「・・・あれー？俺が書いたやつがないよ。・・・何で、拓ちゃん?」

最初に声を出したのは、来栖だった。

笹に付けられた短冊を幾つか吟味した後で、振り返った顔は笑顔だったが、目が笑っていなかった。

ビクッと拓が身を竦ませる。

蛇に睨まれた蛙のようにオドオドとしながら、拓はどう言い訳をしようかと緊張にコチコチに固まった頭をフル回転させる。

だが、穏やかに事を収めようとする拓の願いは、あっさりと却下される。

次の真里の一言によって。

「俺が、破り捨てた。」

「あぁ？」

「ちょ・・・喧嘩は・・・」

きっぱりと言い返した真里は、睨むように来栖を見ている。

その視線を真っ向から見返した来栖は、笑みを消して懐に手を入れる。

一触即発の状態に、拓はオロオロと二人を交互に見遣る。

「破り捨てたってぇのは・・・破り捨てたくなるような事が書いてあったって事か？」

「そうなんだろ。」

呆れたように話しているのは、風神・雷神の二人。

「ふーーーん。そういや、俺が書いたやつもねぇな。」

「どんな“願い”を書いたのやら・・・」

「そりゃ、あれだろ？願望って言ったら大体理解るよなぁ。ここに集まってる奴、皆同じ穴のムジナだしな。」

「神様への“祈り”って言ってたから、素直に書いただけなのに・・・」

何気なく言った秀人の言葉を受けて、目を細めた緋咲が煙草を足で踏み消す。

ヘラヘラと笑って繋げたのは大珠で・・・時貞がつまらなそうに呟いた。

短冊に触れていた千冬は、黙ったまま瞳を閉じた。

「なんで、おまえに破られなきゃなんないんだよ？」

「―――俺じゃなくったって、あの短冊見たら破きたくなるって！拓ちゃんは、折角書いて貰えたんだからって言ってたけどな、「拓ちゃんとキスしたい」ってぇのは何だよ？！」

