真夏の夜の夢
　

　
　　喜びも哀しみも幸福も嘘も　　全ては儚い夢の中の夢
　　永久に続く虹など誰も見向きもしないだろう
　　命は燃やしつくすためのもの
　
　　黄昏に咲く花は無言の情熱　　花びらをせつなく夜の風に散る
　　冷たい月　今宵も夜空にまた独りぼっち
　　孤独な光がなぜか愛しい
　
　　天国は幻さ　何処にもありゃしない　　気まぐれな神様の笑えないジョーク
　　この命は生まれて生きてただ死んでゆくだけ
　　奇跡を待ち続ける暇などない
　　時間恐れず大きく羽ばたけ
　　命は燃やしつくすためのもの
　
　　　　　　　　　　　　　　　＜SONG BY.布袋寅泰＞
　

　
　久しぶりに、まとまった休暇が取れた時貞は、拓を連れて日本の屋敷へと戻ってきていた。
　春から始まったヨーロッパツアーが終わって・・・季節は次を迎えていた。
　「んーー！！やっぱり、日本のお風呂はホッとするね。」
　シャワーを浴びる程度で上がった時貞の後に入った拓は、たっぷりと湯を張って豊富な水を堪能していたらしい。
　流石に慣習が違う国での生活というのは、結構不便な想いをするのだ。
　まず、日本以外の国では水はとても大切なものなので、余り無駄に使う事はできない。
　少なくても二日に一回は風呂に入らないとゆったりとした気分になれない拓は、初めてのツアーで、一週間で寝込む羽目となったのである。
　本当なら、演奏するのは時貞なのだが、拓が聞いていないとちっとも本気を出さないこの御仁は、やはり思いっ切り駄々をこねたのである。
　曰く―――
　『オレの演奏は拓ちゃんへの“言葉”だから、拓ちゃんが聞いてくれないなら何の意味も持たない。』　―――である。
　メンバーの説得も全く無視し続けた時貞を、結局拓が説得して納得させたのである。
　折角時貞の演奏を聞くために集まってくれた人が待っているのに、拓の所為で時貞がライブを止めてしまったら、とても哀しい・・・と。
　そうして、とって置きの“おまじない”をしてもらった時貞のその日のライブは、ベスト盤として数カ国で発売されたのであった。
　その後、漸く拓も海外生活に慣れ・・・シャワーだけでも疲れを取る事を覚えたのだが・・・。
　日本に戻ってきて、やっと本当の意味でホッとした気がした拓であった。
　ガウン姿の拓が、まだ濡れた髪を四苦八苦しながら拭いているのを見やって時貞は微笑を浮かべる。
　パーマが落ちて、軽いウェーブが掛かった拓の髪は、柔らかなくせっ毛のように見えた。
　フワフワして纏まらない髪を、タオルで拭いていた拓は、諦めたようにソファーに座り込んだ。
　クスッと微笑った時貞は、横になっていたベットから下りて、拓の側にくると、そのタオルを手に取った。
　「・・・時貞クン？」
　「まだ、濡れてる・・・。」
　何をするのか問いかけた拓に、時貞は持ったタオルを使って拓の髪の水滴を拭っていく。
　横に座り込んだ時貞の腕の中に包まれるようにして、髪を拭かれている拓は、赤くなった。
　「ありがと・・・」
　器用にギターを弾いて『奇跡の音』を紡ぎだす時貞の長い指が、くすぐるかのように拓の見た目よりもずっと軽い髪先に絡まる。
　その感触を十分に堪能した時貞は、拓の匂いに目元を綻ばせる。
　全く同じシャンプー・リンスや、ボデイシャンプーを使っているというのに、拓の身体から漂ってくるのは“ミルク”の匂い。
　それはとても不思議だったが、逆にとても安らげる匂いでもあった。
　タオルで十分に水滴を拭った後、時貞は最後にオマケとばかりに、拓の髪先に軽くキスをする。
　それは慈しみ。
　―――深い愛情と、契約。
　頭の先から爪先まで、拓の全てが愛しくて止まない時貞は、その存在を感じられる行為が一番好きだった。
　他に何もいらない・・・たった一人の“特別”。
