待ち合わせは、いつも午後９時。
夜の帳が降りて、彼らの世界が始まってから。
それぞれの“愛機”を疾駆させ、集う―――その『場所』。
そこに、彼らが集まる“理由”が存在するから。

最初に言い出したのは誰だったのだろう？
今ではそれが当たり前のようになっているけれど・・・。
死闘すら交わした事のある者たちが、一同に集まるのだから、当然揉めるのは仕方ない筈だ。
それでも・・・。
それを望まない者がいて・・・その者の為に集まっているのだから、何時しか暗黙の了解で協定が結ばれた。
―――それが、『喧嘩は御法度』。
どんな勝負も、満月の間だけはそれぞれの単車で決着を付ける―――と。
月に一度。
月齢１５日の饗宴。
彼らにとっては、最高の夜。
ただ純粋に、走る事だけが目的になるのだから。
神奈川中から集まった強者たち。
チームを持っている者もいる。
一人で、闘っている者もいる。
それぞれが、それぞれの柵を持っていて・・・。
普段の彼らの世界では、決して赦されない行為でもある。
敵対する者同士。
―――天敵とまで憎んでいる相手もいる。
それでも、月の魔力に惹きつけられるように、集まってしまうのは、その時間が如何に甘美な感覚を与えてくれるかという事を知っているから。
その存在の傍らが、どんなに居心地が良いのかという事を、識っているから。
困ったような顔が、柔らかな笑みを浮かべる時。
強く心を揺さぶられて。
―――意識が奪われる。
小さくて、オドオドしてて・・・強さの片鱗も見受けられない容姿なのに、その眼差しの強さや、魂の器の大きさが、計り知れない―――『存在』。
彼らが集う“理由”。
一緒に走る喜び。
何処までも風を受けて、身体をスピードに酔わせて・・・。
―――彼らは夜の世界を飛翔するのだ。

それは、今夜も変わらない―――。

「フフフ・・・」
不敵に笑ったのは、強運を引き寄せて勝利を手にした者。
「チッ・・・！！」
「マジかよ・・・」
「ちぇーっ！」
周りでは、後一歩で及ばなかった者達が悔しがっている。
「あの・・・」
弱々しい声が響くが、それは周りの喧騒に掻き消されてしまう。
「――――」
「ふぅ・・・」
無言で空を見上げる者もいれば、溜め息を付いている者もいる。
「次は絶対勝ってやるっ！！」
「・・・もう一勝負いくっぞっ！！」
握り拳を作って、捲くし立てるのは・・・風神雷神の鬼コンビ。
「・・・拓ちゃん・・・」
相も変わらずマイペースな時貞は、手に入れた勝利の証である拓の傍らで、べったりと懐いて幸せを堪能している。
どう見ても見せびらかしているようにしか見えないので、彼等の闘志に油を注いでいるようなものだ。
「じゃあ、タンデムでいこーか♪」
嬉しそうに言う時貞に、拓はダラダラと冷や汗をかいている。
どう見てもバックシートの無い時貞のバイクの何処に、拓の座る場所があるのだろうか・・・と。
「―――やっぱ、天運が味方してるのか・・・？」
「“龍神”・・・」
「・・・昔っからだ。今に始まった事じゃねェ。」
千冬の問い掛けに、頷いているのが大珠で・・・苦々しく言い放ったのは、緋咲だ。
咥えていたジョーカーを吐き捨てると、足で踏み消した。
視線の先では、時貞に抱えられたままで困った顔をしている拓がいて。
その姿が嫌に癇に障る。
ベイブリッジの上、事故った時貞の容態を心配して、意識が戻るのを祈っていた姿が、脳裏に蘇る。
小さな肩が、震えていたのを確かに緋咲は知っているのだ。
いつもいつも、気付けば自然と探している・・・姿。
だからこそ、こうして自分のテリトリーである横須賀を離れて、この横浜まで来ているのだから。
尤も、それは緋咲だけではないのだが・・・。
それぞれの思惑が複雑に絡まりあう。
別に、同じチームになりたいとか・・・いつも一緒につるんでいたいとか―――そんな想いではないのだ。
中には、確実にそう思っている者もいるが・・・取り敢えず、共有できる時間と空間があれば、それで良い。
一緒に走ると、自分の限界がギリギリまで理解る・・・と言ったのは、真里だった。
『スピードの向こう側』
それは、走り屋ならば誰もが目指す臨界点。
風になれる瞬間。
愛機と一体になって、疾駆する―――。
闘いも柵も全てが消える“時”。
そんな体験が出来るなら、それを望むのは間違った事では無いと思うから。
「・・・今夜も格別だな。」
ボソリと呟いたのは、秀人だ。
見上げた夜空には、無数の煌き。
その煌きすら消してしまいそうな程、一番輝いている『フルムーン』。
漆黒の闇を照らすその光りは、太陽のように眩しい物ではなく。
―――優しい光り。
闇に染まった彼等の意識を、穏やかに包み込む存在。
彼等にとっては、それが拓の存在と重なるのだ。
だからこそ―――この夜を選んだ。
満月が魅せる千夜一夜の物語のように、それが夢の時間である事も知っているのだから。
「なぁ、千冬ぅ？」
「・・・あぁ？！」
何気なく声を発する真里に、メデューサのように長い髪をわなわなと震わせていた千冬が怒りを顕わにしたまま聞き返す。
美人が怒る様は、本当に怖いものだ。
「うぉ・・っと、今夜ぁ―――湘南走っても良い？」