「・・・・あ？」

怒鳴るように来栖が言うと、真里が苛立ちのままに言い返して・・・時が止まる。

一拍の後で、来栖の表情が驚きの物へと変わった。

「キスしたいって・・・？何の事？」

「だから、俺が破り捨てた短冊に書かれてた願いだよ！他にも、ふざけた事ばっかりで・・・って、お前じゃないのかよ？」

「え？・・・そりゃ拓ちゃんが欲しいって書いたのは俺だけど・・・」

茫然と呟く来栖の言葉に、真里も落ち着きを取り戻す。

二人の会話に、愕然となったのは他のメンバー達も一緒で、初めて聞くその内容に驚いていた。

そんな中で、一人だけ平然としている者が居た。

そうして、その顔を見た瞬間に何故か納得してしまった者も・・・。

「・・・ううぅ・・・マー坊くん・・・だから、あれは冗談で書かれた物だって言ったのに・・・こんな風に皆に言うなんて・・・酷いよ・・・」

半泣きになりながら、真っ赤になった拓が口元を抑えてボソボソと抗議する。

「―――冗談ねぇ・・・なら、良いんだけどな。」

ボソリと呟いたのは、緋咲だ。

思いもよらない場所からの呟きに、メンバー全員の視線が集まる。

それぞれの表情は微妙に違っていたが、緋咲の目線はずっと一人に向けられたままだ。

「―――違うんだろ？」

「神様へのお願いって言われたから、したい事を書いただけだよ、緋咲。こんな風に・・・」

「―――あぅっ？！」

拓の横で平然としていた時貞が、緋咲の言葉ににっこりと微笑って、拓を抱き寄せる。

そうして、拓の柔らかな頬に親愛の情を込めてキスをする。

瞬間の動きを、止められる者などいない。

あっさりと頬にキスされてしまった拓は、顔から湯気が出そうな程紅潮して、その腕の中で力を失ったかのようにガクリと項垂れた。

「まぁ。神様に祈らなくても、できるんだけど。」

ニィッと微笑う時貞が、首を傾げる。

そこに、空を切ったアイスピック。

「フザケンナ、テメー。」

本気で怒った来栖が、何度もそれを繰り出すが、時貞を傷付ける事はできない。

目の前の攻防を見遣っていながら、真里は黙ったままだ。

ポカンとしたまま拓を抱え込んだ状態で、来栖の攻撃を避けている時貞に視線を流して・・・それから、困ったように口端を持ち上げた。

「なぁんだ。天羽だったのか・・・」

明るい声が、真里の口から零れ落ちた。

それは、心底安堵したという響きを含んでいた。

そうして、闇雲にアイスピックを繰り出している来栖の腕を物凄い反射神経で掴むと、そのまま動きを封じ込める。

「何すんだよ？！離せっ！！」

「手を出したら駄目だろうが。だからこそ、天羽も反撃してないだろ。」

「だけど、こいつっ！！」

「―――良いんだ。天羽のこの行為は、拓ちゃん挨拶だとしか思ってないし・・・ちゃんと受け入れてるから。どうしても、腹が立つなら、走りで勝負してこいっ！」

真里の馬鹿力で腕を掴まれたまま、それでも来栖は時貞を殺しそうな目で見ていた。

そんな来栖に、少し声を落として真里は言い募る。

それでも、更に言い返そうとした来栖は、真里の言葉に漸く我を取り戻した。

一瞬、訝しげに真里を見遣ってから、その瞳の奥の真意に気付いて、腕を振り払う。

「理解った。決着は、単車で付ける。龍神、勝負だ！」

「めんどくさい・・・」

「じゃあ、俺が行こう。“願い”を賭けて。」

「あー、んじゃ俺も行こうかな？俺の書いた短冊もないし・・・」

来栖の突きつけるような挑発に、時貞は気乗りしないように口を尖らせる。

すっとその横に立ったのは、ずっと黙っていた千冬だった。

その姿を見た大珠も笑いながら参加表明する。

「何で、お前らが？」

「―――織姫を手に入れられるのは、天の神様に認められた者だけ。」

驚いたような来栖の問い掛けに、千冬が月を眺めて意味深な台詞を溢す。

大珠は口端を持ち上げた。

「なら、俺も行くか。全部、走りで決着を付けるんだろ？」

「・・・秀人くん？！」

少し考え事をしていたらしい秀人が、顔を上げて言葉を発する。

どうすれば良いのかオロオロしていた拓が、ここにきての一番驚愕の台詞に目を丸くする。

そんな拓を見て、秀人は苦笑した。

「本当は、お前ぇが走って決着付けなきゃ駄目なんだぞ、分かってんのかよ？！」

「あ・・・その・・・」

「理解ってる。龍神の事は、それがお前ぇが必要だと思ってんだろ？・・・だけど、俺は認めない。ずっと、抱え込んで生きてく訳にもいかねぇだろうし・・・そんな甘ったれ野郎にお前を渡す気も無い。自分で決めるのと、流されるのは違う。」