　傷付ける事か無視する事でしか他人と接触できなかった時貞の、狂おしい程の激情を受け止めた『拓』。
　時貞がずっと望んでいた無償の愛を、送り返してくれた・・・“愛すべき者”。
　拓がおとなしくしているのを良い事に、時貞はソッと拓を抱き締めた。
　同じ同性で、同じ歳であるというのに、拓の身体は時貞の腕の中にすっぽりと納まってしまう。
　それぐらい小さな拓。
　なのに、その心は無限の優しさを秘めていて、時貞の狂っていた感情を全て受け止めて・・・尚も変わらない。
　それは・・・まるで“奇跡”。
　その時に、知らず時貞が口にしていたのは、遙か昔に捨ててしまった筈の“神”への感謝の言葉であった。
　零れ落ちた涙が、凍りついていた魂から解けだした水滴のように幾粒も転がっていった―――あの時。
　その時から時貞の魂は、拓を求める為だけに存在するようになった。
　そうして、拓がこうして側に居てくれる事が、至上の喜びでもあった。
　『ドーーン。』
　不意に、窓の外で光がきらめき、低い音が響いた。
　拓の意識が、それが何かという興味に支配された。
　「・・・何？」
　拓の問い掛けに、だが、答えを持たない時貞もまた首を傾げるだけである。
　「見に行ってみよう。」
　続けられた拓の言葉に、今の状態でとても満足している時貞は一瞬眉を潜める。
　「・・・だ・・・駄目？！」
　だが、困ったように告げる拓の表情に、時貞はゆっくりと腕の戒めを解いた。
　途端に拓が動いて立ち上がると・・・腕の中の温もりを失った時貞は少しだけ悲しい顔をした。
　「うわぁ！！すっごーーーいっっ！！時貞クンもおいでよっ♪」
　ベランダに出た拓の嬉しそうな言葉に、漸く時貞も腰を上げる。
　そうして、外に出た時貞は、拓の側に近づいた。
　「―――何？」
　「ちょっと待って・・・今、また上がるよ！」
　笑顔で振り返る拓の様子に、時貞は訝しげな表情を浮かべて拓が見つめるように夜空を眺めた。
　すると、遙か向こうにある山下埠頭の向こうの海上から光が昇るのが見えた。
　ヒュルヒュルと上がった光が一瞬消えた瞬間に、夜空に大きな光りの花が咲き誇った。
　『ドーン・・・』
　途端に、さっきのあの音が空気を振動させた。
　「綺麗だね・・・今日は丁度、花火大会の日だったんだ・・・」
　ニコニコと笑っている拓に、一瞬呆気に取られていた時貞はハッとしたように表情を引き締めた。
　すっかり忘れていたが、この季節には、そういう物が存在していたのだ。
　あの火薬が爆発する音が、どうも苦手なのだが・・・取り敢えず拓が嬉しそうなので、時貞も見物に付き合う事にしたらしい。
　「ここは高台だから、会場の山下公園まで行かなくても綺麗に見えるんだね。今頃、皆人込みで大変なんだろうなぁ・・・」
　「―――どうせだから、座って見よう。」
　促されて、二人で一緒にいつも置いてあるイスに腰掛けた。
　「あ・・・あの・・・時貞くん・・・？・」
　「何？拓ちゃん」
　「ボク・・・重くない？」
　「全然。」
　きっぱりと告げる時貞に、二の句が告げなくなる。
　沐浴用のイスなので、二人で座ると言うのは、時貞の膝の上に拓が座って、両腕の中に包まれている状態なのである。
　「嫌？拓ちゃん？」
　耳許で低く囁かれて、ゾクッと拓は全身の毛を逆立ててしまう。
　いつまでたっても、この攻撃に拓は弱い。
　それを知っている時貞が、効果を狙って使うのだから、拓が抵抗できる筈もなかった。
　「う・・・ううん・・・」
　そうして、二人で重なったまま、花火を観つづけた。
　次々と上がる花火は、実際二人の意識を引きつけてやまない程、凄いものばかりだった。
　夏の夜空に色とりどりの巨大な“華”が、咲いては散って・・・眼を楽しませてくれた。
　やがて、宴も最終を迎える。
　ほぼ二分に渡る連続花火の、真昼の輝きのような光りの乱舞が続いて・・・花火大会は幕を閉じた。
