６月最終日曜日。
ニューユークのマンハッタン、５番街。
日本では梅雨の時期でジメジメしている筈だが、今日のニューユークはもう夏なのかと思うほどに上天気だった。
そんな天気の下、パレードの真っ只中を全く見ず知らずの連中と一緒に、拓は繋がれた手に引き摺られるように歩いていた。
その表情は、困惑と未知への不安で彩られている。
それもその筈で、周りを一緒に歩いている者達の一種異様な盛り上がりと、風貌に圧倒されているのだ。
それはこのパレードを沿道で見ている者たちにも言える事だった。
いきなり拓をここまで連れてきた相手は、すこぶるご機嫌な表情を浮かべたまま、普段なら絶対浮かべないような笑みを口元に貼り付けて、笑顔を振り撒きながら楽しそうに歩いている。
繋がった手を離す気も全く無い相手が、世界中に名を馳せているバンドのギタリストだと気付いている者は、今の所は変装として掛けているサングラスによって少ないかもしれないが・・・。
それでも、こんな風に外で堂々と手を繋ぐような真似をしたら、気付かれてしまった時にはゴシップ記者たちの思う侭では無いかと、拓は気が気ではない。
「・・・あ・・・あの・・・時貞くんっ！て・・・手を・・・っ！」
手を離して欲しくて、必死に訴えるが頭一つ高い相手は、全く聞き耳を持たないように、却って離さないという風に握り締めてくる。
しかもサングラスの奥の瞳が、心底楽しそうな色を浮かべているのを見てしまった拓は、本気で困るだけだ。
周りを背の高い人達に囲まれているから、背の低い自分はそんなに目立たないかもしれないが・・・それでも、背が高くてスラリとしたモデルみたいな風貌で、纏わり付かせている覇気が目立ち捲くっている時貞と一緒ではそれも意味も無い。
サングラスと帽子で変装しているとは言え、目立つ事に関しては殆ど意味を為していない気もした
現に、先ほどから何人もの人に声を掛けられて、その都度、時貞は英語でにこやかに二言・三言と返していた。
余りにも早口なのと、聞き取りにくい発音なのと・・・外国語が苦手な拓にとっては、何を言っているのか全く理解出来ていないのだが・・・。
それでも、こんな風に機嫌が良い時貞の姿は久しぶりなので、拓は誘われるままに一緒に来て良かったと少しだけ思っていた。
このパレードが一体何なのか・・・それを想像するとちょっとだけ怖い気もしたけれど。
『hey！You are very pretty』
通りすがりの外人から、投げキッスと共に声を掛けられる。
言われた言葉の意味を何とか拓が理解するのと、時貞が拓を引き寄せたのは同時だった。
『no！He is My thing！』
相手を威嚇しながら強い口調でそう告げると、時貞は拓の身体を包み込むように両腕で抱え込む。
「え？時貞くん・・・？何・・・？」
時貞の行動についていけない拓は目をパチパチとしばたたせてから、キョトンと時貞を見上げた。
「―――拓ちゃんが、凄く可愛いって。やっぱり、こうやって手を繋いでても狙われるんだなぁ・・・浮気したら、嫌だよ？」
「な・・・何、バカな事言って？！」
ムゥッと口を尖らせていう時貞に、拓は真っ赤になってブンブンと首を横に振る。
確かに拓はこんな風に外人に囲まれてしまうと、周りの者たちに埋もれてしまいそうな背格好だけど、可愛いと言う言葉は今年２６歳にもなる男に向かって告げる言葉ではない。
尤も、時貞のその台詞はもう口癖になっているようなものだから、今更直しようがないのかもしれないが・・・それでも、こんな風に公衆の面前で真っ昼間から言われるのは、穴があったら嵌って消えてしまいたい位に拓を追い詰めた。
案の定、周りの連中から冷かすかのような口笛や声が掛けられて、拓は居た堪れなくなってしまう。
「・・・拓ちゃん？」
「は・・・恥ずかしいよ。もう、帰りたい・・・」
頬を紅潮させたまま、拓は心からの願いを口にする。
途端に、時貞は少しだけ困ったように口端を持ち上げた。
「―――理解った。拓ちゃんがそう言うなら・・・この辺でばらしちゃおう。」
「・・・え？」
自嘲気味に呟かれた言葉に、驚いたように顔を上げると、時貞は変装用のサングラスと銀髪を隠していた帽子を外してしまう。
すると、特徴ある緋い瞳と太陽の下では白髪と間違えそうな銀髪が現れて、時貞の容貌を一段とインパクトあるものに変えた。
途端に周りの者たちや、パレードを見ていた観衆に、ざわめきが広がっていく。
完全に、時貞が誰なのかを気付いた者たちが、驚きの声や困惑したような表情を浮かべている。
「と・・・時貞くん？！」
ここにきての時貞の暴挙に、拓もまた顔色を変えて驚いたように目を丸くした。
「本当は、ゴール地点で大々的に発表しようかと思ったんだけど・・・歩くの疲れてきたし、拓ちゃんが帰りたいなら、もう良いや・・・ここで。」
見惚れるような微笑を浮かべて、時貞は拓の身体を更に抱き寄せる。