「・・・秀人くんっ？！」

告げる秀人の台詞に、拓の表情が変わる。

少し青褪めているのは、言われている内容が真実だからだ。

「―――同情なんかされても、誰も嬉しくねぇんだよ。もうちっと、本気で・・・」

パシッ。

言葉の途中で、強い音が鳴る。

真里の繰り出した拳を、秀人が受け止めたからだ。

「・・・喧嘩はしねぇんだろ？」

「お前・・・言い過ぎだ。」

「はっ！そうやって、こいつを甘やかしてるから、ますますこいつが何も言えなくなっちまうんだろうが。」

強い秀人の眼差しが、真っ直ぐに真里を捕らえる。

真里は返す言葉を失って、唇を噛み締めた。

何処までも真っ直ぐな正論は、今の関係を歪んだものと決定付けたようなものだ。

それでも、認めたくはないのだ。

秀人の立ち位置が一番拓にとっては必要なのだという事を。

「―――拓。」

真里から視線を戻した秀人が、拓に近付く。

その目線を合わせられなくて、拓は俯いた。

「強くなりてぇんじゃ、無かったのか？」

「・・・なりたいっ！！」

秀人の問い掛けに、反射的に顔を上げた拓の瞳は、潤んでいる。

その表情は、初めて秀人にそれを告げた時と変わらない。

そんな拓の顔を見て、秀人は満足したように拓の髪をクシャと撫でた。

「なら、ちゃんと言え。お前の望みを・・・いや、“願い”か。あんな短冊に書かなくても、口にすれば良いだろうが。」

「―――秀人くん・・・？」

「選ぶのは一人じゃ無くったって構わねぇんだよ。欲しいだけ欲しがれば良い。どうせここにいるのはお前と一緒に居たい奴ばっかりなんだから。」

秀人の言葉に、拓は大きく瞳を見開いて・・・それから、感極まったようにポロポロと大粒の涙を溢した。

そんな拓に、秀人はゲッ！と一歩退く。

全身に刃が突き刺さったかのような感覚が襲ってきたからだ。

「・・・秀人くんっ！！」

だが、周りの空気に戦いている秀人に対して、更に拓は止めを刺してきた。

堪えられないという風にガバッと抱きついたのだ。

そうして、秀人の服をギュッと掴んで離さない。

「ぼ・・・ボク・・・強くなりたい・・・もっと・・・」

「―――あ･･･あぁ。」

「・・・皆と一緒に、居たいんだ・・・やっとできた友達だから・・・誰も傷付けたくなくて・・・失いたくなくて・・・」

肩を震わせながら告げる拓を、秀人は片手で乱暴に抱き寄せる。

そのまま自分の肩口に拓の顔を押し付けるようにした秀人の優しさに、拓は縋った。

こんな些細な事でも、秀人は拓を・・・拓の心を守ってくれるのだ。

泣いている顔を、他の者たちに見られないように・・・。

秀人の優しさに後押しされて、拓はずっと秘めていた想いを口にした。

震える声で告げられた拓の告白に、その場の全員が声もなく立ち尽くす。

秀人は少しだけ目を眇めて・・・それから乱暴な手付きで拓の髪をクシャクシャと掻き混ぜた。

「ばーか。本当の“友達”なら、そう簡単に離れネェよ。だから、本気で言いたい事は言えって。上っ面だけ仲良くしたって仕方ねぇだろうがよ。」

「・・・うん。」

静かだが強い秀人の口調に、拓は引き込まれる。

何を言わなくても、秀人は一番拓の欲しい言葉を言ってくれる。

それは、絶対的な信頼。

その強さに憧れた相手は、今も拓の前を悠々と進き進んでいくのだ。

「んじゃ、オメーはもうちっと自覚しろ。」

そう言うと、秀人は自分を見詰める拓の顔を更に上げさせて、そのまま頬にキスした。

突然の事に、拓は目を白黒させたまま固まった。

「テメー、秀人っっ！！」

「おう。じゃあ、次は鮎川な。ちゃんと、こいつに理解らせろ。お前がここにいる理由を。」

瞬時で動こうとした真里の先手を打って、秀人はしたり顔でそう告げると腕の中で固まったままの拓の身体を真里へと押しやった。

押し出された拓を、反射的に慌てて腕の中に捕まえた真里は、全身を硬直させた。

まさか、こんな手でくるとは思ってもいなかったからだ。

真里は、違う方法を取ろうと思っていた。

拓を傷付けないように・・・ずっと、一緒に居られるように。

そういう感情を全部無い事として・・・。

「あぁ。そういう事。なら、俺からも・・・大好きだよ、拓ちゃん。俺は、同情でもなんでも良いんだ・・・側に居られるんなら。なぁ･･･」

茫然と固まった真里の腕から拓を奪うと、時貞はうっとりと甘く囁いてその額にチュッとキスをした。

そうして、振り返ってヒロシとキヨシに目配せすると、そのまま拓を引き渡す。

「拓ちゃん？・・・しょうがねぇなぁ。」

「まだ、理解ってねぇんかよ？俺等は何時だって、拓ちゃんの味方だろ？！」

「ひ・・・ヒロシちゃん・・・キヨシくん・・・」

苦笑しながら風神と雷神は拓を両脇から抱き締めて、その頬に同時にキスした。

大きく瞳を見開いたまま、拓は唖然と二人を見詰める。

そっと押し付けるような優しいキスに、心の奥から何かが湧き上がってくる。

「【横浜（ハマ）】のヤツばっか、ズルイ！・・・拓ちゃん！」

グィッと拓を抱き寄せたのは来栖だ。

少し哀しそうな表情で、それでも優しい顔で拓を見る。

「俺が前に言った言葉・・・もう、とり消す事は出来ないけど・・・訂正したい。拓ちゃんは蝙蝠なんかじゃない・・・だって、あれはもっと狡賢くて自分勝手で・・・こんな風に相手を気遣う行為じゃないから。」