　辺りが、元の夏の夜となり・・・ただ月の明るさだけが唯一の光りとなる頃、拓がため息を零す。
　「凄く、綺麗だった・・・」
　腕の中で、うっとりとしている拓の表情に、時貞の意識は強く引きつけられた。
　「・・・可愛い・・・拓ちゃん・・・」
　「え？」
　時貞の呟きに、拓が意識を向けた瞬間、時貞の腕が、幾分きつまり・・・その唇が拓のうなじを捕らえた。
　「・・・ぁ・・・」
　小さな、かすれた声が上がる。
　身を捩ろうとする拓の動きを封じ込めると、そのまま時貞は少し乾いた拓の唇をつまみ取った。
　「・・・ん・・・」
　同時に始まった愛撫に、拓の瞳が大きく見開かれる。
　「と・・時貞くん・・・？」
　「拓ちゃんが・・・欲しい・・・」
　漸く解放された唇に、疑問を乗せると、時貞の穏やかな赤褐色だった瞳が、“緋”に変化していて、拓は少しだけ困ったような表情を浮かべる。
　だが、再び時貞の唇が近づいてきた時には、瞳を閉じてそれを受け止めていた。
　更に始まった愛撫に、拓はピクンと身体を震わせる。
　「・・・ゃ・・・」
　小さな呟きが拓の唇から零れ落ちる。
　不自然な体制で、時貞に肢体の全てを任せる恰好のまま、愛されているのだ。
　声を抑えているのが、辛くて息苦しくて・・・拓の目尻に涙が浮かぶ。
　「拓ちゃん・・・声出して・・・」
　それに気付いた時貞が、必死で喘ぎを抑えていた拓の両腕を奪ってしまう。
　「・・ゃ・・・やだ・・・時貞く・・ん・・・ッ！！」
　フルフルと首を振って泣きじゃくる拓の様子に、流石に時貞も気になって愛撫を止める。
　「―――そんなに、イヤ？」
　「あっ・・・」
　急に止められた愛撫に、拓は一瞬惚けた後で・・・全身を真っ赤に染め上げた。
　「だ・・・だって・・ここは外だから・・・近所とか・・・」
　湯気が出そうな程、真っ赤になった拓がしどろもどろと答えるのを見て、自分の事が嫌なのではないと知って、安堵する。
　そうして、何処までも純粋で内気で照れ屋な拓が、どうしようもなく愛しかった。
　腕の中の拓をそのまま両手でグイッと持ち上げる。
　「外じゃなきゃ・・・良いんだ♪」
　睦言のように告げる時貞に、拓は赤い顔のまま、ただ小さく頷いた。
　ベランダから部屋の中に戻ってそのままベットに二人して倒れ込む。
　労りながらも、貪るような時貞の情愛に、拓は必死にすがりつく事で応えた。
　身体も心も魂までも繋がった頃、拓の全ては時貞のものであり、また時貞の全ても拓のものであった。
　二人でただ重なり合って、互いの温もりだけで抱き合う頃には、拓の意識は既にない。
　意識を失った拓に、最後の甘いキスを送ると、満足した時貞にも眠りの国への扉が開かれる。
　こんなに満ち足りた想いのまま、眠れる日々がやってくるとは、本当に夢にも思っていなかったのに。
　拓の存在が、時貞を幸福にする。
　ただ、拓の存在だけが・・・。


　目を閉じると、瞼の裏に先程見た花火が広がった。
　真夏の夜の夢。
　華やかで・・・でも一瞬で散ってしまう“華”。
　何処までが現実で、何処からが夢かは理解らないけれど・・・。
　この幸せを手放す気など、ない。
　腕の中の“存在”が、まぎれもない事実。
　だが、一瞬で散る花火の潔さもまた、牽かれる。
　―――命は燃やしつくすためのもの・・・―――
　愛情もまた、同じ。
　燃え上がる情愛の炎が、相手を求めて止まないのだ。
　せめて・・・せめて、その想いで、相手を苦しめないように・・・。
　ゆっくりと、永久の“炎”のように燃やし続けていくのも良いような気がした。
　それは、後一週間の休暇を残す・・・夏の夜の出来事であった―――


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