一瞬、身を引くが・・・真里は更に食い下がる。
「・・・？」
途端に、千冬の怒りが消える。
不思議そうな視線を受けて、真里は明るい笑みを返した。
「折角、夏なんだから・・・海行きたい。」
「あぁ？海岸なんか、今時アベックばっかりなのに。」
うんざりしたように千冬は答える。
「良いじゃん。それで、アイツは今日は走ってないのか？」
「・・・ヤヒロなら・・・今夜は女ンとこ。でもまぁ・・・いても手は出してこねーから。」
挑むような目で言う真里に、千冬は紅い唇を綺麗にカーブさせた。
壮絶な笑みが、天使のような風貌を更に引き立てる。
「―――手なんか、出させねーよ。」
したり顔で、会話に割り込んできたのは、もう一人の美貌の持ち主。
さらさらの金髪が額に掛かるのを指先で払って・・・来栖は、天使のような笑顔で凄みのある言葉を発した。
「ふーん。ま、良いや。オレが拓ちゃんと海で遊びたいだけだし。」
にっこりと笑顔で真里が言い切った。
どこぞのアイドルかと思うような別嬪ぞろいが笑顔で話しているようにしか見えず・・・女性が見れば目の保養としか言いようの無い三人だ。
尤も、会話が聞こえなければ―――の話だが。
三竦みのような状態に、それぞれの含み笑いだけがその場の空気を凍りつかせていった。

「・・・走れるんなら・・・何処でもいい。」
遠くを見つめて、言ったのは秀人だ。
自分達は、走る為に集まったのだから・・・と。
「―――ああ。」
薄く笑ったのは、大珠。
秀人の走りに対する強い瞳が、拓の言葉を思い出させた。
―――ボクに最初に走る事を教えてくれた相手だから・・・―――
秀人を彼等に紹介した時、拓は確かにそう言った。
乱校に行っている拓が、どうして外道の秀人と知り合いなのか、驚いた者も多かったが・・・。
それでも拓のその言葉だけで、秀人の存在は彼等の中で強く意識に残った。
最大のライバルだとも認識した。
だが、彼等が思っていた以上に、二人の関係は親密ではないようで・・・。
だからこそ、走りとは別に争奪戦が始まってしまったのだ。
魔王だ―――と、初めて拳を交えた時に大珠はそう思った相手だ。
その半端ではない強さ。
―――拓にとっての・・・憧れ。
知っているからこそ、負けられないし・・・譲れないのだ。
「―――あんま時間ねぇんだぞ・・・」
限られた時間でしかないのだ。
今夜を逃せば、また一月後になってしまう。
だから、一分でも一秒でも長く―――走った方が良いのだ。
「ううぅ・・・」
視線を向けられて、時貞の腕の中で半泣きになっていた拓が居心地悪げに身じろぐ。
皆、拓の言葉を待っているのだ。
自分の単車を壊してしまったのは、他の誰でもなく自分の所為なので・・・。
「―――行って・・・下さい・・・」
真っ赤になったまま、拓は項垂れた。
「―――行き先は、七里ガ浜！！最初に到着した奴が、勝ちねっ！！」
嬉しそうに叫んで、真里がバイクに跨る。
「海かぁ・・・」
「まぁ、良いんじゃないの？」
それぞれに、行き先を確認する。
視界の端では、時貞に抱えられた拓の姿があって・・・。
「―――あれ、どうにかならないのか？」
「・・・どうにもならん。」
言い捨てたのは、緋咲だ。
腸が煮えくり返っているので、背負っているオーラも凄まじかったりする。
「地元だし・・・」
「―――負けられない。」
幾つもの感情が交差する中、戦いの火蓋は切って落とされた。

弾丸のように飛び出していくバイクの集団が、闇の中に吸い込まれていく。
鳥浜から七里ガ浜まで、朝比奈を通って直線距離でどれ位になるのか？
まぁ、同じ県内なのだからそんなに時間も掛からないだろう。

―――彼等の走りならば。

疾駆する彼等の姿を、正確に掴める者など―――いない。
それ程の、『速度』。
巻き込まれた者が、その時の恐怖を称して付けた彼等の通り名は『百鬼夜行』。
神奈川県内では『満月の夜の伝説』とまで噂されている者達。
だが、誰に何と言われようが、彼等は走りを楽しむだけだ・・・。
彼等が望むたった一人の者と共に―――。

天空には輝く満月。
身体から溢れてくる闘志が、オーラとなって彼等の姿を包み込む。
一丸となって疾駆する彼等は―――正しく『鋼鉄の翼』を持っていた。