そうして、コツンと額を合わせる。

「同じチームになりたいって言ったのは、本気だよ。拓ちゃんは俺を裏切らない。だから・・・俺も拓ちゃんを裏切らない。」

そう告げると、来栖は笑ってその鼻先にキスした。

普段と全く違う来栖の雰囲気に、拓は泣きそうな顔をする。

それは、傷付いた事がある者だけが理解る想い。

誰からも必要とされなくなる事の怖さを知っている者だけの・・・。

「来栖くん・・・」

拓は、ギュッと拳を握った。

「拓ちゃんは、今でも十分強いだろ？これ以上強くなったら困るよなぁ。もっと、色んなヤツが拓ちゃん狙って来ちゃうじゃんかぁ。」

ヘラァと笑った大珠が、横から近付くと、そのまま拓の腕を取って恭しく右手の甲に唇を押し付けた。

「大珠くん？！」

「・・・願うなら、この腕が俺も抱き締めてくれますように。」

祈るようにそう告げると、大珠はそっと腕を離した。

そうして、チラッと目線を移す。

大珠に視線を投げ掛けられた相手は、ギクッと身体を強張らせている。

同じ横須賀で凌ぎを削っている相手は、多分このメンバーの中では異質な存在だ。

誰もが拓に対して持っている感情を、恐らくは本人だけが自覚していないから。

―――だから、どうするのかが見物なのだが・・・。

「ふふ・・・怖がらなくて良いよ。」

「・・・千冬さん？」

「だって、ここに集う者は、拓ちゃんに惹かれているんだ。その側に居たいから・・・喩えそれが一時の夢だとしても、受け入れるんだ。拓ちゃんが望むなら・・・願うなら・・・それを叶えるよ。」