周りで、驚愕の声が幾つも上がる。
それも当たり前だろう。
世界的に有名なアーティストが、こんな公道のパレードの真ん中で同性を抱き締めているのだ。
余りにも不謹慎で、有り得ない光景だと思われても不思議ではない。
幾ら二人がそういう関係で、既にパートナーシップを交わしている間柄だとしても、許される事ではないと思うから。
「ちょ・・・何、考えてんのっ？！」
慌てて離れようと拓は身じろぐが、時貞の強い力はビクともしない。
「駄目だよ！こんなのっ！だって、時貞くんは有名人なのに・・・」
泣きそうな顔で必死に告げる拓に、時貞はちょっとだけ困ったように苦笑した。
「何を今更恥ずかしがるの？ここに居る時点で、既に世間に公表してるようなものなんだよ。俺も、ちゃんと皆に知って欲しかったし・・・俺の“唯一”が誰なのかを。」
「・・・え？」
「だから、今俺たちが参加してるのは、プライド・パレードなんだ。」
「プライド・パレード・・・って、どういう事？お祭りじゃないの？」
「年に一度、同性愛者たちが集うゲイ・パレードだよ。これに参加した時点で、そーゆー意味を持つんだ。最初からそう言ったら、一緒に来てくれないと思ったから、内緒にしてたけど。―――もう、公認だ。これで、誰が相手でも堂々と言える。・・・愛してるよ、拓ちゃん。」
にっこりと笑顔を浮かべると、余りの事に愕然と固まった拓の頬に、時貞は軽くキスをした。
途端に、周り中をフラッシュの嵐が吹き荒れた。
湧き上がる歓声と、周りでも次々とキスを交わす者たちが現れる。
想像もしていなかった現実に、強烈な張り手を食らわされた気分で、拓の意識が遠退いていく。
やられた・・・と愕然としながら、もう逃げられない状況に、薄れていく意識の中で拓は泣きたくなった。
クラァっと倒れそうになった拓の身体を、強い腕で支えたのは時貞だ。
『I love it．My honey』
甘く囁いて、左手のリングに口付けてから、そのまま拓の唇を公衆の面前で奪い取った。
只でさえ朦朧としていたのに、更に最終奥義を喰らったかのように、拓は完全に意識を飛ばしてしまった。
時貞の非常識は今に始まった事ではないけれど、事前に何も告げずに衝撃的な行動を行ったりするので、基本的に常識人でいたいと願っている拓は付いていけないのだった。

満足したように顔を上げた時貞は、ショックで気を失った拓に少しだけ困ったように目を細めた。
流石に少し遣りすぎたかも―――と逡巡したのは一瞬。
優しい拓は、困った表情を浮かべながらも、最終的には時貞の全部を受け止めてくれるからついつい我が侭を言ってしまう。
それが、甘えだと知っていながらも・・・許してくれる。
そんな拓だからこそ、時貞は手放せない。
拓は時貞の世間体を気にして、イメージダウンにならないようにと、敢えて自分の存在を隠そうとするのだが・・・その所為で、何度も辛い目にあっているのだ。
拓が苦しんだり、傷付いたりする方が、ずっと時貞にとっては哀しい事なのに、それを誰も理解してくれないから・・・だから、時貞は誰にも告げずにこのパレードに参加した。
腕に中の存在が愛しくて、失えなくて。
別に時貞は、有名になりたいから音楽を紡ぎだしている訳ではないのだ。
それを勘違いしている連中にも、理解らせてやりたい気持ちもあったし、世界中の人間に、拓は自分の大切な伴侶なのだと示したかった。
それでも、その想いが拓を困らせている事を知っているから、時貞は相反する想いを抱えて、苦笑する事しかできない。
意識を失ってしまった拓を、軽々と抱き上げる。
周りの連中から、色々な声が上がるが、それらを時貞は甘い微笑で受け止めた。
そうして、何事も無かったかのように歩き出す。
慌てて追いすがろうとした記者たちは、すっかり盛り上がっている周りの者たちに邪魔されて、マイクを向ける事も出来ないまま、時貞の背中が群衆の中に消えてしまうのをただ見送るしかなかった。
パレードの途中で起こった混雑に、知らずに進んできた後方の者たちも加わって、その場は混沌となった。
様々な人種や、奇天烈な風貌の者たちに紛れ込むように、時貞は拓を抱えたまま自然な流れで混雑を抜けていく。
不思議な事に、道一杯の酷い混雑にも係わらずに、時貞の歩く傍には空間が出来ており、その御陰で、揉みくちゃにされる事も無く、悠々と時貞は混乱状態に陥った５番街を後にした。

その後、様々な場所からの質問攻めにあって、疲労困憊して倒れそうになっているメンバーの元へ、何処かへと雲隠れしてしまった時貞が物凄く満足した表情で、ぐったりとした拓を連れて戻ったのは、パレードから１０日後の事だった。
その間、何処に居たのかを時貞が語る事は無く・・・散々時貞に引き摺り回された挙げ句、常識とかけ離れた状態で過ごさなければならなかった拓が口を開く事はもっと無かった―――と言う。