来事ばかりですっかり忘れていたのだが・・・。
「―――大丈夫・・・？ヒロシちゃん・・・？」
『・・・・・・・・・・・・・』
吹き飛ばされた『風神』の意識は無い。
はぁ・・・と、タクは深―――い溜め息を付いた。
「うーーん・・・＜神＞クラスの精霊を一撃とは・・・中々やるな。」
「んで、オレ等はドコで夜を過ごすんだ？」
被害の及ばない場所で高みの見物をしていたタイジュとヒザキが戻ってくる。
「うっわーーー、オレ、またやっちゃったーーーっっ！！」
我に返ったマサトが己の所業を後悔している。
いやもう、完全に後の祭りなのだが・・・。

「―――――！！」
困ったように空を見上げたタクは、違和感に気付いて瞳を見開いた。
タクの様子に気付いたトキサダも視線を向ける。
「あれ・・・は・・・」
タクの唇が震える。
天空に鈍く輝く＜朱い星＞。
それは、紛れも無く『凶星』。
世界を混沌に導くとされる＜禍星＞が夜空に現れているのだ。
ゾクリと、タクは全身を震わせた。
その巨大な朱星はまるで、血色の輝きのようで・・・。
長く見つめていると、魂まで吸い込まれてしまいそうな強い“ナニ”かがあった。
「―――あ・・・」
震える身体をタクは両手で抱き締める。
そうでもしないと絶望の淵に叩き落されそうな気がしたのだ。
それ程強大な“禍根”の瞬きでもあった。
「タクちゃん！！」
タクに様子に気付いたマサトが、走り寄る。
トキサダも『凶星』を凝視したまま動けない。
タクの意識に釣られていると言っても間違いなかった。
不意に、タクの荷物の中から“白銀”の光りが飛び出した。
続いて、マサトが持っていた“レッド・フォア”から“真紅”の光。
ヒザキの懐にあった“ピンク・ルビー”からは“緋”の光が、タイジュの“ディトナ”からは“黒”の光が現れて、それぞれがタクの身体に吸い込まれていく。
全ての光が完全にタクの身体に収まったと思った次の瞬間、巨大な光りの柱が天地を繋げた。
タクの足元から立った光りの柱は、上空に向かって昇竜のように翔び上がった。
そしてその光りの“龍”に呼応するかのように、蒼と黄と翠の３本の軌跡が重なった。
「あれは・・・！」
マサトが驚嘆の声を上げる。
ヨコハマ方面から飛び出した光りの束は、確かに光の龍に吸い込まれた。
強風が、天に向かって吹き上がる。
―――タクの髪がたなびく。
タクの身体を黄金の光りが包み込み・・・それが、天に向かって翼を広げるかのようにｈ広がった。
「―――タクちゃんっ！！」
まるで今にも飛んでいってしまいそうな様子に、慌てたマサトが叫ぶ。
さが、差し出した手は光りの盾に阻まれて、タクを掴む事ができない。
「嫌だっ！！タクちゃんを・・・連れて行かせない！！」
“レッド・フォア”を構えて、呪文を唱える。
「＜神子＞！！」
只ならぬ様子に気付いたタイジュも＜ディトナ＞を使って、障壁の呪文を唱える。
大地が鳴り響く。
岩肌が崩れ落ちてくるのも気にせずに、彼等は呪文を口にした。
次々と術を唱えては光りの柱に吸い込ませて、光源が収まるのを促す。
少しは効力があったのかもしれない。
徐々に強い力のような強烈な光りが弱まっていく。
と、同時に天空に飛翔した光りの龍は、＜凶星＞に辿り着く前に、四散した。
強大な竜巻のような風が漸く収まった時、中心にいたタクの姿が現れた。
「・・・トキサダっ！！」
背後からタクをしっかりと抱き締めて地に
留めていたらしいトキサダは、全身がボロボロになっていた。
そのまま二人の身体が崩れ落ちる。
「＜神子＞！！」
『トキサダ！！』
全員が駆け寄る。
いつの間にか意識を取り戻していた『風神』も、余りの事に動く事が出来なかったのだ。
傍目に見るよりもトキサダの様子は酷かった。
全身の至る所が風圧によって切り裂かれ、身体をも傷付けていた。
一方、タクは全く無傷だった。
それでも、意識が戻る事は無い。
『―――仕方ねぇな。・・・トキサダはオレが運ぶから・・・チビスケは頼むな。』
『風神』がぐったりとしているトキサダの身体を背負うように持ち上げる。
ついでにタクを運ぶ事も容易ではあったのだが、何だか突き刺さるような視線が痛くて、思わずそう言っていた。
「オレが、運ぶ！！」
「＜神子＞は俺が・・・」
マサトとタイジュが慌てて名乗り出るが、二人とも術を酷使した後で、余分な体力など残っている筈もない。
タクを運ぶ所か、自分達が普通に歩くのさえやっとの様子なのだ。
『やっぱ、オレが運ぶか？』
『風神』の問い掛けに二人して唇を噛んでいる。
そんな中、今まで黙っていたヒザキが動いた。
「オレが運ぶ。」
軽々とタクを抱え込むと、物凄い視線で睨み付ける二人を無視して歩き出した。
「テメー・・・」
マサトが口攻撃をしようと唇を開いた途端に、クルリとヒザキは振り返って二人を一瞥した。
「何時までもこんなトコでちんたらしてたら、＜闇＞の標的だぞ。それでも良いって
いうんなら、置いてくが。」
言い切るヒザキに、ぐうの音も出ない。
ギリギリと歯噛みしながら、マサトはだるい身体を動かした。

『風神』が彼等を招き入れたのは、洞窟に作られた棲家だった。
精霊の棲む場所なので、人間の居住とは全く違っていたが、干草のベッドに意識の無いタクとトキサダを寝かせた。
マサトとタイジュは道具箱の中から“魔力の本”と体力の本“という丸薬を取り出して飲み込んだ。
そうして、疲れた身体を休める為に、タクが寝ている側に座り込んで眠りに就いた。
『・・・ヘトヘトだな・・・。』
「―――一杯一杯だからな。」
『そういうアンタは元気そうだが・・・』
「オレは盗賊だ。最後にばっくれるだけの体力はいつも残してる。」
しれっと言うヒザキに、『風神』は一瞬驚いた顔をしてから、破顔をした。
『気に入った！！秘蔵の酒があるんだが・・・どうだ？！』
「―――付き合おう。」
『風神』の申し出に、一瞬躊躇したが・・・取り敢えず実害は無いだろうと踏んで、ヒザキは口角を持ち上げながら頷いた。

―――そうして、うわばみ二人の酒盛りは、結局夜明けまで続いたのだった。

　　
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