綺麗で艶やかな微笑を浮かべた千冬が、うっとりと夢見るように告げる。

そうして、しなやかな動きで拓を抱き締めるとそのままさらさらな髪を掬って撫でた。

言葉に引き込まれるように自分を見た、拓の目尻に溜まった涙を口付けで拭うと、千冬は悪戯っぽく口端を持ち上げた。

「さて、あと二人。往生際が悪いのはどっち？」

クスリと笑われて、弾かれたように緋咲が顔を上げる。

だが、拓と視線が合うと気まずそうに逸らす。

拓も思わず後ずさってしまう。

ある意味条件反射にもなっているそれは、今までの互いの過去の関係からくるものだ。

大分慣れてきたし、今ではそれぞれの大事な相手を交えての交流なので、それ程恐怖もないのだが・・・それでも、ずっと敵対していたのは間違いないから。

こうやって彼が来るのは、月に一度だけというのと・・・速い奴等と単車勝負できるという理由だけなのだ。

後は、彼が親友だと思っている時貞が、拓の側から離れないから、様子を気にしているのかもしれない。

どっちにしろ、彼が拓に対して特別な感情を持っている筈もない。

「緋咲ぃ？・・・そろそろ、観念しろよ。」

「秀人っ？！テメー、何言って・・・フザケンナっっ！！」

「緋咲は昔から純情だからなぁ。こー見えて、潔癖症だし。・・・自覚すんの“悪”い事じゃないし・・・ここに居る時点で今更。」

「―――セロニアスッ！！」

呆れたように告げる秀人に、馬鹿にされたと思った緋咲が怒りを顕わにする。

カッと目を見開いて怒声を発する緋咲に、時貞がやれやれと肩を竦めると途端に緋咲の顔に朱が走った。

そんな緋咲の髪を掴むと、時貞は挑むように目線を合わせた。

「嫌なら、今すぐに帰れ。理解ってる筈だ。今、必要なのは、拓ちゃんへの本気の想い。俺は、この時間を・・・居場所を失くせない。覚悟のない奴は一緒に競う価値もない。」

突き放すような冷たい口調に、背筋に悪寒が走る。

視線を流すと、それぞれが黙ったままだが、その場の空気がその事を肯定している。

つまり、彼等は全員がそれを納得している。

そこまでの覚悟。

ギリッと唇を噛み締めて、緋咲は自分の髪を掴む時貞の腕を振り払う。

「―――拓っ！！」

「は・・・はいぃ？！」

凄まじい迫力で名を呼ばれて、拓はビクゥと全身を硬直させた。

そんな拓をグィッと引き寄せると、苦虫を噛み潰したような顔で、緋咲は拓の髪先にキスしてバッと突き放した。

グラッと体勢を崩した拓を、抱き留めたのは真里だった。

「これで、満足だろ・・・」

緋咲は目元を真っ赤にしたまま拓から顔を背けて、時貞を睨み付けた。

そうして、懐から煙草を取り出して―――。

口直しとでも言うかのように火を付けて煙を吐き出した。

どう見てもバレバレな感情を知ってる連中は、苦笑している。

来栖は呆れたように目線を拓に戻した。

「―――俺は・・・言ったら駄目なんだと思ってた。」

「・・・マー坊くん？」

拓を腕に抱き締めたまま、真里は呟くように言葉を吐き出す。

辛そうに顔を歪めて、その表情は今にも泣いてしまいそうだ。

「伝えたら、この関係が壊れると思って・・・だから、気付かせちゃいけないって・・・まさか拓ちゃんが不安になってるなんて・・・そんな事思いもしなかったから。」

ゆっくりと告げられる言葉に、拓もまた泣きそうな表情を浮かべた。

真里の告白も、拓をどれだけ思ってくれていたのかを告げたようなものだったから。

秀人とは違う位置で、真里は拓を守ろうとしてくれたのだ。

「ごめ・・・一番悪いのは・・・ボクだ・・から・・・」

ギュッと拳を握り締めて拓は必死に涙を堪えてそう告げた。

拓の言葉に真里はフルフルと首を横に降る。

「秀人の言葉で気付いた・・・甘えていたのは、俺の方だって。ここにいる誰よりも何時も側にいるのに、気付かなかった。ううん、気付こうとしなかった。誰かを選ぶ位なら、誰も選ばないと勝手に決め付けてた。」

「マー坊くん？」

「全員の想いをちゃんと受け止められるなんて、思わなかったから・・・」

顔を上げた真里は、真摯な眼差しで拓を見詰めた。

「拓ちゃんが居なけりゃ、俺たちは集まらない。喩え単車勝負が出来たって、こんな風に集まったりしない。拓ちゃんが居るから・・・一緒に居たいから、共有してるんだ。この想いが拓ちゃんに取って枷にならないんなら・・・伝えたい。」

そうして、一息吐くと真里は微笑った。

「―――大好きだよ。」

見惚れそうな程、柔らかな笑みに拓は眩しい物を目にしたように、目を眇めた。

拍子に、潤んでいた瞳からポトリと一粒涙が零れる。

それを、指先で拭ってから、真里は拓の唇ギリギリに口付けた。

途端に、周りから微妙な声や息が漏れる。

真里に集中した目線は尖った剣山のように険悪なものだったが、得物や拳が飛んでくる事は無かった。

「―――理解ったかよ？拓・・・」

問い掛けは秀人だ。

ニッと笑うその顔は、夜の街中では絶対に見られないもの。

恐らく、拓だけに見せていただろうその表情は、確かに拓が憧れる程落ち着いていて何でも見通しているような貫禄があった。

拓が秀人を“親友”と言い切るのは、この絶妙な距離感を保てるからなのかもしれない。

拓ただ一人を求める者たちと違って・・・秀人は拓の全てを受け止める。

だからこそ・・・“負けられない”と、他の者たちは決意する。

「・・・うん。ありがとう。―――ボクも、皆が大好きだよっ！！」

秀人の問いに拓は赤い眼のまま柔らかく微笑う。

頬を綺麗に染め上げて、拓は大きな声でそう告げた。

ギュッと目を瞑って、心の中の想いを曝け出す。

それから、恐る恐る瞳を開けて・・・視線を流す。

どの顔も、笑顔を浮かべているのを見て、途端に拓は胸が熱くなった。

「―――どうしよ・・・嬉しいよぉ・・・」

次ぎから次へと溢れ出てくる想いが雫となる。

必死に涙を拭いながら、本当に嬉しそうにそう告げた拓に、全員の目線が釘付けになった。

彼等の標は、こんなにも純粋で綺麗で・・・愛しくて。

「しかし･･･泣き虫なのは、ちっとも直んねぇなぁ。」

「昔っから、拓ちゃんは、そうだよ。でも、そこが優しい拓ちゃんの良いトコだろうが。」

「他人の為にも泣いてくれるし・・・」

「泣いてる顔も可愛いけど・・・俺は、拓ちゃんの笑顔の方が好きだよ。」

秀人のちょっと呆れたような台詞に、【三鬼龍】が庇うように拓を慰める。

時貞なんかは、いつの間にか拓を腕に包み込んで、髪を掬ったりして優しく甘く台詞を囁いていた。

「だから、こーゆーのは嫌なんだよっ！」

吐き棄てるように言って、緋咲はそっぽを向く。

思わず拓に見惚れてしまっていた事は、絶対に認めない。

「拓ちゃんって、ほんと・・・可愛いよなぁ。」

目に付いた短冊を見ながら、来栖が笑う。

気付いた大珠も、苦笑した。

二人が見ていた短冊に書かれている文字。

そんな事を書くのはこのメンバー内ではただ一人しかいない。

「だからこそ、彼も動いたんだろう？でなければ、先ほどの単車勝負に割って入ってくる必要も無い筈。」

天空の月を見遣って、千冬がゆっくりと告げる。

あの場所で、あれを言えるのは確かに秀人だけだった。

他の誰もあんな風に拓を窘められないし、言葉を告げる事は出来なくて・・・。

ましてや、自覚を促して泣かせて・・・心を救うなど。

余りにも上位に位置する者の、全く間違えない選択に完敗の気持ちが強くて嫌になる。

あの瞬間、自分だったらすんなりとその身体を渡せたかどうかも定かではない。

あれは、絶対的な自信があるからこそできる行動だ。

それだけの、絆が二人の間には確かにあるのだろう。

ギュッと拳に力を入れたら、爪で切れたのか密かに痛みが走った。

それでも、心の痛みの方が今は強かった。

「強くなりたい・・・」

砂浜に目線を落としたまま、真里は小さく呟いた。

昼間見た短冊に動揺したのは、真里だけだ。

拓はちゃんと受け入れていたのだ。

だから、あんなにも必死に真里を止めようとしていた。

恐らく、真里が破り捨てた短冊を誰が書いたのか全部拓は知っているのだ。

知っていて、受け止めて・・・そうして真里が嫌な思いをしないようにとあの瞬間、冗談で終わらせようとした。

でも、本当は冗談なんかじゃなくて・・・神様に叶えて貰ったら嫌だったのは、真里の気持ちだけで。

側に居るのが当たり前だと思ってた。

側に居るのに、自分以外が選ばれるのが嫌だった。

それは、真里だけの身勝手な想い。

本当に怖かったのは、誰も選ばない拓が、自分の側からも居なくなってしまう事。

だから、拓に誰も選ばせない為に・・・この大切な関係すら奪おうとしていたのだ。

そうして、誰の想いも受け取っては駄目だと、拓に強要してしまった。

自分が同じ事をやられたら、やった相手を許さない筈なのに・・・失念していた。

それを、秀人は全部覆した。

全員が平等に想いを告げる事によって、拓の不安を取り除いて・・・抜け駆けした者を赦したのだ。

それが、拓にとって一番最良の方法だとちゃんと理解した上での行動。

どうしたら、そこまで強くなれるのか？

それ程、固い絆を持てるのだろう？

拓が乱校に転校してくる前・・・二人が一緒に過ごした時間よりも、自分はもっと長く拓の側に居るのに、そこまで自信が持てない。

秀人の名を口にする度、拓は本当に表情が違うから、余程心酔しているのだと思っていたが・・・それは、初めて拓を認めた友達だからだと思っていた。

なのに、何度も顔を合わせる度に、その都度見せ付けられるその違い。

誰よりも半端なく拓を想う秀人の態度は、確かに拓とっては憧れ以上の気持ちを思い起こさせる程完璧だった。

欲しがらず前に出ず、本当に困った時だけ手助けし・・・だからと言ってただ甘やかしている訳じゃなくて・・・。

―――本当に強い“漢”。

一番近いのは、“爆音小僧”全盛期の夏生だろうか？

誠と夏生の二人は、真里たち全員の憧れだった。

あんな風になりたかった。

拓にとっての・・・対等になれる位置。

でも、まだだ。

もう遅いと諦めるには早過ぎるから。

さら、さらり。

夜風が笹を揺らす。

クルクルと短冊が回る。

皆の“願い”が風に舞う。

【皆でずっと仲良く走っていられますように】

ちょっと小さな文字で綴られた想い。

【ずっと皆と一緒にいられますように】

拓の書いた短冊には、誰か一人の名前は無い。

必ず、“皆”という文字が入っている。

そんな事を書くのは―――拓だけ。

誰かを選ぶのではなくて、全員を大切に慕う優しい【想い】。

グイッと腕で目を乱暴に拭うと、真里は顔を上げた。

それから、ズカズカと大股で歩いて秀人の前に立つ。

「勝負しろ、秀人っ！」

名指しで、勝負を挑むと、秀人は少しだけ驚いたように眉を上げて・・・それから、強い笑みを浮かべた。

「良いぜ。前の・・・“灰色幽霊”に邪魔された時の決着でもつけるか？」

「OK！じゃあ、今日の帰りのバックシートを賭けちゃうよ。」

「あぁ？勝手に決めて良いのかよ？」

「・・・拓ちゃんの飾り付け手伝った報酬だから構わないだろ？」

「そうじゃなくて。・・・拓、お前はそれで良いのか？」

「え？ぼ・・・ボクは今夜単車乗って来てないから・・・帰りもマー坊くんにって思ってたけど・・・秀人くんなら同じ横浜だから・・・」

「―――拓ちゃんっ！！俺も一緒に帰るんだから、参加しても・・・」

「あー、天羽は駄目だな。」

「うん。バックシート争奪戦だから。」

乱入した時貞に、秀人と真里は同時に却下する。

途端に、その場の空気がゾワリと濁る。

更に、夏だと言うのに冷たい風が吹き抜けた。

だが、不思議そうな顔をしたのは、真里だ。

「あれ？・・・何で、駄目だって言い切ったんだ？」

誰でも認めると思った秀人の言葉に、訝しげな顔で真里は尋ね返す。

「そりゃ、拓に抱き付かれても理性が飛ばない奴じゃなきゃ、却下なんだろ？んで、拓が気にするから横浜以外も除外で・・・風神と雷神は参加しても良いけど、後で天羽の恨みを買ってまで参加すっかなぁ・・・と。」

一つ一つぶっきらぼうに告げる秀人に、その場の全員の目線が集まる。

誰もが納得できる説明は、頷く以外になくて。

「秀人くん・・・。」

心底感心したように拓は秀人を尊敬の眼差しで見詰めている。

これでまた一つ秀人の株が上がったようだ。

「別に抱えてくから問題ないだろ？今までだって・・・」

「片手で拓を抱えて、反対の手で笹持って・・・ハンドルは？」

「笹は拓ちゃんが・・・」

「持てねぇから、俺を指名したんだろ？鮎川・・・」

しつこく食い下がる時貞に、秀人は苦笑する。

そうして、拓を見て目を細めた。

「左・・・いや、右か。今、握力ねぇだろ？最初は足でも怪我したのかと思ったが・・・」

「秀人くん？！どうして・・・？」

「お前ぇがバイクで来てない理由を聞いた時、何時もだったら単車が壊れてるって言うだろ？なのに、鮎川はこれを持ってきたからって言いやがった。だが、単車が何でもなけりゃ、お前はちゃんと単車で来る筈だ。だから、おかしいと思った・・・」

見た目何とも無い状態の拓の腕を見ながら、秀人はちょっと怒ったようにそう告げた。

拓の目が丸くなって、思わず右手を隠すように動いた。

周りの連中も改めて拓の右手を見遣った。

「何だよ、最初っからお見通し？お前すげーな」

「・・・気付かなかった・・・」

キヨシが感嘆の声を上げると、ヒロシは愕然と呟いた。

時貞は声も出ない。

「え？じゃあ、俺がキスした時、手が震えてたのって・・・うわー、俺最低・・・」

頭を抱えるようにして大珠がその場にしゃがみ込む。

「あ・・・あの・・・そんなに酷くなくて・・・ちょっと捻っただけで・・・」

慌てて大珠に近寄って、拓は困ったように慰めている。

結局、拓は秀人の言葉を肯定したようなものだ。

「本当に酷い状態なら、鮎川が連れてこねぇだろ。」

「そこまで理解ってて、なんでバラすかなぁ？」

当たり前の様に告げる秀人に、真里は眉を潜めた。

「―――言ったろ？中途半端な隠し事は、揉める原因になるだけだ。それで一度あいつをヤバイ目に合わせただろうが。」

秀人の言葉に、真里も納得する。

ちょっとした小競り合いで、【爆音小僧】と【外道】が対立したあの時、一歩間違えば拓は失われていたかもしれないのだ。

彼らを止める為にB突に現れる前に、拓が途中で単車で事故っていたと知った時の衝撃は、今でも酷く心を痛める。

同じような抗争の所為で、真里は誰よりもその走りに憧れていた誠を永遠に失ってしまったのだから。

「満月の夜の間は、全部本音で付き合わねぇとな。」

「―――あぁ。」

満月を見遣って目を眇めて言う秀人に、真里は同意した。

そうして、同じように天空を見上げる。

梅雨とはとても思えない程、雲一つ無い夜空に輝く月は、大分上空に上がってしまっている。

それでも、砂浜が明るいのはその光りが照らしているから。

月の光りが強いから、他の星が余り見えない。

折角の七夕なのだから・・・星も見たいが・・・望月だからこそ、自分たちは集うのだ。

月の光りを全身に浴びて、思う存分“疾風”となる。

誠が目指していた“スピードの向こう側”には中々辿り着けないけれど、同じ速度域の連中と走れるのは何よりも楽しいから。

だから、彼等は暗闇の夜の途を照らす優しい光りに癒されたくて・・・求める。

それが、一月に一度の彼らの至福の時間でもあるから。

明るい月の光りの下で、彼等は少しの間それぞれが砂浜に座り込んで、景色を眺めた。

視界に写るのは天の川でもなく、星の光りでもなく―――彼等が待ち焦がれた真円の月。

聞こえるのは、砂浜に立てられた笹の葉鳴りと・・・寄せては返す白波の調べ。

真夏にはまだ早い夜風は、湿気を含んで海の匂いを漂わせる。

「あー、来月は海入りたいーーーっ！」

真里が大きく伸びをしながら、海に向かって大きく叫んだ。

「―――次は花火でも持って来ようかな？」

「それも、良いな。」

「・・・この面子で顔付き合わせて花火かよ？」

拓の呟きに諸手を上げて賛成したのは時貞で、緋咲が呆れたようにそう言った。

「来月はこっちで、でっかい花火大会もあるよ？」

「鎌倉海岸でもやるだろ。」

「逗子海岸のもポスター見た・・・」

横浜以外のメンバーが、拓の気を引きたくてそれぞれに口にする。

それぞれ違う場所を示すのは、お気に入りの場所が違うからだ。

「ウチのバルコニーの沐浴椅子に、一緒に座って見ようか？」

駄目押しのように言い切ったのは時貞だ。

拓は少しだけ困ったように笑うだけで・・・。

「また誘って一緒に・・・皆で一緒に、花火見れたら嬉しいな・・・」

柔らかく呟く拓の言葉が、全てを物語っていた。